ばらの楽園〜宝塚雪組「ベルサイユのばら−フェルゼン編−」その1[宝塚]
 第一幕最後の場面、スウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンを演じる雪組トップスター壮一帆は、フランスを去るにあたり、居並ぶ宮廷人を前に長台詞を披露する。フランスには革命の気運が押し寄せており、王妃マリー・アントワネットと愛し合う彼は、彼女に捧げる真の愛ゆえにスウェーデンへと帰国することを決意する。フェルゼンは言う。私はフランスで真実の愛を知ったのだと。妻である王妃のその他に寄せる心を知りながらも、彼女を愛し続けるルイ16世。フェルゼンにひそかに心を寄せるオスカル。そんなオスカルを陰ながら愛し続けるアンドレ。オーストリアから嫁いだマリー・アントワネットを見守り続けるメルシー伯。そして、宿命的に愛し合うこととなった王妃マリー・アントワネットその人。愛を心に秘めたすべての人々の存在が、フェルゼンに愛の真実を教える。愛を知る者は幸せであり、これを知らない者は不幸である。そして、たとえ引き裂かれようとも、真実の愛は永遠である。
 “宝塚歌舞伎”ともいわれる大芝居の所作を自然に見せ、人物の感情を伝える。滔々と愛を語る壮フェルゼンの言葉に、天上のばらの楽園を見たのだった。美に仕えし人々集い、微笑む、ピンクのばら咲き誇る永遠の楽園――。
 先に上演された月組の「オスカルとアンドレ編」が、フランス革命の市民側の物語、そのエネルギーを主に扱い、ラストではオスカルとアンドレとが天翔ける馬車に乗って登場するスペクタクルであったのに対し、貴族側の物語が描かれる雪組「フェルゼン編」はセリフ劇の側面が重視されている。壮フェルゼンと、汝鳥伶扮するメルシー伯とが、マリー・アントワネットをめぐって激論を交わす場面は、現在の宝塚歌劇の最高峰と言ってよい。マリー・アントワネットを演じる愛加あゆも芝居に優れた人である。断頭台に送られようというそのとき、彼女が牢獄を訪ねてきた人々と言葉を交わす第二幕最後の一連の場面が素晴らしい。愛加は出番こそ少ないながらも、その演技には、物語全体の軸を決してぶれさせない力がある。壮フェルゼンに名前を呼ばれ、一瞬、それが夢の中で聞こえた幻の声であるかのような陶然の表情を浮かべ、そして、振り返る。その一瞬の表情に、思う。――はたしてここで演じられているのは、現実で起きている出来事なのだろうか。あるいはそれは、死にゆく王妃が今際の際に心に浮かべた、甘美なる愛の幻想なのだろうか。それとも、世界でただ一人心から愛した人を救うことができなかったフェルゼンが、彼女死して後、生ける屍となって長の月日を送りながら心に浮かべ続けた、悪夢の如き悔恨なのだろうか。芝居で魅せる雪組新トップコンビの「ベルサイユのばら−フェルゼン編−」は、これまでとは異なる印象を与える。どこか夢幻能の趣さえ湛え、そして、観る者に思わせずにはおかない。――我々が今日享受するところの自由は、フランス革命の達成によりその礎が築かれている。しかしながら、その自由が獲得される上では、多くの愛と命の犠牲があり、その魂は未だ決して弔われ尽くされてはいない。だからこそ、200年もの時代を隔てた遠き異国、宝塚歌劇の舞台で、フランス革命に散った人々の愛の物語は、くりかえし上演され続けなくてはならないのだと――。
(5月12日11時の部、宝塚大劇場)