宝塚宙組公演「王家に捧ぐ歌」退団者[宝塚]
 オペラ「アイーダ」をもとにした「王家に捧ぐ歌」の初演は2003年である。この12年間の宝塚歌劇団の成熟を鑑みるに、「♪エジプトは強い/強くてすごい/スゴツヨ/スゴツヨ」(という歌があるのである…)のままでよかったのか、疑問なしとしない。キャラクターそれぞれに特定の旋律が流れる、オペラのライトモティーフ的手法で作曲された甲斐正人の音楽は依然魅力を放っており、宙組子によるコーラスの厚みも力強さを与えていたのだが…。初演のラダメスは、万物の上に大きな翼をぱっと広げるような包容力の持ち主、元星組トップスター湖月わたるに宛てて書かれた役である。一方、湖月と同じくこの作品でトップお披露目となった朝夏まなとは、湖月とはまた異なるタイプの包容力の持ち主である。四代目市川猿之助は、「ここですね!」と、その本人にさえ気づいていないような心の小さな穴を探り当てて手当てし、そこから何かが流れ出してゆくのをさっと塞いでしまう、非常に繊細な包容力の持ち主なのであるが、湖月と四代目とを直線上に並べてみたとするならば、朝夏はどちらかというと四代目側に近いタイプである。そして朝夏は、自分の持ち味においてラダメスを造形することに成功し、立派なトップお披露目を果たした。前々から、自分の理想とする宝塚歌劇観をしっかりと持ち、それを観客に見せることを喜びとしてきた男役スターである。プレお披露目作品「TOP HAT」でも、宝塚の男役を必ずしも素敵に見せるとは限らないタップダンスに挑戦、ロマンティックな恋の主人公を演じて成功を収めており、このときのフィナーレで、「宝塚歌劇を愛する観客を、私が守ります!」と宣言するかのように歌い踊ったとき、その姿が一段と大きく見えた瞬間があったのが実に印象的だった。彼女の繊細な魅力が存分に活かされるよう、今後の演目に期待したい。
 アムネリス役の伶美うららの演技がとてもよかった。歌は苦戦していたが、それを補って余りある、深く共感できるアムネリスだった。伶美のアムネリスは、“父の娘”である。ファラオの娘と生まれたからには、ファラオを継ぐ勇者と結ばれ、国を守り続ける責務がある。もしかしたらその脳裏には、自分が男であったなら、ファラオとなったのに…という思いが常にあったのかもしれない。ファラオがアイーダの兄弟によって暗殺され、ラダメスが裏切り者とされたとき、アムネリスは混乱を鎮めるため自らがファラオを継ぐことを宣言し、ここで敢然と“男”となる。伶美は娘役だが、…この人が男役だったら、どうだったろう…と感じさせるボーイッシュな魅力を持っており、実際「銀河英雄伝説」では少年役にも挑戦している。その彼女の魅力が、女でありながら“男”となるその瞬間に、激しい火花の如くきらめくのである。それでも彼女の心の内には、女としてラダメスに寄せる恋心の火がくすぶっており、ラダメスを何とか生かす道はないかと苦悩する。そして、平和を守ってゆくことこそがその道に他ならないのだと信じるに至る。アムネリスこそが、ラダメスとアイーダが命を賭して訴えた思いを最も深く受け継いだ者であると印象付けるラストシーンでの姿も実に印象的で、ダブル・ヒロインとしての力量を強く示した。姿かたちも美しく、きらびやかな衣装の数々も素晴らしく似合っていた。
 初演に引き続き、アイーダの父、エチオピア王アモナスロを演じた一樹千尋は圧巻の一言である。エジプト軍の捕虜となり、「殺せ! 殺せ!」とかえって詰め寄る際の王としての威厳。その後、狂気を装って復讐の機会をうかがい、一度は成功するかに見えるが、エジプト軍に攻め滅ぼされ、本当に狂気に陥る。正気ながら狂っていると見せかける、しかしながら、実は正気の際に考えていた復讐のシナリオの方が狂気であり、国家滅亡にあってその狂気が噴き出す。モザイク模様のような狂気の表現に凄みがあった。
 アイーダをエジプトの女官たちが執拗に折檻するシーンなど、どうにもミソジニー(女性嫌悪)が拭えず、娘役が積極的に活躍できる作品ではないように思う。そんな中で、宙組娘役陣の元気印、大海亜呼が卒業する。はつらつとした踊りで宙組を支えてきたダンサーだが、今回はエチオピアの捕虜の女性の一人として、歌の場面でも活躍を見せていた。