フィギュアスケート的には先シーズンの話が混ざる、それもあひるブログならでは。

 昨年の「全日本選手権」男子フリースケーティングを観ていて、伝わるという意味で一番印象に残ったのが『ウエスト・サイド・ストーリー』で踊った友野一希、二番目が『レ・ミゼラブル』を踊った三宅星南だった。それで、友野選手は4位だったので、翌日の「メダリスト・オン・アイス2017」で演技が観られるんだろうなと思って「武蔵野の森総合スポーツプラザ」に楽しみに足を運んだらば…、出ていなかった。…この人の演技、次はどこで観られるんだろう…とぼんやりしていたら、…運命がめぐりめぐって、「世界選手権2018」出場ということに。
 今年は『ウエスト・サイド・ストーリー』作曲のレナード・バーンスタイン生誕100周年にあたる。そして、ミュージカルのブロードウェイ初演からは61年が経っている。今年の初め、宝塚宙組がこの作品に挑んだとき、…正直、今の若い世代にはもう、あんまりアピールしない作品になってしまったのかな…と思わざるを得なかった(星風まどかのマリアはこの悲劇の恋物語の芯をしっかり作っていたし、英真なおきのドクと寿つかさのシュランク、ヴェルマの綾瀬あきなあたりは気を吐いていたけれども)。二つの若者グループが、あれほどまでに対立して、争い合って、恋が生まれて、死が訪れて…。過去を美化したいわけではなくて、1998年月組版、1999年星組版の方が、よほど若者の熱く激しい生き様を伝えていたと思う。
 そんな思いを抱えて、3月、ミラノでの「世界選手権」での友野の『ウエスト・サイド・ストーリー』の演技を観た。
 …惚れました! 貴方のエンターテイナー性に。
 そんな思いでいっぱいだった。彼がトニーならばマリアに、ベルナルドならばアニタに、リフならばグラジェラに、私もなって、一緒に踊りたかった! それほど、彼の活気あふれる演技は、作品世界を氷上に見事に描き出していた。――映画をよほどよく観て研究して、自分のものにしたのだと思う。実際にリンクの観客席で観ていた外国人の男性客が熱狂していた姿が、非常に印象に残っている。あのとき、友野一希の演技を通じて、私は、その男性客と、否、あの演技を観て心躍らせた世界中のすべての観客と、『ウエスト・サイド・ストーリー』という名作の素晴らしさを分かち合うことができたわけである。それはとても稀有で幸せな経験だった。
 それにしても。フィギュアスケートのプログラムは、ときに実に贅沢である。名作映画の魅力を、4分半にぎゅっと凝縮することができる。なんせ、一人の人間が、トニーも、ベルナルドも、リフも、すべて踊ってしまえるのだから――衣装だけはあの有名なベルナルドの姿なのだけれども。舞台の場合だと、トニーは主役だけど、ベルナルドには見せ場があるし、リフには名曲「クール」があるしで、例えば宝塚で上演するときは、それと組の現況、スターの持ち味とをマッチさせるのがなかなか難しかったり…(劇団四季で上演する際、トップクレジットに来るのはリフだとも聞いた)。
 友野一希の演技を観ていて、映画版でベルナルドを演じたジョージ・チャキリスさんが来日した際、一度取材させていただいたときのことを思い出した。大スターなのに、謙虚で物静かな方。映画撮影の際の思い出を尋ねると、撮影のタイミングの問題で、いつ踊り始めることになるかわからないから、いついかなるときでもジェローム・ロビンスの要求に応えてちゃんと踊れるよう、とにかく身体を冷やしてしまわないよう、ウォーミングアップに余念がなかった…というお話がとても印象深かった。
 「惚れました!」と思ったのは。私にとって、友野一希は一番わかりやすいタイプの表現者なのである――多分、私自身、特に舞台を観ているときなど、喜怒哀楽がものすごくはっきり出てしまう人間であるからだろうと思う。そんな人がフィギュアスケート界にもいたんだ! と思ったら、うれしさでほとんど舞い上がってしまって…。そういうときのあひるはついつい先走りしがちになるのをよく人にたしなめられている。猛省。人は、自分自身の幅を広げるためにも、自分にとってわかりやすい人だけではなく、わかりにくい人とも広く、深く、知り合っていくべきであるけれども。
 考えてみれば、…この人の演技、次はどこで観られるんだろう…とぼんやりしていた昨年末に比べたら、今年は友野一希の演技が何度も観られて俄然、幸せである。楽しく滑って、彼の持ち味、エンターテイナー性を存分に発揮してくれたら。それが今の一番の願い。
 それにしても。平昌オリンピックのときも、男子ショートプログラムが終わった時点で、「はい、明日は羽生結弦が優勝」と断言していたし、世界選手権のときも、男子ショートプログラムが終わった時点で、「はい、明日は友野一希が大活躍して、日本、翌年度の出場枠3確保」と断言していたし、…あひるの夫はなにゆえあんなにクールに見通せるのだろう。…それで思い出したけれども。あひるは、男子が一人しか出場しない時代を深夜帯とかに観ていた人だったので、…今って枠枠本当に大騒動なんだな…と、それこそ本当に今さらながら、ちょっとびっくりしたことでした。
2018-11-12 19:49 この記事だけ表示
 たまたまオンタイムで観られました。

 本田武史。…フィギュアスケートをやっていてよかった…と愛を滑っていて、しみじみ深い感動を覚えた。川口悠子と今回だけのスペシャル・ペアを組み、共に滑る姿に包容力があった。快活で元気溌剌としたイメージだったけれども、すっかり素敵な大人の男性に。先輩、その包容力で、ときにはガツンと言ってやってください!

 織田信成。…心痛深し。感受性が鋭敏な、心優しき人なれば。…正直、あひるも先の展開が読めない。いきなり『白鳥の湖』第三幕が向かい合わせで始まって、それがまだまだ続くのか、それとも別の物語になっていくのか、わからない。でもまあ、人生は筋書きのないドラマ、たまにはスリルも必要かと。私の方では、なぜ神様がそちら方面に私をお遣わしになったのか、だんだんわかってきていて。結局のところ、”We’re all part of the masterplan”、必ずや神様がよいようにしてくださいます(参考資料:2017年12月29日付ブログ三部作)。愛こそが最大の力。愛が盾であり、矛。いつも通り、愛をもって貴方の闘いを!

 鈴木明子。10月の「カーニバル・オン・アイス2018」の「風の神の歌」は、“風”という実体のないものを表現する緊迫感にあふれたプログラムで、見応えがあった。今回は「愛の讃歌」、愛の幸せ感に満ちて、それはきらきらしていた! ちなみに、美輪明宏が繰り返し言っていることですが、「愛の讃歌」の原詞にある“愛”とは、そのためならば盗みもする、友達をも祖国をも見捨てることも構わないという、実に激しい愛なり。

 高橋大輔。ますます好調。さすが呑み込みが早い、次にはきっともう“リンクは最高のエクスタシー”。今回の演技を観ていて最初に心に浮かんだのは、”dense――密度が濃い――”という言葉だった。「高橋大輔」という空気があたりに濃厚に立ち込めている、その中で私は呼吸する。曲名「シェルタリング・スカイ」――(人を)庇護してくれる、避難させてくれる、空――に何ともふさわしいような。彼の演技を思い出しながらこの曲を口ずさんでいると、何だか、泣きたいのに泣けないような、だから途方に暮れた泣き顔を作るしかないような、そんな、胸をしめつけられるようなやるせない思いにとらわれる――。しかし。「西日本選手権」での演技といい、彼は、空気とか、気配とか、そういったものを感じさせる、そういったものになってしまう人なのかなと…。だからアンコールの「マンボ」も、音になっているというのともまた違うような。こういう表現者は、人生において他では出逢ったことがない。ますます、謎めいて。
「レジェンドオンアイス」を、現役選手として滑る。――私は、彼の復帰について、なんてロマンがあるんだろう! とわくわくした。この世の中、総じてロマンがなさすぎなのである。そして、高橋大輔が復帰してきたことによって、この世界について、初めて見えてきた、わかってきたことが数多くある。その意味でも、私は彼に深く感謝している。「全日本選手権」に臨むその覚悟や良し。

 荒川静香。優美である。成熟した大人の女性の美に満ちあふれている。バレエ・ダンサーだったら絶対に『白鳥の湖』オデット/オディールを踊ってほしい人である。フィギュアスケートに限らず、日本女性は得てして若く見えがち、いつまでも女の子に見えがちで――もちろん、それが大いに活きるときも決して少なくないけれども――、はたして他の国の人々の目にはどう映るんだろう…と思うときがある。人それぞれ個性は無論異なるけれども、日本女子選手が目指すべき大切なロールモデルの一人である。

 伊藤みどり。私が舞台評論家という職業を選択するにあたって、フィギュアスケートという競技、そして伊藤みどりの存在が、自分で思っていた以上に大きかった…というのが、このところの私の感慨である。少女の日、…芸術点っていったい何? と、何度も何度も思って(ときには憤って)いた自分が今、…美とはいったい?…と、来る日も来る日も考えている。不思議である。何十年も経って、私は原点に戻ってきた。そんな思いで、彼女の滑りを見つめていた。そして、彼女の幸せをただただ祈った――どうしてみどりちゃんはいっつも、「…私なんて…」と思って、言ってばかりなんだろう。あんなにすごい人なのに! 私をはじめ、多くの人の人生に、幸せと喜びをもたらした人なのに。ジャンプを成功させたみどりちゃんが、「跳べました!」とぐいぐい拳を突き上げて、そのまますごい勢いでスピンに突入していって、くるくる回っていたあのとき、私も、みどりちゃんと一緒になって心弾ませていた。それこそが表現の原点にあるものではないかと、今の私は思うのである。
2018-11-12 19:43 この記事だけ表示