ますますパワーアップした舞台をENJOYしました〜。いっぱい笑って最後はホロッ。
 2019年に公開された映画『記憶にございません!』(脚本・監督:三谷幸喜)を原作に、石田昌也が潤色・上演台本・演出を担当した『記憶にございません!−トップ・シークレット−』。三谷幸喜はニール・サイモン作品をたびたび演出しているが、石田昌也も『おかしな二人』『第二章』を手がけた経験がある。三谷自身はこの映画について「決して政治風刺がテーマではありません」と公演プログラムで述べているが、この5年間の社会情勢の変化も受けてか、宝塚版、政治風刺マシマシ気味である。第一場、街路に集った群衆が政府への愚痴を口々に歌い(「♪小さな夢は 小さな夢は ポイント貯めるだけ〜」に爆笑。貯めてます)、声を重ねて「♪こんな国に 誰がした」とリフレイン、登場した主人公の総理大臣黒田啓介(礼真琴)を「アンタだ!」と一斉に指差すと、「え、俺?」と啓介。そこに、組閣時の記念写真の撮影場所風に赤絨毯が敷かれた大階段を政治家とその取り巻きたちが降りてきて、啓介と共にキラーチューン「献金マンボ」を華麗に披露。「♪猿は木から落ちても猿だけど 政治家は 選挙に落ちたら ただのひと」と歌う啓介の目つきがめっちゃ悪い。そして、総理秘書官なのになぜか一緒に赤絨毯の大階段を降りてきて無表情メガネ姿でキレッキレにコミカルな踊りを見せる井坂(暁千星)。この前の公演『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』ではマリー・アントワネットが昇っていく処刑台に見立てられていた大階段、さまざまなものに見立てられるものである。そして、啓介が妻聡子(舞空瞳)と不倫していた井坂を許す場面は、その『ベルサイユのばら』においてルイ16世が妻マリー・アントワネットと不倫していたフェルゼンを許している様を思わせる。全編を通して、演出家の現状認識の鋭さと、それでも明るい未来を見据えようとする姿勢を感じた。
 映画版では三谷作品におなじみのオールスター・キャストのコメディ演技が見ものだったが、宝塚版でも星組の個性の強い面々が大暴れ。啓介とその妻聡子と共に、オリジナルの回想場面で学生服、そして髪フサフサの姿を披露した“小野田っち”こと小野田治(ひろ香祐)。官房長官鶴丸大悟役の輝月ゆうま(専科)は、映画版とは異なるエンディングのキーとなる役どころを、キュートな愛嬌と共に怪演。啓介に石を投げた大工の南条実役の輝咲玲央が自身の職人気質を時代遅れだと自嘲するとき、物作りに賭けてきた人間の矜持がにじむ。啓介と野党困民党党首の山西あかね(小桜ほのか)、聡子と井坂、二つの不倫カップルの恋模様が舞台を区切って同時展開されるシーンのナンバーはその名も「W不倫」、「♪アナタとワタシが 連立 合併」の歌詞が妙に残るが、小桜も、映画版からさらに味付けされた役どころでいい女ぶりをアピールした。極美慎も、金で動くフリー・ライター古郡祐役を憎めない甘い魅力で造形。

 アルゼンチンのグアレグアイチュで開かれるカルナバルがテーマとなった『Tiara Azul−Destino−』は、竹田悠一郎の大劇場演出家デビュー作。宝塚のラテン・レビューの系譜も踏まえた作りで、イギリスのニック・ウィンストンが振付を担当した場面も作品を華やかに盛り上げる。『記憶にございません!』がかなり攻めていただけに、さわやかな後味◎。暁千星が、恋に破れた心情を表現する場面で、今この一瞬に至るまでの生を燃焼しつくすような踊り――最終的に表れるのは生の歓びとしか言いようのないものなのだが――を見せた(振付:西川卓)。極美慎の銀橋ソロ歌唱ににじむ決意。

 普段、トップスターやトップ娘役が退団を発表すると、その会見をすぐさまチェックするのだけれども、舞空瞳については、……できなかった。ガビーンと来てしまって。何も彼女が宝塚でやり残したことがあると思っているわけでもないし、退団後の活躍を観るのも楽しみだし、いったいどうしてなんだろう……と思っていたのだけれども、今回の舞台を観て腑に落ちた。それくらい、礼真琴、舞空瞳、暁千星の星組トリデンテ(全員、首席入団)は観ていて爽快だったのである。今回の二本立てにおいては、礼&舞空のトップコンビのパートナーシップがよりクローズアップされ、二人が演出家たちの思いに応える舞台を見せた。『記憶にございません!』の終盤、宝塚オリジナルの場面で、啓介が記憶を失っていたことを初めて知った聡子は、「なにもかも忘れちゃったの?」とジェスチャーと共に矢継ぎ早に質問を繰り出す。ここで出てくる問いはすべて、二人がトップコンビとして共に創り上げてきた数々の舞台についてのものなのである。とぼけていた啓介が最後に「記憶に…ございます!」と言い、涙目になっていた聡子が笑顔を浮かべるとき、二人が創り上げてきた舞台を見守ってきた観客の記憶もまた幸せなものとして肯定される。
 そして、『Tiara Azul−Destino−』での二度のデュエットダンス。礼と舞空は、まずは裸足で、舞台上を自由に伸び伸びと舞う(振付:西川卓)。二人がトップコンビとして至った境地である。大階段でのデュエットダンス(振付:若央りさ)の最後では、銀橋上、礼が舞空の頭にティアラを載せる。舞空瞳は、クイーンだってできる人なのである。でも、宝塚のトップ娘役としては、プリンセスだと思うんだよね! なる美学を全うするかのように、プリンセスとして戴冠して退団していく――それも礼の手によって――というところが、何だかとても、らしい。今回の公演でも味わえたけれども、ファンキーな魅力は今後ますます発揮され得るものだと思う。ファンキー・プリンセス舞空瞳、どこまでも高く羽ばたいてゆけ。
 紅咲梨乃は、5月の舞空瞳ミュージック・サロン『Dream in a Dream〜永遠の夢の中に〜』での『THE SCARLET PIMPERNEL』「あなたを見つめると」の歌唱が印象に残っている。『記憶にございません!』では熊本のご当地アイドル「田原坂46」のメンバーとして人々に投票を促す歌唱を披露。水乃ゆりはニュースキャスター近藤ボニータ役で黒田内閣批判コメントの数々をスパイシーに繰り出した。
 千秋楽ライブ配信、観ます。
 最初に舞台を観たとき、何だかピキピキするものがあって、……あれ、楽しいのになんでか笑えない? あ、そうだった、と思い出した。

 4月のある日曜日、夫から自宅に電話がかかってきた。
「僕ね……、交通事故に遭ったみたいなんだよ……」
 は? 遭ったか遭ってないかなんで曖昧? あわてて自宅から1分の四つ角に駆け付けると、救急車の中に夫が横たわっていた。血染めのシャツ、血染めのズボン、折れた傘。前後の信号と連動していないため、日頃から信号無視が多く、危ないなと感じていた場所だった――ほぼ毎日誰かが赤信号を通り抜けていく。そこでバイクにはねられたという。意識はある。でも、記憶が飛んでいる。
「僕……、何してたんだっけ?」
 散歩! 散歩に行ったの。「すぐ戻ってくる」と言った割には戻りが遅いなと思っていた時分。「財布がないとおっしゃってますが」と警察官。いや、それは家に置いてあります。すぐ戻ってくるつもりだったから。
 搬送先がなかなか決まらない救急車の中で、夫の記憶を何とか呼び覚まそうと会話を続ける。その前、何してたか覚えてる? 「えーっと、昼ご飯食べた」その後は?「阪神戦観てた」それから? そこから先が思い出せない。困惑した表情で横たわっている。私の顔を見た瞬間から後は、記憶がはっきりしたと言うのだけれども。搬送先がようやく決まり、救急車が走り出してからも、夫は「何してたんだっけ?」と問いかけを繰り返す。やりとりを続けるうち、少しずつ記憶が甦ってきた。急いでいたけれども、赤信号が青信号になるのをきちんと見届けて、渡り出した。そこまでは思い出した、と。
 幸い大事には至らず、一日入院しただけで自宅に戻ることができたのだけれども、その後一カ月くらい、だるそうにソファに横たわっていることが多かった。そして、今日に至るまで、事故に遭った瞬間の記憶はないという。事故については、きちんと信号待ちをしていた車の運転手の方が警察に通報し、ドライブレコーダーも提供してくださったおかげで、夫には過失が一切ないことが証明された。でも。そういう親切な方がいなければ、そもそも周囲に誰もいなければ、事故に遭った本人の記憶が飛んでしまった場合、いったいどういうことになるんだろうか。