宝塚星組「ロミオとジュリエット」総集編&花愛瑞穂を送る[宝塚]
 紅ゆずるのベンヴォーリオは、凄かった。優しさにあふれていた。ロミオとジュリエットと共に笑い、ロミオとジュリエットと共に涙する、そんなベンヴォーリオだった。ロミオとジュリエットが幸せならばベンヴォーリオも幸せだし、ロミオとジュリエットが不幸ならばベンヴォーリオもまた不幸なのである。「どうやって伝えよう」はそれほどまでに圧巻だった。心を深く満たす優しさに、涙が止まらなかった――。そして、ナンバーを歌い終えた紅ゆずるは、ひときわ大きく輝く舞台姿となって、そこに立っていた。
 フィナーレでは、バルコニーシーンのナンバーを、ロミオとなって、それはねっとりうっとり歌っていたけれども、これがまた妙にクセになる味があって、ロミオ役でも観てみたいと思わせるものがあった。龍真咲の不思議ロミオともまた異なる、でもやっぱりワンダー・ロミオに違いない。
 紅は、「スカーレット ピンパーネル」で、最初にして最後の新人公演主演をつかみ、そのチャンスを見事ものにして一躍スターダムに躍り出た。この人はその際、“舞台は最高のエクスタシー”であると、知らず知らずのうちに知ってしまったところがあるのではないか、そんな気がしてならない。何より美を体現することに快感を覚える人間こそが、美の道、すなわち芸術向きの人間である。さらなる奮闘を期待したい。

 このミュージカルにおける作品解釈及びさまざまなキャラクターの設定は、私自身の「ロミオとジュリエット」解釈と齟齬を来す部分があり、個々の演者について記す上で非常に難しいものがある。ウィリアム・シェイクスピアの原作において、ロミオとジュリエットの真実の愛は澄んだ結晶の如く描かれている。にもかかわらず、真実の愛ではない関係を盛り込むことで“真実の愛”を際立たせようとする手法はいかがなものか。美は美として、厳然と、絶対的にそこにあるのであって、醜いものとの相対でとらえられるべきものではない。
 例えば、ジュリエットの両親であるキャピュレット夫妻には愛がなく、夫婦仲は冷め切っている。そして、ジュリエットの婚約者となるパリス伯爵は、原作においては魅力的なキャラクターであるにもかかわらず、このミュージカルでは、金でジュリエットを買おうとするあまりにも間抜けなキャラクターにされている。何しろ、極秘であるはずのロミオとジュリエットの結婚を街中が知ってしまうにもかかわらず、パリス一人が知らず、キャピュレット夫婦に騙される形で婚約させられるのである。別にジュリエットはパリスが間抜けだから好きになれないのではなくて、この人だ! と心にひらめくものがないから、すなわち、この二人の上には運命が瞬かないから、恋に落ちないだけの話である。また、“死”や“愛”の存在意義についても、私自身は、個々の登場人物の演技を通じて全体として表現すべきものだと考える。

 壱城あずさのパリスの造形にはそれでも納得させられるものがあった。きちんとかっこよく、それでいておふざけではなくとぼけている。壱城は役替わりで務めたマーキューシオ役も骨太で、歌に説得力があった。この人も、どうして新人公演の主役が回って来なかったのか不思議で仕方がないが、積み上げてきた男役芸は確かである。
一樹千尋のキャピュレット卿のナンバーも深く心に沁みた。一樹の演技自体は、原作通り、父として娘を思う愛にあふれていたのが何よりの救いだ。専科入り二年目、ロレンス神父を演じた英真なおきは、舞台に対する真摯な態度に磨きがかかってきた。十輝いりすはヴェローナ大公に扮して存在感を発揮。この大公がこれだけ説き諭してもなお消えぬところに、二つの家の深い憎しみが見えた。真風涼帆の踊った“死”には、「エリザベート」のトートにも通じる霊気が感じられた。
 ちなみに、星組は今後三つのグループに分かれ、柚希礼音主演で「REON!!II」が上演される。一昨年上演された「REON!!」でも、紅と壱城は大活躍していた。紅扮する客席案内係の“紅子さん”はやはり“心のキャラ”である。私が観ていた日は、ソバージュヘアをアンニュイにかきあげながら客席通路を通り、「柚希さんも紅さんも素敵よね」と言ったところで客席から「浮気者!」と声がかかった。それに逆ギレで答えて曰く、「宝塚ファンは浮気者でいいのよ! そりゃこっちとしちゃ一人にしぼってほしいけど!」。蓋し名言なり。壱城は光GENJIのナンバーを歌えば男性アイドルぶりを発揮、スターの追っかけ少女に扮して披露したミニスカート姿は女性アイドルの如きキュートさ。“心のアイドル”である。
 
 最後になったが、モンタギュー夫人を務めた花愛瑞穂は、本日8月25日をもって宝塚を卒業する。「南太平洋」で彼女はヒロインの同僚に扮していた。アメリカン・ミュージカルは宝塚の娘役にとってはいささか鬼門なところがある。あっけらかんとはっちゃけた表現と、娘役芸とが融合する地点をうまく見出さねばならないからだが、花愛はきちんと娘役として役を表現していて、頼もしく思った。モンタギュー夫人でもしっとり落ち着いた舞台を見せていたのが彼女らしい。よき卒業の日を!