…男子フリースケーティングの羽生結弦の演技の際の聴覚と視覚の記憶が、またしても、ない。「ロシア杯2018」男子ショートプログラムの「秋によせて」の演技のとき同様、吹っ飛ばされている。辛うじて残っているのは、意識がホワイトアウトしそうになった瞬間の画面の記憶のみ。
 文章も、…本当に自分が書いたものなのかな…と思ったりもする。それだけ、あの文面は、自分の内に在った時間が短かった。演技を観ているとき、心か頭の電光掲示板に浮かんだ文言を、まるで「イタコ」か何かのように自分の外に出していった。「使命創生」のタイトルがぱっと浮かんだ瞬間は、今でもはっきり覚えている。あの文章がこの世に存在するために、私という人間の肉体が必要とされていたような、不思議な気持ち。

 …それで、私は、…羽生結弦があんなにも美しい演技をするのだったら、自分は、もっともっと立派な評論家にならなければならない、美についてさらなる確固たる見解と言葉を持った評論家にならなければならない…と思って、男子フリーの翌日も午後から早速劇場に行き、会見に行き、取材に行き、原稿を書き…と、この二週間、休みもなく少々頑張りすぎて、昨日あたり疲れすぎておかしなことになっていた。人間、つくづく無理はいけません。
 ――蜷川幸雄に対して、思っていた。どうして年齢が父と子ほど違うのだろうと。どうして同じ世代に生まれなかったのだろうと。タイムマシンができたなら、まっさきに行きたいのは1960年代だった。その時代の蜷川幸雄の舞台を観たかった。――そして今、羽生結弦に対して、思っている。どうして年齢が母と子ほど違うのだろうと。どうして同じ世代に生まれなかったのだろうと。昨年の12月7日、彼が誕生日を迎えて24歳になって、思ったのは、…あ、これでやっと、倍以上の年齢じゃなくなった…ということだった。これから先は、私の年齢を彼の年齢で割っても、その数はただ1へと近づいていくだけ。
 否。「どうして」は、いい。Why? はいい――要らない。今生、そのように出逢った。その運命のもと、出逢った相手と進んでゆくだけ。その道の続く限り。

 たとえどんなに仕事が忙しかろうが、その合間には、桜の花見もしなくてはいけない。花は、桜は、待ってくれない。人間の気持ちや都合など、おかまいなしに咲いてしまう。
 私の花見は、基本的には一人で、桜の咲いているところをどんどん歩いていくスタイルである。そうして、そのとき浮かんだ想い――美しいものに向き合ったときの想い――を心にためておく。次に見られるのは一年先だから、できるだけいっぱいためておかなくては。
 今年の桜は、何だかとても幸せな桜だった。日本の春の、今だけのその美しさを愛でに、世界中、遠くからやって来た人の姿も多く見た――分かち合う幸せも知った。蒼空の下、桜吹雪に吹かれながら、満開の桜を見上げると、――私が心から愛する多くの人々の笑顔が、花の向こうに、きらきら光って揺れていた。多くの人々の心と共に在る美。それが私の今年の桜なのだった。

 「春よ、来い」にのって舞うエキシビション。
 ――美の彼岸に在る湖で、白鳥が舞う姿を観るとしたら、こんな気持ちになるのかもしれない――。

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 ↑最近着ているカーディガン。
2019-04-08 23:59 この記事だけ表示
 …このところめちゃめちゃ忙しくて、3月24日深夜地上波放映分だけですが、やっとゆっくり落ち着いて観られました。

 宇野昌磨。
 …じわーっと涙を浮かべて観ていた。
 確固たる芯が一本通っていて、でも、芯の周りはふわっとしていた印象だったのが、ここへ来て、その芯がどんどん太くなっていっているのを感じる。
 宇野昌磨がいたから、私は、多くの仲間と共に歩んでいく道を選べたのだと思う。出逢ってくれて本当にありがとう。

 紀平梨花。
 16歳にして、独自の世界観の作り方を確立していっている。
 …彼女なら、日本の女子選手とトリプルアクセルの因縁を変えてゆけるかもしれない…と思った。

 ネイサン・チェン。
 …男子フリーの翌朝、それはすさまじい怒りで目覚めた!
 どうして、自分の才能を使って、社会を、世界をよりよくしていこうという発想にならないの?
 美を多少は意識した分、エキシビションの演技はフリーよりは全然よかった。世界と、自分の中の美を信じるところからまずはスタート。
2019-04-08 23:58 この記事だけ表示