手放した風船〜宝塚花組公演「ファントム」の壮一帆その2[宝塚]
 子供の頃から父親が大好きだった。それを言い出したら、私は母親も弟も大好きだから、ファザコン、マザコン、ブラコンのファミコンということになるかもしれないけれども。とにかく父が憧れで、幼稚園児くらいのときから、お父さんはすごいんだ!、お父さんと同じ大学に行く! と思い込んでいた。その夢は後に、父と同じ職業に就きたい…というものへとふくらんでいった。父に「お父さんと同じ大学に行って、同じ職業に就きなさい」と言われたことは一度もない。ただただ自分の憧れ、思い込み。ミュージカル「エリザベート」に「パパみたいになりたい」というナンバーがあるけれども、あれを地で行く少女だったのである。
 同じ大学には行ったけれども、同じ職業に就く夢は叶わなかった。その職業にたとえ就けていたとしても、そもそもが適性がなくて、本当にすぐに辞めていたと思うけれども……。今でも思い出す。自分のいたところを受けに行っても、お父さんの名前は絶対に出すんじゃないと父に固く釘を刺されたことを。しかし私には「お父さんと同じところに勤めたい」という気持ちしかなかったので、そう言われてしまったら面接官に告げる志望動機がなくて、困り果ててしまったのだった。本当にアホである。面接マニュアルを馬鹿にする人もいるけれども、当時の私は一冊手にとって、「そうか! 他にどの会社を受けていて、第一志望はどこですって言っちゃいけなかったのか!」と目から鱗が落ちるような、何でも正直に言うことが正しいと信じていた大アホ少女だったのである。大学を出たってこんなものである(はは、情けなさすぎ)。
 父と同じ職業には就けなかった。それが私の人生の最初の大きな挫折だとしたら、何とかもぐりこんだ出版社を辞めるに至ったきっかけが二度目の大きな挫折である。大学を卒業して就職するとき、アホ女子として非常に苦労して、自分にはもうこの世に居場所がないのではないか…とまで思ったのが、入った出版社で、最初の数年はそれは楽しく働いていた。それが、ここにも自分の居場所はないのかもしれない…と思いつめて、“トート=死”の声を聴いたのはそんなときである。人は、自分を肯定し、受け入れてくれたと思ったものから拒絶されたとき、さらに深い痛みと絶望とを味わう。この二度目の挫折こそが、私に現在に至るまでの道を選ばせた要因に他ならないのだが、ここ数年、書かなくては…と思いつ書けないでいたその話は、近々、ようやっと書けることになるだろうと思う。
 父と同じ職業には就けず、そして、父が自分に理想として思い描いているように思える“妻”、男に伍してバリバリ働きつつ毎朝味噌汁を作るかわいい奥さんにもなれたわけではない。そちらの方もどう考えても適性がないような…。自分は自分として心のままに生きるしかない、やっとそうふっきれたのはここ数年のことである。それでもどこか、私は父の理想の娘にはなれなかった、そんな思いを抱えている自分がいて…。
「それって、娘じゃなく息子に生まれたかった…ってことじゃないの?」
 ある日、「ファントム」のラスト近く、息子である怪人エリックに自分が父親であると告げ、親子が赦しと和解に至る「You Are My Own」のナンバーを銀橋上で歌う、キャリエール役の壮一帆の演技にそう問いかけられた。心を衝かれて息が止まりそうだった。その日に至るまで自分にはまったくもってその発想はなかった。けれども、言われてみればそうかもしれない…と、素直に思えた。女性が男性を演じる宝塚歌劇の男役という職業を選んだ彼女もまた、女ではなく男、娘ではなく息子に生まれたかった…と考えた日があったのかもしれない、そう思った――。
 しかしながら、ここで一つはっきりと反論しておきたいことがある。昨年私はとあるところで、大変不快な文章を目にした。それは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ作品におけるズボン役、男性する女性歌手の役柄と、宝塚歌劇の男役とを並べて論じようとするものだったが、まったくもってこの魅惑の論点に迫りきれていないばかりか、筆者は少なくとも最近の宝塚の舞台を観ていないことは明白であり、そのため、他の人物がこれを観て嫌悪感を催したという感想をどこからか引いてきてお茶を濁していた。しかも、女性客が宝塚を観て男役なる存在に憧れるのは、自分が女として生まれ、男にはなれなかったという思いを抱えているから云々…。リヒャルト・シュトラウス作品及び宝塚歌劇を愛する者として、憤懣やるかたないとはこのことである! 人はそのような理由で宝塚歌劇の男役に憧れるものではないし、リヒャルト・シュトラウスも決してそのような理由で自らのオペラ作品にズボン役を登場させたわけではあるまい。最近、舞台上の壮一帆の上にリヒャルト・シュトラウス先生が出てきて言うことには、「オクタヴィアンと力を合わせ、この世の謎を解き明かしなさい。シェイクスピア、モーツァルト、ベートーヴェン。偉大な芸術家たちはその作品の中に、男装する女性を登場させてきた。それは、性が男と女の二つに分かれていること、そのこと自体がこの世の一つの謎だと、彼らが考えていたからとは思わないかね」と。その言葉を聴きながら、私は、「ヴェニスの商人」のポーシャ、「フィガロの結婚」のケルビーノ、「フィデリオ」のフィデリオことレオノーレ…と思い出しながら、その性とはまた、二つと分かれた男、女、そのそれぞれの中でまた、男性性と女性性、その二つに分かたれることの神秘に思いを馳せていたのである。宝塚歌劇の男役、そしてそれに相対する娘役とは、女性の中のその男性性/女性性の発露の可能性を極限まで試し、追究することのできる、世界的にも稀な芸術的存在なのだと思う。
 芸術上の反駁が長くなってしまった。とにかく私は、「息子に生まれたかった…ってことじゃないの?」と、キャリエール役の壮一帆に問われて、…人生で初めて、自分のそんな秘めたる思いに気づかされて、本当にびっくりしてしまった。いろいろ思うことは無論、あるのだけれども、基本的には、今生、女として生まれてきて幸せだとずっと思ってきていて、男に生まれたいとは一度も思ったことがなかったから。
 それで私は初めて気づいたのである。自分が父と同じ男に生まれてこなかったことを、どこか父に申し訳なく思っていた自分がいたことを。男に生まれていれば、本当にお父さんみたいになれていたかもしれないのに、自分は女に生まれたから、そうはなれない。無論、男に生まれていれば、父との関係性においてそれはそれでまたいろいろあったと思うけれども、申し訳なく思ってもしかたのないそんなことを、自分はずっと申し訳なく思っていたのだ…と。
 思い出す光景がある。弟がすでに生まれていた頃だったと思うから、私がそれこそ三つくらいのときだっただろうか。父と二人、吉祥寺の井の頭公園に行ったことがある。確か遊園地のあたりで風船を買ってもらったのを、鈍くさい私はすぐに手放してしまって…。非情にも舞い上がっていく風船と、「あ、飛んでっちゃったのか」と私に言う父の困った表情と声音を、今でもはっきり覚えている。
 ――私はずっと、父に謝りたかったのだ。あの日、風船を手放してしまったこと。息子には生まれてこなかったこと。自分が勝手に想像して作り上げた、半ば幻想の“父の理想の娘”にはなれなかったこと。それがわかって、けれども、いまさら、お父さん、ごめんなさい、…と父に直接言うわけにも無論、いかなくて、私は、壮キャリエールの、聴く者誰しもの心をも包み込むようにあたたかな歌声に、ただただ優しく頭をなでられるような思いで、…お父さあん…と、客席で幼子のように泣いていたのである…。
 私は父の“理想”にはなれなくて、父も何も完璧な人間というわけではなくて、それでも私は父をとても深く愛していて、そして父も私を深く愛していて、それでいいのである。
 ちなみに私の父は声がとってもいい。発表会か何かでボーイソプラノを披露したこともあるそうだし、私が子供の頃も、「Take Me Home, Country Roads(カントリー・ロード)」や「Bridge over Troubled Water(明日に架ける橋)」といった英語の歌を、自宅のカラオケセットで歌っていた。今でも七十歳過ぎとは思えない、若々しいテノール系の美声で、とりわけ絶品なのが電話の声である。もっとも父は極度の電話嫌いなので、かけてもすぐに切られてしまうのだけれども…。先日、いつもは仲がとってもいい母と電話していて、本当にちょっとしたことで口論になってしまったとき(その後すぐに仲直りしましたが)、見るに見かねた父が代わりに電話口に出てきて、早く切ろう、早く切ろうとするのを、いい加減いい歳した娘だけれども、こんなときとばかりに甘えちゃえ…と、「お父さん、ちゃんと私の話を聞いて!」と言い続けて通話を長引かせて、…不肖の娘は、電話口の向こうの父の声を、…やっぱりいい声だなあ…と、うっとり聴いていたのだった。