リーヴァイ氏コメントに考える城咲あいのゾフィー〜宝塚月組「エリザベート」その2[宝塚]
 15日、宝塚月組「エリザベート」を観劇した作曲家のシルヴェスター・リーヴァイ氏が終演後の記者懇親会に出席、舞台の感想をおうかがいすることができたのでご紹介をば。
 今回の上演をいかがご覧になりましたか? と尋ねたところ、「エリザベートからトート、ルキーニからフランツ・ヨーゼフ、二人の役者の変貌ぶりがすばらしい」とまずは瀬奈じゅん、霧矢大夢に賛辞を。そして続けて、「今回ゾフィーを演じた若い役者が、エリザベートをはっきりと脅かす役作りをしていたのが非常に印象に残りました」とのコメントが。大いに同感! とあひるも思った次第。
 これまでの上演に比べて格段に若い年齢での挑戦となった城咲ゾフィーだけれども、ウィーン版に近い作りとなった今回のプロダクションを考えるに、貫禄よりもむしろ“エゴ”の描写が重要になってくるのは言うまでもないところ。これまでゾフィーはどちらかというと、女性性なるものを捨て去った猛女、怪女として戯画的に演じられがちな傾向にあって、個人的には、“娘”でも“母”でもない“女”の領域の描写が不足していることに不満を感じないでもなかったのだけれども、その意味でも城咲ゾフィーには大いに満足。エリザベートに対峙する悪役としてではなく、ゾフィーという人間にきっちり共感を寄せて演じているからなのだろう、観る側としても非常に共感できるキャラクターになっている。
 例えば、エリザベートに政治を牛耳られることを恐れたゾフィーが、重臣たちと組み、フランツ・ヨーゼフに娼婦を差し向けようと謀るシーン。実は私は今まで、このシーンが非常に苦手だった。というのは、同じ女として、自分がそういうことをされたらいったいどれほど傷つくのか、そのあたりの感受性が欠落している女性、つまりは女性性を捨て去ってしまった女性ってほとんど憎むべき存在だな…と思っていたからなのだけれども、城咲ゾフィーがここで一味違うのは、彼女のうちにも女性性があるということをきっちり押し出して「息子を取られたわ」と歌っているから。つまり、彼女はここで、「私だって、エリザベートなんかに負けないくらい、まだまだ美しい。母なんて立場でさえなければ、息子をあんな女にいいようにはさせないのに」という、一人の女としてのエリザベートへの敵愾心を表明しているわけである。夫が娼婦を抱いたことに対してエリザベートがどれほど傷つくかもお見通しどころか、エリザベートに息子を奪われたということが自分にとってどんな痛手であったか、同じ痛みでエリザベートに味わわせてやろうという企みに結果的になっていて、だからこそ、ゾフィーという一人の人間の内面がよりはっきり映し出されるようになっている。決して戯画的には陥らないものの、臨終の瞬間など、きっちり笑いを取れる芝居を丹念に構築しているのも、きつい面ばかりがクローズアップされがちなキャラクターの当たりを和らげているし、女帝的キャラクターの気品の高さが表現できているのも◎。
 思えば四年前、前回月組上演時の新人公演の舞台稽古を観たとき、城咲のゾフィーの演技に大いに感服し、「この人は、娘役である以前に、役者であることを選び取った人なのだ」と、彼女への認識を新たにしたものだった。役に入り込むあまり演技が激情一辺倒になってしまうきらいがときになくはないものの、シリアスからコミカル、キュートからセクシー、しっとりからちゃきちゃきまで、娘役として守備範囲の大変に広い人である。何より、演じる女性像に知性と意志の強さを感じさせるところが好ましい。どんな女性に扮して共感を誘ってくれるのか、これからも大いに楽しみな存在である。