最初に、世界フィギュアスケート界の皆さんへ。
 …私がこのブログにしたためている文章が、皆さんにどのような届き方をしているのか、細かなところまでは私にはわかりません。私にわかるのは、とにもかくにも「伝わっている」ということ。その際、おそらく、フィギュアスケートに関して書かれた部分、あるいは、気になる選手の演技について書かれた部分のみが訳され、伝わっているのだろうと想像します。
 けれども、私という人間がフィギュアスケートについて感じ、考察する上では、私が日々接してさまざまな舞台芸術や文化に接して得た知見が大きく作用していることは言うまでもないことです。そして今夜は、他ジャンルの話も含めた上で書くことが必要だと痛感しました。ですから、翻訳の苦労をされている方も、「この部分は関係ない」と思わず、どうぞこの項すべてをお訳しくださるようお願いいたします。

 今年、日本では、国営放送NHKによって、一年間にわたって『いだてん』というドラマが放送されています。テーマはオリンピックです。日本人として初めてオリンピックに参加したマラソンランナーと、日本に初めてオリンピックを招致した人物が主人公。19世紀末から1964年の東京オリンピックまでを描く作品です。東京オリンピックは夏季オリンピックですから、残念ながらフィギュアスケートは登場しません。けれども、もっとも最近開催されたオリンピックが2018年の冬季平昌オリンピックであり、その大会において日本人選手が活躍したことが、この作品に影響を与えていることは間違いありません。
 今夜『いだてん』において放送されたのは、1936年のIOC総会において1940年に東京でのオリンピック開催が決定したエピソード、そして、1936年のベルリン・オリンピックの模様でした――1936年はヒトラー率いるナチス・ドイツによって政治的に利用された大会であり、そして、1940年は戦争をはじめとする当時の国際情勢によって結局は開催を返上しなくてはならなかった“幻”の大会です。
 ベルリン・オリンピックのマラソン競技では、日本の孫基禎選手が金メダル、南昇竜選手が銅メダルを獲得しました――実際のところ、彼ら二人は朝鮮半島の出身であり、1910年の日韓併合によって、出場当時は日本国籍だったわけです。ドラマでは、二人が日の丸の国旗を前にいったいどのような複雑な思いをしただろうか、という言及がなされました。そのとき、二人が競技の際に履いていた運動足袋を作った日本の足袋職人は言葉を挟みます――足袋とは本来和装する際に履くものですが、運動靴がなかった時代、日本人は改良した足袋を履いて走っていたのです――ちなみに、私の曾祖父も足袋職人でした――。彼の言葉はこうです。どこの国の選手であろうが、「俺の作った足袋履いて走った選手はちゃんと応援するし、勝ったらうれしい」と。
 今夜の放送の中でもっとも心を揺さぶるこのエピソードは、私に、平昌オリンピックのときの記憶を思い起こさせました。――夜な夜な、テレビでは、「日本人選手がまた勝ちました!」と報道している。あ、勝ったんだ、うれしいな、と思っていた。けれども、だんだん怖くなってきた。――なぜ、日本人選手が勝ったときだけ喜ぶのだろう。なぜ、他の国の選手が勝ったときには喜ばないのだろう――他の国の選手が勝ったときは、自国選手が勝ったときほど報道されないというのは、どこの国でも似たり寄ったりだろうとは思いますが。私は考えた。それは、同じ国に生まれたという親近感があり、それまでの報道もあって、どんな選手だか何となく知っているからではないか。他の国の選手についてはなかなか情報を知らなかったりするから、知らない人に思えて、喜びが感じにくいのではないか。
 勝った勝ったとオリンピックで喜んでいるうちに、…私は、もしこれが、戦争についての報道だったら…と恐ろしくなってきたのです。
私は、日本に生まれた人間として、自分の母国を愛し、よりよい国にしたいと願っているし、日本の文化を、日本語という言語を愛している。けれども、その私の祖国に対する愛の中には、他文化や他言語に勝った、負けたという争いの要素は一切ない。
 私は、羽生結弦選手が平昌オリンピックの男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した際の私自身の喜びを、もう一度振り返ってみました――そして、その喜びの中に、ただ偏狭なだけのナショナリズムはなかったと断言できます。羽生結弦選手がフィギュアスケートのリンクにおいて体現する美を愛する私は、彼がその美をもって世界の頂点に立ったことが心からうれしかった。そして彼は、日本語を解する日本人だった。
 平昌オリンピックのころの私は、自分の文章が、誰かの手によって訳され、母国以外の人々によって読まれるようになるという可能性を想像すらしていなかった。…どうやら事態が変わってきたんだなということを知ったのは、昨シーズンの途中からです。そのとき私は思った。オリンピックのすべての競技に出場しているすべての国のすべての選手について知り、そのすべての選手の勝利や健闘について讃えることは、物理的にも私にはできない。けれども、自分が子供のころにやっていたフィギュアスケートならば。私が舞台評論家として従事する舞台芸術の分野とも密接に関係するフィギュアスケートならば。これまで自分がその演技を愛してきたフィギュアスケート選手の出身国を考えても、本当にバラバラです。つまり、フィギュアスケートを観るとき、私にとって国は関係ないのです。もちろん、それぞれの国には固有の文化があり、その文化の中で生きてきた人間だからこそ醸し出せる個性もあり、そんな新たな発見ができるという喜びもある。けれども、美の前に国境はない。
 私は今、そんな気持ちで、フィギュアスケートを観て、書いています。

 テレビ放映順。

 イム・ウンス。
 彼女の可憐な魅力を引き立てる素敵な色の衣装で、ジャンプの際も軽やかに映える。大人の世界に憧れる、夢見る少女がそこにいた。コレオステップのあたり、音楽の雄大さともっと一体化するとさらにいいかも。

 エフゲニア・メドベージェワ。曲は『SAYURI』。
 私自身は『SAYURI』を読んでいないし、映画を観てもいない。何というか、日本の女性というと何かすぐに芸者がイメージされすぎやしない? と思って、もうそれだけで敬遠してしまうものが…。それくらい、今の日本女性と芸者なる存在は遠い。セーラームーンの方がまだ全然近い。ちなみに、とあるジャポニスムの女性研究者も、かつて『SAYURI』の曲で演じられたフィギュアスケートの演技について、バッサリ斬っていた(どの選手の演技かの言及はなかったけれども、時期的に宮原知子の演技にあらず)。
 スケート、とても伸びやかになったと思います。

 カレン・チェン。
 何だかちょっとあせりが感じられた。ショートプログラムのときから、スケートリンクに戻って来た喜びは伝わってきていたから、その喜びを自分の心と身体でもっと味わって! 最後の手を組んでのスピンはとても美しい。

 紀平梨花。
 こちらの衣装もとても◎! 素敵なニュアンスの色で、スカートの広がりも美しい。
 振付はトム・ディクソン。曲は『International Angel of Peace』。世界のさまざまな曲をちりばめて。
 これまた、実に野心的なプログラムである。紀平梨花なる存在に寄せる期待の大きさを感じる。彼女ならば、彼女自身の新しい地平と共に、フィギュアスケートに新たな地平を拓いていける、そんな確信をもって振り付けられている。
 というわけで。
貴女は若くして、インスピレーション、ミューズになったのです――もちろん、私も貴女にインスピレーションを受けるところの一人だけれども。
 若い貴女です。どうして私ばっかりこんなに大変なんだろう? とキリキリしてしまうこともあるかもしれない。でも。技術的にも、表現の上でも、それだけ才能を認められているということ。それは幸せなことです!
 フィギュアスケートに選ばれた喜びを忘れずに。
 曲調が変わるところで、演技の雰囲気も変わるようにすると、より印象深くなりそうな。

 チャ・ジュナン。
 上半身が白いレースの衣裳が美美美!!!
 貴方自身でいる貴方の方が、観ている方も非常に心地よい! そして彼は、逞しいタイプの男性なのだった。スケール大、祈りもこめられたドラマティックな演技。
 アジア人男性は黒髪だから、髪型が重い感じだと等身バランスが悪く見えて損です。

 キーガン・メッシング。
曲はガンズ・アンド・ローゼズの『ノーヴェンバー・レイン』。ハードな曲にのせてドラマティックな演技を披露。――剥き出しの心で独りそこに立つ彼に、畏怖の念を感じて。このプログラム、とてもいい! 涙!!!
 ユニークな形のスピンに見応えあり。ジャンプの回転もきりきりシャープ。スピン、ジャンプ共、回転の速さが表現上も武器になりそう。
 フィギュアスケートで人はつながることができると、私も信じています。

 ケヴィン・エイモズ。
 貴方のような人を待っていました! 共に闘わん! 日本人の中では多分、佐藤洸彬選手と話が合うんじゃないかと思う。22歳にして実に硬派で骨太、成熟味。
 ちなみに、日本には『ベルサイユのばら』という名作少女漫画がありまして(昔、フランスでもアニメ版が放映されました)。フランス革命期、市民の側に立ってりりしく闘った男装の麗人オスカルが主人公で、「闘う」というとき私の心に湧くのは彼女のイメージ。この漫画のおかげで、日本人はフランス革命に非常に詳しいところがあり。
 ――とても不思議な演技だった。白い雲がふわふわと一面にただよっている中、彼が立っている。そして、彼が動いていくと、その雲が色づいたり、形を変えたり。まるで三次元のキャンバスのよう! Magic! と思っていたらパーソナル・ベスト超大幅更新。

 羽生結弦。
 …蜷川幸雄演出作品を観に行く前、もう、最後の方は、…今度こそ舞台上から殺されるんじゃないか…と、ソファとテーブルの間の狭いスペースに入って、聖書を片手に独りぶるぶる震えていた。それくらい恐ろしかった。まあ、クリエイターと評論家の関係とは、そんなものかもしれません。今だって演技観るの怖いもん! 何ぶつけられるかわからん。
 言いたいことはもう書き尽くしたように思うので。私は私の道を行く。貴方は貴方の道を行く。それでいい。でも、美を始めた総大将はやはり美に生きていた方が、フィギュアスケート界全体でめちゃめちゃ楽しいと思うけどね!

注1)スポーツと戦争をつなぐ偏狭なナショナリズムについては、劇作家・演出家である野田秀樹の戯曲『エッグ』の描くところである。

注2)ナチス・ドイツと芸術家の関わりを扱っては、劇作家・演出家である三谷幸喜の戯曲『国民の映画』が非常に優れている。

 『いだてん』は、来週の展開次第だなとも思うけれども…、来週はロンドンに行っていていません! 帰国後に!続きを読む
2019-09-15 23:02 この記事だけ表示
 放映順〜。

 カレン・チェン。
 音楽のとらえ方が好きである。観ていて心地いい。ヘアメイクは改善の余地あり。

 紀平梨花。
 蒼い衣裳がとてもよく似合っている。いつもながら衣裳のセンス◎。
 難しい曲である。新境地を拓こうとするプログラムである。それに挑戦する紀平も立派なら、挑戦させる振付のシェイ=リーン・ボーンも立派である。私は、手の動きなど、紀平梨花の優雅さ、エレガンスを愛するものだけれども、このプログラムで求められているのは必ずしもエレガンスではないと思う。新たな引き出しを作るチャンス!

 エフゲニア・メドベージェワ。
 完全覚醒。胸がきりきりと締めつけられた。
 ――一本の道。一人、歩いていく彼女。その姿が、地面にくっきりと影を落とすのを観ていた。その様を目の当たりにした私の心にも、陰影が象られるのだった――。
 フィギュアスケートに出逢ったこと。誰かに出逢ったこと。その意味は、貴女自身が、貴女の人生をかけて自分で見つけていくものです。19歳で答えなんて出ません! でも、個人的には、平昌五輪のフリースケーティングを観たときから、貴女は美に生きるのが向いている人なんじゃないかな…とずっと思ってきたので。これまで観てきた中で一番好きな演技。

 イム・ウンス。
 心配一切無用!!! 美の前に国境なし。
 転倒はあったけれども、想いのこもった演技だった。衣裳の色が少々ダークで重すぎるような…(ヴァーミリオンあたりの方が曲と振付に合いそうな…)。

 アレクシア・パガニーニ。
 これまた、ジャンプのタイミングを合わせるのが難しそうな曲。爆発したら、会場が非常に盛り上がりそうなプログラムである。

 羽生結弦。
 大いに迷うべし!!! ←若者の特権。
 ただし。ケガには注意されたし←祈り。
トリプルアクセルあたりの流れは完璧に身体に入っていて、空気と一体になったかのように美しかった。
パフォーマー、クリエイターと評論家の関係。――敵ではない。ライバルでもない。異なる立場で共に美を創っていく間柄だと思うものですが。

 チャ・ジュナン。
 祝! 脱「羽生結弦」!
 例えば、力強さにしても、羽生結弦はしなやかでいて鋼のような強さが魅力の一つである。この日の演技で観られたチャ・ジュナンの力強さは、やはり方向性が全然違う。今シーズンは、チャ・ジュナン自身の魅力をたくさん発見できそう。
 
 ケヴィン・エイモズ。
 難しいリズムの曲をよく自分のものにしていて、お手本になりそうな演技。さらなる滑り込みによって観られる世界が非常に楽しみである。アクロバティックでトリッキーなフィニッシュも曲とぴったり決まって、すごくいい! と思ったらパーソナル・ベスト大幅更新。

 キーガン・メッシング。
 シンプルなコスチュームにしっとりとした曲、切々と心情が伝わる好プログラム。トリプルルッツ、美! スピン超高速! 昨シーズンより一段と腕を上げた感あり。
 10歳で移り住んだカナダ。優しく迎えてくれた人々。多民族が支え合って暮らす国。私には、一つの理想郷に思えました。その国こそ、私が初めて接した「世界」です。
2019-09-14 23:59 この記事だけ表示
 現代シンガポールを舞台にした“アジアン・クッキング・コメディ”は、楽しくって、大いに笑えて、それでいて、実は、深い。作・演出の小柳奈穂子が、笑いに包んでちょっと照れくさそうに差し出す宝塚愛が味わい深い。「小林寺」(「こばやしでら」。「少林寺」にあらず!)で奥義を極めようとするあたり、大爆笑。ヒャダイン&青木朝子の手による音楽も、めくるめく上質なポップス・ワールド。星組が誇るトップコンビ、紅ゆずる&綺咲愛里の最後の作品が快作であることを心から幸せに思う。来週、海外旅行を控えてあわただしくしているのだけれども、…あれ、旅行先、シンガポールにすればよかったかな? と――実は、自分の前世はシンガポールの人だったんじゃないかな…と思っており。
 シンガポール・グルメの連発に、観ていて大変お腹が空く作品です。ご覧になる方はくれぐれも空腹にご注意を〜!
2019-09-14 23:58 この記事だけ表示
 第三十四回『226』。
 1936年2月26日。雪の朝。軍靴の音。――それぞれの朝。先週、書きながら背筋がぞくぞくしてきて、それでタイトル、「〜」一つ多くしたのですが。
それは、ここまで描くからには、「二・二六事件」について正面切って取り組む覚悟を固めたんだな、と思ったから。もちろん、『いだてん』は東京オリンピック、主にスポーツをめぐる物語である。しかしながら当然、時代、社会との関わりをまったく切り離して描くことはできない。その意味で、『いだてん』はこれからますます難しい時代を扱うこととなる。日本が、世界を相手にした戦争へと突き進んでいく、その時代をどう描いていくのか。それは大いに覚悟の要ることだろうと、観て書く側としても大いに覚悟を決めたのですが。そして、このような節目節目の大事件こそ、当時の人々がおかれていた社会的状況をくっきりと描き出す上で、またとない機会だと思うのですが。
 最大の問題点は、今回、「二・二六事件」を語っていた志ん生(ビートたけし)が、黙りこくった後、噺の途中で、サゲずに高座から下りてしまったこと。そして、「この時代の話は笑いにならない」と言う。そうかもしれない。けれども、それをやってしまったら、これからますます笑いにならない話オンパレードの時代であって、いったいどうするのか。戦後の時代、噺として歴史を語っているという作品の構造自体に齟齬が生じてしまうのでは?
 「こんなときにオリンピック?」「こんなときだからオリンピックだ!」の、まーちゃん(阿部サダヲ)と嘉納治五郎(役所広司)の対決も、その肝心の「こんなとき」の描き方が弱いからして…。二人の芝居には凄まじい熱があっただけに、もったいない。高橋是清邸に押し入って彼を殺害し、朝日新聞社に押し入ってまーちゃんにケガを負わせた「二・二六事件」の陸軍青年将校たちも、「オリンピックは若い者のためにやるんです」とまーちゃんが言うときの「若い者」に当然含まれるわけで。しかしながら、当時の日本は大変な不況で、若い娘が身を売らざるを得ないような状況もあったわけで、そんなときに、陸上だ水泳だとスポーツに邁進している、邁進できている若い者の姿は、貧困にあえぐ他の若い者たちにどう映っていたのか。もちろん、彼らの活躍にせめてもの明るい希望を見出していた人々もいただろう。けれども、その一方で、何がオリンピックだ、スポーツだ、そんなの一部の恵まれた奴らの贅沢だ、それどころじゃない…と思っていた人々も当然いるわけで、そちら側の思いをも掬い取って描く上で、「二・二六事件」はまたとないチャンスだったと思うのですが。
 そしてそれは、いつの時代も、芸術なりスポーツなりが問われている問題でもある。現代の日本でも、例えば貧困にあえぐ層がいて、その一方で、芸術やスポーツにもっと公的支援をということも言われていて。そして、貧困をはじめとするさまざまな問題に苦しむ人々から、「美は、スポーツは、人生においていったい何の役に立つんですか」と尋ねられたとき、その分野に関わる一人一人はどのように説得力のある答えを提示できるのか、常に問われている。それがなければ、ただの芸術バカ、スポーツバカになってしまう。『いだてん』は、両ジャンルにまたがって、その答えを提示すべく爆走してきたドラマだと思ってきたのですが。
 今後に強く期待。
 嘉納治五郎(役所広司)とIOC会長アンリ・ド・バイエ=ラトゥール(ヤッペ・クラース)の篤き友情のくだりは非常によかった。ラトゥールに謝りの弁を述べる際、…役所広司に、嘉納治五郎が憑依しているかのようだった。
2019-09-08 23:15 この記事だけ表示
「譲ってもらうっていうのはどうだろう」
 悲願の1940年東京オリンピック実現に向け、イタリアの独裁者ムッソリーニから開催地を譲ってもらおうという奇策を思いついた嘉納治五郎先生(役所広司)。しかし、彼の身に異変が! 前回の終わりで、頭を押さえていたから、脳の方に何か…? と心配しており。…腰痛でした。持病の腰痛再発。ロス五輪でも背負い投げ、バッタバッタしてたものね…。「150歳まで生きるぞ! まだ折り返しだ!」と、担架の上で気焔を吐く嘉納治五郎74歳。ムッソリーニと会うため、ローマへと旅立つこととなった副島道正伯爵(塚本晋也)は「会えるかどうかもわからんのに!」と悲観的。イタリア大使杉村陽太郎の計らいあって、そこは会える、とまーちゃん(阿部サダヲ)――彼は、「田畑! 日本を頼んだぞ!」と、オスロ総会での最終スピーチの予定稿を、治五郎先生から託されていた。東京オリンピック決定の特ダネはうちで独占するぞ、との上司緒方竹虎(リリー・フランキー)の思惑により、まーちゃんのローマ同行、実現〜。
 1935年1月、雪降るローマ。「グラッチェ」とイタリア人のセニョリーナに明るく挨拶するまーちゃん。貴方のような人はどこに行ってもやっていけますな。副島伯爵とまーちゃんに、ムッソリーニは陽気な独裁者だと語る杉村。副島さんは武者震い――第三十三回『仁義なき戦い』。そして、扉が開く。そこには眼光鋭い陽気な独裁者が! 副島さん、その場で倒れる。――肺炎。「回復まで一カ月」の「一カ月」だけ聞き取れたまーちゃん、「余命一カ月ってこと?」と早合点。…笑ってる場合じゃない。でも。まーちゃんの芝居がおもしろすぎて笑ってしまう。
 タイトルバック!
 …あひるは当初、脚本の宮藤官九郎が大河ドラマという一年間のマラソンを走り抜けるのを“沿道”で応援しようと思っていた。それが、応援するうち、…いつの間にか、自分も一緒に走っていた。そして、走り出したら、そこには――そこにも!――本当に多くの仲間がいた。今も、大勢と一緒に走っている。私たちの生まれたこの世界を、国を、次世代へと手渡していくために。そのためにも、歴史から学ぶ。今この瞬間へと至る歴史から学ぶ。私が今年、『いだてん』という大河ドラマに見出しているのは、そんな意義である。今宵のタイトルバックに、そんな想いを新たにし。
 副島が倒れて来られなくなったと杉村が説明すると、ムッソリーニは「サムラ〜イ!!!」と両手を挙げて叫び、去っていく。そのリアクションの意味がいまいち解せない杉村。「ソヘジマタフレル」の電報に、「こうなったら私が行こうかね」とベッドから無理に立ち上がろうとする治五郎先生に、貴方は腰痛じゃなくて脊椎損傷! と告げるお医者さん(松重豊)。その顔、デジャヴ!
 生死の間をさまよった副島さん、何とか外出許可を得られるところまで回復。しかし、許された時間は30分のみ。「土下座も辞さない覚悟で」とまーちゃんにハッパをかけられ、いざ行かん! と思いきや。「(約束の時間まで)まだ15分あります」と杉村。「副島さん30分しかないのに」とまーちゃん←ここがあまりにおもしろすぎて、20時から2回目を観ているとき、やりとりの前から思い出し笑いでフライングで爆笑。笑ってる場合じゃないのですが。いや、塚本晋也演じる副島道正が、あくまで真面目で真剣であればあるほど逆に滑稽で…。コメディの醍醐味。
 日本がオリンピックに選ばれるまで帰らない覚悟です、譲ってくれたら、1944年にローマでオリンピックを開催できるよう、全力を尽くす、とムッソリーニに告げる副島さん。「Will you?」「Will you?」とムッソリーニ。独裁者の説得に成功! 会見、15分で終了〜。「え、早」とまーちゃん。副島さんの“カラータイマー”(ウルトラマンの10倍だ)がもってよかった!
「な、譲ってくれただろう」と、治五郎先生、ベッドの上でご満悦。「そろそろヤツを東京に呼び戻すときかもしれんぞ」と、日本開催に涙ぐまんばかりの可児さん(古舘寛治)に。「ヤツ? まさかスースーハーハー?」と可児さん――重なる金栗四三(中村勘九郎)のランニング姿。「オリンピックといえばあの男、ミスターマラソン、金栗四三!」と治五郎先生。
 ――そのころ四三は、故郷熊本で弟子の小松勝(仲野太賀)と共に走っていた。そして、田園風景の中で、看板を見つける。徐々に見えてくる文字、そこに書かれていたのは。
「カフェ ニューミカワ」
 ミカワ! しかも、ニュー!
 ↑ここも、二回目視聴時、先取り思い出し笑い。というか、もはや「美川」と聞くだけで笑ってしまうほど、勝地涼演じる美川秀信はキャラが立ちすぎている! 美川は、鉄道車両を転用したカフェを開いていたのだった。さすが流行りモノ好き(笑)。浅草でブロマイドを売っていて関東大震災に遭遇した美川は、ヤクザの女と大阪に駆け落ち、広島まで逃げ、山形に行き…と、その土地土地で覚えたとおぼしき方言を駆使しながら自分語り――それで『仁義なき戦い』なんですな。美川氏は小松くんに、「君の夢は何だね」と訊く。「オリンピックです!」と熱く語り出す小松くん。メダルを取りたい! …遮る美川。僕が君の夢について聞いたんだから、今度は僕の夢について聞く番! …美川。めんどくさすぎる。じゃあってことで、美川’sターン。夢は、「大陸逃避かな。満州だよ、これからは」だそうです。…美川。いかにも満州に行きそうな…。そして美川の話は「長くなりそう」という理由で音声途中で切れて割愛(笑)。
 ムッソリーニは説得できた。自信満々の杉村は、サングラスを颯爽とかけてオスロ総会に行く気満々だったまーちゃんを、副島さんの看病との名目でローマに居残りさせる。しかし。初めての総会。しかも、ただ一人の東洋人。「まいったな、河童の田畑でもいいから連れてくればよかったよ」と、五りん(神木隆之介)がその心の声、代弁。そこへ、“イタリアの嘉納治五郎”と称されるボナコッサ伯爵、到着。開会〜。
「おい、まだローマ(立候補地に)入ってるよ」(杉村心の声)
 杉村の動揺をよそに、ボナ公(←杉村の呼び方)、「(ローマでの開催に)絶大な自信をもっている」と堂々たるスピーチ。話、通ってないのか? 動揺のあまり、治五郎先生がまーちゃんに託した最終スピーチ予定稿を読むのをやめ、ムッソリーニが譲ってくれたと発言してしまう杉村。一同、ガヤガヤ。スポーツについては政治に口出しさせない! とボナ公。
「TABATA SUGU KOI」
 話が違うじゃないかと焦る杉村は結局、電報でまーちゃんをオスロに呼ぶのであった。責任を感じ、自分がもう一度ムッソリーニに会う! と立ち上がろうとする副島さん←無理です。じゃあ自分が! と、「ムッソリーニいる? 話したいの」と無謀にも押しかけるまーちゃん←無理です。っていうかまーちゃん、相手は陽気と言えども独裁者だから! やはりオスロに飛ぶことに。――一方、オスロの杉村は、イタリア公使ロドロを味方につけ、ボナ公を説得しようとしていた。字幕ばかりじゃなんでしょう、ということで、ここで、吹き替えスタート。ボナ公の声は、金髪のかつらまでかぶった五りんの兄弟子今松(荒川良々)が担当いたしまする〜。開催地に投票するのは委員であって首相じゃない! そんな杉村とボナ公の激論に、ロドロも加わり…と、ロドロの声で師匠志ん生(ビートたけし)登場〜。「地中海に沈めちゃうぞ」…この吹き替えシーン、最高でした。最後に師匠兄弟子五りん、三人そろって頭を下げるのも愛らしく。
 開催地投票日。
 IOC委員になって10年、オリンピックはスポーツマンシップによって支えられていると思ってきたが、もうそうではないようだ、不本意ながら、不本意ながら、イタリアは東京に投票する、と、ボナ公、無念で泣きそうなり。またもや一同、ガヤガヤ。「政治的圧力をIOCは認めるわけにはいかない」とラトゥール会長。杉村、大反論。しかし、かえって反感を買うばかり。「なぜカノーは来ないのか? なぜカノーは来ないのか? 彼が来たならこんな事にはならなかった」とラトゥール。――投票、延期。
 そこへまーちゃんが駆けつける。日本語交じりの英語で、帰り際の委員たちとコミュニケーション。――対比。多言語を駆使する杉村と、言葉はできないながらも何だかんだ言って世界の人たちとコミュニケーションを取るのがうまいまーちゃんと。杉村はまーちゃんに語る。日本への一票は嘉納治五郎への一票だった、と。まーちゃんは知っている。ロス五輪、嘉納治五郎に背負い投げされたい人で、長蛇の列ができる人気ぶりだったことを。「俺はイタリア語も英語もフランス語もできるが人望がない。嘉納治五郎にはなれん」と杉村。「なれんし、ならんでいいでしょう」とまーちゃん。「お前はなるよ」と杉村。「ごめんこうむるよ、あんな迷惑ジジイ」ってまーちゃん失礼だな。嘉納治五郎はお前を買っているからここに送り込んだんだと杉村。自分はただ、日本を頼むと言われたので、とまーちゃん。日本を、お前に? 高らかに笑う杉村。
 ――「投票延期」を告げる新聞記事を目にした治五郎先生は、恐る恐るベッドから立ち上がる。
 熊本。「美川と会いよっとね」と、四三に激怒するスヤ。あんなの友達じゃない、ゴキブリ、居候のろくでなし、貧乏神と、すごい剣幕。「美川が何をした?」と美川。スヤさん、昔は『坊っちゃん』のマドンナのようにさわやかだったのに…。そんな美川に四三さんはウィスキーを所望。スヤについて愚痴り出すからもう酔っぱらったのかと思いきや、飲む前にすでに酔っぱらい状態。そして、「俺は家出する」と――いや、家出って、貴方もう「不惑」の40過ぎですよね? だって治五郎先生から、東京にオリンピックが来るという手紙をもらってるし!
 東京市庁舎。東京市長・牛塚虎太郎は困っていた。――開催地、どうなるの? 私が肺炎になどならなければ! 副島さん、直立不動。貴方、治すために注射を300本も打ったじゃないですかと、かばうまーちゃん。そこへ治五郎先生が杖をついてやってくる。さすがにラこの身でトゥールに会いには行けない。そこで。「また極論なんだがね」「出たよ、治五郎の極論タイム」とまーちゃん。「こないだもこの時間だったよね?」――そうでした、まるで水戸黄門の印籠タイム(笑)。今回の極論は。ラトゥールを東京に呼んだらどうだろう。謝りついでに視察してもらおう。「治五郎っぽい」とまーちゃん。「治五郎っぽいって何だよ、私は治五郎だ」と治五郎先生――何だか、二人の、一筋縄では行かない師弟の如き絆を感じた今回。もうラトゥールに手紙、出しちゃったもんね。「ずうずうしいな」とまーちゃん。しかし、治五郎の手紙はラトゥールの心を動かし、彼は来日することに。「海を越えたジジイ同士の友情は侮れん」と言うまーちゃんに、日本に恩を売ろうというヒトラーの深謀遠慮が裏にあるのでは? と河野一郎代議士(桐谷健太)。オリンピックは盛大な運動会だ、とまーちゃん。いったいいつから、国の威信をかけてやる大事業になったんだろう。田畑さん率いる水泳チームが、ロス五輪でメダルをたくさん取ったからじゃない? とマリーママ(薬師丸ひろ子)。「違う、違うって、俺は」と言うまーちゃんに、いいじゃないか、オリンピックが決まればあと四年は戦争が起こらない、軍部への歯止めになる、と一郎代議士。
 招致委員会正式に発足。その記者会見で、こんな質問が出る。
「オリンピックはお国のためになりますか」
 まーちゃんに、高橋是清(萩原健一)の同じ質問がフラッシュバックする。まーちゃんの答えは同じである。なりません。
「国のためじゃない。若い者のためにやるんです」
 ――熊本。まだ暗いうち、「スヤへ」と書いた書き置きに押し花を載せ、金栗四三は家出しようとしていた。一方、若き日の志ん生こと孝蔵(森山未來)の暮らしもだいぶよくなって、ナメクジが出る長屋から引っ越ししようとしている。時は1936年2月26日。
「2月26日」
「2月26日」
 と、繰り返す志ん生。
 1936年2月26日。雪の朝。――そこに、軍靴の音が聴こえてくるのだった――。
2019-09-01 23:59 この記事だけ表示
 3月に雪組がシアターオーブにて上演した『20世紀号に乗って』は、ハワード・ホークス監督の映画『特急二十世紀』を基にしたブロードウェイ・ミュージカル。時は1930年代、今は落ち目の演劇プロデューサーと、彼の元カノである女優、彼女の今の恋人である俳優らが、シカゴからニューヨークへと向かう豪華列車「20世紀号」に乗り合わせて巻き起こる大騒動を描いたコメディである。シアターオーブでは海外ミュージカルの招聘公演が数多く上演されているが、雪組版『20世紀号に乗って』も、トップ・コンビ望海風斗&真彩希帆の図抜けた歌唱力、そして芝居心に富んだ雪組生&専科から参加の京三紗(裏ヒロイン!)の活躍によって、そんな海外ミュージカル公演の一つに接しているような感覚を覚えた。
 なおかつ、潤色・演出の原田諒は、今年105周年を迎えた宝塚歌劇団、その歴史にオマージュを捧げる趣向を凝らしていたのが実に心憎い。冒頭、パンツのサイドにラインの入ったポーター四人が登場する。それだけで、これは、宝塚歌劇が日本で初めて上演したレビュー『モン・パリ』(1927)のラインダンスのオマージュだ! と、心浮き立つものを感じる――『モン・パリ』では、パンツを汽車の動輪に見立てた、本邦初のラインダンスも大きな話題を呼んだ。宝塚で海外ミュージカルが上演される際、本編の後にショーがつくのも楽しみなところだが、この作品では、そのショーの部分で、トップ・コンビも加わっての大ラインダンスが披露された――そこに、宝塚のラインダンスの意味を見る思いがした。宝塚に入団した者は誰もが皆、ラインダンスからスタートする。一糸乱れぬ踊りは、全員で心を合わせてこそ可能となる。優れたトップスターほど、組を率いる箇所と、組の中の一人に戻る箇所と、その切り替えが上手い――そのことを私は、退団し、女優となってからの元トップスターの舞台からも、よくよく学んできたように思う。この場面では真ん中としての役割を果たす。この場面では組の、舞台の一員に戻る、その切り替えがつまりは上手いわけである。私は、望海風斗がそのようなトップスターへと躍進したことを、心からうれしく思った。もともと高かった歌唱力にぐんと包容力が加わり、厚みが増した。相手役の真彩希帆も歌声に艶が出て、ショースターとしても健闘。コメディ作品も行けるコンビであることを大いにアピールした。
 東京宝塚劇場公演『壬生義士伝』は、浅田次郎の同名小説が原作である。浅田作品ではコメディタッチの『王妃の館』(2017)が宝塚でも上演され、客席を爆笑の渦に巻き込んだが、制作発表会での浅田氏の話によれば、『王妃の館』と、幕末の下級武士の悲劇を描く『壬生義士伝』は同時進行で書かれた作品であるとのことで、一人の作家の中に渦巻く内的世界を知る上で非常に興味深いものがあった。望海が演じる吉村貫一郎は、貧困に苦しむ家族を救うため、盛岡の南部藩から脱藩して新選組に加わり、家族を養うために人斬りを続ける――という役どころである。故郷への想い。家族への想い。望海が歌う主題歌を聴いていると、――私自身のルーツの一つでもある東北という地方、その厳しい自然、そこに生きる人々の忍耐強さに自然想いが飛んでゆく――私の母方の祖父の家も、もともとは武士であったのが、どこかの段階で足袋職人へと転じたそうである――。のだが。脚本上、主人公の生き様、その一貫性が少々わかりづらく…。雪組生は日本物作品に強いところを見せていただけに、残念に思った。専科から出演の凪七瑠海も、同期の望海と絡まない役どころだったのがもったいないような…。円熟期にある男役二人の芸のぶつかり合いを見たかった。真彩は、南部に残った吉村の妻と、新選組隊士となった吉村を見初める京都の大店の娘、つまりは吉村を取り合う者同士に挑戦。辛抱強い女性と、勝ち気な女性、二役の演じ分けで力を発揮した。ショー『Music Revolution!』はエネルギッシュなダンスシーン満載。黒燕尾服の踊りもびしっと揃うところは雪組ならでは。
 昨年あひる新人賞堂々受賞の真彩希帆だが。舞台人として、…今、若干迷いの時なのかな、と感じる。それでいいと思う。迷って、あれこれ試して、その中に自分の道を見出していけばいい。雪組全体としては、『ファントム』のころと比べて、かなり迷いが消えてきた。みんな、技術は高いのだから、それをどう活かしていくか、自分自身のその試行錯誤の中にこそ、今後の明るい展望がある。大丈夫! 立派なトップスターとなった今の望海風斗なら、全員まとめて受け止められる!
2019-09-01 00:00 この記事だけ表示