内容に思いっきりふれます。

 『ビッグ・フィッシュ』の主人公エドワード・ブルーム(川平慈英)は、何かと話を大きくおもしろく広げていってしまうお父さんである。“ほら吹き”と思う人もいるかもしれない。釣った魚の大きさ――“ビッグ・フィッシュ”!――。少年時代、魔女に会って、自分の人生の最期について教えてもらった話。大木ほども背が高い巨人と友情を結んだ話。後に妻となる女性サンドラ(霧矢大夢)にサーカスで出逢った話、等々。子供のころはそんな話に楽しく耳を傾けていた息子ウィル(浦井健治)も、成長するにつれ、父の語る言葉が信じられなくなってゆき、親子の間に断絶ができる。そしてエドワードは病に倒れる。妻ジョセフィーン(夢咲ねね)との間に子を授かった、つまり、自らもまた父となることとなったウィルは、本当の父を知りたいと願い、故郷に戻る。そして彼が知った真実とは――?
 そんな一風変わった物語の語り部を演じて、川平慈英が大奮闘を見せる。彼は客席を巻き込むのが実に上手い役者である。いつだって最初からフルスロットルである。「楽しませる!」という気概に満ち満ちている。舞台に立つ以上、それがまずは彼の出発点であると言わんばかりに。私は「楽しむ!」という気持ちで客席に座る、座りたい人間だから、「楽しませる!」「楽しむ!」で、役者川平慈英とは非常に心のギアが合いやすい。
 そして、エドワードを演じる彼は、奇想天外な物語の数々を語って大いに楽しませる。…お話、もっともっと聞かせて! と思う。――かつて、指揮者のジャナンドレア・ノセダ氏にインタビューした際、こう話していたのを思い出した。たとえ同じおとぎ話でも、語り上手のおばあちゃんならば、子供は、「お話、また聞かせて」と何度もせがんでしまうものでしょう。指揮者の役割とはそういうものだと思っています、と――。
 …不思議に思う。どうして彼の息子ウィルは、こんなにおもしろいお父さんの話が楽しく聞けないのかしら、と。
 言うならば、父エドワードと息子ウィルとの関係とは、虚構を語る者と、その虚構を素直に受け止められなくなってしまった者、つまり、劇場空間に即して考えるならば、舞台上と客席との間で発生するもっとも不幸な関係のメタファーとも考え得る――白井晃が演出する舞台においては、しばしばそういった演劇論を感じ取ることができるのが、非常に興味深いところである。舞台上の人間に対してもっとも送ってはいけないと私が思うところの目線、それは、「あなたたちのやっていること、全部、嘘でしょ?」という目線である――もちろん、観客がどのような目線を送ろうがそれは観客の自由であって、演じる方には、そういった目線をも跳ね返す強靭なものが求められているわけだけれども。
 この物語の最後において、川平演じるエドワード自身は人生の最期を迎える――だから、舞台が終わってほしくない。続いていってほしい。自らの最期を、彼は息子ウィルに語ってほしいと願う。ウィルは、父の故郷の街を訪ねたことで、父の真実、すなわち、いつも話を大げさにふくらませているとしか思えなかった父が、唯一家族に語ることのなかった、人生におけて成し遂げていたある偉業――エドワードは、ダム建設によって水の中に沈んだ故郷の街の移転にあたって、大きな功績を果たしていたのだった――を知った。そして、なぜその偉業について父自身が語らなかったのか、その理由も。虚構の中に、真実は隠れていた――これまた秀逸なメタファーである。観客は、虚構を演じる役者のうちに、その人物の真実を観るのだから。
…この人は、舞台に立つことに命を懸けてきた役者なのだ――と、物語を語り終えて、語り部を引き継いで、舞台後方へと去っていく――エドワードとして死んでいく――川平慈英の背中に、思わずにはいられなかった――。

 ブロードウェイ・ミュージカルである。日本語ジョークに翻訳されているけれども、アメリカン・ジョーク満載である。だから、川平慈英は、アメリカ人としてのエッセンスを付け加えて、エドワードというキャラクターを創出している。「これは日本ではない国の話ですよ!」という提示は、観客にとっては非常にわかりやすく、ありがたい。
 川平エドワードが終生愛を捧げ続ける妻サンドラを演じるのは霧矢大夢。彼女の宝塚在団中の当たり役の一つに、『ガイズ&ドールズ』のアデレイドがある。コケティッシュなアメリカ人女性が大得意。だから、川平とカップルとしての相性が抜群である――もし二人で『ガイズ&ドールズ』のネイサン・デトロイトとアデレイドを演じるようなことがあったら!―― 在団中の彼女には、与えられた課題を高いレベルでクリアすることに長けたイメージがあったのだけれども、難作『この熱き私の激情』(2017)において、自分の内から課題を生み出し、演じるという作業に果敢にチャレンジしていく姿に好印象を抱いた――というのも、この作品においては自らの“女”に極限まで向き合わざるを得ないところがあり、宝塚歌劇の男役経験者にとってはそれがときに非常に難しい作業となるのだろうということを痛感するものだからである。そんな貴重な経験を経て、霧矢大夢は今や立派に女優である。だからこそ、ところどころでヒゲ面の老農夫として出てくる場面が、その魅力のすてきなアクセント。女性としてのチャーミングさがつまった、サーカスのオーディションでのソング&ダンス。エドワードとサンドラが、サンドラの大好きな黄水仙の花が一面に咲き乱れる中で愛を誓い合う一幕ラストは、川平と霧矢、二人の役者のキュートな魅力があふれて、まるでおとぎ話のワンシーンのよう――。
 ウィルを演じた浦井健治だが、愛する父を信じたいのに信じられない、その息子ならではのジレンマがもっと浮き彫りになると、二人の対立とその和解が一層明白になるようにも思った。何だか、演じている自分自身をどこか信じていないような、そんなもどかしさを、観ていて途中まで感じたからである――それはすなわち、エドワードとウィル、虚構を語る者とその虚構を素直に受け止められなくなってしまった者との対立が、一人の人間の内に起きているのかもしれないという事態を示唆するものだけれども。だが、まずは川平、そして霧矢と、エネルギーが次々に転火していった中で、父エドワードの最期を精いっぱい語ろうとするウィルのナンバーでは、霧が晴れたような歌唱を聴かせてくれて大いに安心。浦井は、四月に主演したミュージカル『笑う男』では、見世物となるため幼少期に口の両端を切り裂かれ、いつも笑っているような顔にされてしまった主人公を演じていた。原作はヴィクトル・ユーゴー、社会の歪み、醜さを鋭く切り取ったこの物語の中で、“笑う男”としての運命を生き抜く様を描き出すその演技は美しかった。内なる美を信じて、役者としてさらに邁進してほしいと思う(今回、前髪が長すぎて何だか美貌を損ねているようにも思ったのだけれども、役柄上の指定だったら申し訳ない)。
 最近、宝塚トップ娘役の退団後の活躍がめざましいけれども、ウィルの妻ジョセフィーン役の夢咲ねねもそんなトップ娘役の一人である。女優と娘役とで舞台上におけるありようはいかに違うのか、そこを鋭く言語化していきたいというのが今の私自身の課題なのだけれども、彼女もまた、娘役から脱皮して、女優としての成長を見せていると感じた。
2019-11-07 23:19 この記事だけ表示