愛を教える〜Kバレエ『ロミオとジュリエット』&浅川紫織、人生の第二章へ[バレエ]
 熊川哲也芸術監督は、何と光に満ちた道を進んでいるのだろう――。4年ぶりに上演された『ロミオとジュリエット』を観て、そう感じずにはいられなかった(10月12日18時半の部&10月13日12時半の部、東京文化会館大ホール)。
 浅川紫織のジュリエット。宮尾俊太郎のロミオ。二人は、出逢った瞬間から運命付けられている――同じプロコフィエフ作曲の『シンデレラ』にも聞こえるどこか”doomed”の響きが、出逢いの刹那にもある。二人は、互いに愛することを教えるために生まれてきた。そのために出逢った。
 人は、愛することを知って初めて人となる――愛することを知るまでは、子供である。ジュリエットはネンネに過ぎないし、ロミオも恋に恋する少年である。両親から、乳母から、周りの年長の人間から、降り注がれる思い、愛を、ただ空気のように享受して生きているに過ぎない。それが。自分の中にも愛するという能力があることを知ったとき、人は初めて人になる。大人になる。自分の周りに広がる世界が、まるで違って見える。
 愛することによって、人生は、世界は、変わる。そして、自分も、他者も。
 浅川ジュリエットと宮尾ロミオのバルコニー・シーンに、熊川哲也が透徹して視ているのは、あまりに純粋な愛である。互いに、愛しか求めない。愛以外の何物をも求めない。何の打算も駆け引きもない。――そんな、輝かしいまでに純粋な愛は、残念ながら輝かしいまでに純粋とは言えないこの世界にあって、本来、到底成立し得ない。永らえられない。だから”doomed”――運の尽きた、不運な――なのである。この世に本来成立し得ない愛によって結ばれた二人は、当然死すべき運命である。この世にはその愛の呼吸できる場所がない。空気がない。
 ――けれども。私は、宮尾ロミオの亡骸を前に、浅川ジュリエットが自ら死を選ぶシーンで、思ったのである。愛は、生きる――と。
たとえ、人は死んでも、愛は残る。

 日にち変わって。小林美奈のジュリエット。山本雅也のロミオ。共に初役である。可憐に神に祈る小林のジュリエット。初々しく瑞々しい山本のロミオ。まさに初恋、まさに青春である。
 バルコニー・シーン。ここぞとばかりに妙技を繰り出す山本ロミオは――彼は、フィギュアスケート界期待の若手、友野一希に雰囲気がどことなく似ている――、好きになってしまった女の子にいいところを見せたい! と張り切る青年の魅力にあふれている。芸術監督からして、そんなチャーミングな存在だったな…と振り返ってみる。そして、積み重ねられてきた時間の光で照らした今の熊川哲也はといえば、このシーンにおいて、若き二人に、愛すること、その尊さ、その営為を芸術上描き出す尊さについて教えているのだった。
 愛を教える――愛する。この世に、それ以上に大切なことがあるだろうか。
 そして、思うのである。この世に本来成立し得ないはずの純粋な愛も、芸術の名のもとにおいては、見事に成立し得ていることを。そうでなくては、シェイクスピアの手によるこの物語が、何百年もの間人々に愛され続け、作曲家をはじめとする多くの芸術家のインスピレーションとなることはなかっただろう。
 それにしても。同い年で、もう20年以上も芸術監督の携わる舞台を観てきていて、どこか、空気のように当然そこにいて、いつも当然のように美しい舞台を創り続けているように思っていて、私は何だか相当甘えているなと思ったのである。それは決して当然ではないのである。純粋な愛と同じくらい、純粋な美は存在し難い。本来は。そして、音楽が美しければ美しいほど、芸術監督はその美の深淵をますます探求していくのだと、心に深く感じ入ったことだった。

 冷ややかな美を体現した『ジゼル』のミルタ。身体のラインが官能美に満ちていた『ラ・バヤデール』のニキヤ。軽快な音楽と一体となった『海賊』のメドーラ。チェレスタの澄んだ音色を具現化した『くるみ割り人形』のマリー姫。スケートを滑る楽しさをステップのうちに見せた『レ・パティヌール』のホワイトカップル。実在していたとしたらシンデレラはこういう人なのだ! と体感させた『シンデレラ』。そして、彼女自身、その存在が一段と謎めいて見えた、『白鳥の湖』のオデット/オディール。
 そして、ジュリエットを演じる浅川紫織は、愛の化身だった。
 彼女は、熊川哲也芸術監督の意図をよく汲み、凛とした美しさでもってそれを具現化できる、類まれなるダンサーだった。芸術監督のインスピレーションだった。そして無論、私にとっても。
 この舞台の後、股関節の手術を受けるとのこと。私の母もこの夏やっと両股関節の手術に踏み切り――説き伏せるまでがそれは大変だった!――、数年来の痛みから解放されて、今は生き生きとしている。彼女が痛みから解放される日を、切に願う。そして、幸せを。彼女が観客を幸せにした以上の幸せを。浅川紫織の人生の第二章に、幸あれ!
2018-10-14 00:21 この記事だけ表示