石川さゆりの「能登半島」、二番の設定の方が歌が心にしみた&彼女の新たな一面を見た思い。本人作詞の「しあわせになりたいね」では、ギターの音色に乗って、ささやかな幸せを求める心情が切々と響いて。『麒麟がくる』での活躍も楽しみにしています。北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」を、私は生まれて初めて聴いたのですが、壮絶! 半世紀前の時代の青春。女の情念、色気、凄み。ド迫力。水森かおりはシュガーの「ウェディング・ベル」(せつなさただよう澄んだ歌声)&「夫婦坂」を歌い継ぎ。生田絵梨花は、ジュジュンと「美女と野獣」をデュエット。まっすぐな歌が歌える人である。May J.と小坂明子の「あなた」をデュエットした田村芽実は、平成生まれとは思えない昭和感が濃厚に。
2020-03-31 21:10 この記事だけ表示
 毎日散歩して愛でている近所の桜もそろそろ満開となってきました。きっと、母校成蹊学園でも、桜が美しく咲いていることでしょう。
2020-03-24 23:57 この記事だけ表示
 掲載されています。

https://spice.eplus.jp/articles/262178

 一昨年、宝塚宙組で『WEST SIDE STORY』の演出・振付を担当されたときのお話も。ベルガッセさんのダンサーとしての引退公演『ムーヴィン・アウト』、今も心にあざやかに刻み込まれている作品です――取材でトロントまで観に行ったことが懐かしいです。
2020-03-24 23:57 この記事だけ表示
 まなざしもきりり、幼い子供ながらも政治情勢を冷徹に見極めている松平竹千代(後の徳川家康)役の岩田琉聖の演技が◎。
2020-03-22 23:29 この記事だけ表示
 ビターな物語の中で、さまざまに複雑な心情の旅路をたどりながら、ラストの銀橋での表題曲の歌唱で、慈愛すら感じさせたヌードルス役の望海風斗。表社会の陰影としての裏社会に生きる男マックスを演じて気骨のあるところを見せた彩風咲奈。裏社会と裏で手を組みながらも、自分は清廉潔白であるとしれっと言い逃れるジミー役の彩凪翔の役者魂にしびれた。
2020-03-22 23:28 この記事だけ表示
 小池修一郎が宝塚で『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の舞台化に挑むと知ったとき、…彼がこれまで手がけてきた宝塚の舞台の中で、作品へオマージュを捧げたと思しきシーンの数々が心に甦った――彼のこの作品への思い入れは、つとに知られるところだった。念願叶って、遂に作品そのものに取り組むことになったのだ…と思った。その意味で、今回の雪組公演は、小池修一郎の原点回帰シリーズなのである――シリーズ前作は、30年あまり舞台化を夢見た後、2018年に実現した花組公演『ポーの一族』である。『ポーの一族』『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』と、小池修一郎が舞台化の夢を叶えた二つの作品の主演を務めたのが、明日海りお、望海風斗と、89期として切磋琢磨してきた二人の男役トップスターであったことを、非常に興味深く思う。
 3月9日の項で記したように、私は、原作映画について知りながらも、これまで観る気になれないでいた。そして、雪組公演にふれたことをきっかけに、遂に鑑賞することとなったわけだが、――作中の数々の暴力シーンの中でもっとも衝撃的だったのが、ロバート・デニーロ演じるユダヤ系ギャングのヌードルスが、子供のころから想いを寄せてきた幼なじみで女優のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)を、ドライバーが運転中の車の後部座席でレイプするシーンである。お互い、憎からず思っている。けれども、女優としてのさらなる飛躍を目指すため、地元を離れるというデボラに対し、ヌードルスはかような手段に出る――嫌がっている相手に対してそういうことをして、はたして、それで、想いを遂げたということになるのだろうか…。後部座席で繰り広げられる蛮行に怒り、ヌードルスを車から降ろして金を受け取らずに去っていくドライバーに、私は拍手喝采を送りたい。
 そこが。宝塚版では、一幕ラストのクライマックスの場面となる――そして、宝塚版では、ヌードルス(望海風斗)の手からデボラ(真彩希帆)は逃げ去り、蛮行は成立しない。彼女のために深紅のバラで飾り立てた部屋に取り残され、ヌードルスは一人、激情を爆発させて絶唱する。――幕切れ。
 …これなら、男の気持ちもわかる…と思ったのである。“通訳”されている。そこまでして、愛する女を手に入れたかった気持ち。愛が拒絶されたときの心情。伝わらないもどかしさ。やるせなさ。絶望。行き場のない想い――。

 宝塚版では、映画版より、ヌードルスとデボラの叶わぬ恋に焦点が当てられている。そして、デボラは、映画版よりさらに明確にショービジネスのトップを目指す人物として描かれている。彼女はブロードウェイでスターとなり――大階段を埋め尽くす巨大なスカートの衣装できらびやかなショーの芯を務め――そして、映画界での成功を夢見てハリウッドへと旅立つ。しかしながら、自分を見出してくれたプロデューサーとの恋に破れた彼女は、途中で女優を引退し、ボランティア活動に勤しむこととなる――映画版のデボラが舞台に立ち続けているのとは異なる展開である――。そして、ヌードルスとデボラは、彼女がボランティアで訪問しているサナトリウムで、25年ぶりに再会する。――私は、このサナトリウムのシーンで、小池修一郎が手がけた最大のヒット作『エリザベート』において、皇后エリザベートが精神病院を訪問する名場面を思い出さずにはいられなかった。
 『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の原作映画自体、主人公ヌードルスが追憶するさまざまな過去の時代と、現在とが、重層的に交錯する作品である。――そして、宝塚版において、歌劇団理事としての立場で手がける最後の作品において、座付き作家自身も、過去の自分を、自分が劇団においてこの年月に生み出し世に送り出してきたさまざまな作品を、追憶している。そして、その追憶がまた、観る者の追憶をも促す――追憶の、連鎖。
 ――夢見たすべてを叶えることのできる人生が、この世にはたして存在するだろうか。さまざまな夢を、期待を抱き、ときに実現し、ときに裏切られ、そうして人の生は日々積み重なっていく。
 映画版において、ヌードルスに対してギャング仲間のマックス(彩風咲奈)が抱くのは、ほとんど恋にも近い感情である。ラスト近くでの対峙で、お前になりたかった、とマックスはヌードルスに言う。そのため、お前の女も盗んだ――と。一方、宝塚版では、自分を銃で殺してくれとのマックスの願いをヌードルスが拒絶するところまでは映画版と同じだが、その後のヌードルスの告白の方がより印象的である。自分という人間が同じ時代のアメリカに生きていたことを覚えていてくれと、ヌードルスは言う。そして、銀橋で、表題歌を歌い上げて、幕となる。――『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』。昔々、どこかの場所で――。
 関わるさまざまな立場の人間の生を飲み込んで、106年もの間、存在し続けてきた宝塚歌劇団。その歴史の長さと、重みを思う。

 太田健の音楽が実にかっこいい。そして、追憶を促す上で大きな役割を果たす――私がとりわけ強く思い出したのは、小池&太田コンビが生み出した『カサブランカ』『オーシャンズ11』といった傑作群である。宝塚版の特色として、マックスの情婦キャロル(男役の朝美絢がコケティッシュに造形)を、マックスが経営する潜り酒場のスターに設定、彼女が歌うショーのナンバーが物語の展開上も大きな役割を果たすという構成が挙げられるのだが、その際繰り広げられる楽曲は、ジョン・カンダー&フレッド・エブのコンビが送り出したブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』『シカゴ』の世界を思わせる。
 そして、小池演出と望海風斗の演技は、映画版でロバート・デニーロが発揮した男の魅力を実に細かくすくい上げていく。目線。仕草。望海は、デニーロは演じていない少年時代から役を造形し、そして、持ち前の歌唱力でその心情を爆発させる。――望海風斗が、座付き作家の長年の夢を託されるにふさわしい男役トップスターへと成長したことが、心からうれしい。その舞台姿に見えるのは、宝塚の男役という存在が秘めた無限の可能性をどこまでも信じる、無垢かつあくなき探究心である。その心なくして、夢は体現されることはなかった。
 宝塚版のデボラもまた、芸の道を一筋まっすぐに歩む娘役トップ真彩希帆にふさわしい役どころである。ひたむきにショービジネスのトップを目指す姿が、一縷の嫌味もなく清々しい。彼女の歌声には、聖性がエロスに転じるぎりぎりの間(あわい)を無意識に衝いてくるスリリングさがある。
 マックスを演じる彩風咲奈は、役柄の後ろ暗さを男役の魅力にきちんと転じており、一時期のスランプを脱したことが喜ばしい。実在の人物がモデルとなったジミーを演じる彩凪翔は、その役者としての安定した力量で、舞台をぐっと引き締める。真那春人の細かな目の動きに、役名コックアイの意味“斜眼”に思い至り。デボラの兄ファット・モー役の奏乃はるとは、確かなセリフ回しで物語の狂言回し的役どころを務める。
 今回の“心のキャラ”は、ヌードルスたちギャングが押し入る宝石店のマダム、ジュリーを演じた杏野このみ。映画とはだいぶ異なる味付けがなされている役どころだが、彼女のコメディエンヌぶりが活き、清涼剤となっている。客席に対し実にさわやかにしかしぐいぐい迫ってくるところが魅力の、長身の娘役である。

 この公演で退団となる舞咲りんは、少女時代のデボラにバレエを教えるシュタインを演じ、厳しい先生ぶりを発揮。それと同時に、ブロードウェイのショーの場面の出演者、全米運送者組合のストライキの場面の労働者、会見の場面での記者等、さまざまな場面に登場、そのたびに強烈な生のエネルギーを放ってきて、どこにいてもすぐわかる。フィナーレのダンス・ナンバーも然り。――彼女はその宝塚人生において数々の名演を見せてきた。そして、ここで縁が終わる気がまったくしない。また劇場で会いましょう。
 サナトリウムのシーン、院長として登場する早花まこは、…実に興味深い印象を与える娘役である――本体とおまけとがあるとして、こちらの方が大きいから本体かな? と想像していたら、実はおまけに見えていた方が本体だった…というような。今回の舞台で、ひときわその印象を強くした。最近の舞台では、要所要所で「、」のようにガツンとアクセントを効かせてくる、『ハリウッド・ゴシップ』のダイナーの女主人役が心に残る。彼女は「歌劇」誌で長年「組レポ。」のコーナーを担当していたが、…いったいどうやってこんなにおもしろいネタを拾ってくるんだろう…と、物書きとして非常に興味そそられていたことだった。

 2020年3月22日。――無観客にならなくてよかった。千秋楽の舞台、お茶の間で見届けます。
2020-03-22 01:50 この記事だけ表示
 ラスト・ナンバーは関ジャニ∞の「友よ」。ジャニーズ事務所を背負っての気合&関西人ならではの気骨を感じる歌唱。揺るぎない方向性を示した安田章大の姿に心打たれた。三時間の番組の見事な締めくくり!
2020-03-21 22:09 この記事だけ表示
 WANIMAの「春を待って」。番組タイトル「春は必ず来る」にぴったりの曲。祈り込められた演奏に、涙。
2020-03-21 22:08 この記事だけ表示
 前半、アカペラで聴かせる森山直太朗の「さくら(独唱)」。――咲き誇る花。浮かぶ笑顔。私の大切なもの。大切な人たち――。
2020-03-21 22:00 この記事だけ表示
 城田優がジェジュンと「レイニーブルー」をデュエット。情感、しっとりと…雨に濡れた仔犬をなでているような。
2020-03-21 21:30 この記事だけ表示