新国立劇場オペラ「ローエングリン」初日[オペラ]
 5月23日17時の部、新国立劇場オペラパレス。
 第一幕、タイトルロールを演じるクラウス・フロリアン・フォークトが、歌いながら上空から降りてくる。その声を聴いてわかった。リヒャルト・ワーグナーもまた、シェイクスピアやベートーヴェンと同じく、彼岸を知る人なのだと。
 ――それで、作曲家が以前より身近に感じられるようになり、自身が多分に投影されたと思われるローエングリンの物語も、より共感をもって眺められるようになった。…それは理解者がなくて、苦しかっただろうな…と。
 ワーグナーの音楽をそのように表現するフォークトの声には、まさに”glorious”の語がふさわしい。神々しい声。輝かしい声。おいそれとは聞けない声。40分の休憩時間でもさばききれないほど、他日公演のチケットを買い求める長い列ができていたのもむべなるかな。
 ローエングリンは、エルザ姫に、自分の正体も名前も尋ねることなく愛してほしいと言う。そして、彼が聖杯の地から乗ってきた小舟を曳いている白鳥はと言えば、実は、エルザの弟ゴットフリートが魔法によって変えられた姿である。日本でいう「鶴の恩返し」の鶴の要素を、ローエングリンとゴットフリートとで受け持っているということになる。
 エルザは悩む。悩んで遂には禁じられた問いを口にする。貴方は誰? お名前は? と――。それはそうであろう。愛する人の名前を発することは愛する上で甘美な瞬間の一つではある。その禁忌を超えて、愛はなおも成り立ち得るのか。おそらくは、心のみによって愛し愛されることによって。
 「ローエングリン」といえば、チャイコフスキーが同じ白鳥の出てくる「白鳥の湖」を作曲するにあたって影響を受けたといわれる作品である。聴いていると確かにその“禁問の動機”を初めとして、チャイコフスキーがワーグナーを聴いた痕跡が感じられる。スティーブン・ソンドハイムの楽曲にチャイコフスキーを聴いた痕跡を感じるのと同じように。芸術とは多分に相互承認によって芸術たり得る。例えばヴェルディはそのオペラ「ファルスタッフ」で、彼岸を見た人シェイクスピアへの芸術家としての敬意を表していた。私にとっては「白鳥の湖」の方が以前から親しんでいる音楽ではあるので、その音楽を思い浮かべながら、…チャイコフスキーはこのように「ローエングリン」を聴いたのだ…と、大変興味深く聴いた。今週25日にはちょうどKバレエカンパニーで「白鳥の湖」が上演されるので、絶好のタイミングだな…と思いながら。さて、「白鳥の湖」は今の私にどのように響くだろうか。