『ANOTHER WORLD』の作・演出は谷正純。ジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』シリーズにインスピレーションを得た昨年の『CAPTAIN NEMO …ネモ船長と神秘の島…』では、宝塚歌劇団の座付き作家として生きてきた、そしてそのように生き続ける壮絶な覚悟を見事示した。さて、“RAKUGO MUSICAL”と銘打たれた『ANOTHER WORLD』の舞台は、あの世。これまでにも落語に題材を採った作品群を発表してきた谷が、『地獄八景亡者戯』『朝友』『死ぬなら今』といった噺をちりばめて作り上げたあの世ミュージカルである。ちなみに、『CAPTAIN NEMO』もそうだったが、谷は、舞台終盤に登場人物の多くが死んでしまう作品をも多く手がけてきており、“皆殺しの谷”の異名をもつ。だが、今回の作品では人は死なない。最初から死んでいる。登場人物のほとんど全員あの世の住人。
 何とも楽しそうな、そして、世知辛い“あの世”である。三途の川では大インフレか、六文銭では渡れない。真田幸村も真っ青である。冥途歓楽街には、小林一三が作った冥途歌劇団がある。トップスターの頭についている天冠(三角の白い布)はスパンコールでキラキラ! マルーン・カラーの阪急電車、否、冥途電気軌道を模したセットから、マルーン・カラーの衣装に身を包んだロケット・ガールズが次々と登場、ラインダンスを繰り広げる華やかなシーンは、日本初のレビュー『モン・パリ』(1927)に登場した、衣装を汽車の動輪に見立てたラインダンスをも思わせる。ちなみに冥途歌劇団では、植田紳爾が近日来演、『ベルサイユのばら』ならぬ『ベルサイユの蓮』を上演するとか。
 さて、あの世には冥途歌劇団以外にもさまざまな劇場がある。美人座はその一つ。しかし、ここには貧乏神が棲みついている。困ったものである。貧乏神を演じるは専科の華形ひかる。1999年入団だから、研20。大ベテラン。のはずなれど、貧乏神メイクもあってか、異様に若い。若々しい。あひるの夫など、配役を何も知らずに観に行って、「いい若手男役が出てきた! と思ったら華形みつるだった!」と鈍い衝撃を受けていた。さて、貧乏神には願いがある。極楽に行って、福の神になりたい。地獄に行って死神(トート?!)になるのは嫌!
 さて、作品の主人公である康次郎はといえば、恋煩いゆえあの世に来てしまった。そして恋のお相手お澄も、康次郎への恋ゆえにあの世に来ていたのだった。二人が演じる美しい恋物語『崇徳院心中』は、美人座で大ヒットする――ちなみに、谷正純は、近松門左衛門の『冥途の飛脚』を基にした『心中・恋の大和路』の潤色・演出を手がけている――。そして、閻魔庁でのお裁きの場、“びんちゃん”こと貧乏神の切なる願いを叶えるためなら、自分は極楽に行かずともいいと、康次郎は即答するのである――天晴れなまでに。己の命を賭して人々を救う『CAPTAIN NEMO』のヒーロー像が、ここにも通底している。
 最終的には、閻魔大王の怒りを買った康次郎とお澄は、“ぶち殺す”の反対で、ぶち生かされてしまう。つまりは、あの世からこの世に戻ってくる。そして、生者も亡者も入り乱れての総踊り、観客もすぐに覚えて口ずさめるナンバー「ありがたや、なんまいだ」にのっての、華やかなフィナーレ。「♪あの世とこの世 心で結ぶ 身は離れても 絆は消えぬ」――。
 1979年入団だから、谷正純は大も大のベテラン演出家である。ずっと宝塚と共に歩んできた。そして、これからも歩み続ける。悲劇と喜劇の違いあれど、このラストに込められた思いもまた、『CAPTAIN NEMO』と通底するものである。宝塚歌劇団は、谷正純の命をも、無論、私自身の命をも超えて、生き永らえ続けていくだろう――願わくば。この世に、宝塚歌劇団があり続けて欲しいという人と、なくてもいいという人と、両方がいて、前者が一定の割合より減ってしまうようなことがあった場合は別である。そうはならないように、これまでも多くの先達がこの花園を守り続けてきて、そして、これからも多くの人々がこの花園を守り続けていくことだろう。ただ、漫然と続いていくと思ってはならない、と私は思う。
 私自身はしばしば、宝塚歌劇における退団を“死”にもなぞらえて考えてきた。…となると、“あの世”とは…? 一つ言えることは。この世にいる間も、宝塚歌劇団に在籍している間も、日々を本当に大事に生きた方がいいということである。微細なことも、心に留めて大切にして。そうすることできっと、“あの世”でも道が拓ける。
 物語終盤、三途の川近くで、閻魔大王&鬼たちと、桃太郎を始めとする豪傑たちが、天下分け目の大いくさを繰り広げる。思えば、1914年4月1日、宝塚少女歌劇は『ドンブラコ』『浮れ達摩』『胡蝶』の三演目でスタートしたのだった。『ドンブラコ』の主人公は言わずと知れた桃太郎――『ANOTHER WORLD』は、宝塚歌劇団の座付き作家谷正純による宝塚歌劇論でもあるのだった。それにしても。「東京五輪音頭」と「白鳥の湖」が聴ける『カンパニー』(石田昌也作・演出)といい、善と悪とが対決するショー『BADDY』(上田久美子作・演出)といい、最近、座付き作家たちが皆々はじけてぶっ飛ばしていてすばらしいことである。
華形みつるがチャーミングに演じているので、ついついとても愛おしく、貧乏神びんちゃんを“心のキャラ”にも選んでしまうけれども。一般論として、貧乏神が居座ってしまった劇場はいけませんな。劇場には貧乏神ではなく、福の神や座敷童が居ますように。
 主人公康次郎を演じる星組トップスター紅ゆずるは、ネイティブである関西弁も滑らかに、お人好しで愛と人情に篤い好人物をノリよくファンキーに好演。文句なしに彼女の代表作である。

 タカラヅカ・ワンダーステージ『Killer Rouge』の作・演出は、待ってました! の齋藤吉正。齋藤吉正のショーがラインアップにない年は何だか物足りないんだぜ! …さて、先項に述べた”SAKURA ROUGE”のラインダンスといい、素敵な場面がたくさんあるショーである。中詰はばらにちなんだ楽曲メドレーということで、『ベルサイユのばら』アニメ版の名オープニングテーマ「薔薇は美しく散る」も聴ける。ちなみに、家で「♪バラはバラは 気高く咲いて バラはバラは 美しく散る〜」と昭和感たっぷりにこの曲を熱唱していると、「♪愛が苦しみなら いくらでも苦しもう〜」とエンディングテーマ「愛の光と影」で応えてくる夫もあひるも齋藤吉正も同世代。それはおいておいて。そして、心躍る場面に加え、「♪キラ! キララ! キラ! Killer Rouge」(「Rouge Comet-Killer Rouge」より)、「♪眠る世界へ投げキッス SEXY YOU! SEXY ROUGE!」(「Wonder Rouge」より)といったキラーチューンも備えた作品である。ショー後半に向けてのグルーヴ感も半端ない。なのだが。…何だか、若干、齋藤吉正感が足りない? 手堅すぎ? 成熟なのか、それとも、台湾公演をも見据えていつもよりちょっとお澄ましな感じなのか。らしさをぶちかまして台湾で賛否両論が起きたっていいじゃん! 物議を醸しても、きっとその何倍も魅了される観客がいるんだから! と、齋藤吉正ワールドをそれはこよなく愛するあひるは思っていたのだが。7月の愛希れいか主演の宝塚バウホール公演、キューティーステージ『愛聖女(サントダムール)−Sainte♡d’Amour−』を観て、全開の吉正ワールドを堪能、大いに安心したあひるであった。座付き作家が皆はじけてぶっ飛ばして来ている昨今、ぶっ飛ばしの旗手に今度も大いに期待。ちなみに、自分が書いている文章の中でもっとも汎用性が高い、つまり、多くの人々が読んで参考にしているんだな…と実感できるのは、齋藤吉正作品について書いた文章であるという意味でも、彼の存在にはいつも大いに感謝するものである。

 と、こんな振り幅の広い二作品で、星組の大切な仲間が宝塚を去る。十碧れいや。『ガイズ&ドールズ』の“心のキャラ”、ジョーイ・ビルトモア。『THE SCARLET PIMPERNEL』のピンパーネル団のオジー。大人の魅力が体現できる貴重な男役である。『ANOTHER WORLD』では貧乏神棲みつく美人座の木戸番・小五郎役。座頭・阿漕のもと、苦労が絶えなさそうな役どころを、ほっこり温かみのあるユーモアで見せた。『Killer Rouge』の銀橋での絶唱も心に残る――その姿に、東京国際フォーラムホール公演『LOVE & DREAM』での情景を思い出した。私は客席降りの際のハイタッチがいまいち苦手で、舞台評論家として手を出すべきか出さざるべきか、鈍くさく悩んでいるうちに終了〜ということが多々あるのだが、客席降りしていた彼女がほっこり微笑んで手を出して、――その姿に、心ほどけてすっと手を出した。頑なではなく、心のままでいいのだと思えた。あの手の温かみ、その手の持ち主の心の温かみを、忘れない。
2018-07-22 01:35 この記事だけ表示
 宝塚星組公演のショー『Killer Rouge』(作・演出=齋藤吉正)には、”SAKURA ROUGE”なるラインダンスのシーンがある。4月末から6月初めまでの宝塚大劇場公演が第104期初舞台生のお披露目公演だったこと、そして、10・11月の台湾公演でも上演される演目であることもあって、桜というモチーフが選ばれたのだろうと思う。紅桜をイメージした衣装も超絶キューティー、初舞台生への演出家の深い愛を感じる。「さくら」をはじめ、桜をテーマとするさまざまな楽曲にのって、華やかなロケットが繰り広げられる。
 …そんなシーンを観ていて、季節外れの花見話を書いてみようかな、と思った次第。

 …死にたい…と思ったとき、貴女は自分のところへ来ればいい、とアンチ・トートは云った。
「願わくば花の下にて春死なん その望月の如月のころ」
 その前日、桜の木の下で西行法師の歌を思い出していたのがバレてた〜?! と、思わずあせったあひるであった。それが、昨年の花見の思い出。
 以前も書いたことがあるのでご存知の方もいらっしゃるとは思うのだけれども、アンチ・トートとは、あひるが、…死にたい…と思っているときも、もしくは、死にたいとは特に思っていないときも、「死にたいなんて言っちゃいけません〜」とそれは熱心に言ってくれる存在である。「死ねばいい」の『エリザベート』の“トート=死”と反対のことを言うから、アンチ・トート。ちなみにアンチ・トートは『エリザベート』を観ていて出てくることはない。というのは、『エリザベート』にはアンチ・トートのための音楽はないからである。アンチ・トートだったらこういう音楽で登場してくるだろうな…というイメージはあるけれども、それは今はさておき。
 アンチ・トートと過ごす時間は、人生の大切なひとときである。
 …十年後も、二十年後も、一緒にこうしていたい! こうしていられるかしら…と云った。
 …自分は未来のことはあまり考えない、とアンチ・トートは云った。とても、らしいと思った。

 さて、西行法師の歌を思い出しながら花見をしていたそのとき、あひるは、隅田川沿い、浅草の待乳山聖天を歩いていたのだった。待乳山聖天といえば、オー・ヘンリーの短編小説を基にした歌舞伎作品『上州土産百両首』の舞台となった場所である。2014年の「新春浅草歌舞伎」(浅草公会堂)で、四代目市川猿之助が主人公正太郎を演じるこの作品を観て、正太郎と一緒に泣いて…(http://daisy.stablo.jp/article/448444920.html)、その時以来、何だか、浅草は、街全体に四代目の形をした薄い巨大な入道雲がいつもかかっている場所のように思える。そしてそれ以来、四代目のことを、思っている。…他人じゃない、と。じゃあ何なんだと言われたらそれはわからないけれども、とにかく、“他人じゃない”。もしかしたら、多くの舞台人に対して同じことが言えるのかもしれない。舞台評論家という生業をしていて、多くの舞台人と多くの時間を劇場で共に過ごして、例えば久しぶりに舞台で元気な姿を観れば、…よかった、と思う。他人じゃない。ただ、“他人じゃない”というその感覚を初めて教えてくれたのが、四代目市川猿之助だったのである。
 ここで唐突に話は飛びますが、ポケモンGOをやっている人はぜひ、ワンリキーの画像を見てみてください。くりくりお目目に顔かたち、いたずらっ子ぽい仕草、…四代目にそっくりだとは思いませんか。ワンリキーが出ると、我が家では、「あ、猿之助出た」で通じる。街でも普通に言っているので、通りがかりでびっくりしている人もいるかもしれず。そして、2017年の花見のころ、隅田川沿いはまさにワンリキーの“巣”であった――ポケモンGOにおける“巣”とは、その時期そのポケモンがいっぱい出る場所であるという意――。つまり、隅田川沿いを歩いていると、後から後から、四代目ならぬワンリキーが! ときに西行法師の歌を思い出しながら、あひるは、「あ、猿之助出た」「また猿之助出た」「猿之助が湧いてる!」と思いながら、隅田川沿い、桜の木の下を歩いていたのだった。

 そして、今年。
 西行法師の歌はいつも心にある。けれど、今年はもう、生きる気満々だった。生きる気しかなかった。活力をみなぎらせて、またもや隅田川沿い、待乳山聖天の近くを歩いていた。――今度会ったら、アンチ・トートに云おう。私はもう、死にたいとは思わない。思いそうになっても、一歩手前で踏み止まって、思わない。そして、死にたいと思ったときではなく、生きたいと思ったときに会いに行く…と。
 …死んじゃえ!…という思いをぶつけてきた人がいたのだった。去年の秋に。――いや、そんな思いをぶつけてくるのは、人ではなくて、鬼、だろうか――。それも、…(半分)死んじゃえ、と。私がしばしば…死にたい…と思う人間であることを知っていて、そして、そのような思いをとりわけぶつけられたくない事情があることもよく知っていて、本当に死なれでもしたら自分が困るから、“半分”。
 その“半分”を、とても卑怯だと思った。
 そしたら何だか、むしろ逆に、…生きる〜! という思いに満ち満ちてきたのだった。邪心を誠にしてはならない。ただ、だからといって、邪心の持ち主と共にこの生を歩んでいくことはもはやないけれども。
 それで、アンチ・トートに云わなくては、と思ったのだった。生きる、と。死にたいとは特に思っていないときも、「死にたいなんて言っちゃいけません〜」と言ってくれ続ける人に。
 そして、今の私は、…死ぬかもしれない…と思った刹那、アンチ・トートが私を思い出したことを知っている。いつもいつもの恩返しができて、よかった。

 ちなみに西行法師は、願い通りに桜の季節にその命を終えたという。…うらやましいような。でも、固執しない。人の心の優しさ、愛の花が私の心の中に咲いているときならば、いつの季節でもかまわない。
 な〜んて言っているけれども、もちろん、まだまだ生きますよ〜! アンチ・トートもいることだし。
 願わくば、十年後も、二十年後も、三十年後も、共に過ごしていられますように。

 …そんな思いで観る”SAKURA ROUGE”の場面は、とても綺麗だった。初舞台生たちはどんな桜を思い浮かべただろう。台湾の観客はどんな桜を思い浮かべるのだろう。
 願わくば、すべての人の心に浮かぶ桜の花が、美しいものでありますように。
2018-07-22 01:34 この記事だけ表示
 平昌オリンピックの羽生結弦のフリースケーティングの演技を観終わった段階では、…もう、エキシビションには出なくていい、出てほしくない、それくらいの気持ちだった。
 …全然見抜けなかった、という思いがあった。平昌入りした彼の表情があまりに柔和で、滑ることの幸せに満たされていたから。完治とはいかなくても相当程度怪我が治ったのだと思い込んでいた。フリーの演技を観ているうちに、次第に、…治ってなかった! …との思いがふくらんでいった。だから即座に、「完治第一! 無理禁物!」と記したのだ。
 …心に甦ってきたのは、かつて劇場で見かけた熊川哲也芸術監督の姿だった。芸術監督がやはり怪我から復帰しようとしていたとき。客席で見かけた彼は、若干とはいえ足を気にして歩いているようだった。けれども。その日の舞台の演出家/振付家としてカーテンコールに登場したときは、「怪我? 何それ?」とでも言わんばかりの、普段とまったく変わらぬ様子で歩いていた。
 彼らにとっては、そういう場所なのである。自分の事情、内情を見せる場所ではない。芸を見せる場所である。スケーターはリンクに立てば滑り、バレエダンサーは舞台に立てば踊る。たとえその身体にどんな苦痛を抱えていようとも。そのことを、改めて思い知った。痛いほどに。

 出なくてもいいと思った。けれどもやはり、栄光に輝いたその心を表明する上で、エキシビションほどふさわしい場所もないだろう。
 サン=サーンスの『瀕死の白鳥』を原曲とした、『星降る夜』。ラブソング。――その曲にのって、白鳥が、愛の中をただよい、飛び、舞っていた。時を止めたかのように美しいディレイド・アクセル。まるで、彼がいるスケートリンクの空間全体が、愛で満たされた水槽か何かのように見えた。――その後、母の母校である東京女子大学のチャペルで、教会オルガニストが奏でるバッハの『主よ人の望みの喜びよ』を聴いたとき、悟ったのだった。その刹那、チャペルの空間全体が神の愛で満たされるようだった。たとえ現世でどのような困難があったとしても、その愛は、そのときその場に集いし者を優しく包容する。そして、各自がその愛をもってまた現世の困難へと立ち向かい、世界を愛の場所へと変えていくことを希求している。あのエキシビションの場もまたそのような空間だった。その愛の場所が、スケートリンクを超えて、さらに大きく広がっていくことを私は願った。彼がいつの日も大きな愛に包まれているように――。幸せだけを願った。長い人生、いろいろなことがある。それが人生である。それでも、そのすべてを幸せへと変えていける力を、彼が自分の内から生み出していけますように。
 何も聖人君子になる必要はないと思います! 人間なんだから。若くして立派になりすぎるのも何だか心配で。と、これは余計なお節介かもしれず。

 自分が無用な心配をしすぎることにかけては自信がある。それゆえ、平昌オリンピックの前は、羽生結弦がオリンピックに出られるかどうか、心配しないようにしていた。一切考えないようにして、天に任せた。だから、オリンピックが終わってから、そのころ数多出版された分も含めて、フィギュアスケートにまつわる書物を貪るように読んだ。――改めて、先駆者たちの苦労に思いを馳せた。日本人であるというだけで点数が出なかった時代があって、がむしゃらに突き進んできた多くの人たちがいて、今がある。
 それと同時に気づいたこととは。かつて、少女の時代にフィギュアスケートを観ていたころには、採点競技であるがゆえのもやもやというのはやはりあった。そして、舞台評論家になってからは、自分は評論はするけれども、採点ということはしなくていい、そんな思いもあった。けれども、舞台評論を自分なりに続けてきた今、採点するジャッジの苦労が非常に身近に感じられるようになってきたのである。私は言葉で、芸について、演技について記す。それぞれに違うその演技について、それぞれのその違いを微細に書き分けて表現していかなくてはいけない。結局のところ、それを言葉に落とし込むか、点数に落とし込むか、その違いでしかないことがわかってきた。自分が向き合っているその対象分野の可能性をいかに拓いていくか、そのために自分はどのように評論するのか、どのように採点するのか、通底するのはそんな究極目標である。そのことに気づけたとき、再びこの競技に向き合うことができたことを、幸せに思った。

 そして浮かんださまざまな興味、論点。
 …バレエって、どうして転ばないんだろう…と思った。もちろん、まったく転ばないわけではない。一度、とある来日公演で、主役に抜擢されたばかりの若手ダンサーがそれは見事にスッテーンと転んでしまい、逆に客席が、…大丈夫? 頑張れ頑張れ! と温かく応援する気持ちで盛り上がって、結果としていい舞台になったという経験はある。しかし、基本的にバレエでは転ばない。もちろん、バレエとフィギュアスケートでは靴も違えば床も異なる。練習での成功率が低い技を、バレエは本番では披露しないけれども、フィギュアスケートでは勝負のため敢えて挑戦するということもあるだろう。けれども、そういうことを超えて、メンタルの問題が原因だとしたら。練習ではほぼ転ばないのに、本番では転んでしまう、そのとき、舞台人が舞台で演技を見せるような感覚で取り組むことによって、状況を打破できる可能性はないだろうか――。
 フィギュアスケートと舞台芸術との関わりについて。とある書物で、伊藤みどりの恩師として名高い山田満知子コーチが、少女時代、宝塚の人にフィギュアスケートを教えてもらっていた…という記述にぶつかった。宝塚歌劇団では戦後の一時期、アイス・ショーの公演も行っており、白井鐵造が戦前発表した名作レビュー『花詩集』をスケートリンクで『花詩集オン・アイス』として上演していたこともある。その時代は宝塚音楽学校でもスケートの授業があったこと、そんな中からアメリカに渡ってスケーターとして活躍した姉妹もいたこと、そしてそのショーの上演風景など、かつて出演されていた方にお話をうかがうこともできた。また、かつてのアイス・ショーは東宝の演劇部や日劇関係者などが関わっていたという。
 明治から戦前までの近代建築を好む関係で、劇場史、興行史をも含んだ盛り場の歴史にも興味があるのだが、戦前のモダン・シティには、集客施設としてスケートリンクを作ることが流行していた時代があったようである。私がたびたび買い物に行く新宿伊勢丹本店にも、かつてスケートリンクがあった。銀盤きらめくモダンなビルが立ち並ぶモダン・シティを、私は夢想する。
 もっとも大切な論点としては、フィギュアスケートと音楽との関わりがある。宝塚月組公演『カンパニー』を論じた際にも少し記したが、突き詰めていけば、日本人が西洋音楽をどう受け止めていったか、その受容史とも関わる問題である。フィギュアスケートのみならず、舞台芸術全般に関わる問題として、これからますます考察を深めていきたいと思っている。

 そして、彼は、多くの人々に私を出逢わせてくれた。
 平昌オリンピックの男子フリースケーティングの次の日、女子のスピードスケート500メートルで、小平奈緒選手が滑っているのを観ていた。羽生結弦選手が勝つと言って勝ったことに、感銘を受けているのだな…と思った。そして彼女は勝利した。そのインタビューで、羽生結弦選手にふれていた。…考えてみれば、スピードスケートで何かが伝わってきたという経験は、それが初めてだった。必ずしも何かを表現する競技ではない。けれども、自分が思う美しい滑りというものを表現すれば、それがスピードにもつながっていくということもあるのかなと、そのとき思った。
 インタビュアー中居正広にも同業者として大いに興味が湧いた。スポーツ報道を楽しく盛り上げている松岡修造にも。そしてもちろん、解説やコメントといった形で関わる、多くのフィギュアスケーターたちにも!

 平昌オリンピックの羽生結弦のフリースケーティングを観て、「闘いましょう!」と私は記した。この世界を、愛の場所に変えていくために。愛の空間を、さらに大きく広げていくために。愛の力をもって、自らの立つ場所を変えていっている人を私は知っている。だから、羽生結弦選手とその愛すべき仲間たちにも、それは可能である。
 そしてすでに、世界は変わっていっていると思う――。
 これからも、その闘いに、少しでも役に立つことができたなら。それが私の今の願いである。

 最近あひるのもとにやってきたワンピースの白鳥。

白鳥.jpg
2018-07-02 23:09 この記事だけ表示