仕事のため後日ゆっくり観て更新します。本日は昼に新国立劇場オペラ『カルメン』を観劇、ダッシュで移動して『ピピン』のゲネプロを観てきました。そのレポートは速攻でSPICEに掲載される予定です。そして明日も取材!
2019-06-09 23:52 この記事だけ表示
 なってみて初めてわかったことがある。評論家とは、何も必ずしも人に必要とされる職業では決してない。クリエイターであれ、出演者であれ、観客であれ、舞台評論家を必要としない人は大勢いる。他者の意見は必要ない。己を恃みに創る。演じる。観る。
 それでいいと思う――本当にそう思っている。けれども。それでは私、藤本真由という人間の、舞台評論家の、存在意義がなくなってしまうではないですか。だから、ときに必要とされに行くわけである。評論家、いらんかえ〜――厭らしくない、いい感じの居方を常に模索しながら。親切の押し売り、お節介になってもいけない。いい感じにスタンバイしていて、いざというときぱっと出て行く。そこはもう、出番の合図を待つ演者のようなものというか。

 本日、宝塚歌劇団を去る美弥るりかは、長らく評論家を必要としない男役であった。9年間星組で育ち、その後7年間を月組で過ごした。小柄で華奢である。ルックス的にも、娘役の方が…? と思いきや、かつて星組時代に女役を演じたとき、やはり男役の方がしっくり来るのだなと納得したことがある。
 そして彼女は、そんな自身の身体性を最大限活かした男役像を創り上げることに成功した。今、宝塚の舞台に立つその姿を観ると、美弥るりかという男役が見事なまでに完成形に達していることに、深く感じ入らずにはいられない――その人物が自身の男役としての完成形に達したかどうかは、トップスター、二番手といった肩書に必ずしも関係するものではない。指先等の細かなしぐさの一つ一つに至るまで、男役美弥るりかとして完成されきっている。
 前回大劇場公演『エリザベート』では、美弥はフランツ・ヨーゼフに扮した。――フランツ・ヨーゼフ! 写真も多く残る、実在のオーストリア皇帝。美弥は、顔から零れ落ちそうな大きな瞳が印象的な顔に、フランツ・ヨーゼフの壮年時代のトレードマークであるヒゲも見事に似合わせて、男役の力業でこの役を演じきった。銀橋に立つその姿を観ていて、――彼女の上空に、皇帝その人の姿がふっと浮かんでいるのが見えて、慄きが走った。それは、エリザベートやフランツ・ヨーゼフにまつわるさまざまな書物をこれまで読んできて、私自身の中に蓄積された彼についての数多のイメージの結集体であったのかもしれない。あるいは――いずれにしても、その人物としての演技が、人間としての実像に迫ったときにしか浮かばないものであることは確かである。
 宝塚生活最後の『夢現無双』で演じたのは、主人公宮本武蔵(珠城りょう)の終生のライバルである佐々木小次郎。武蔵の父と戦ってこれを倒した――という前段があり、そこから、父を超えたいという武蔵の思いは、小次郎を超えたいという思いとも自然重なっていく。自らの名を騙る不届き者を軽くいなす様、美剣士ぶりを誉めそやされても飄々とした様、美弥小次郎のその姿は、なるほど、泥臭い生き方を見せる今作の武蔵(左に右に、とにかく走る姿が印象的である)と好対照を成す。元気で威勢が大変よろしい月組の娘役陣と並んだとき、少々かかあ天下風に見えたりするのが月組男役のまたいいところだったりもするのだけれども、美弥の男役像はいい意味でナルシスティックで――『クルンテープ 天使の都』で珠城と二人踊る蓮の場面は、そんな美弥の持ち味がよく生かされた場面であった――、相手とする娘役がどのような風情であったとしても、動じず自分を押し通すところが魅力である。――そして、何とはなしに、かつての雪組の男役の香りを感じるときがある。私が感じているのは、もしかしたら、彼女が星組にいた時代、トップスターを務めていた、雪組育ちの安蘭けいの男役像に通じる香りなのかもしれない。
 ――すなわち。私は、長らく評論家を必要としなかった男役美弥るりかと、その宝塚生活の最後の方で出逢ったと思ったけれども、それは、思いもかけないような再会でもあるのだった。とてもうれしい。
 さて。男役美弥るりかの宝塚生活は本日で終わりである。――でも。舞台人としては? ――どんな道を目指すのか、私は今のところ知らないけれども――。でも。己を恃みに自身の男役を完成形にまで至らしめた彼女だから、また、評論家を必要としない日々が続くのかもしれない。でも。
「評論家、いらんかえ〜」となる日が、いつか来るとも限らないじゃないですか。また、思いもかけないような再会があるのかもしれない。神のみぞ知る。

 今回がトップ娘役お披露目となった美園さくらの、芝居、ショー共、惚れ惚れとするような一途な突っ走りぶりを観ていて、――前トップ娘役愛希れいか、前々トップ娘役蒼乃夕妃の前には、トップ娘役ではなかったけれども実質“三番手”だった城咲あいがいたことを思い出した。トップスター瀬奈じゅん、二番手霧矢大夢と共に銀橋でポーズを決めたとき、それは颯爽としてかっこよかった城咲の姿がまざまざと甦って、月組娘役の系譜の伝承を幸せに思った――。
 『クルンテープ 天使の都』でも、金の冠のよく似合うこと! 宝塚の名曲『セ・マニフィーク』の斬新アレンジに乗って、男役陣を引き連れ、タイのアイドル風に歌い踊るシーンは、魅力満開、破壊力満点である。王子と王女に扮しての新トップコンビのデュエットダンスでは、珠城を迎える姿に大らかな包容力さえ感じさせた。ちょっと異次元の娘役である。どこに走って行くのか、今のところ皆目見当つかない。それがうれしい。トップスターとして円熟期に入った珠城りょうが新境地を拓いてゆく上で、よきパートナーとなることは間違いない。
 作・演出の藤井大介が、大好きだというタイをモチーフに大暴れした感のある『クルンテープ 天使の涙』。男役輝月ゆうまは、宝塚の舞台においてそもそも女性から男性へと越境しているところでさらに女性(美!)へと越境し、そして男性へと越境し返し、その越境の自由闊達さがタイおなじみのニューハーフ文化の奥深さを思い起こさせる。ムエタイの場面では、それは強そうな夏月都と白雪さち花が出てきたので、てっきり二人が戦うのかと思いきや、セコンドであった(笑)。シャム(タイ)が舞台の『王様と私』の有名曲『シャル・ウィ・ダンス?』はそれは景気よく銀橋において歌い継がれ、黒燕尾服姿でターバンをまいた男役陣が全員大階段に座る姿には、「大階段に黒燕尾服で座るのがかっこいい? なら、みんなで座っちゃえYO!」という、作者のそれは景気のよい心の叫びを感じる。そして実際、かっこいい。珠城を筆頭に、美弥、月城かなと、暁千星、皆がそれぞれ個性を発揮して、そして揃っていて◎。

 宝塚歌劇団90周年の年に入団した二人が退団する。
 男役響れおなの名前を聞くだに、私の中では即座に“クーポー”と思い起こされる。『THE SCARLET PIMPERNEL』の敵役ショーヴランのズッコケ部下コンビの片割れ。それほど、響クーポーのとぼけた演技は強い印象を残している。『夢現無双』では、宮本武蔵を導く剣の達人・柳生石舟斎宗厳を演じて、人としての大きさ、存在感を見せた。
 月組娘役陣の中で、私は、ダンサー玲実くれあのことを、心の中でひそかに“侯爵夫人”と呼んでいた――高貴が似合うその美貌ゆえに。だから、格の高い役を演じていると、内心狂喜乱舞。クール・ビューティである。世事になど動じないように見える。その実、心に熱いものが燃えている。レヴュー『カルーセル輪舞曲』の中詰のサンバの場面、踊り子の扮装をした彼女は、クールな面持ちで、身体を激しく揺らしていた――その姿に、私がブラジルのサンバ・カーニバルに対して抱くイメージすべてが凝縮されていた。――一瞬の至福。『クルンテープ 天使の都』でも、エキゾティックな黒塗りがよく似合い、ひときわ輝くオーラで魅せる名ダンサーぶりに、目が釘付けに。90周年、100周年、――そして宝塚は続く。
2019-06-09 02:55 この記事だけ表示