秘めたる人生の目標、発表〜『ピアフ』ゲネプロ
 11月4日18時、シアタークリエ。大竹しのぶがフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフを演じる『ピアフ』、四度目の上演である。
「あたしが歌うときは、あたしを出すんだ。全部まるごと。」
 セリフのそんな一節があしらわれたチラシを見る。黒いドレスに身を包んだ大竹ピアフ。あまりに似ている――。あひるの母親に。母親がこちらに向かって自分を全部まるごと出してくるようなことがあれば、それはそれで身震いする瞬間だろうなあとも思う。それはさておき。
 脚本はイギリスの劇作家パム・ジェムス。ジェムスの評伝劇では、20年ほど前にロンドン・ウエストエンドで観た『マレーネ』が印象に残っている。晩年にさしかかったマレーネ・ディートリッヒが主人公で、とにかくめちゃめちゃ口が悪い。辛辣。しかし、いざ歌い出すと、堂々たるスターのオーラを放つ。一人の人間としてのその落差がおもしろかった。後に黒柳徹子主演で日本でも上演されているが、終幕に“平和への祈り”といったメッセージが付け加えられていたこともあり、ギャップの魅力という部分は若干薄れていたように思う。
 さて、『ピアフ』である。貧しい生まれから栄光へと昇りつめていく様、自らが語るその人生にいささかの嘘と謎とがちりばめられている様は、30歳ほど年上の同じフランスのファッションデザイナー、ココ・シャネルを思い出させもする。しかし、もちろん幾度も愛に傷ついたであろうけれども、自らの創り出す服を“軍服”に、シャネルが齢を重ねると共に次第にしたたかさをも身につけ、この世を渡っていったように思えるところ、ピアフの生き方は――大竹演じるピアフは――もっと不器用であり、はちゃめちゃであり、凄絶である。舞台に臨む姿勢も、「聴衆は敵だ」と言ったマリア・カラスを彷彿とさせる。――そこまで自分を追いつめないと、歌えないのだろうか。歌えない歌なのだろうか。舞台評論家として、私は、演者がステージでいかにベストの状態でパフォーマンスを成し得るか、創り手がいかにベストの状態で創作に挑めるか、その手助けに少しでもなれたら…と思っている人間なので、もし今ピアフが生きていたとしたら、自分は彼女に対していったいどんな言葉を紡ぐだろう、と考える。「お前は敵だ!」とばかりに目の前で歌ったり演じたりされても、私自身はまったく感動しない。気の毒だな…と思う。自分は見世物になっていると思い込んでしまっているのだろうと思う。そう思ってしまっている演者に対して、私は常に言いたいし、言っている。そこは、あなたという人間が晒し者にされている場所ではありません。芸を見せる、芸を観る場所です、と。私にとっては、その人のプライベートでたとえスキャンダルがあろうが――もちろん、人を故意に殺めたとか、人の道に外れた行為は論外だけれども――、どうでもいい。芸がすばらしければ。けれども、すばらしい芸を見せる上で、その人の人間性はまた非常に重要になってくるだろうとも思う。
 そして、大竹しのぶはといえば、――『欲望という名の電車』で狂気に陥るブランチを演じているときも、『リトル・ナイト・ミュージック』で最後の愛に賭ける女優デジレ(“欲望”!)を演じているときも、『出口なし』であの世に召されたレズビアンの郵便局員イネスを演じているときも、そして、歌手エディット・ピアフを演じているときも、いつもいつも、心の底で、日本舞台芸術界の行く末を真摯に案じて舞台に立っているのだった。――今、いい方に向かっているだろうか…と。それも、自分自身の演技をもって、いい方に向けていこうという野心からではない。けれども、結果として、大竹しのぶがすばらしい演技を見せることによって、日本舞台芸術界はいい方に向かっていっているわけである。今回の公演も当日券を除いてほぼ即完売とのこと。その中にはきっと、普段あまり舞台は観ないけれども、大竹しのぶなら、題材がピアフなら、観てみたいという観客も多いことだろう。
 かの有名な「愛の讃歌」を歌って、大竹ピアフは、多くの人々に喜びと幸せをもたらす優しい愛の持ち主を祝福するのだった。そんな歌が歌えるのも、彼女自身が、そのような優しい愛の持ち主であるからだ。囲み会見で好きだと語っていた「私の神様」も沁みた。自分の芸を神に捧げていた。圧巻、かつ、とてもかわいかった!
 終幕。出し切るだけ出し切って、彼女という人間の表皮が裏返ってしまったかのような姿で、大竹ピアフは舞台に立ち尽くしていた。「あたしが歌うときは、あたしを出すんだ。全部まるごと。」セリフの言葉通りである。
 ――自分自身ははたして、自分の表皮が裏返るまで文章を書いていることがあるだろうか、と考えて、思い出した。毎年、年末。書いて、書いて、書いて、書き尽くす。もちろん多少は持ち越しになってしまうことはあるけれども、大晦日その時点の自分としては書き尽くす。そしてもう、何だか真っ白な灰になる。――ああ、今年の年末も! と思うだに嫌である。年末こわい(笑)。そしてまたすぐ新しい一年が始まって…。
 でも、幸せである。出し切るから、また新たに入れられる。貯めてばかりでも人間、だめである。

 さて。昨秋、『欲望という名の電車』で大竹さんの取材をさせていただいてから、あひるには一つの人生の目標ができたのだった。
「大竹しのぶとマブダチになる!」
 …大きく出たな。出たな、あひるの“大きく出たな”シリーズ。それはさておき。「あんたも人生いろいろあったわね。でも、やるじゃない」と、お互い肩を叩き合う、そんな仲に願わくばなりたい。「お互い肩を叩き合う」がポイントである。まず、肩を叩いてもらえるようになるまでが第一難関。そして、大竹さんの肩をこちらも叩き返せるようになるまでがさらに高いハードル…というか、こうして書いているだけでちょっと身震いが(笑)。女として、人として、まだまだである。でも、去年思っても書けなかった目標が、書けるようになっただけ、前進前進〜。今回の『ピアフ』でも、梅沢昌代が、ピアフの終生のバディ的親友を、淡々と乾いたチャーミングさで演じていて、…そうそう、こんな感じもいいわね…と、いつか来るその日のために、早速参考にするあひる。

 栗山民也の演出は、短いシーンを歯切れよくテンポよく重ねていく。そして、巧みな形で、戦うことの空しさをもメッセージとして忍ばせている。ひょろひょろして、何も感じないみたいな若い人が多いけれども、この舞台では動物的な人間の生き様を観てほしい、とのこと。そうだそうだ! 何だか最近、人と関わらないようにして、傷つかないようにして、小器用に生きている若い人が多いように感じるけれども、もっともっと人と本気で関われ! 傷ついたって、そこから学べることは多いんだから。あひるなんてこの歳になっても心に生傷が絶えないし、そこに塩を塗った手をぐりぐり入れてくる人までいるからときどきもう本当に嫌になるけれども(夏とかさ!)、でも。全然運転しないからゴールドのままの免許証みたいな人生より、あんなこともあった、こんなこともあったと、後からいろいろ振り返ることのできる人生の方が絶対楽しいから!
2018-11-07 22:58 この記事だけ表示