…では、蜷川幸雄と私の間にあった感情がどのようなものであったか、はっきりと説明するのは難しい。師弟愛もあった。私の方では父に対するような愛を感じていたし、母のような愛への希求を感じたこともあった。シェイクスピア作品における王と道化のような関係にまでなれていたかどうかは、私の方にどこまで“道化”としての才能があったかによるけれども…。今年、「お二人は、僕の目にはこう映っていましたよ!」と、本当に素敵な、おしゃれな形で伝えてくださった方がいて、…そんな風に見えていたんだとしたら、うれしいな…と、ぐっと来るものがあったけれども。
 いずれにせよ、私は、彼が亡くなってからしばらく、自分の胸の中にぽっかりと空いた穴をぼんやり見つめていて、ある日、悟ったのである。…ああ、これは、失恋したときと同じ感覚だな…と。「それは恋」だと――「それは恋」は、蜷川幸雄がかつて演出した『近松心中物語』で流れた、森進一の歌う主題歌である(戯曲も歌詞も秋元松代の手による)。恋と言っても無論、「芸術上の恋」である。そして、通常「恋」という言葉から想像するような、甘い雰囲気というものは一切なかった。激しく切り結び合って、隙あらば斬る、そんな、凄絶な魂の闘いだった。そのときのことを思い出すと、…今の自分は自分に甘すぎるだろうか…と反省するときがある。もっと自分に厳しくあらねばならないのではないか、と。
 そして私は、昨年秋、『欲望という名の電車』に出演する大竹しのぶさんの取材に行った。
 …ああ、この人の胸にも、同じ穴が開いているんだな…と思った。「手を取って一緒に泣きたかった」と書いたのは、そういう思いからである。

 さて、取材をしているとき、私の胸にはもう一つの思いもあった。…自分、何やっているんだろうな…という思い。
 好きなミュージカルの曲は多い。けれども、その中で、『リトル・ナイト・ミュージック』の「センド・イン・ザ・クラウンズ」(道化!)と、『グレイ・ガーデンズ』の「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」が、とりわけ好きである。…どちらも、女性が年齢を重ねることを歌ったナンバーなのだけれども、「センド・イン・ザ・クラウンズ」が「…歳をとったことよ…」としみじみするのに対し、「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」は「…私ってば、いつの間にか歳をとっちゃってたんだ!…」と、自分で自分に驚く感じというか。
 『リトル・ナイト・ミュージック』に関しては、1973年のブロードウェイ初演のCDを一時期毎日繰り返し聴いていて、その中で「センド・イン・ザ・クラウンズ」を歌うグリニス・ジョーンズは少々声が老いすぎているようにも感じて、ロンドンのウエストエンドにあったミュージカル専門店「ドレス・サークル」の店員のおじさまに「他にいいのないですかね」と相談したら、「老いた女の歌なんだからあれでいいの!」とちょっとガミガミ言いつつ他の人のCDを出してきてくれたことも。ちなみに、2009年のブロードウェイ再演も観たけれども、キャサリン・ゼタ=ジョーンズが、まったく気持ちは盛り上がっていないのに、この曲を歌う瞬間になったら突如として涙だけ流し始める、その芸当に、本当にびっくりした…。
 『グレイ・ガーデンズ』については2006年のブロードウェイ初演を観て大好きになり、これまたCDを一時期毎日繰り返して聴いていたけれども、「♪私の季節はだいぶ前に終わってしまった/なのに、誰もパーティのテントをしまいに来なかった」と歌う「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」の歌詞は、今かみしめると『欲望という名の電車』に何だかとても重なるような…。ちなみに、『グレイ・ガーデンズ』で主人公イーディス・ブービエ・ビールを演じたクリスティーン・エバーソールは、この演技で2007年度のトニー賞ミュージカル部門主演女優賞を受賞するのだけれども、その際、…ハリウッドではもう歳が行き過ぎていると言われた私が、今こうしてブロードウェイで賞を受けるなんて! …という、女性が年齢を重ねることについてあれこれ言われることに対するある種の告発のようなスピーチを、実に美しい澄み切った声でしていて、それは凄みがあったことだった。
 30代の私は、この二つの曲を繰り返し聞いていて、「…いつか、自分が歳をとったなと思ったとき、この二つの曲を歌いこなせる女優が日本に現れて、その歌を聴いてしみじみしたいな…」と思っていたのだった。同世代で、そういう女優になれそうな人がいたらいいな…と思っていた。それで何だかあれこれ必死になっていた部分も大いにあったのだった。
 …いるじゃん! 目の前に! 『グレイ・ガーデンズ』もやって、今度『リトル・ナイト・ミュージック』をやろうとしている人が。
 大竹しのぶ!
 私とは15歳違いである。私が10歳のとき、相手は25歳。子供にとっては、…大人! という感じである。それが、年齢を重ねていくにつれて、年齢差、その体感は、薄れたり、揺らいだりしていくものであるということに、年齢を重ねたからこそ気づいた。その人の中で年月がどう重なっているかが重要なのである。だから、年上でも若いな、幼いなと感じる人もいれば、年下でも立派な大人だなと感じる人もいる。年齢は本当に一つの数的メルクマールに過ぎない。そして、45歳(取材当時)になった私からすれば、大竹しのぶは、いい意味で年月を重ねていて、でも、いい意味で本当に若々しくて、…あちらから見ればずうずうしく映るかもしれないけれども、もう、同世代ってことでいい! と。
 彼女の『グレイ・ガーデンズ』は、残念ながら観られなかった――実家の愛犬は死ぬわ、厳寒のニューヨークに出張はするわ、帰ってきたら仕事が大変なことになっているわ、そんな2009年12月だった――。『リトル・ナイト・ミュージック』こそは!

 『リトル・ナイト・ミュージック』は、イングマール・ベルイマンの映画『夏の夜は三たび微笑む』をミュージカル化したものである。ヒロイン・デジレは、娘フレデリカを母に預けて旅回りの役者稼業をしている。母はかつて貴族の囲われ者で、デジレの生き方についていろいろ思うところがある。デジレは今はカールマグナス・マルコムという軍人の愛人であり、彼の妻シャーロットもその関係に気づいている。一方、成功した弁護士フレデリック・エガーマンには、息子ヘンリックよりも年下の18歳の幼な妻アンがいるが、結婚から一年近く経とうというのにアンはフレデリックとの同衾を拒み続けており、ヘンリックもまた深く悩める若者である。ある夜、フレデリックはデジレの公演を観に行き、かつて恋仲だった二人は再び愛を交わす。フレデリックとアンの夫婦仲がうまく行っていないことを知ったデジレは一計をめぐらし、週末、母の館へと皆を招待する。作詞・作曲はスティーヴン・ソンドハイム。ときにチャイコフスキーをも思わせる優美なワルツは、空の彼方へ、ふわっと、聴く者の心をいざなうように響く。音楽もセリフも実にウィットに富んだ中に、一つのテーマとして“欲望”――デジレ!――がある。女中のペトラに誘惑されたり、青春真っ盛りのヘンリックは最終的にアンと駆け落ちするし、一度はデジレの求婚を拒むフレデリックも、やはり自分の心の中にある愛を認め、デジレと結ばれる。拒まれた際にデジレが一人歌い、そして、結ばれたデジレとフレデリックがラストで二人、今度はリプライズで歌うのが、「センド・イン・ザ・クラウンズ」。
 …迷うことなくデジレでしょう!!!
 舞台冒頭からそう思ってしまったあひるであった。なんであんなにチャーミングなのか…。確かにデジレの生き方は、彼女の母が懐疑的に思うように、人生設計がきちんとできている、何らかの打算や計算ができているものではないかもしれない。未婚の母で、今は女優としても少々行きづまっていて、愛人もかっこいいにはいいけど頭が何だか空っぽぽいし…。でも、終始、生き生きしている。生を謳歌している! 立ち止まっても、傷ついても、生を謳歌することをやめない。その都度その都度、命の炎を燃やしている。だから、心ひかれる。
 「センド・イン・ザ・クラウンズ」。
 涙涙涙。
 そして、ラストのリプライズ。
 …えっ?! そっちの役?!
 いつの間にか、何だかものすごい見えない圧により、風間杜夫演じるフレデリックに自らを重ね合わさざるを得ないあひるであった。…私にとって、大竹しのぶを受け止めるということは、そういうことなのである。男の側に立つ。この後、秋に観た『ピアフ』でもそうだった。宝塚歌劇における男役/娘役の関係性を、舞台と客席とで行なう感じというか。しかし。あひるはかつて、「男役になりたかった」と書いて、笑いを誘った人間である。男役、娘役で言うなら、どう考えても娘役向き。なのだが、大竹しのぶはいつでも絶対に「女」で向かってくる。…すごいと思う。しかたない。いつか来るマブダチの日のためにも、自分の中の「男」を強固に磨いておかねばなるまい…と決意するあひる。
 それにしても。あんなに何度も繰り返し聴いていた「センド・イン・ザ・クラウンズ」を、フレデリックの立場でしみじみ聴くことになるとは、まったくもって思わなかった…。そして、そうして聴いていて、幸せだった。生きてみなきゃ、わからない。人生って本当におもしろい。ちなみに。リプライズの方の歌詞では、「リア王」への言及があるのだった。

 ヘンリック役のウエンツ瑛士が、思春期特有の青年のもやもやをナイーヴに表現していて◎。カールマグナス役の栗原英雄も、軍人ならではのぴんと一本筋の通った立ち姿に軍服がよく似合う。“欲望”がテーマのこの作品においてキーパーソンである女中のペトラ役の瀬戸カトリーヌ(このときは「瀬戸たかの」)も、「粉屋の息子」の歌唱において存在感を示していた。それにしても。あの三拍子(の曲だけではないけれども)に日本語を乗せて歌うのは難しい! スタッフ・キャストに拍手。

(4月23日13時半の部、日生劇場)
2018-12-29 18:56 この記事だけ表示
 八月中旬、夫の実家に帰省がてら、約20年ぶりに京都劇場に赴き、『君の輝く夜に』を観劇〜(8月16日14時の部、京都劇場)。パルコ劇場で上演されていた『恋と音楽』シリーズの劇作家&演出家の鈴木聡とジャズピアニスト&作曲家の佐山雅弘、そして主演の稲垣吾郎、またまた集結である。出演は、稲垣の他は、安寿ミラ、北村岳子、中島亜梨沙の三人。ある約束のため、ダイナーにやって来た主人公と、そのダイナーにやはりやって来た女性陣とが、歌とダンスを交えて送る、おしゃれで小粋な音楽劇。
 稲垣吾郎の舞台を観るのは『恋と音楽FINAL〜時間劇場の奇跡〜』(2016)以来。歌声も力強く、セリフの発声においても、ソフトに包み込むように心地いいその声を、一段と巧く響かせられるようになっている。途中の楽しいショータイムで「アローン・アゲイン」(自殺の企てが扱われていて、明るい歌詞ではない)を日本語で歌う、そのとき、…ああ、この人は、こんなにも内省的な歌を実に淡々と歌って成立させられる人になったんだな…と、本当にしみじみとした――それは、昨年放映されたテレビドラマ『嘘の戦争』で、主演を務めた草g剛を観ていて、…ああ、この人は、こんなにさまざまな思いをないまぜにした表情を浮かべられる人になったんだな…と感じた、そのときの思いと似ていた。
 そして、稲垣吾郎の包容力たるや。私自身、初めて接するタイプの包容力。それは。「包容力を発揮していると相手に感じさせないように発揮する包容力」なのである。「むしろ相手の方に包容力を発揮してもらっていると感じさせるように発揮する包容力」とも言える。細やかというか、ややこしいというか。ものすごい心配りの人である。だから、客席にいて実に心地いい。稲垣吾郎ファンは幸せだ…と思った。私も、彼の存在を通じてSMAPを好きになったわけで、…お目が高い! と、かつての自分を何だかほめたい気分。
 そういう心配りの人だから、グループのときは、…みんなの中にいたら、この立ち位置で…と、自分のイメージについて演出し、演じるようなこともあったのかもしれない。一人で立っている彼は、自然体で、心解き放たれていた。そして、実にかっこよかった! 大人の男性の余裕がある。ガツガツしたところがない。これまでの人生で経験してきたあれこれがいい感じに詰まっている。この人と対話するとしたら、いろいろ奥深い言葉が返って来てとてもおもしろいだろうなとわくわくする、そんな感じ。ここへ来ての役者としての大活躍もうなずけるところ。
 そして、彼の隣に立つ安寿ミラはと言えば。「断崖絶壁で両手をはっしと広げて、迷える子羊たちがこれ以上海へと真っ逆さまに落ちて行かないよう、決死の覚悟で食い止めるような包容力」を感じさせるのだった。凄絶と言おうか。…その姿に、教えられた。宝塚の男役トップスターも、退団してから、いろいろな心境の変化をくぐり抜けていくことを。そうしていって、芸を磨いて…。そして今、安寿ミラが目の前にいる。かっこいい! 自分は絶対になれないタイプの、かっこいい女。
 鈴木聡の脚本も、音楽の入り方が絶妙になっていて、熟練の技を感じさせて。本当に楽しい音楽劇!

 作曲を担当した佐山雅弘氏は、11月半ばに永眠されたとのこと。合掌。
2018-12-28 21:52 この記事だけ表示
 …私はやっと、貴男、ではなく、私の中の魔物と向き合う覚悟を固めたのです。

 今年、貴男について、かなり長い時間考えて過ごしました。…正直、考えるなら、もっといい方向で考えて過ごしたかった。悲しいかな、ネガティブな方だった。…そして、考えていたら、夏など、すっかり文章を書く気力を失ってしまっていた。仕事の文章ではなく、こうしてブログに書く文章。何かを観て、感じて、美を発見して、自発的に書く文章。感じることはたくさんある。書きたいとも思う。けれども、自分の中から出せない。…こわくて。貴男に何か言われるのがこわくて。次の舞台でその言葉がどう扱われるのか、こわくて。
 …それでも、私の中には、強固に決めた約束があった。宝塚を退団していく人たちについて、書く。その約束だけは守れた。だから私は、何とか書いていくために、何とか生きていくために、自分の中の約束を増やすことにした。来たるべきフィギュアシーズン、各大会を観て、書く。
 それは、若いフィギュアスケーターたちの姿に、勇気をもらったから。ジャンプで転倒しても、立ち上がって演技を進めなくてはならない。ショートプログラムで失敗しても、フリースケーティングで演技しなくてはならない。一つの大会で思うような演技ができなくても、また次の大会に進んでいかなくてはならない。立ち上がって、次へ、次へと進んでいく、彼らの姿に勇気をもらったから。そんな彼らについていって、その演技に発見した美を記すことで、自分も何とか前に進めるのではないかと思ったから。
そうして私は、書くペースを取り戻したというわけです。フィギュアスケートだけではなく、舞台についても、書くことがこわくなくなっていった。自分の中から何かを出すことがこわくなくなっていった。書くことが再び楽しくなっていった。
 …そして、フィギュアスケートを観て、考え、記しているうちに、思わぬ発見があったというわけです。

 「リンクに魔物がいる」という表現がある。選手が次々とジャンプを失敗してしまったりするときに使われる。今日のリンクには、魔物がいる、と。
 …違う、とあるとき気づいた。リンクに魔物はいない。それぞれの心の中にいる。不安やコンプレックス、人の中のさまざまな思いが、ときに魔物を現出させる。ライバル選手の姿で現れるとき、それ以外の人の姿で現れるとき、何か漠然としたものとして現れるとき、さまざまな可能性はあるけれども、それはあくまで、個々人の心の中にあるものでしかない。
 それで私は気づいたのです。
 …私が夏中悩まされていたのは、貴男ではない。私の中の魔物が、貴男の姿となって現れていただけなのだと。
 私の中の魔物。…自分には生きている価値がないとあざける魔物。かつてその魔物は私に「デブ。終了」と言い続けた。ときに私が「死にたい」と思うのも、その魔物ゆえ。お前には価値がない。価値がない。価値がない。そう言って私を苦しめ続ける魔物。私自身の中にある呪詛。疲れているとき、寒いとき、発動する魔物。――考えてみれば、生きる価値があるとかないとか、自分で決めることが思い上がっている。命を与えられた以上、生きればいい。一生懸命生きていれば、誰かの役に立つこともあるかもしれない。それくらいの気持ちでいいのに。
 私は、自分の中にあるものを、貴男に投影していた。それは、貴男が、私の中の魔物を刺激するところがあったから。でも、貴男そのものではなかった! それが、夏中苦しんでいた私にとっては、発見だった。
 …そして、思った。これは、私自身も、貴男の魔物になっているということではないかと。
 昨年書いた文章を読み返した。私の文章は、どうやら貴男の心の中で暴れていたらしかった。それに。…あのとき、あの人にも言われませんでしたか。
「それ、『藤本真由』じゃないよ! 君自身だよ!」
 そう、とりなしてくれた人がいて、けれども、もうこの世にはいなくて、だから今、私は、貴男と差し向かいでこうして立っています。

「藤本さんは市川猿之助の心配しすぎなんだよ!」の件。
 四代目市川猿之助は、私にとって命の恩人の一人なんです。私の中の魔物が発動して、「死にたい! 死にたい!」と思っているとき、四代目の舞台を観ると、「生きよう」という気持ちになる。そうやって、これまで何度も救われてきた。なぜ、四代目の舞台にそのような効用があるのか、私にもまだ十分にはわかっているわけではありませんが。
 それと。これは本当に素朴な、何の他意もない疑問なのですが。
 昨年秋、四代目が大きな怪我を負ったとき、貴男は心配しなかったんですか。同じ日本舞台芸術界の仲間として。
 あんなことが起きたら、その後、事態は大混乱になる。公演を続けるのか、続けないのか。関係者の心痛、そして、さまざまに煩雑な手続き。それは、同じ日本舞台芸術界の仲間である貴男だからこそ、わかってあげられることではないでしょうか。
 …ほぼ同じころ、「僕は、彼(四代目)の演技は、あんまり好きじゃないな」と伝えてくれた人もいた(去年の『スジナシ』での理事長コント)。…それ、今言うこと〜? とも思った。でもまあ、その人にとっては、そこしか伝えるタイミングがなかったんだから、しかたがない。そして、そう伝えてくれる方が、「心配しすぎなんだよ!」より前向きだと私は思った。…そうか、四代目の演技はそう映るところもあるのか…と、演技を観る上で活かしていけるから。
 私は、いろいろな人を心配します。そういう性格です。そしてもちろん、貴男のことも心配します。だから今、こうして書いています。そして、貴男がとりわけ信頼をおく仲間のことも心配です(手練れの、素敵な方たちばかりだと常々思っています)。貴男の中の魔物を投影した「私」をときに務めなくてはならない人のことが、とりわけ心配です。
 お互い、お互いの魔物になるのは、もうやめましょう。
 貴男には、素敵なところがいっぱいあると信じるから(それは、あの世のあの人も、大いに認めるところでした)、そちらの方をこれからもどんどん出していく方向でお願いします。もちろん、一度心から引きずり出した魔物を退治するのもお勧めです。すっきりします!
2018-12-28 20:52 この記事だけ表示
 ヒロインは、亡くなった父の幽霊が見えるようになる。それは、彼女の心を動かす人物が現れてからのことである。…この人と結ばれて、幸せになって、いいだろうか…。生きる希望。けれども、彼女の中には別の思いもある。…広島に原爆が投下された際、生き埋めになってしまった父をおいて、一人立ち去った、そんな自分が幸せになっていいのだろうか…。二つの思いの狭間で、彼女は激しく逡巡する。その激しい逡巡が、幽霊となった父との対話という形で、井上ひさしの手によるこの秀逸な戯曲において表現されているわけである。
 幸せになって、いい。そんな決断を彼女は下す。その通りである。悪いのは彼女ではない。空しい戦いと殺戮を繰り返す人間、あるいは、そうしたことを繰り返そうとする人間の中の何か、である。
 そして、生きている者は、亡くなった者に対して、責任がある。この世界をよりよい場所へと変えて行く責任が。むごい死に方をしなくてはならなかった者に対しては、そのような死に方をする者がこれ以上一人も出ないような世界へと変えて行く責任が。ヒロインは、父の魂のためにも、幸せになって、よりよい世界を築いていく責任がある。
 その責任は、今この瞬間、生きている、私たち一人一人が負うものでもある。
 父を演じた山崎一は、投手に例えるならば、クセ球でストライクを取りに来るタイプというイメージがそれまであったのだけれども、実にストレートに勝負できる剛腕でもあることを、『父と暮せば』の演技において証明した。娘の幸せを願う父の痛切な気持ち。…思い出すだに、涙がまたあふれる。

(6月8日19時の部、俳優座劇場)
2018-12-28 20:43 この記事だけ表示
 宝塚の舞台において描くべき愛と美をあくまで追求した、心ある人々の踏ん張りによって、ギリギリのところでワーストはなし。それにしても、『蘭陵王』高緯役の瀬戸かずやの演技は、2018年の宝塚歌劇に見事なピリオドを打つものだった。

 今年も、選ぶのに迷うほど充実した作品が多かったけれども、ベストは小池修一郎潤色・演出の月組『エリザベート』に。何度も上演されてきた名作に新たな風を吹き込もうと挑む全員の頑張りにより、作品理解においてこれまでにない境地に至ることができた。月組の『雨に唄えば』(中村一徳演出)、雪組『凱旋門』(柴田侑宏作、謝珠栄演出・振付)についても然り。
 日本人の心性を描いて楽しかったで賞を月組『カンパニー』(石田昌也作・演出)に。そして、汎用性高かったで賞を星組『ANOTHER WORLD』(谷正純作・演出)に(日本舞台芸術界に鬼&地獄ブーム!)。
 ショーは、日本物作品の新たな境地を拓いた宙組『白鷺の城』(大野拓史作・演出)。あひるも台湾に行きたかったで賞に、星組『Killer Rouge/星秀☆煌紅』(齋藤吉正作・演出、日本青年館バージョン)。東西大劇場バージョンを踏まえてのブラッシュアップが光った。そして、この作品の一連の上演を通じて、星組娘役トップ綺咲愛里が大躍進! 客席にさっそうと攻めてくるかっこいい美少女キャラを確立した。“心の名場面”は、彼女が三人組の芯となり、台湾でもヒットしたブラックビスケッツの「Timing」を歌い踊るコケティッシュなシーン。

 今年は、昨年の予想通り、新人賞複数!
 一人目は、雪組トップ娘役、真彩希帆。『ひかりふる路〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜』では、フランク・ワイルドホーン作曲の大曲の数々を澄んだ歌声で歌いこなし、主人公ロベスピエールがこの世に残していった良心とも解釈し得るヒロイン、マリー=アンヌに扮して堂々たるトップお披露目。『凱旋門』でも、大ベテラン轟悠を相手に、激動のパリ、男たちの間で刹那の恋に身を焦がさずにはいられない難役ジョアンを演じて、魂をほとばしらせるような演技を見せた。
 彼女は声が美しい。澄んで聖性を感じさせる、その先に、エロスがにじむ。これは微笑ましい点でもあるのだが、『Gato Bonito!!』のタンゴの場面でのデュエットダンスの際など、「頼もー!」と気合が入りすぎて、愛を踊るというより果たし合いのように見えた。娘役はたおやかに〜! 鼻息荒く見えてしまっては、せっかくの芸もGOE(出来栄え点)マイナス。
 さて。最初はここで、雪組トップスター望海風斗への要望を書く予定でしたが、「タカラヅカニュース」を観るだに…、大いに改善されている模様! 1月2日からの東京宝塚劇場公演『ファントム』が楽しみ!

 二人目の新人賞は、宙組トップ娘役、星風まどか。
 プレお披露目公演『WEST SIDE STORY』は、人々の対立の中、あくまで愛を信じて生きるヒロイン、マリアを体当たりで造形、作品の芯を見事に務め上げた。私は、彼女の演技と、「フィギュアスケート世界選手権2018」男子フリーでの友野一希の演技を通じて、この物語のヒロインがなぜ、イエス・キリストの母と同じ名前であるのか、改めて知った思いがする…。少女漫画が原作であるお披露目公演『天(そら)は赤い河のほとり』では、古代オリエントに迷い込んでしまった現代女子高生のユーリ役。主人公に抱きついた際に片足が膝のところでちょんと上がるポーズは胸キュンもの(小柳奈穂子の作・演出がツボを得ている!)。ユーリは人々と共に闘うこととなるが、戦士の姿となっても、例えば、かつての月組娘役・蒼乃夕妃がこのような場合、“男前”となるのに対し、星風は“男前”にはならない。そこに個性がうかがえる。併演の『シトラスの風−Sunrise−』では“明日へのエナジー”の場面にまで駆り出され、軽快なダンスを披露していた。秋の『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』でも、作品上与えられた大きな役割を立派に果たしたばかりである。レオナルド・ダ・ヴィンチが主人公の『異人たちのルネサンス』では、舞台ラストで名画「モナ・リザ」が登場する、そのとき、ダ・ヴィンチにインスピレーションを与えたヒロイン・カテリーナを演じていた星風が、それまでいかに「モナ・リザ」に自らのたたずまいを合わせていたか、胸を衝かれるものがあった。
 星風まどかは、必死である。作品上与えられた役割、トップ娘役としての責任を果たすため。一切の余計な自意識が入り込む余地がない、その必死さが、彼女の表情をいつも実に艶っぽいものにしている。学年は若く、童顔だけれども、娘役として落ち着いた発声ができるのも、演じる役柄に幅を与えている。何よりすばらしいのは、この一年、宙組トップスター真風涼帆を相手役として必死に支え続け、その復調を受けて喜びに光り輝いているところである。娘役魂!
 真風涼帆は見事復調、宙組全体も上昇気流にあり、他の四組を追える展開となってきた。二月の博多座公演で上演される『黒い瞳』については、最近、…生きている人間の熱い生き様が本当にヴィヴィッドに描かれた、宝塚の歴史に残る名作なのだ…との思いを新たにする出来事があったばかりである(プガチョフ役の愛月ひかるにとっては、専科入り前、さらなる実力を蓄える大チャンスである)。宙組の未来は明るい。
2018-12-28 17:56 この記事だけ表示
 年少者への性的虐待は、異性間であっても、同性間であっても、そして虐待者がたとえそこに「愛」という言葉を持ち出したとしても、虐待である。『蘭陵王』において、作・演出の木村信司は、この、あまりに重大な問題を、あまりに軽々しく扱っている。はたして宝塚歌劇においてふさわしい題材かという議論の前に、その扱い方が問題である。
 だが、作品の拭いがたい気持ち悪さを中和する痛快な笑いを誘う快演を、瀬戸かずやが見せるのだった。皇太子に生まれながらも戦いは嫌い、美しいものと男性が大好きなこのキャラクターを、瀬戸は大いにデフォルメの効いた演技で見せ、性別やセクシャリティを超えたダメ人間のダメっぷりをピリリと風刺してみせる。戦場で「いたあい」だの「こわあい」だの連発、“ぶりっこ”という言葉すら思わせるキュートな造形。演技上、ここまで崩してしまうことが可能なのも、瀬戸には、厳然と確立された男役芸があるからだ。そして、フィナーレの舞いで見せる、そのシャープな切れ味。瀬戸は、同じKAAT神奈川芸術劇場ホールで上演された『For the people ―リンカーン 自由を求めた男―』のスティーブン・ダグラス役に続く名演である。
 そんな瀬戸の強力アシストも受け、凪七瑠海が主人公として強固に踏ん張る。なるほど、美しさゆえに皆が戦うことをやめてしまったという伝説のある蘭陵王にふさわしい容姿、力強い歌声、そして、これまた強固な男役芸。凪七にとっては『ベルリン、わが愛』のヨーゼフ・ゲッベルス役に続く難役となったが、見事芸で押し切り、その男役芸に限界のないことを証明してみせた。花組生もまとまっており、舞台全体としての出来は悪いものではない。
 作中、蘭陵王は、愛せるか、幸せかと問われ、自問自答の歌を歌う。これに則り、作者に聞きたい。彼は、宝塚歌劇団の演出家として、宝塚をどのように愛し、観客にどのような世界を見せたいと考えているのだろう。そして、宝塚歌劇団の演出家として、どのような瞬間に幸せを感じるのだろう。「愛」の中に年少者への性的虐待を含めることなく、答えを出して欲しいものである。
 楽曲の一部を雅楽師の東儀秀樹が提供、その雅やかな音色が作品世界に大いに貢献している。ドラマシティ公演の初日には生でお祓いの演奏もされたとのこと。筆者にとっては成蹊学園帰国子女学級の先輩にあたり、同じ先生に学んだ経験もあり、かつて学園関連の記事で取材させていただいたこともある。彼と宝塚との初コラボレーションが実現したことは、作者の功績として挙げておくべきだろう。先輩、これに懲りず、今後もぜひ宝塚の舞台に関わり続けて行ってください。
2018-12-28 17:54 この記事だけ表示
 掲載されています。

https://spice.eplus.jp/articles/218024

 『ベルサイユのばら』はなぜこんなにも人を熱くさせるのだろう…。
 年内原稿締切、残り一本〜!
2018-12-26 22:45 この記事だけ表示
 …うん、自分でも思うときがある。例えば。この年の瀬の押しつまった今、クリスマス・イヴだというのに、締切も迫っているのに、自分は何をやっているのかと。
 あんまり先を深く考えてはいなかったです。走り続けて、気がついたら、こんなことになっていた。「そういう人だよね」と、夫に言われた。「突撃、驀進していくのが、あひる」と。暴走機関車か、オレは。
 私はどうも、まっすぐ以外に、人との向き合い方を知らない。人間関係も、本音でつきあうか、つきあわないか、自分でもものすごく極端だと思う。おかしいのかもしれない。でも、そうやって生きてきてしまったので。
 …“変節”に見えるのかもしれない。途中で姿勢が変わったと。でも、その上では、貴方の存在も大きい気がする。別に、人のせいにしようとしているわけでは決してないのですが。最初は、美に取り組んでいる人が一人しかいないような気がした。…その当時の自分には、その一人しかわからなかった。けれども、どんどん突き進んでいったら、次々と人が加わってきて、もう、全員一緒でということの方がむしろ素敵だなと、そう感じた次第。それに、だんだんと隠された部分も見えてきたことだし――何も最初から、これはこうなっていくなとすべて見通した上で取り組むわけじゃなし。
 …アホですか、の件。思うに、それこそが、美の入り口なのではないかと。生の根源だから。私だって、どうしていつも同じようなことが起こるのか、と思う。同じ失敗ばかり繰り返していると言われたことも、何も今夜が初めてではない。でも。相手が違えば同じ失敗ではないし、そもそもそれが本当に失敗なのかどうかもわからないし、万が一失敗だったとしても、そこから学べばそれでいいと思っているので。今夜起きたことも、きっと大きな何かへとつながっていくことなのでしょう。
 無理禁物! 今夜の宇野昌磨もかっこよかった! 立ち向かって、闘った! 王者!

 全日本選手権についてはこれにて終了!
2018-12-24 22:59 この記事だけ表示
 笹原景一郎。じわじわ、感涙。とてもよかった。一つ一つのエレメンツに、どれだけ莫大な時間と労力がかけられているんだろう…と、見入らずにはいられなかった…。つらいことも多かっただろうと思う。でも、リンクにいる彼からは、楽しかった! という幸せな思いばかりが伝わってくるのだった。これからは一緒に応援しましょう!

 小林健斗。頭の上から透明な糸でぴんとつられているような、端正さ。

 山田耕新。激しく手を震わせる最初の振りから“山田耕新劇場”をエンジョイ。コミカルな振りも交え、彼だけの確固とした世界がある。社会に出て、社会を知って、その上で表現できるスケートを見られるすばらしさ。

 三宅星南。曲は『レ・ミゼラブル』。「オン・マイ・オウン」では胸締め付けられ、「民衆の歌」では、観ているこちらもどんどんたぎって来て…。大いに見どころあり。

 鈴木潤。ビートルズ・メドレー。…北海道の大地、大空の下にたたずむ一人の男。飄々と…。けれども、曲が「Let It Be」に変わったあたりで、…やせ我慢をして、何食わぬ顔で口笛を吹くその姿が見えて、ぶわあっと涙が出そうに…。スケート文化をますます根付かせていきましょう! 髪型は要検討。

 佐藤洸彬。…こんなに硬派な叫びを秘めたフィギュアスケートを、初めて観た。突き抜けるように壮大な、強固な世界観を、リンクに描き出した。すごいものを観た。しびれた! (内容的には、平昌五輪の羽生結弦のフリースケーティングの演技に近いものがある) ――“亡命”していく、一人の人間。亡命は通常、不自由な国から、自由な国へとなされるものである。貴方のような力強い仲間を待っていました! 共に闘っていきましょう。

 日野龍樹。“私をみんなが見るの”の『ラ・ボエーム』の「ムゼッタ・ワルツ」に乗せて、「見よ!」との堂々たる演技。いざとならば潔く散らんとの、武士のような覚悟を秘めた、美しい心の人。壮絶な生き様を見せる姿に、美男ぶりが際立って。

 山本草太。ブレない上半身が美しい。…スケートを手放してたまるか! と、何度も、何度も強く伝わってきた…。生きていてよかった…と。そんな姿を観られて、こちらも生きていてよかった。涙。人間、ときには泣きたい夜もある。でも、励まし合って、前向きに生きていける。今日の貴方の演技に、励まされました!

 壷井達也。やはり落ち着いて安定感がある中に、この夜はわくわくする気持ちも伝わってきた。完成されたものを感じさせるけれども、まだ16歳、個性を見つけて、どんどんはじけていけ〜!

 友野一希。リンクに躍動する魂を、茫然と観ていた…。何度でも這い上がって来るとの、不屈の魂。まだまだ遠く、高くに行けるこのプログラム、ぜひ来年へと練り上げていってほしい。

 田中刑事。
 …貴方と、私の思いは同じです! 今年の秋に、気づいた。そのために神様に遣わされたんだろうな…と。それまで、自分でもわからなかった。やり始めてみないとわからないこともある。今夜、貴方の滑りを観ている時間は、とても楽しかった。幸せな時間をありがとう。温和で優しい人だから、その心にときに大きな負荷がかかっているのも、今夜、非常によくわかった。けれどもやはり、貴方のような大きな心の持ち主が、美のために踏ん張るべきときもあるんじゃないかと…。そう、今夜のように! 応援は惜しみませぬ。

 鍵山優真。ジャンプに見惚れる。そして、氷に吸い付くようなスケーティング。キラキラした姿、その躍動感に、未来を感じてわくわくする!

 中村優。ショートも途中までよかったのですが。物語を自分の中で構築し、それを滑る力がある。なかなか素敵なロミオ。

 島田高志郎。曲は「アンダルシアの冬」。シニアに果敢に挑んでいった17歳。――情熱。心に咲いた小さな花を、慈しみ、いとおしむような。
2018-12-24 22:46 この記事だけ表示
 …なぜだろう。最近、坂本花織の演技を観ていると、冒頭から涙がじわっとあふれてくる。そして、自分が彼女と同じ年齢だったときのことを強く思い出す。私、あのころ、何を考えていたのかな…と。
 ずっと気になる存在だった。周りがときとしてこんなに「女」を競い合う競技なのに、天衣無縫と言おうか、無邪気と言おうか…。だから、「化粧!」とお節介も言った。私は宝塚歌劇を見慣れているので、“男役/娘役”という一つの判断基準が自分の中にあるのを否定し得ないのだけれども、それで言うと、坂本花織は性格的に男役トップスター向きの人だということなんだろうな…と、最近になって気づいた。男役トップスターは、一つの組を背負う。組子全員の思いを背負って、舞台に立つ。
 …そして、この夜の坂本花織は、大きなものを背負って立った。滑るうちに、決意を新たにした。包容力を感じた。年下の彼女に、深い敬意の念を感じた。気づいたら嗚咽していた。ずっと、ずっと。
 そうして滑って、坂本花織は、全日本選手権を制した。
 王者にふさわしい滑りだったと、私は思う。
2018-12-24 21:39 この記事だけ表示