改めて、「ロシア杯2018」男子ショートプログラムの羽生結弦の「秋によせて」の演技[フィギュアスケート]
 今、振り返ってみると、その演技を観ていたときの、音と視覚の一切の記憶が、私にはない――。
 もちろん、ニュース映像や写真を観れば、そうだ、こういう衣装でこういう演技をしていたと思うし、曲を聴けば、そうだ、こういう曲だった、と思う。でも、初めてその演技にふれた瞬間の、それが残っていない。残っているのは、まるでブラックホールのような空間で、ただ、相手の心――狂おしいまでに自らの生の意味を求める心――を受け止めたという、その衝撃だけなのである。
 人間の身体には、見るために目という器官があり、聞くために耳という器官がある。だから通常、それを用いる。だが、肉体がなく、ただ心だけが存在し得ると考えた場合、心そのもので見、聞かなくてはならない。だから、あれは、ただ心だけを、ただ心だけで受け止めるという、究極の経験だったのだ。それだけでも、この世に生を享けてよかったと思えるような類の。
2018-11-19 20:43 この記事だけ表示