緻密に薫る男役の美学〜宝塚星組・涼紫央[宝塚]
 知的な男役である。舞台上で与える印象がそうであるだけでなく、台本の読みもシャープで、役作りの方向性もその深化の度合いも実に的確。その才知で、見どころの多い舞台を続けている。
 「シークレット・ハンター」東西大劇場公演で演じたマックスは、自国のプリンセスの替え玉を大泥棒に盗み出させることでプリンセス暗殺の計画を防ごうという大芝居を、国王の総指揮のもと、自らも重要な役柄を演じながら巧みな演出で打つという役どころだった。プリンセスを盗み出させる船上パーティでの場面、会場を見渡し、すべてが彼の手のうちにあると客席に気づかせるその姿に、芝居の全体、大局が見えているからこその知的な役の造形なのだなと感じた次第である。
 今回の「エル・アルコン−鷹−」で演じている陸軍大佐エドウィン・グレイムは、主人公ティリアン・パーシモンにフィアンセ・ペネロープ嬢を横取りされる。海軍提督の令嬢であったペネロープとの婚約は、エドウィンにとって出世をも意味していたが、恋も手にしかけた権力も奪われ、しかも当のペネロープは利用され弄ばれた挙句ティリアンにあっけなく殺されてしまう。愛するペネロープの仇を取ろうと、エドウィンは復讐に燃える――という設定ではあるのだが、登場シーンも役の書き込みも少なく、最終的に何かを成し遂げることもなくフェード・アウトしてしまう按配である。なまじの演技力では、いったいこの役は何をしに出てきたどういう人間なのだろう? との疑問を観客に抱かせかねないところ、少ない登場の中でその人間像にきちんと一貫性をもたせている。それどころか、いかなる背景をもつ人物で、物語の後はいかなる人生を送るのだろう――と観る者の想像力を大いにかきたてるという意味では、短い出番を逆手に取る好演である。舞台に描かれない役柄の“余白”の豊穣さを感じさせる役者である。
 「エル・アルコン」に出てくる男たちはみな野望や復讐、友情に燃えていて、恋が描かれてもあまり甘いムードとはならないのだが、そんな中、涼演じるエドウィンがもっとも、いわゆる宝塚のラヴ・ロマンスのロマンティック・ヒーローたりえている。あまりにあっさりティリアンに殺されてしまうペネロープの運命は哀れを誘ってならないが、そのペネロープに、こんなにも愛を注いでくれる男性がいたのだ……と思うとき、観客はどこか救われる。悪がヒーローに設定されているこの作品では、周囲のキャラクター配置も多分にイレギュラーなものとなっているが、己の美貌と才覚で名家の令嬢を手に入れ、楽して出世しようとしていたお坊ちゃん気質の男が、恋人を奪われ、己の内にある愛に気づいて人間として成長を遂げる……という、エドウィンを主人公にした物語をひねり出すことも十分可能である。
 そんなことを考えてしまうのも、涼紫央が、“白”の魅力をたたえた宝塚の正統派の系譜に連なる男役だからなのだと、東京公演で改めて気づかされて、目を拓かれる思いがした。正統派中の正統派たる男役というのは実はそう多くはない存在である。男役とは何も、正統派と個性派とに大別されるわけではなく、正統派とは、確固たる“白”の個性をもった男役にのみ与えられるべき称号だからだ。例えば、下級生に候補となりそうな者はいても、明らかに正統派であるとはっきり断言できるのは、全組見渡しても瀬奈じゅんを筆頭に何名いるか。星組では涼と、意外と言っては大変失礼かもしれないが、にしき愛が正統派男役の系譜に属する存在である(“正統派男役”についてはいずれ瀬奈じゅんの項できちんと論ずることにしたい)。
 正統派の中でも、その根本となる“白”を引き立てる要素がいかなるものであるかによって個性が異なってくるのだが、涼の場合は、前述したように、知性と、宝塚の男役の美学への微細を穿ったこだわり、そして、濃厚さと爽快さのえもいわれぬ共存である。黒燕尾服の着こなしやリーゼントの具合、その踊りの際の肩や腕のラインの微妙な角度、ソフト帽の被り角度、和物の若衆姿の立ち姿、宝塚の男役の表象の表現において、研究に研究を重ね続けていることを如実に感じさせるその舞台姿からは、上質の石鹸をきめ細かく泡立てたときにのみ可能になるような、緻密な男役の美学が薫り立つ。そうして体現しようとしている男役像は相当に濃いものであるのだが、本来の持ち味が非常にさわやかなため、濃厚に見えてさっぱり、それでいてやはり濃厚という、まるで実際口に運んでみるまで想像もつかない滋味のようなのが、実に興味深い。今回の「レビュー・オルキス」でも、一場面、艶やかな女役姿で登場するが、清潔感のある色気が少女のような魅力を感じさせる。
 今回の「エル・アルコン」ではあまり腕の見せどころがないのが残念だが、役者としては、繊細な人間関係を表現でき、コメディも大いにいける多才な人材である。「シークレット・ハンター」の博多座公演で、涼は、東西大劇場公演では柚希礼音が扮した主人公ダゴベールの親友セルジオ役を演じた。柚希が、ダゴベールに父性愛にも似た包容力を発揮する人物としてセルジオを演じたのに対し、涼は、ダゴベールに対して友情以上愛情未満の感情を抱いているような、それでいて、自分に対して友情以上のものは抱いていないダゴベールにはそのことを感じさせぬよう振る舞うという、少々哀しみをも感じさせる、実に大人の魅力あふれる男性としてこの役を造形していて、まるで、漫画家よしながふみが好んで巧みに描くような人間関係の微妙なあわいを表現できる役者なのだと感じ入ったものである。
 コメディセンスについていえば、その「シークレット・ハンター」の中の名場面、ダゴベール相手に一芝居を打ってみせるシーンで、東西大劇場、博多座とも大活躍を見せていた。「ヘイズ・コード」でもちょっとしたセリフの言い回しにキュートなおかしみがあったものだったが、忘れられないのが、「愛するには短すぎる」での一言である。このとき涼は新進女優に美人局に遭わされる、人のいい女好きの演劇プロデューサーを演じていたのだが、船上で狂言自殺を図った彼女に、次々と大きな役を約束する羽目になる。最終的には新作のヒロインを与えるところにまで追い込まれるのだが、そのときの、「ヒロインといえば、主役だぞ〜」と尻すぼみに発するセリフに何とも言えないトホホ感が漂っていて、観劇の度に笑ってしまったものである。
 セルジオを演じた際に感じさせた、主演男役・安蘭けいとの芝居の相性のよさをも含め、これからも、実力と持ち味、そして男役の美学を発揮し、星組の、宝塚の舞台を大いに盛り上げていってほしい人である。