宝塚月組『雨に唄えば』[宝塚]
 …実はあひるは、『雨に唄えば』に、あるときから非常に引っかかるものがあり…。大女優リナ・ラモントのことが、心にずっと引っかかっていて。
 サイレントからトーキーへと移り変わる時代のハリウッド。しゃべらなければ素敵だけれども、しゃべると魅力ぶち壊しのリナ。このままではまずい。リナとコンビを組んできた主人公の映画スター、ドン・ロックウッドは、親友コズモの助けも借り、リナに黙って、恋人となった新進女優キャシーの美しい声で、リナの悪声を吹き替えてしまうことにする。それがリナの知るところとなり、彼女は大激怒。自分にはパブリシティの全権限があると、契約を盾に、キャシーの存在を秘密にし、これからも自分の吹き替えを黙って務めるよう命じる。そんなリナの悪だくみは、映画試写会の場で、ドンとコズモの機転で天下の知るところとなり、ドンとキャシーは晴れて結ばれる――、わけですが。いや、確かにリナはしょうのない人ですよ。自分を客観視できていない。ゴシップ誌の記事を鵜呑みにして、自分とドンとは熱い仲だと(そんな事実はどこにもないのに)信じ込んでいるし、自分の悪声や変な発声とも向き合ってはいない感じだし。でも…、最後、あそこまで公の場でコケにされなくてもいいような…。あの後リナはどうやって生きていったんだろう…。実際、声に魅力がなくて、トーキーへと移り変わる際、映画界を去った人もいたんだろうし…と思うと複雑。歴史的事実を曲げてリナを悪役に描いているのも気になる。ハリウッド映画産業の興隆と法整備との関連を論じた内藤篤の著書『ハリウッド・パワーゲーム―アメリカ映画産業の「法と経済」』によれば、『雨に唄えば』の時代、一女優がパブリシティの全権限をもつといった契約を映画会社と結ぶことは不可能だったとのこと。
 それと、重大な点がもう一つ。リナ役を演じるにあたっては、悪声でセリフを言って歌を歌って、本当に芸達者でなければ務まらないのに、この役を演じていて、役者として、それに報われるだけの喜びははたして味わえるんだろうか――。映画版でリナ役を演じたジーン・ヘイゲンは、キャシーがリナを吹き替えたという設定のセリフも、実際には自分自身でしゃべっていたそうな。何だか、とっても複雑! そんなこんなを考えていると、あんまり楽しめず…。
 そんな思いを抱えて、今回の月組版を観た。
 楽しかった!!!
 まずは、私の心のもやもやなど吹っ飛ばすくらい、輝月ゆうまがリナ役を快演! 嬉々としてこの役を演じていた。世にも楽しそうに、悪声をものともせずに生きていた。ゴシップ記事の妄想をすっかり信じ込むお花畑加減もアホかわいらしい。自分を客観視できていないところが逆に痛快なまでに見えるキャラ作り。これなら、吹き替えがバレた後も、世を忍ぶでもなく、変な声がチャームポイントのおもしろさ抜群の女優として、立派に世間を渡っていけそうなたくましさ。今でも、輝月があのふにゃふにゃした声で晴れやかに歌い上げるラブ・ソングが耳の底に残る。その記憶だけで楽しくなってくる。そして、フィナーレのショーがつくのも、宝塚で『雨に唄えば』を上演する際のいいところだな…と。さっきふにゃふにゃ歌っていた歌を、輝月がきりっと歌って歌唱力を示す。「リナ役は芸達者でないと演じられない」というところを、舞台上できちんと示せる機会があるわけである。ちなみに、輝月ゆうまは男役、公表身長177センチ。ゴージャスなドレスを着て立つ姿に、デカッ! と思う。そんな大きな身体に秘めた、あのふにゃっとしたかわいらしさ。現在公演中の月組『エリザベート』では、エリザベートの父マックス役としていぶし銀の魅力を放っている。…宝塚って本当におもしろいところですね。
 こうして、あひるの心の懸案が見事クリアされたことで、クラシックさが魅力のラブ・コメディの世界に没入できるように。そして、主人公ドン・ロックウッドを演じる珠城りょうが、実にロマンティックで素敵だった! 男役として、初めてドキドキした。彼女の持ち味は真面目一途なところ…と思いきや、これまで数々のラブ・アフェアを楽しんできたプレイボーイに見える。そんなドンが、キャシーに出逢って初めて「僕にはもう君だけだ」となるところに、胸がきゅんとするわけである。
 ドンの相棒コズモを演じる美弥るりかの芸達者ぶりにも目を見張るものがあった。彼女が歌う「メイク・エム・ラフ」は、さまざまな大道具や小道具を使っての身体を張ってのアクションが寸分の隙もなく詰め込まれたコミカルなナンバーである。周囲のキャストとの密な協力関係が成立していないと、タイミングが狂ってしまう。この、実にトリッキーなナンバーを、美弥コズモは、汗一つかいていないような涼しげな顔で、「何にも大変なことはないんですよ」とばかりに楽しげに歌いきって見せた。コズモはドン同様、もともとは芸人。その芸人魂を体現できるだけの美弥の役者魂に、感服した。彼女は小柄な男役である。けれども、フィナーレで、身長177センチの輝月はじめ月組男役陣を率いて踊る姿に、――この身体で組を率いるところを観てみたい、そう感じた。そのとき、宝塚歌劇の新たな地平がまた、拓かれるような。
 ヒロイン・キャシーに抜擢されたのは美園さくら。彼女がヒロインを演じているところを観るのはこれが初めて。最初のうち、緊張が隠せないようだったけれども、ドンとコズモと三人で楽しく歌い踊る「グッドモーニング」のシーンで、何かがほどけたのか、…ぱああっと、ドンをもコズモをも凌駕するようなオーラを放つ一瞬があった。前月組トップ娘役、蒼乃夕妃を彷彿とさせる、思い切りのよさを感じたからかもしれない。『エリザベート』二幕冒頭の「キッチュ」のシーンでは、クレオパトラのような扮装で“エジプトの美女”として歌い踊っている。娘役としての可動域を超えかねないその動きに、元宙組トップ娘役、陽月華をも思い出したことだった。そして、エトワール。あんなに正面きって自分の率直な思いを歌で堂々伝えてくる娘役は、雪組スター晴華みどり以来かもしれないなと…(雰囲気も少し似ている)。月組の次のトップ娘役として、期待大である。
2018-11-18 01:11 この記事だけ表示