家族で近所の川べりにお花見に出かけたところ、ふくろう軍団(今度は計十羽!)とまたもや遭遇したあひるであった。
 十三回目のサブタイトルは『復活』。ストックホルム・オリンピック、金栗四三が日射病で倒れ、完走できなかったマラソン。その際、命を落としたランナーがいた。フランシスコ・ラザロ。――その名から連想されるのは、『新約聖書』の『ヨハネによる福音書』11章、死して四日目にイエス・キリストによって復活を遂げたラザロである。
 死して人がこの世に残すもの。フランシスコ・ラザロが、金栗をはじめ、スポーツに携わる人々の心に残したもの。ストックホルム・オリンピックの日本選手団の監督を務め、その翌年、短い生涯を終えることとなる大森兵蔵が、人々の心に残したもの。――嘉納治五郎(役所広司)は、自分が身体が弱いがために、選手にかえって迷惑をかけて…と暗いことばかり口にする大森(竹野内豊)に対し、君の著したこの書物はすばらしい、遺産である、と言っていて、治五郎先生〜、大森さんまだ生きてます、と思いましたが、先生の大らかな人柄によって通る一言。
 …暗いことばかり言う人、周りも迷惑ですよね…。自戒をこめて。できるだけ書かないようにして、夫に言うだけにしているのですが。言うだけ言って、「…こんなにストレスかけて、この人、病気になったらどうしよう…」と、勝手なことを思ったりもするのですが。
 今夜、…自分だったら、期待を背負って走るも完走できなかった金栗四三にどんな言葉をかけるだろう…と思いながら観ていて、でも、次第に、…いや、最近むしろ、自分の方があちらこちらで励まされているな…と。
 一方、若き日の志ん生こと孝蔵(森山未來)は、あろうことか、初高座の日、お酒を一杯引っかけて現れる。酔っぱらって師匠・橘家圓喬(松尾スズキ)とやりあう様に、芸人としての一種の狂気をにじませた森山の演技。その噺を聞いている松尾の表情。――最近、痛感するのだけれども、この世界で、人と人とは、ときに思わぬ形の縁でつながっていて。それがどのように描かれていくのか、今後の展開も見逃せませぬ。
2019-03-31 23:48 この記事だけ表示
 とつけむにゃあ回だった。観終わって、涙顔でしばし放心状態。
 日本人として初めてオリンピックに参加した金栗四三は、日射病で倒れ、マラソンを完走できなかった。この史実をどう描くのか、非常に気になるところ、こう来たか! と…。
 四三(中村勘九郎)が走り出したあたりで、すでに胸が痛かった…。国とか責任とか、そんなもん背負わんでよか! と思って。――私は子供のころ、母親に円谷幸吉の話を聞かされて育った。あまりの期待の重圧に、「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」で始まる遺書を残して、メキシコシティ五輪(1968)の前に自ら命を絶ったマラソン・ランナー。生まれる前の話だけれども、母親が繰り返し語った話があまりに心に深く刻まれていて――きっと彼女の心にも深く刻まれているのだろうと思う――、日本人とオリンピックを考えるとき、今でも真っ先に思うのが円谷幸吉のことなのである。だから、走り出した四三の姿に、円谷幸吉が重なって、胸が痛かった…。
 猛暑の中、走る四三――その道に、彼の心象風景、これまで彼が生きてきた道が重なっていく。彼は、ストックホルムを走りながら、熊本を、東京を走り、スウェーデンの人々に応援されながら、日本の家族や友達や仲間に応援されて走る。そこに、若き日の志ん生(森山未來)が、初高座を前に、車を引きながら東京を走って噺を稽古するシーンまで重なる。実にシュールな演出である。そして流れるはジャジーな音楽。――予定調和を越えている! と感じた。スポーツの報道を観ていても、…この先、こういう展開を求めているんだな…とその演出に感じることがあって、でも、人生には筋書きがないから、というか、天の筋書きはときに人の考える“物語”を軽々と超えていくから、想定していたのとちぐはぐの展開になって、…あ、今、困っているんだな…と思うときもあって。日射病で倒れて完走できなかったというのは、事前の想定を遥かに超えた展開である。そこに、「感動をありがとう」は、ない。
 朦朧と走る四三の前に、子供時代の“彼”(久野倫太郎)が現れる。――子供に演技をさせるのは難しいことだと思うから、申し訳ない話なのだけれども、私は、こまっしゃくれた子役芝居がものすごく苦手な人間である。その点、久野倫太郎は、実に自然な演技がいい。というか、彼から自然な表情を引き出している人々がすごい。子供時代の“彼”は、一度は四三を励まし導き、…そして、運命のあの岐路で、四三を間違った道へといざなう。人生の分岐点。あのとき、ああしていれば。こうしていれば。そんな人生の分岐点を一つも持たぬ人はいないだろう。金栗四三の場合、その分岐点による転回はあまりに大きく、あまりに残酷なものとなった。そんな人生の真実を描いて、美しい回だった…。
 次週のタイトルは『復活』。と聞いただけで、あの話とあの話にかけたダブルミーニングかな…と予想しているけれども。予想通りだったり、いい方に裏切られたり、人生と同じように、次週放映も楽しみにして。…せっかちなので、本心は待ちきれなくて、「早く次の日曜になれ!」と思っているのだけれども(笑)、ほころび始めた桜を眺めながら一週間を過ごします。
2019-03-24 23:59 この記事だけ表示
 …蜷川幸雄の前は、菊田一夫だったのかな…と思ったりもする。『霧深きエルベのほとり』は、その菊田一夫の手により1963年に初演された作品の、36年ぶりの再演である。
 今年の一月末に亡くなった橋本治に、明治から昭和にかけての日本の歌謡集の名曲を論じた『恋の花詞集 歌謡曲が輝いていた時』という著作がある。明治三十二年の『青葉茂れる桜井の』を始めとする64曲を取り上げ、日本の歌謡曲論、ひいては日本人論が展開されてゆく。そのラストに登場するのが、昭和四十年(レコード発売年)の『霧深きエルベのほとり』の表題曲である。
 「♪鷗よ つたえてよ/我が心いまも/君を愛す」のリフレインが印象的なこの歌について、宝塚だから歌詞がちょっとばかり甘い、と言いながらも、橋本は、こういう歌を男の歌手が歌わないことが不思議である、昭和四十年代に入ると男の歌はみんな愚痴ばかりであったとし、その上で「私は、男として宝塚に恥ずかしい」と書く。別れて、遠く離れて、伝達手段がなくて、それでも愛しているのであれば、鷗に頼むくらいの根性がなぜないのかと。こういった歌を男の歌手が歌わなかったということは、すなわち、そういう常識がなかったということだと彼は言う。このあたり、作者の最高に洒脱な語り口が炸裂するところなので、ぜひお読みいただきたいのだけれども、最終的に彼が到達するのは『恋愛論』ともつながる結論であって、『恋の花詞集』はこのような言葉で締めくくられる。

「自分の胸の内は自分にしか分からない。だからこそ、それを知った以上、自分の現実は自分一人で始めるしかないという、いたって簡単なことが、どうして存在しないんでしょうか?(略)という訳で、男には意外と、自力で自分の思いを貫き通そうという発想がないんですね。別に『恋』が終わったんじゃない。まだ『恋』が始まっていないだけなんですね。(略)恋とは、自分の生き方を教えてくれる羅針盤なのに――。」

 というわけで、私は、『霧深いエルベのほとり』の以前の上演は観たことはないながらも、『恋の花詞集』を通じて表題曲については知っていた。そこへ、新鋭上田久美子が作品の再演を熱望し、潤色・演出を手がけるとのニュース。
 そして、主人公カール・シュナイダーを演じる星組トップスター紅ゆずるの退団発表から一週間ほどして、東京公演初日の幕が開いた。

 『霧深いエルベのほとり』は身分違いの恋がテーマである。ハンブルクの港町で、船乗りのカールと、家出してきた深窓の令嬢マルギット(綺咲愛里)が恋に落ち、二人は結婚を誓うが、マルギットの実家に戻ってみれば、カールはそぐわない人間である。マルギットの父からの手切れ金を受け取って、カールは出て行く――金を受け取ったのはあくまで彼女の父を納得させるためだけであって、後で返すつもりなのである。そして彼は再び海に出る。追ってきたマルギットを港に残し、彼女の幸せだけを願って、「♪鷗よ つたえてよ」と歌いながら――。
 カールには、以前にも恋に破れた経験がある。家族の生活のため、かつての恋人アンゼリカ(音波みのり)は金持ちと結婚した。だから、ハンブルクへの入港を前に、幕開きで歌われる「♪鷗よ つたえてよ」の相手は、マルギットではなくアンゼリカ。一度ならず、二度までも。嘆息。
 私は、初めてふれるこの物語に、…たまったもんじゃないだろうな…と、カールの心に深く残る傷を思い、共に絶唱したいほどだった。カールは、そしてマルギットは、この後どのような人生を送るのだろう。マルギットはおそらく、このような事件があってもなおも彼女を愛し続ける聖人君子のような婚約者フロリアン(礼真琴)と結婚するのだろうけれども、カールとのことは、どんな思い出となっていくのだろう――。万が一、「青春の日のいい思い出です」などと言うようなことがあれば、カールに代わって強烈なキックをその心にかましたい。しかしながら。ある人が、「女が非常識なのよ。こんな相手と恋に落ちて」とマルギットを評していて、それも違う、と思った。「恋ってたやすく常識を超えていくものではないですか」と、ムキになって、正面きって、言い返してしまった…。
 初演の作・演出を手がけた菊田一夫は、貧困家庭に育ち、小学校中退で半ば売り飛ばされるような形で丁稚となり、詩人を志してサトウハチロー門下に入る。そして、ラジオ、舞台、映像とさまざまな分野でヒットを飛ばす。愛する者の幸せのため、悪者を“演じて”まで自らの恋をあきらめる主人公に、作者が託した想い――。菊田一夫こそ、戦後の日本の多くの人々の心をとらえ、熱狂させた、日本舞台芸術界の雄であった。
「(主人公の思う)幸せが、今の時代と違うから」役作りには苦戦したと、紅ゆずるは初日前会見で語っていたけれども、そんな苦戦を感じさせない主人公の造形だった。――彼女が退団発表記者会見でボロボロ泣く姿を、ニュース映像で見た。紅がカールに託した想いとは、「♪鷗よ つたえてよ」の歌詞に乗せる想いとは、心から深く愛しながらも去らなくてはいけない、宝塚歌劇団への愛なのだった――鷗ではなく、あひるがつたえるけれども。
 宝塚の男役は、哀愁が似合ってこそ一人前であると、以前からなぜか強く思ってきた。それは、宝塚が、退団という形でいつか去りゆくことを宿命付けられた世界であるからなのかもしれない…と、紅演じるカールに、その歌声に、改めて身を切られるような思いだった。上田久美子の演出で、紅ゆずるの主演で、今、『霧深きエルベのほとり』を観られて、――菊田一夫の魂にふれることができて――、よかった。

 『ESTRELLAS〜星たち〜』で一番好きなのは、「Tonight Is What It Means to Be Young」に乗って、星組生たちが踊りまくる場面である。ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のクライマックスでヴァンパイアが踊り狂うシーンの曲として有名なのだろうけれども、私はまずは、映画『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)の劇中歌として出会い、そして、「今夜はANGEL」のタイトルで主題歌として流れたドラマ『ヤヌスの鏡』(1985〜1986)も毎週欠かさず見ていた。
 『ストリート・オブ・ファイヤー』、宝塚で似合いそうだな…と、長年思っていたのである。舞台はアメリカ、人気歌手エレン・エイムが町のギャング団に拉致される。エレンのかつての恋人トムは、助けを乞う姉からの手紙で町に舞い戻り、女兵士マッコイを相棒に、エレンを助け、ギャング団と抗争を繰り広げる。トムとエレンの恋心は再び燃え上がるも、彼女の歌手としてのキャリアを思うトムは、「俺はお前の付き人にはなれない。でも、必要なときがあったら呼んでくれ。助けに来る」と、最高にかっこいい言葉を残して去る。
 今回の「Tonight Is What It Means to Be Young」の場面では、『ストリート・オブ・ファイヤー』ばりの黒を基調としたハードな衣装を粋に着こなした星組生たちが、ワイルドなダンスを繰り広げる。『霧深きエルベのほとり』の残像があるから、紅が、『ストリート・オブ・ファイヤー』のラストでやはり身を引く主人公トムの姿と自然重なって、――宝塚で上演してほしいとの夢が、半ば叶ったような思い。

 …七海ひろき退団の日が遂に来てしまった。
 彼女が昨年秋に開催したディナーショーの模様を「タカラヅカニュース」で観ていて、「まだまだ宝塚にいてくれるんだ! 安心!」と、大勘違いをしたあひるであった…。
 思えば、七海ひろきは宝塚に在って、いつも楽しそうに舞台を務めていた――不調や不具合を感じたことがない。それが彼女のプロフェッショナリズムなのだった。亜空間の人である。周りの空気に流されることのない、自身の強烈な磁場を持った人である。だから、何だか重い空気が立ち込めていても、七海のシーンでぴたりと止まる、それで舞台が盛り返す、そんなスーパーセーブを観たこともある。愛する宝塚にあって、彼女にとっては、その日そこに集った観客に幸せを届けることが何よりも大切なのだった。
 『霧深きエルベのほとり』で演じたのは、船乗り仲間のトビアス。石で水切りをしながら、カールの妹を口説きにかかるシーンがあるのだけれども、その、独特の男役くささ、キザりっぷりに、…かっこいいんだかおもしろいんだか、その両方なのかわからない〜、そんな、くすぐったい気分で、「きゃあ」と両腕で我が身を抱きしめたくなる。『ESTRELLAS〜星たち〜』では、平井堅の「POP STAR」に乗って繰り広げられるキュートな場面で芯を務める。「♪君をもっと夢中にさせてあげるからね」と歌われる前からすでに、七海ひろきの不思議な魅力に夢中である! ――そして気づく。七海ひろきは、宙組トップスター大和悠河の流れを汲む、キラキラのスターなのだった。どこで踊っていてもわかる、あの独特の動き。しぐさ。そのすべてに、「七海ひろき」と見えないスタンプが押してあるかのよう。個性を激しく打ち出し、広く愛される。あの独特の空気は七海ひろき一人にしか出せないものだけれども、個性を打ち出すその姿勢は、大いに見習うべきものがあると私は思う。
2019-03-24 03:06 この記事だけ表示
 …待っていた。運命を共に踊る相手が、再び姿を現すのを。始めたのは、彼だ。強い力で、私の心を、この世界に引っ張ってきた。…否、彼でもないのかもしれない。人智を超えた力なのかもしれない。
 フィギュアスケートを芸術にする。始めたのは、貴方です――もちろん、フィギュアスケートの歴史の中で、そう考えた人は貴方が初めてではないと思う。けれども、私がこの生において目撃すべく宿命づけられたその最初の人は、貴方だから。
 今夜、氷上に舞う選手たち、…自分がやっていることは、芸術になり得るのかもしれない…と知った選手たちの表情は、一様に明るかった。晴れやかだった。幸せそうだった。そんな表情を観ていて、幸せだった。もっと観たい…と思った。会場の、テレビの前の、多くの観客がそう思ったことでしょう。心には国境がない。だから、美は国境を越えていく。芸術を、フィギュアスケートを通じて、異なる国々の人々の相互理解が深まって、この世から虚しい争いがなくなる日を、私は本気で夢見ているのです。
 羽生結弦が、羽生結弦の使命に気づけてよかった。そして、その演技は、私に新たな使命をも創り出した。使命を生きる羽生結弦を、変わりゆく世界を、目撃すること。書き表すこと。後世の人々に伝えること。そうして私は歴史の一部になる。私自身の生の長さを越えて遥かに続く、雄大な時間の一片となる。生きる意味――その凄まじい幸福感に、観ていて一瞬、意識がホワイトアウトしそうだった――。
2019-03-23 23:59 この記事だけ表示
 本日、地元の商店街を歩いていたらば。それぞれに異なるふくろう(本物です!)を肩に乗せた方たち総勢四人とすれ違い。年がら年中、学園祭が行なわれているみたいな自由な街、高円寺の長年の住民としてもかなり動揺、思わず近くにいた方に「…今の、ふくろうでしたよね???」と同意を求め。少し歩いて、はっと思い出す。…あれはもしや、高円寺駅近くでふくろうカフェを経営していた、フィギュアスケート元オリンピック代表…。
 放映順〜。

 キーガン・メッシング。
 最初はちょっともやっとした感じだったけれども、「スマイル」のあたりから想いがにじんで、見応えあり。
 笑いの感覚は国によって異なるので、このあたり、非常に難しいのだけれども。「僕、おどけてます」というのがあまり前面に来るより、あくまで真面目に演じている様が他人から見るとおもしろいという感じで自然に笑いを誘った方が、コミカルな演技にもバリエーションが出るような。そこのバランスがいいときの演技は楽しく観ています。

 ウラジミール・リトビンツェフ。ところどころスケールの大きさが感じられて、今後に期待。

 アレクサンデル・マヨロフ。ラストは晴れやかに。

 チャ・ジュンファン。長い手足を大きく使えているときはとても目を引く。自分自身の個性を発揮しようとしつつあったのもよかった。

 田中刑事。
 グランドでエレガントな彼のスケーターとしての魅力が発揮された演技だった。息を呑むコンビネーション・ジャンプ。スピンの際の手の動きをきちんと表現に高められている、世界でも数少ない存在。軽やかなステップの浮遊感。スリルとアドレナリンでゾクゾクした。
 名前を知っている人だとしても、挨拶をする仲だとしても、必ずしも人と人としてきちんと出会っているわけではないように思う。ただ、私は、演技を通じて、その人ときちんと出会ったな…と感じられる瞬間があって、その時々が幸せである。いろいろ書きました。そして、今、思う。田中刑事選手に出会えて、よかった!

 ミハイル・コリヤダ。
 子供のころから滑りたいと願っていたというだけあって、『カルメン』の楽曲の多様な魅力を引き出し、氷上に描き出す、素晴らしいパフォーマンスだった。身体の奥からカーッと燃えてくる感じ。その演技に、昔、スウェーデンのストックホルムで観たオペラ『カルメン』における熱さ、暑さの表現を思い出した。暑い国だと気候と体温とが同化するのに対し、寒い国では熱さは寒さとの対比で表現される傾向にあるような。

 モリス・クヴィテラシビリ。
 途中から気持ちが入ってきて、ぐっとよくなった。優しい人である。私にとってグルジアは、振付家ジョージ・バランシンのルーツであると同時に、ニーナ・アナニアシヴィリの母国と、バレエに秀でた才能を輩出した国のイメージがある。これからの彼の表現も楽しみ。

 アンドレイ・ラズキン。
 淡い色彩のパステル・タッチで、幸せそうな恋人たちの姿がフラッシュバックのように描き出される、実に見応えのあるパフォーマンス。こんな素敵なロミオに愛されるジュリエットは幸せ者!

 ケビン・エイモズ。
 個性的な振りを端正にこなす姿が印象的。――デモに揺れる昨今のフランスに、『ベルサイユのばら』で描かれるフランス革命の様を重ねて見てしまっているところのある自分に気づかされた。

 ボーヤン・ジン。髪型もかなり改善、ジャンプ以外の要素、動きも磨かれてきていて、演技全体、楽しめるようになってきた。ラスト、魂の炸裂!

 ミハイル・ブレジナ。
 ハードでワイルドな踊り。私も、黒の革ジャンとスカートでばっちり決めて、挑発的なまなざしで、彼を見据えて一緒に踊りたかった!

 ヴィンセント・ゾウ。手の動きや上半身の開きといったあたりが中途半端で、止めるの? 伸ばすの? 流すの? と疑問を抱かせるところを、きっちり調整していったらいいのでは? それと。エキシビションでa-haの「Take On Me」を滑るなら、せっかくプロモーション・ビデオのモートン・ハルケットの服装までバッチリ再現しているんだから、ポップで軽快な表現を頼む!!!

 宇野昌磨。
 …舞台や演技を観ていて、「この人、素敵!」と思うと、私の心の中には、その人に対する想いを貯めるダムがボンと出現する――レッドカードやイエローカードで土砂が溜まって、肝心の想いが溜められなくなって閉鎖せざるを得ないこともたまにあるけれども。そうやって次々ダムを出現させる力があるというか、世間的には“惚れっぽい”って言うんでしょうね。思えば、幼稚園三年で毎年好きな男の子が変わったり、昔から惚れっぽかった。今は職業上活かせているから、よし。
 スケート以外でも世界が広がる方が、スケートに新たな魅力が増すと思います。それと、念のため。くれぐれも、せっかく退治しかけた“魔物”の場所に、新たな“魔物”を置くようなことはしないように。けれども。“翻弄する月の光”という表現はセンスがいいと思うし、翻弄される男も演じられる方が芸の幅も広がって◎。

 マッテオ・リッツォ。
 クイーンのメドレーに乗って、楽しい演技を披露。氷上で演じる才能を非常に感じさせる人である。「Don't Stop Me Now」は観ているこちらもノリノリ。願い通り、イタリアでフィギュアスケートがもっともっと盛んになっていきますように! 止めるものはない!

 ネイサン・チェン。
 自嘲。愚痴。観ている方がよっぽど空しいって。
2019-03-23 23:59 この記事だけ表示
 昼を観たら夜が観たくなり、夜を観たらまた昼が観たくなる、無限ループが恐ろしい歌舞伎座「三月大歌舞伎」なのだった。昼の部は近松、夜の部は黙阿弥、その日本語の美しさ。海外客の姿もちらほら、カナダのカルガリーからやって来た方とお話しちゃいました。
放映順〜。

 ガブリエル・デールマン。ところどころ、空にシャープに切り込んでいくような動きに魅せられた。

 ブレイディ・テネル。今日はジャンプも安定、ダイナミックさとキレと気迫があってよかった! ので、前々から感じていたことを。バレエや映画、さまざまな『ロミオとジュリエット』からの楽曲で構成されていて、音そのものの表現としては合っているかなと思うのだけれども、『ロミオとジュリエット』の中の誰かを表現したりしているのだとしたら、誰なのか、さっぱりわからん…。

 宮原知子。
 内なる炎が燃えていて、素晴らしかった! 今日の貴女はとても綺麗でした。
 一度きりの人生、悔いなきよう!

 紀平梨花。
 ずっと背筋がゾクゾクしていた。決然とした潔さが美しい演技。…人ってときに他人に対してものすごく無責任な興味の持ち方をするんだな…と知った(そして、傷ついた)、18歳の春を思い出した…。
 好きでやりたいことがある人、その道を一心に歩めている人は、それだけでうらやましがられるところもあるのだと思う。ましてや、その好きにずば抜けた才能があるとなれば、なおさら。貴女が、世界を幸せにできるその才能を存分に発揮できるよう、いつも祈っています。今日のトリプルアクセル、観ていてスカッとした!

 エフゲニア・メドベージェワ。
 一皮むけた、会心の演技! 平昌五輪のフリースケーティングの後、「…君も芸術をやらないか?」と思った、その大きな一歩が今踏み出された感が。

 坂本花織。
 …世界に連れて行ってくれて、ありがとう。ものすごい場所で闘っているんだな…と、気持ちよさと同時に、ちょっとくらくらしたことでした。
 世界選手権デビューにして、すでに堂々たる風格を備えた坂本花織のスケートが好きだ!

 エリザベート・トゥルシンバエワ。タンゴの楽曲をとてもよく体現した滑りで、楽しさも感じられて、よかった! カザフスタンという国のこと、彼女のスケートを通じてもっと知っていきたい。
2019-03-22 23:59 この記事だけ表示
 先日の観劇があまりに楽しかったので、愛のレキシアター『ざ・びぎにんぐ・おぶ・らぶ』を二度目の観劇、ラストでは夫と共に稲穂を振ってきました(13時、赤坂ACTシアター)。好きなシーンはいっぱいありますが、一番心ときめくのはやはり、長年引きこもりニートだった主人公(山本耕史)が恋を知り、自分を変えようとし――それが、恋が人にもたらす一番の効用である――、ちょっと「SEIMEI」の羽生結弦を思わせる衣装を着て、白馬(人間二人による)に乗って己の内の“魔物”と対峙しに行こうとする「キラキラ武士」のキラッキラの場面――一体全体どうしてそんな展開になるのかは、赤坂ACTシアター&オリックス劇場でお確かめを(作品について詳しくは後日必ず書きます)。ハイテンションのカンパニーによる大盛り上がりの舞台に大興奮、そして、山本耕史のキレッキレの芸と美により心の中の男性美の基準がますます高くなった状態で、フィギュアスケート観戦。以下、放映順。

 ミハル・ブレジナ。クイーンの「リヴ・フォーエヴァー」の音楽を体現しようという気持ちが伝わってきて、よかった。

 田中刑事。
 すべてをさらけ出した、強い男がそこにいた。
 確固たる思い。稲妻に貫かれるような気持ちで、その様を見ていた――めちゃめちゃかっこよかった! フリーも思いっきりはじけちゃって!!!(昨晩、あひるの頭の中で突然、「ウィリアム・テル序曲」が高らかに鳴り出して、しばし止まず)

 マッテオ・リッツォ。
 「ヴォラーレ」のしっとりピアノ・アレンジに乗って、心に染み入るような演技を披露。コーヒーにクリームを注いで、カップの中で漆黒と白とが静かに交じり合っていく様を見守るような、そんな余韻を残して。

 オレクシイ・ビチェンコ。ベテランらしい味わい深い演技。スピンの音の取り方が◎。ステップにも引き込まれた。

 羽生結弦。
 リンクで無事な姿を観られて、まずはホッ。――ああ、この世にこんなに美しいものがあるんだ――と、しみじみ思える瞬間もあり、重ねてホッ。今日の演技、私は好きかも。率直で。人と素直に向き合おうとしていて。何より、スケートを愛していて。その気持ちがあれば、いつか自然と世界は広がってゆくのでは? ちなみに、私自身が若き日、人とふれあって生きていくことの大切さを教えてもらったのは、橋本治の名著『恋愛論』。

 宇野昌磨。
 …たぎりすぎ。前半と後半とで気持ち相反〜。落ち着いて〜〜〜。――人の心を惑わすという、今宵の満月のせいか。しかし。これまでになかった、ゾクッとさせるような男っぽい表情が見られたことは、自信の表れとして◎。

ジェイソン・ブラウン。
完成された世界観。初めて、彼に男性としての魅力を感じた――これまではどちらかというと、キュートで親しみやすい印象だったので。
日本の社会のすべてがいいとは決して言いません。克服すべき問題も多い。けれども、ある面においては寛容なところもあり、自由で暮らしやすい部分もあると思っています。私の母国を愛してくれて、ありがとう。理想は、差別のない世界です。

 話を山本耕史に戻して。
 ただただ己を恃みに芸を磨き上げて、ここぞというときにその芸をカーンと発揮している姿が美しかった。彼が、舞台に立つことを愛していて、その場、そのとき、人生の時間を分かち合っている観客に、自分のすべてを見せたいと励む姿が美しかった。もちろん、フィギュアスケートは勝ち負けのある競技ではあるけれども、でも、その根本は、舞台と変わらないのでは?
 本日、東京では桜の開花宣言がありました。大好きな季節。美しい季節。スケーターの皆さん、関係者の皆さんも、日本の美しさを堪能していってください。
2019-03-21 23:36 この記事だけ表示
 放映順。

 ニコル・ショット。演技前半、羽ばたくような腕の動きが、白い衣装の裾と背中にあしらわれたフリルにマッチして。

 イベット・トース。半身に大胆な柄が施されたド派手衣装! 後半のアップテンポなところは観ていて気持ち良し。

 アレイン・チャートランド。ダイナミックで迫力あり。音の捉え方がツボ。

 エリスカ・ブレジノワ。大人の女性の情感あり。

 ガブリエル・デールマン。赤い花を一輪口にくわえて迫り来る様が見えるような、色っぽく情熱的なカルメン!

 イム・ウンス。裾に淡いブルーがあしらわれた白の衣装が、彼女の可憐さを引き立てて。スケールの大きさを感じさせる、引き込まれるような演技。

 マライア・ベル。雲一つない青空に一人颯爽と向かい、風に吹かれているような、そしてそのままどこまでも飛んでゆくような、そんな清々しさ、爽快感に、涙。スケート大好き! の気持ちが伝わって。日本に滑りに来てくれて、ありがとう!

 エリザベート・トゥルシンバエワ。正確無比。

 坂本花織。
 高校卒業おめでとう! 一段とすっきりきれいな大人の女性に。メイク◎◎!
 自分でもよくわからない感情が心にあふれてきて、途中からもう、しゃくり上げて嗚咽。
 …何だか。18歳ごろの自分を思い出すと、…うわあああ〜〜〜と恥ずかしくなって、人生の先輩みたいにいろいろ書いていいのか、悩むくらいで…。坂本選手だけじゃなくて、選手みんな、本当に立派である。若くして、スケートに、自分に、きちんと向き合っている。47年生きてきたけれども、でもやはり、いつまで経っても、生きることに慣れることはないように思う。日々悩んだり、笑ったりの繰り返し。そんな私の目から見て、坂本花織が一歩一歩、いろいろな事柄をまっすぐ受け止めて生きて、その心模様を滑っていっているのが、とても魅力的に映る。

 宮原知子。
 思い切ってENJOY!!!

 エフゲニア・メドベージェワ。ミスはなかったけれども…。今の彼女のモチベーションや如何。

 紀平梨花。
 筋肉同様、心もいい感じにほぐせる術が見つかりますように! 緊張がほどけすぎない程度にくすっと笑えるジョークを思い出すようにするとか。
トリプルルッツもレイバックスピンも美しかった。せっかくの初めての世界選手権、楽しんでほしい。私の心の中では、美しいトリプルアクセルが見えています。

 アリーナ・ザギトワ。
 貴女の強靭な精神力に、限りない敬意をこめて。
 私は会場にはいません。テレビの前で観ています。そして、貴女のことを――貴女のことも、考えています(「Think of Me」!)。人の心は決して縛れません。自由です。人間はロボットではないのだから。私は、人間になろうとしている貴女の演技が好きになってきています。そして、心から、あらん限りの声援を送ります。すぐでなくてもいい。貴女に、私の言葉が伝わりますように。心の悲鳴を、叫びを、芸術家たちは、美へと昇華してきたのです。
2019-03-20 23:43 この記事だけ表示
 …三日後の20時、高田馬場駅の早稲田口で会おうと男は言う。女は返す。三日後、確かに存在するかどうかわからない場所ではなく、今この瞬間存在する場所がいいと。二人のやりとりに、――瞳にいっぱいになった涙をこぼすまいと、目を大きく瞠ってしまうような、そんな美しさを感じた。
 福原充則(演出も)の手によるセリフは、おもしろうて美しく、やがて哀しいような、けれども、やはり、おもしろく。「あ」と「い」、結合しては「愛」となる二文字の消えていく世界。日常と不条理とのあわいを行き交うような、宇宙的な広がりさえ感じさせる、風変わりなラブロマンス。キャスト全員がそんな世界の住人にふさわしい演技を見せるが、なかでも、野口かおるのはっちゃけ具合は助演女優賞ものだと思う。
 27日までの東京公演に続き、ベッド&メイキングスとしては初めて旅公演もあるとのこと。4月の松本公演、四日市公演、北九州公演をお見逃しなく!
(3月20日14時の部、東京芸術劇場シアターイースト)
2019-03-20 23:16 この記事だけ表示
 短期洋行から帰ってきた夫と一緒に無事観られたばい。
 遂にストックホルム・オリンピック、開幕〜。1964年東京オリンピック招致チームが記録映像(流れるは、本物!)を観ている…という形で、1912年に軽快に時間を飛ばす。自らの主張が半ば通り、「NIPPON」のプラカードを掲げて入場する金栗四三(中村勘九郎)。一方、初めての高座が決まった若き日の志ん生(森山未來)。君ならできる、君には何かある…と、悪い咳をしながら告げる師匠の橘家円喬(松尾スズキ)の、死をも見据えたニヒルな明治人ぶり。
 プレッシャーに悩むあまり、静かに押し花にいそしむ四三。ただただ真面目なその様が、シュールですらあり。…前から思っていたのですが。よく、「応援してくださった方々に申し訳ない」とか言うコメントを聞くけれども、実際やっている人間が一番大変なんだから、応援している側に申し訳なく思う必要はない、と。その日まで頑張ってきた自分自身が納得できれば、それでいいではないですか。
 『いだてん』次週はいよいよ四三の走るマラソン! そしてフィギュアスケートの世界選手権2019、まもなく開幕〜。『いだてん』組もスケート界も日本舞台芸術界も、みんなみんな頑張れ〜。あひるも頑張る!
2019-03-17 23:45 この記事だけ表示