仙台藩から世界に飛び出しスペインの地で奮闘する『El Japón』の主人公、仙台藩士蒲田治道に敬意を捧げるべく、仙台からアメリカに渡って世界的に活躍するファッション・デザイナー、タダシショージのワンピースを着用して観劇に臨んだあひるであった。身体のラインを美しく見せるカッティングが特徴で、宝塚の娘役もフィギュアスケート選手も着用しているところを見かけますが、考えてみれば、レースや刺繍やスパンコール等の装飾はちょっと“衣装”っぽくもあり。
 物語は仙台藩の月の浦の港から始まる。女たちによる小袖舞。鬼剣舞。主人公蒲田治道(真風涼帆)は、ひょんなことから、支倉常長率いる慶長遣欧使節団に加わることとなる。使節団の日本人たちが歌い、さっと入れ替わって、イスパニアの人々が歌う。日本物的なスタートから、洋物への即座の転換――このあたりの和とスペインの調和的混在に、平岳大がサパテアードを踏み、市川猿弥もそれに呼応して踊った、2017年の博多座二月花形歌舞伎『艶姿澤瀉祭』(再演希望)を思い出し。
 使節団が滞在するコリア・デル・リオの街とその一帯は、農場主ドン・フェルディナンド(英真なおき)の一味に制圧されている。邪なドン・フェルディナンドは、女主人カタリナ(星風まどか)が営む宿屋と彼女自身を狙っている。カタリナは治道に剣術を教えてほしいと頼む。――愛した女、藤乃を虚しく失う過去をもつ治道。結婚式を挙げる日に夫を亡き者にされたカタリナ。死に場所を求めてきた治道は、カタリナの中に同じ思いを見て取る。彼の知る「夢想願流」は、「人を生かすための、そして、生き延び何かを守り続ける者のための剣術」である。海を越えて出会った二人は、生きて大切なものを守るために、戦いの決意を固める。――そんな治道とカタリナの周りを彩るのが、謎めいた男アレハンドロ(芹香斗亜)と、ドン・フェルディナンドの息子エリアス(桜木みなと)である。
 国王と重臣の企みにより、使節団は、貿易の交渉をする暇もなく、日本への出発を急かされることとなる。――出航が迫る。だが、治道は、カタリナが単身、ドン・フェルディナンドの農場へ向かったことを知り、自らもまた農場へと向かう。治道とカタリナは「夢想願流」の真価を発揮し、邪な相手を打ち負かす。
 だが、使節団の船が出航してしまった以上、治道は不法滞在者となってしまう。そこで、実はカタリナの亡き夫の良き友であったアレハンドロが名案を提示する。治道が、書類上まだ生きていることになっているカタリナの夫としてこの先生きていくこと。こうして、出会うはずのなかった二人は、共に生きていくことを選ぶ――これが、コリア・デル・リオの地に実際に存在する「ハポン(日本)」姓の人々、その祖先とは使節団の人々ではないか…という歴史的“ミステリー”に対し、作・演出の大野拓史が想像力の糸で紡ぎあげた冒険活劇である。
 宝塚ミュージカル・ロマン『El Japón』。その角書にふさわしい、宝塚の伝統の流れを汲む、ロマンティックにしてストイックな魅力をもつ作品である。――治道は耐える。多くを語らない。愛する女の命を救えなかった苦しみを、静かなたたずまいのうちに見せる。宙組トップスター真風涼帆の真骨頂である。カタリナも耐える。喪服姿に心を秘めて、多くを語らない。邪な思いを寄せられても、女の身で宿屋を気丈に切り回す。これまた宙組トップ娘役星風まどかに実に似合う役である。――そして、非常に興味深いのが、芹香斗亜演じるアレハンドロの存在である。彼はどこか飄々とした傍観者である。貴族の息子に生まれながら、剣術学校で剣士として修業することに価値を見出し、そこで、切磋琢磨する友も見つけた――その友こそが、カタリナの亡き夫である。女に惚れて宿屋の主人に収まるという友の生き方を、アレハンドロは「馬鹿げた話」と一蹴する。だが、旅から久々故郷に戻ってみると、友はすでにこの世に亡い。亡き友の妻カタリナを、「いい女」「いっそ俺が、とも考えた」とは言うものの、「俺よりも女の助けになりそうな奴が現れた」と、あっさり治道に譲るアレハンドロ。――アレハンドロ。ドン・フェルディナンドの農場で違法に働かされていた女奴隷たちの解放の戦いを支え、治道とカタリナを結び合わせ、そして、おそらくは独りで、またどこかへと旅に出て行ってしまうような、自由に浮遊する魂。その、愛の置き所は――? 彼のその後を夢想せずにはいられない。
 世界に在って、己の剣を、芸を、ただ恃みに、闘うこと。鋭い刃をもって、その人生を美しく、あざやかに切り拓いていくこと――これは、そのような生き方を選んだ人々への、熱きエールの物語である――ハッピーエンドであるところも好きである。この舞台を観たとき、――ここ最近、心の中に生まれたひそかな夢、成就を見届けたいとの夢は、きっと叶う、そんな身震いが我が身に走った。――そして、こうして書きながら、微苦笑をも浮かべつつまた身震いせざるを得ないのは、私の文章を通じて、この物語が、舞台を観ることが叶わなかった人へも伝わっていく、伝えられていくことへの熱望、希求を感じてやまないからである――我が身はここに、美の創り手と、美の創り手とをつなぐ、シナプスのようなものである。そのシナプスとしての役割をあくまで自発的に果たすべく仕向けられていることに、役割を果たしながら驚嘆せざるを得ない。プリズムの如き、インスピレーションの乱反射。
 ――そして、この作品を観ながら、かつて、同じ大野拓史の演出作品、日本物作品の舞台上で、本物の殺気を感じたことを思い出さずにはいられなかった。――あの殺気はいったい、何だったのだろう。あのとき、確かに言語化できていたら、何かが変わっていただろうか。…わからない。歴史に”if”がないように。けれども、今、私にとって確かなことは、その殺気を感じ、記憶として宿している人が、私の他にもこの世に存在しているということである。

 ガウン風の襟が特徴的な衣装をまとった真風涼帆がグラスをくゆらせ、舞台後方のバーカウンターをひらりと飛び越えて、宙組生たちが次々と舞台前方へと押し寄せてくる。ウィスキーをテーマにした『アクアヴィーテ(aquavitae)!!〜生命の水〜』は、そんな躍動感あるオープニングが実に印象的である。『Cocktail―カクテル―』『Apasionado!!』『EXCITER!!』といったヒット作を連発してきた藤井大介の作風は、やんちゃで元気いっぱい、それでいて、どこかねっとりとしたかわいさがアクセントとしてしっかり効いていることを、今回の作品で改めて感じた。それが如実に現れているのが、男役が“女装”で魅了する場面である。ポワントで踊りまくる実羚淳。中詰の和希そら。真風とタンゴに乗ってデュエットを繰り広げる秋音光――どの場面もこってり、クセになる。“女装”といえば、芝居作品では農場主ドン・フェルディナンドを悪の色気たっぷりに演じ、ショーでも錬金術師としてあちこちの場面に姿を現す英真なおきが、中詰めではドレス姿で登場するのも楽しい趣向。その様を観る者もまた、性の軛を自由に逸脱することができる。宝塚のその愉悦。
 CMソングとして名高い「ウィスキーが、お好きでしょ」を、真風涼帆、芹香斗亜、桜木みなとの三人が、客席降りし、客席への語りかけを交えながら歌うシーン。――遠くから聞いているだに照れまくってしまうほどに甘々な言葉を客席間近で真向から決められるのは、この世に宝塚の男役くらいしかいないのでは〜? と思ってしまう。そして、「♪105年熟成された水 飲み干してやる」と、主題歌「アクアヴィーテ!!」の歌詞は大変元気がよろしい。105年熟成された水――105周年を迎えた宝塚。一握りのモルトがアクアヴィーテ――命の水――へと熟成されていく様を描く大ダンス・ナンバーでは、この公演で退団する星吹彩翔、桜音れい、愛咲まりあ、実羚淳への餞のくだりもある。これまで入団し、宝塚に日々を捧げてきたタカラジェンヌ全員が、105年熟成された命の水の源である。
 宝塚では、女性がすべての役を演じる。その上で、男性スタッフの存在、その眼差しの意味について、改めて深く感じ入った今回の二本立て公演だった。「♪男と女が溶け合い 愛が踊るよ」と、ショーの主題歌でも歌われている。――女と男が深く分かち合うことのできる夢の世界、宝塚歌劇。
2020-02-16 02:22 この記事だけ表示