「それは恋」&そっちの役?!〜『リトル・ナイト・ミュージック』の大竹しのぶ[ミュージカル]
 …では、蜷川幸雄と私の間にあった感情がどのようなものであったか、はっきりと説明するのは難しい。師弟愛もあった。私の方では父に対するような愛を感じていたし、母のような愛への希求を感じたこともあった。シェイクスピア作品における王と道化のような関係にまでなれていたかどうかは、私の方にどこまで“道化”としての才能があったかによるけれども…。今年、「お二人は、僕の目にはこう映っていましたよ!」と、本当に素敵な、おしゃれな形で伝えてくださった方がいて、…そんな風に見えていたんだとしたら、うれしいな…と、ぐっと来るものがあったけれども。
 いずれにせよ、私は、彼が亡くなってからしばらく、自分の胸の中にぽっかりと空いた穴をぼんやり見つめていて、ある日、悟ったのである。…ああ、これは、失恋したときと同じ感覚だな…と。「それは恋」だと――「それは恋」は、蜷川幸雄がかつて演出した『近松心中物語』で流れた、森進一の歌う主題歌である(戯曲も歌詞も秋元松代の手による)。恋と言っても無論、「芸術上の恋」である。そして、通常「恋」という言葉から想像するような、甘い雰囲気というものは一切なかった。激しく切り結び合って、隙あらば斬る、そんな、凄絶な魂の闘いだった。そのときのことを思い出すと、…今の自分は自分に甘すぎるだろうか…と反省するときがある。もっと自分に厳しくあらねばならないのではないか、と。
 そして私は、昨年秋、『欲望という名の電車』に出演する大竹しのぶさんの取材に行った。
 …ああ、この人の胸にも、同じ穴が開いているんだな…と思った。「手を取って一緒に泣きたかった」と書いたのは、そういう思いからである。

 さて、取材をしているとき、私の胸にはもう一つの思いもあった。…自分、何やっているんだろうな…という思い。
 好きなミュージカルの曲は多い。けれども、その中で、『リトル・ナイト・ミュージック』の「センド・イン・ザ・クラウンズ」(道化!)と、『グレイ・ガーデンズ』の「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」が、とりわけ好きである。…どちらも、女性が年齢を重ねることを歌ったナンバーなのだけれども、「センド・イン・ザ・クラウンズ」が「…歳をとったことよ…」としみじみするのに対し、「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」は「…私ってば、いつの間にか歳をとっちゃってたんだ!…」と、自分で自分に驚く感じというか。
 『リトル・ナイト・ミュージック』に関しては、1973年のブロードウェイ初演のCDを一時期毎日繰り返し聴いていて、その中で「センド・イン・ザ・クラウンズ」を歌うグリニス・ジョーンズは少々声が老いすぎているようにも感じて、ロンドンのウエストエンドにあったミュージカル専門店「ドレス・サークル」の店員のおじさまに「他にいいのないですかね」と相談したら、「老いた女の歌なんだからあれでいいの!」とちょっとガミガミ言いつつ他の人のCDを出してきてくれたことも。ちなみに、2009年のブロードウェイ再演も観たけれども、キャサリン・ゼタ=ジョーンズが、まったく気持ちは盛り上がっていないのに、この曲を歌う瞬間になったら突如として涙だけ流し始める、その芸当に、本当にびっくりした…。
 『グレイ・ガーデンズ』については2006年のブロードウェイ初演を観て大好きになり、これまたCDを一時期毎日繰り返して聴いていたけれども、「♪私の季節はだいぶ前に終わってしまった/なのに、誰もパーティのテントをしまいに来なかった」と歌う「アナザー・ウィンター・イン・ザ・サマー・タウン」の歌詞は、今かみしめると『欲望という名の電車』に何だかとても重なるような…。ちなみに、『グレイ・ガーデンズ』で主人公イーディス・ブービエ・ビールを演じたクリスティーン・エバーソールは、この演技で2007年度のトニー賞ミュージカル部門主演女優賞を受賞するのだけれども、その際、…ハリウッドではもう歳が行き過ぎていると言われた私が、今こうしてブロードウェイで賞を受けるなんて! …という、女性が年齢を重ねることについてあれこれ言われることに対するある種の告発のようなスピーチを、実に美しい澄み切った声でしていて、それは凄みがあったことだった。
 30代の私は、この二つの曲を繰り返し聞いていて、「…いつか、自分が歳をとったなと思ったとき、この二つの曲を歌いこなせる女優が日本に現れて、その歌を聴いてしみじみしたいな…」と思っていたのだった。同世代で、そういう女優になれそうな人がいたらいいな…と思っていた。それで何だかあれこれ必死になっていた部分も大いにあったのだった。
 …いるじゃん! 目の前に! 『グレイ・ガーデンズ』もやって、今度『リトル・ナイト・ミュージック』をやろうとしている人が。
 大竹しのぶ!
 私とは15歳違いである。私が10歳のとき、相手は25歳。子供にとっては、…大人! という感じである。それが、年齢を重ねていくにつれて、年齢差、その体感は、薄れたり、揺らいだりしていくものであるということに、年齢を重ねたからこそ気づいた。その人の中で年月がどう重なっているかが重要なのである。だから、年上でも若いな、幼いなと感じる人もいれば、年下でも立派な大人だなと感じる人もいる。年齢は本当に一つの数的メルクマールに過ぎない。そして、45歳(取材当時)になった私からすれば、大竹しのぶは、いい意味で年月を重ねていて、でも、いい意味で本当に若々しくて、…あちらから見ればずうずうしく映るかもしれないけれども、もう、同世代ってことでいい! と。
 彼女の『グレイ・ガーデンズ』は、残念ながら観られなかった――実家の愛犬は死ぬわ、厳寒のニューヨークに出張はするわ、帰ってきたら仕事が大変なことになっているわ、そんな2009年12月だった――。『リトル・ナイト・ミュージック』こそは!

 『リトル・ナイト・ミュージック』は、イングマール・ベルイマンの映画『夏の夜は三たび微笑む』をミュージカル化したものである。ヒロイン・デジレは、娘フレデリカを母に預けて旅回りの役者稼業をしている。母はかつて貴族の囲われ者で、デジレの生き方についていろいろ思うところがある。デジレは今はカールマグナス・マルコムという軍人の愛人であり、彼の妻シャーロットもその関係に気づいている。一方、成功した弁護士フレデリック・エガーマンには、息子ヘンリックよりも年下の18歳の幼な妻アンがいるが、結婚から一年近く経とうというのにアンはフレデリックとの同衾を拒み続けており、ヘンリックもまた深く悩める若者である。ある夜、フレデリックはデジレの公演を観に行き、かつて恋仲だった二人は再び愛を交わす。フレデリックとアンの夫婦仲がうまく行っていないことを知ったデジレは一計をめぐらし、週末、母の館へと皆を招待する。作詞・作曲はスティーヴン・ソンドハイム。ときにチャイコフスキーをも思わせる優美なワルツは、空の彼方へ、ふわっと、聴く者の心をいざなうように響く。音楽もセリフも実にウィットに富んだ中に、一つのテーマとして“欲望”――デジレ!――がある。女中のペトラに誘惑されたり、青春真っ盛りのヘンリックは最終的にアンと駆け落ちするし、一度はデジレの求婚を拒むフレデリックも、やはり自分の心の中にある愛を認め、デジレと結ばれる。拒まれた際にデジレが一人歌い、そして、結ばれたデジレとフレデリックがラストで二人、今度はリプライズで歌うのが、「センド・イン・ザ・クラウンズ」。
 …迷うことなくデジレでしょう!!!
 舞台冒頭からそう思ってしまったあひるであった。なんであんなにチャーミングなのか…。確かにデジレの生き方は、彼女の母が懐疑的に思うように、人生設計がきちんとできている、何らかの打算や計算ができているものではないかもしれない。未婚の母で、今は女優としても少々行きづまっていて、愛人もかっこいいにはいいけど頭が何だか空っぽぽいし…。でも、終始、生き生きしている。生を謳歌している! 立ち止まっても、傷ついても、生を謳歌することをやめない。その都度その都度、命の炎を燃やしている。だから、心ひかれる。
 「センド・イン・ザ・クラウンズ」。
 涙涙涙。
 そして、ラストのリプライズ。
 …えっ?! そっちの役?!
 いつの間にか、何だかものすごい見えない圧により、風間杜夫演じるフレデリックに自らを重ね合わさざるを得ないあひるであった。…私にとって、大竹しのぶを受け止めるということは、そういうことなのである。男の側に立つ。この後、秋に観た『ピアフ』でもそうだった。宝塚歌劇における男役/娘役の関係性を、舞台と客席とで行なう感じというか。しかし。あひるはかつて、「男役になりたかった」と書いて、笑いを誘った人間である。男役、娘役で言うなら、どう考えても娘役向き。なのだが、大竹しのぶはいつでも絶対に「女」で向かってくる。…すごいと思う。しかたない。いつか来るマブダチの日のためにも、自分の中の「男」を強固に磨いておかねばなるまい…と決意するあひる。
 それにしても。あんなに何度も繰り返し聴いていた「センド・イン・ザ・クラウンズ」を、フレデリックの立場でしみじみ聴くことになるとは、まったくもって思わなかった…。そして、そうして聴いていて、幸せだった。生きてみなきゃ、わからない。人生って本当におもしろい。ちなみに。リプライズの方の歌詞では、「リア王」への言及があるのだった。

 ヘンリック役のウエンツ瑛士が、思春期特有の青年のもやもやをナイーヴに表現していて◎。カールマグナス役の栗原英雄も、軍人ならではのぴんと一本筋の通った立ち姿に軍服がよく似合う。“欲望”がテーマのこの作品においてキーパーソンである女中のペトラ役の瀬戸カトリーヌ(このときは「瀬戸たかの」)も、「粉屋の息子」の歌唱において存在感を示していた。それにしても。あの三拍子(の曲だけではないけれども)に日本語を乗せて歌うのは難しい! スタッフ・キャストに拍手。

(4月23日13時半の部、日生劇場)
2018-12-29 18:56 この記事だけ表示