“MOON 1999”――「あれから十年経ったわ」〜宝塚月組「スカーレット ピンパーネル」その2[宝塚]
 月組出身の大空祐飛が宙組トップになり、東京宝塚劇場お正月公演「カサブランカ」でお披露目を果たし、そして、月組では霧矢大夢がトップの座に登り詰めた今年は何だか、お正月から、十年ほど前の月組の舞台を思い出すことが多かった。
 今は宝塚を去った演出家・荻田浩一が「螺旋のオルフェ」で衝撃的なデビューを飾り、異国の地で宝塚の舞台を楽しむという貴重な経験ができた中国公演が行なわれ、そして、私の心の中にほとんど“聖痕”ともいっていいほどの深い刻印を残した「プロヴァンスの碧い空」の初演があったのが、宝塚創立85周年の1999年。演出家・齋藤吉正が大劇場デビュー・ショー「BLUE・MOON・BLUE」で新風を巻き起こし、売り出し中の若手ホープ、霧矢大夢と大和悠河がバウホール作品「更に狂はじ」でダブル主演した2000年。2001年、新装成った東京宝塚劇場のお正月公演では、霧矢が新しい劇場に「今、すみれ花咲く」と第一声を響かせ、当時のトップスター、真琴つばさが退団。夏には紫吹淳がトップお披露目、秋には大空が汐美真帆と共に「血と砂」でバウホールダブル主演した。
 「あれから十年経ったわ」といえば、「螺旋のオルフェ」での夏河ゆらのセリフである。ちょっと本題から外れるが、先月、日本青年館で星組公演「リラの壁の囚人たち」(美城れんが素晴らしかった!)を観て、「螺旋のオルフェ」は「リラの壁の囚人たち」にヒントを得て着想された部分もあったのだなと、今さらながら感慨深かった。そして、「螺旋のオルフェ」の主人公イヴ・ブランシュ(“白”の名字を持つこの主人公を演じていたのは、瀬奈じゅんの前に宝塚を代表する“白”の男役であった、真琴つばさである)が、ナチスのパリ占領司令部にいながらレジスタンスに協力していた…と思い起こせば、大空のお披露目作「カサブランカ」が当然想起され、そして、どうやら主人公がナチスの戦犯を追うらしい雪組次回公演「ロジェ」が楽しみになって来と、追憶と期待がそれこそ螺旋のようにぐるぐる回り、人はこうして宝塚ワールドからどんどん抜け出せなくなってゆくのだなと苦笑せずにはいられない。
 不思議なことに、お披露目公演でのトップスターは、先輩トップスターを彷彿とさせる刹那がある。自分がいざその立場に立ち、客席と向かい合おうとするとき、自分が接してきた先輩にまずはお手本を求める部分があるからなのだろうとも思うが、観ている方としては、はっとしてしまうほど懐かしい感慨にとらわれることがある。
 「カサブランカ」フィナーレでの大空は、それはもう、“紫吹淳”を思わせた。着ていた紅色のベルベットのジャケットからして、紫吹が2004年の退団作「薔薇の封印」のポスターで着ていた衣装に似ていて、そして、娘役陣の波間、しどけなくポケットに手を突っ込んで揺れる仕草があまりにも“紫吹淳”で、「薔薇の封印」で紫吹が演じた役柄が時を超えて生きるヴァンパイアだっただけに、もしかして今、何か甦ったのかしら…と戦慄しそうなほどだった。無論、大空は何も紫吹のコピーであるわけではない。“黒”の洒脱な男役を継ぐ者として、歴史に新たなページを刻み始めた存在である。二次元的、デジタル的、脅威的なビジュアルの持ち主が、個性的な面々とリアルな心情に満ちた芝居を展開するギャップの醍醐味、それが、大空率いる今の宙組の見どころなのだが、詳しくは今度、宙組を論じるときにさせていただきたい。それにしても、宙組は、初代トップスター姿月あさと、そして大空の前の大和も月組出身であるのが非常に興味深いところである。
 一方、一人残って月組を継いだ霧矢はといえば、二月の中日劇場公演「Heat on Beat!」の中詰めを観ていたとき、個性が全然違うため、今まで連想して考えたことがまったくなかったにもかかわらず、トップとしての在り方が真琴つばさを想起させた瞬間があって、驚いた。そして何だか、新生月組が、十年前、それこそ、大空や霧矢が若手としてバリバリ活躍していた頃の月組をあまりに思わせて、これまた本当に懐かしかったのである。

 真琴時代の月組は、宝塚における組組織の一つの理想形だったのではないか−−。それが、彼女が退団して後、宝塚歌劇について改めてじっくりと考えて達した結論だった。組全体に目配りをし、組子一人一人の力を見極めて引き出し、これを一点に集結させたときに初めて、組として発揮できるパワーは最高潮に達する。トップスターばかりに負担がかかったり、あるいは、支える者ばかりに負担がかかったりする状態では難しいものがあるのである。
 真琴つばさというスターは、組全体のプロデュース能力にきわめて優れた人だった。組子それぞれからユニークな魅力と個性を引き出し、それを“白”の男役である自分が映し出すことによって、月組全体の魅力がさらに増して輝くことをよく知っていた。だから、あの頃の月組の舞台は、特に傑作ばかりに恵まれていなくても、組子それぞれの活躍を観ているだけで、本当におもしろかった。トップに相手役、路線スター、ベテランに中堅どころ、若手男役、若手娘役、それぞれ個性派揃いだった。宝塚における実績は何もトップスターに登り詰めたかどうかだけで必ずしも測られるものではないけれども、この時代に出てきた若手が、男役、娘役共々、力を蓄え、個性を発揮した結果、後にどれだけトップの座に就いたかを考えてみれば、真琴時代の月組の充実ぶりがわかってもらえると思う。
 そして、私は思うに至ったのだった。何も宝塚歌劇のトップスターに限らない。人とは、そのとき何を成し遂げたかだけではなく、自らが去った後に何を残していったかによってもまた、評価されるものなのだと。
 大空、そして、霧矢のお披露目公演を観ていて、二人の中に、私と同じ、あの頃の月組への強い想いがあったことに、2010年の私は、今さらながらはっとしたのである。――大空と霧矢にしてみれば、今さら何を? という話かもしれないけれども。そして、私は、何だか不思議な願いを心に抱いたのである。十年前にタイムスリップして、月組の舞台で、若さのエネルギーを放出している二人に、こう、言葉を掛けたいと――。
「あなたたちは十年後、こんなに素敵なトップスターになるんだよ!」
 無論、私がそんなことを言って励まさなくても、二人は自力で素敵なトップスターになってしまったわけであるから、あまりに意味不明でお節介な話ではあるのだが。
 そして、何もタイムスリップしなくても、その言葉は今、発するべきなのである。二人の後ろで一心に踊っている、今はまだ見えぬ、輝かしい未来を背負った組子に向けて。
「あなたたちは十年後、こんなに素敵なトップスターになるんだよ!」

 中日劇場公演、続く今回の公演と観ていて、新生月組では今、さまざまな個性の芽が開こうとしているのを感じずにはいられない。そもそも、新生月組が「スカーレット ピンパーネル」の再演に挑むと発表されたとき、一部で危ぶむ声を聞かないでもなかったのも事実である。例えば、私も初演の際、“心の名場面”キューティー編に選んだ、星組の若手娘役陣がキュートな個性をいかんなく発揮して活躍したあの場面、月組版では大丈夫かしら――等々。
 スタート時点では、比べて考える方が無理というものである。なぜなら、前回大劇場公演まで、月組にはトップ娘役がおらず、それに従って明確な新人公演ヒロインもなく、「この人が芯」という存在を設定できないがために、そもそも娘役に活躍の場を与えることが非常に難しかったのだから。もっとも、月組生には負担の大きかったであろう、トップ娘役不在というある種の“実験”は、瀬奈じゅんという男役がその“白”の個性を究極まで突き詰める上で不可欠であったこと、そして、宝塚歌劇における娘役、トップコンビの存在意義を改めて考えさせる上で、貴重な機会ではあったと私は思っている。それはさておき、いざ、「スカーレット ピンパーネル」が回ってきて、挑んでみたら――、大丈夫なのである。霧矢大夢の個性によって“ザッツ・ミュージカル!”なシーンへと変貌を遂げたこの場面ではあるが、宝塚大劇場での一ヵ月を経て、東京公演では、娘役一人一人が個性を発揮できるようになってきたのである。
 また、龍真咲と明日海りお、二人の若手ホープが役替わりで演じるショーヴラン。龍は、ヘタレなセクシーという魅力を開花させて悪の新機軸を打ち出し、一方の明日海は、「エリザベート」のトートと「エル・アルコン」のティリアン・パーシモンを足したような、骨太な男っぽさと妖しい悪の魅力を発揮している。詳しくはまた、公演がさらに進んでから項を改めたいけれども、チャンスを与えればきっちりものにしてくる人材が多い、それが宝塚歌劇の強みなのである。
 私が「スカーレット ピンパーネル」という宝塚作品が好きなのは、この醍醐味があるからである。トップスターから最下級生まで、一人一人が持てる力を存分に発揮しないと作品として成立しないけれども、一旦それが可能となれば、見どころたっぷりの場面が次から次へと波状攻撃で押し寄せてきて、瞬きする間さえ惜しい。本来、そういう作品こそ、宝塚歌劇にふさわしいのである。