人間が自分の心に嘘偽りなく生きていくこと、その困難と尊さが描かれた作品ゆえ、出演者には嘘偽りのない演技が求められる。永作博美、山崎一、那須凜、梅沢昌代。四人のキャストそれぞれが、ノラ、トルヴァル、エミー、アンネ・マリーとして、舞台上に真心をもって生きた。その様を、一瞬たりとも見逃したくなかった。瞬きする暇すら惜しい105分。栗山民也の演出は終始、緊迫感を損なうことがない。
 人はそれぞれ異なる環境に生まれ、異なる価値観や考え方を持って生きている。分かり合えた、と思っていた相手とさえ、実はズレがあったということも往々にしてあり得る。それでいい。この世には、一人として同じ人間はいないのだから。ただ、共に生きて行こうとする上で、ときに、そのズレを互いに認識し、分かり合おうとする営為は当然必要となってくる。何となく、相手も当然わかっているだろう的な、なあなあな態度では済まされないときがあるのである――対話が、必要な時。
 四人は語る。語り合う。ぶつかり合って、傷つくことを恐れない。
 作者――アメリカ人劇作家ルーカス・ナス――が、心から血反吐を吐くように紡ぎ出した言葉だから、その言葉を真価そのまま客席に伝えようとする上では、役者自身、心から血反吐を吐くようにセリフを言わざるを得ない。四人のその闘いを、食い入るように凝視していた。心の血反吐に洗われた魂が新たな輝きを得ていく様を観ていた――その行為は当然、観る者にとっても、心から血反吐を吐くことを要求するものなのであるが。
 凝視のあまり、泣くまいとしていた。瞳の表面張力に遂に限界が来たのは、経過時間90分前後あたりであろうか、かつて妻ノラに出て行かれた夫トルヴァルが、「人といること」について「そんなに難しくなくちゃいけないのかな?」と吐露するくだり。その後の、ノラの告白。――闘う。闘う。ノラは闘う。そんなにしてまで闘わなくたっていいではないかと言う人もいるかもしれない。そういう人の方が多いのかもしれない。でも、どうしても闘ってしまう人、闘わざるを得ないと思ってしまう人が、いつでも、どこかにいて、そうやって闘ってきた人たちがため、世界は少しずつ、変わっていっている。
 …ありがとう…と、ルーカス・ナスと、日本初演チームに首を垂れたい。
 まだ、頭がぐるぐるしている。そのぐるぐるの渦の上に、…蜷川幸雄が演出した、清水邦夫の『雨の夏、三十人のジュリエットが帰ってきた』(2009)のラストで、「うたえ! 自分の歌をうたえ!」と絶叫する、夏子役の故中川安奈――栗山民也夫人――の姿がなぜか、見えている。

(8月20日19時、紀伊國屋サザンシアター)

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2019-08-20 23:59 この記事だけ表示