『Eternal Voice 消え残る想い』で、月組トップスター月城かなと演じる考古学者ユリウスとトップ娘役海乃美月演じるアデーラは、物質に残る“記憶”を知ることのできる能力を持っている。その不思議な能力はアデーラを苦しめてきたが、ユリウスと出逢い、心を通わせていくことによって彼女は癒やされ、ヴィクトリア朝のイギリスを揺るがす陰謀事件を二人して解決することとなる。この作品で描かれるほど不思議な能力ではないにしても、人が己に与えられた能力を存分に生かして生を幸せなものとして生きる上では多分に努力が必要であり、生かす道を模索し切り拓く上ではときに困難が生じることもある。この物語におけるユリウスとアデーラは似通った能力の持ち主であるが、たとえ似たものでないにしても、何かしらの能力の持ち主であるがゆえにある立場におかれる、そのことによって何かしらの孤独を感じる状況が生じ、その状況の共通性ゆえに人間が心を通わせるということもまたあり得る。
 トップコンビとして共に舞台を創り上げていく上でさまざまなことがあって、互いに向き合い、共に乗り越えてきて、今があるんだな……と感じさせる舞台だった。そんな二人の姿は何だかマーブル模様を思わせた。二つの個性が相対するうちに溶け合って形成された、二人にしか出し得ない模様。世界のさまざまな場所に存在し得るコンビという関係性について、改めて、いいな、と思わせてくれるトップコンビである。ショー『Grande TAKARAZUKA 110!』のフィナーレで、二人がデュエットダンスを踊る。月城に対する海乃の表情がやわらかくて、楽しめているんだな、と感じた。コンビを組んだ最初のうちはまだまだ硬いところがあるように感じていたから、二人してここまで来たんだな、と。
『Eternal Voice 消え残る想い』は、事件解決もさることながら、人生のふとしたなにげない一瞬も愛おしみたくなるような魅力があるのが正塚晴彦作品らしい。例えば、ユリウスの助手的存在であるカイ(礼華はる)がちょっとした心情をソロで歌うとか、ティールームでウェイトレスが紅茶を持ってくるとか、芯となる芝居の後ろで人々が通り過ぎていったりとか、そんな一瞬一瞬。たまたまユリウスとアデーラ、そして陰謀にまつわる話がメインで描かれているけれども、人それぞれ、自分が主役である人生の物語を生きていることの尊さを感じさせる作品である。
 『Grande TAKARAZUKA 110!』(作・演出=中村一徳)には、“和物の雪組”出身である月城かなとへの惜別の思いがこめられた、和物調の衣裳で舞い踊る<第6章 SETSUGETSU 雪月>の場面がある。雪組時代の月城かなとは魅力にあふれた若手スターで、月組に来てからはその魅力にますます磨きがかかって、今となってはずっと月組にいたような風に舞台の中心に立っている人が、雪組若手スター時代に見せていた顔をもう一度見せてくれたような気がして、最後に何だかうれしかった。月城かなとは、台本とじっくり向き合うのが好きな、芝居心にあふれた人である。古風なようでときにはっちゃけた魅力も見せる海乃美月共々、今後も楽しみ。
 次期トップスターの鳳月杏は、今回の2本立てでも見せたように、シリアスとコミカル、大人の魅力とフレッシュな魅力と、幅広く行ける人である。その鳳月経由なのであろうと思うが、礼華はるに元宙組トップスター大空祐飛(月組→花組→宙組)の男役芸が伝わっていっている感もあり、これも楽しみ。風間柚乃は歌声で客席に明るい幸福感をもたらすことのできる男役である。彩みちるは声のトーンをさらに上手く使えるようになると芝居にパンチ力が増すように思う。落ち着いてしまいがちなところのある天紫珠李だけれども、ショーで若々しい魅力を放っていた。
『Eternal Voice 消え残る想い』で月城ユリウスと海乃アデーラにねぎらいの言葉をかけるヴィクトリア女王役の梨花ますみの演技は、退団する二人への惜別の思いがにじんでいた。『Grande TAKARAZUKA 110!』での餞の場面、麗泉里ら退団者たちによる銀橋を渡っての歌唱も、こめられた思いが大いに伝わるものだった。
 物語の社会的背景や登場人物のおかれた状況、そしてさまざまな感情につき、奥深く、それでいて実にバランスよく提示するマウリツィオ・ベニーニの指揮が多くの示唆に富んでいて、冒頭から心をぐっとつかまれた。非常に新鮮にこの物語を受け止めることができ、カヴァラドッシに仮託されたものについて改めて興味深く思った。新国立劇場の人気プロダクション、アントネッロ・マダウ=ディアツの演出もわかりやすく、オペラに初めてふれる方にもお勧めしたいこの公演は21日まで。

(14時の部、新国立劇場オペラハウス)
 今夜のサヨナラ勝ちは涙が出そうにうれしかった。
 というわけで、今シーズンは阪神タイガースの試合を中心に野球を楽しんでおり。日本野球の応援歌と歌舞伎の大向う(掛け声)に共通する効果に気づいたり、発見や学ぶこと多し。
 <新町井筒屋の場>の上演。中村鴈治郎は、ときに素なのかアドリブなのかわからないような演技をキレッキレに披露するところが魅力なのだけれども、亀屋忠兵衛役でもそんな魅力が存分に味わえて。この場面で、忠兵衛は実にさまざまな嘘をつく。その嘘一つ一つの背景にあるさまざまなもの――懐にしている公金が本当に自分のものであったらいいのに……という哀しい夢や、極限状態まで追いつめられた人間心理等――を、鴈治郎の演技はていねいに描き出してゆく。そうしてあれこれ積み重ねられた果ての、――もはや死ぬしかない、という(忠兵衛にとっての)現実。どうにも思いのやりどころがなくて、泣くほかなかった。――公演中ずっと、彼の亡き父の巨大な顔が、はっきりくっきり浮かんでいた。かつて歌舞伎座で感じたときのように重いと思うことはなくて、ただ、空気の中に透明に溶け込んだように、でも、確かに存在していて、――それが芸の伝承ということなのかもしれない、と思って観ていた。実に純粋な時間を過ごして、魂がすっきり洗われたような。

(14時半の部、サンパール荒川大ホール)
 チャールズ・ディケンズの長編小説『大いなる遺産』が原作。登場人物の性格も変わりかねない物語変更がある中、星組生たちはよく頑張っている。主人公ピップを演じる暁千星は、子供時代を演じる場面はないものの、どこか途方に暮れて膝を抱え座っている少年の面影を常に感じさせるような演技が魅力。ディケンズの原作の言葉そのままのセリフを口にしたとき、観る者の心に迫るものがある。フィナーレのソロダンスでは空を貫く彗星の如き輝きを見せた。温かみあふれるピップの義兄ジョー・ガージェリー役の美稀千種、ワイルドに一途な脱獄犯エイベル・マグウィッチ役の輝咲玲央が物語をがっちり固め、ピップの親友ハーバート・ポケット役の稀惺かずともさわやか。舞台版でさらに難易度増したミステリアスなヒロイン、エステラ役の瑠璃花夏も健闘している。天飛華音がピップの恋敵であるベントリー・ドラムルと、ピップの心の中にひそむ“闇”を一人二役で演じているが、作劇及び演出上、現在と回想、現実と夢との区別のつけ方がうまく行っていないこともあり、難しい役どころとなっている。
 観劇にあたり、初めて原作を読んだのだが(加賀山卓朗翻訳の新潮文庫版)、ページをめくる手が止まらないおもしろさ。ディケンズの人間存在や社会のあり方に対するまなざしに心打たれた。「つまり、人生をつうじて、私たちの最悪の弱さや卑しさは、もっとも軽蔑する人がいることで表に出てくる」(新潮文庫版上巻373ページ)の一節の鋭さ。