レイモンド・ウッドロウを取り巻く人々〜宝塚星組東京特別公演「ヘイズ・コード」・その2[宝塚]

 「ヘイズ・コード」に登場する人々は、主人公レイモンド・ウッドロウをはじめ、みんなひとくせもふたくせもある人間ばかりである。だが、そうでなければ、人間の内なるコードをテーマとするこの作品は成立しない。今回はたまたまウッドロウという人物を主人公に据え、その人間的成長を描いているだけの話であって、どんな人間の心の内にもコードは存在しているものなのである。そのことを、それぞれのキャラクターの個性の違いによってきっちり見せないことには、一人の風変わりな人物の特殊な物語を面白おかしく描くだけに終わってしまう。プログラムに一人ひとりの人物説明がきっちり書かれていることからも、作・演出の大野拓史の、キャラクター設定への深いこだわりがうかがえる。
 それぞれに個性豊かな、つまり内なるコードを抱えた人々が登場し、さまざまな事件が起きる。しかし、一人として根っからの悪人はおらず、誰も不幸になることなく大団円が訪れる…という物語は、“清く正しく美しく”を標榜する宝塚に実にふさわしい。そもそも、この世に根っからの悪人などいない…という、多くの人々の心の奥底のどこかにひそむ願いを舞台上において実現してくれるところに、宝塚歌劇というメディアの特性がある。そして、出演者全員の力演によって、「ヘイズ・コード」は、“清く正しく美しく”を、決して表層的ではない、深い部分で体現する作品となり得ている。

 遠野あすか演じるヒロイン・リビィは、明るく無邪気で気が強いが、実はその裏にせつなさ、さみしさを隠したキャラクターである。ウッドロウに想いを打ち明けられ、これまではくじけそうになると星空に誓っていたけれども、明日からはあなたがいる…とその心情を吐露する場面のいじらしさ。遠野の持ち味たるこのせつなさあってこそ、男役・安蘭けいの包容力が生きる。
 ウッドロウを限りなく深い友情で支えるのが、幼なじみで、プリンストン大学で共に演劇を学んだ親友、映画監督のラルフ・カールトンである。カールトンが、演劇への情熱を心に燃やしていたかつてのウッドロウの無邪気さは未だ失われていないと信じ続けることがなければ、ウッドロウとて自分を取り戻すことはなかったかもしれない。そのカールトンに扮した立樹遥のここ最近の成長の著しさには目を見張るものがある。役柄を分析し、自分の個性とすり合わせるコツを遂につかんだようで、その結果、持ち前の大らかな魅力、明るさが今回、包容力へと進化を遂げ、深みある人物像を造形することに成功している。ウッドロウが少しずつ素直な自分を取り戻してゆく様を目撃した瞬間の微笑みの温かいこと。こういう素敵な友人がいるからには、主人公は魅力的な人物なのだろうな…と思わせる、主人公の格、男っぷりを上げる親友役を演じることのできる人材は貴重である。

 人間の内なるコードがテーマとなっている以上、今回の作品のキーパーソンとなるのが、“ヘイズ・コード”の遵守を司るPCAでウッドロウの上司を務めているオリガ・ウスペンスカヤと、米国聖公会のコリン・ホワイト牧師である。
 かのメイエルホリド(!)に女優として育てられたという設定のオリガは、ロシアからアメリカに渡り、プリンストン大学で演劇を教え、その後、PCAの幹部に転身したという経歴の持ち主である。異国人であるため、常にアメリカへの愛国心を示さなくては疑われる…と語る彼女は、さまざまな外的、内的コードの存在と虚しさ、それが時の状況、支配者の気まぐれ等々によっていかようにも移ろうものであるという事実を、哀しみをもって知っている。そして、かつての教え子であるウッドロウとカールトンに、だからこそルールを逆手に取る術を身につけなくてはならないのだと折にふれて示し続ける。ウッドロウのいわば生涯の恩師ともいうべきこの存在を、万里柚美が人生の先輩たるにふさわしい大きな優しさをもって演じている。いかにも元女優らしくゴージャスに装い、エスコート役の美青年を常に物色している風なのに、この人にかかれば決して下品には見えないのが強みである。
 一方、催眠術をそれとは知らず使用し、人々の真実の心を明らかにして周囲を大混乱に陥れるのがコリン牧師である。あるいは、彼が催眠術を使うことがなければ、ウッドロウも自分の心に気づくことはなかったのかもしれない。どう考えても催眠術でしかないのに、それを神のみわざと信じてしまっている時点で実はとんでもない大ボケキャラなのだが、もしかしたら何か企んでいるのかもしれない…と多少なりとも思わせた方が観客の楽しみが倍増する、それだけに見せ方が非常に難しい役柄を演じて、にしき愛が芝居巧者ぶりを発揮している。
 設定上、演じ方によっては悪役にも転びかねないキャラクターを絶妙なバランスで見せているのが、ウッドロウに心を寄せる令嬢役の琴まりえと、彼女の父親である上院議員役の専科の磯野千尋、そして彼に雇われる私立探偵役の紫蘭ますみである。ヒロインの恋のライバルである思い込みの激しいお嬢様キャラに、琴は、やりすぎない戯画的演技でかわいらしさ、上品さを残す。そんなかわいい娘のためならどんな手段を使っても…というちょっと怖い裏の顔が、娘へのその深い愛ゆえに蕩ける瞬間のおかしみを体現して、磯野が見事である。「悔い改める」とセリフで説明される紫蘭の場合、その場面が実際に登場するわけではない。だが、誰が雇い主だか吐かせようとウッドロウがコリン牧師に催眠術をかけさせようとする、その瞬間の「催眠術?」というセリフのトボケ具合に善人さを感じさせることで、後のセリフでの説明に巧みにつなげている。
 個性あふれるキャラクターを憎めない人物として描き出しているのが、ちゃっかり者の映画スタジオ所長役の一樹千尋、ウッドロウの親戚筋で遊び好きのお坊ちゃま役の涼紫央、その姉でウッドロウの兄に嫁いでいる文化財団理事長役の南海まりである。窮地に追い込まれて泣き崩れたり、物事が上手く行きそうと見るや笑顔を見せたり、一樹の、この人にしか出せない調子のよさが実に楽しい。「できればギャラを払いたくないんです〜」と、催眠術にかかって打ち明けてしまう場面のおかしいこと。最近ボケキャラに新境地を見出しつつある涼は、それほどしどころが多いわけではないお坊ちゃま役を、場面場面を大切にすることできっちり成立させている。享楽的な性格とはいえ決して嫌味に見えないのは、涼の持ち味によって、どこかいつも折り目正しさと繊細さが添えられているからだ。その涼と大ボケ姉弟としていい味を出しているのが、今回、名コメディエンヌぶりで魅せる南海である。牧師の催眠術にかかって真面目一本槍のはずの夫への疑念を口にし、浮気相手と目される秘書の口紅の銘柄を叫びながら猛スピードで後ずさりしていく大爆笑シーンは、この作品の名場面の一つである。
 気のいい俺様ぶりが何ともかわいらしい、映画の主演俳優役の麻尋しゅん。内気なメガネっ子の、催眠術やお酒の力で出てしまう地とのギャップがコミカルなスクリプター役の彩愛ひかる。古き良きブロードウェイ・ミュージカルにはつきもののちょっとオフビートな女優役をコケティッシュに見せる星風エレナ。ロサンゼルス市長選へ打って出ようとしているウッドロウの兄役で、弟とも大いに通じる正義漢ぶりと長子らしい如才なさとを示しつつ、妻と愛を確かめ合うシーンではイチャイチャ、バカップルぶりで大いに楽しませてくれる祐穂さとる。こういう風に何かと苦労を背負い込みがちなおじさんっているよなあ…というリアリティあふれる撮影所の制作補佐役を、似合いの極太もみあげ姿で演じる美城れん。監督の代わりを務めることとなった瞬間の声のうわずりが絶妙な、少々頼りない助監督役の銀河亜未。レヴュー・ガールの一人で、ヒロイン・リビィのしっかり者の親友としてキュートな魅力をふりまく華美ゆうか。上院議員の裏の顔を知る秘書を演じてキレ者ぶりをうかがわせる一輝慎。名前を挙げなかった者も含め、最下級生に至るまでのすべての出演者が、それぞれの役割をきっちりと果たす、芝居心を大いに感じさせる舞台を見せて、作品世界を支えている。

 それにしても、「psiko」1月号の紹介記事にも書いた通り、昨年五月にブロードウェイでミュージカル「パジャマ・ゲーム」を観て、「こういう楽しい作品を宝塚でもぜひやってほしい!」と思った身としては、そんな願いが新年早々叶えられて、人生、いろいろ思ってみるものだなあ…と感じる次第である。まずは、宝塚歌劇の特性を信じ、これを生かした作品を創り上げた大野拓史の次回作に大いに期待するものである。“ヘイズ・コード”のもとで、誰にでも楽しめる作品を…と映画創りへの愛を歌うテーマソングにも仮託されているところだが、この「ヘイズ・コード」という作品そのものが、“すみれコード”なる不文律があるとされる、すなわち、女性が男性の役柄を演じることも含め、さまざまな制約が多いとされる宝塚において、制約とされるものを生かし、ときには超え、ときには逆手にとって、出演者と共に観客を楽しませる舞台を創り続けてゆきたいという、大野のひそやかな矜持あふれる表明に他ならないのだから。そして今回、揃って好演を見せた出演者一同に、その力量を存分に発揮できる作品が与えられんことを願っている。