覚悟新たに〜Kバレエカンパニー『くるみ割り人形』[バレエ]
 長年赤坂ACT劇場で上演され、赤坂サカスの冬の風物詩となっていたKバレエカンパニー『くるみ割り人形』、久々のオーチャードホールでの上演である(12月6日18時半の部)。赤坂ACT劇場では録音による上演だったけれども、今回は生オーケストラの演奏、そして舞台装置も改訂。
 いつにも増して美しい、「雪の国」の情景。激しく舞う踊り手。激しく降る紙吹雪。雪。雪。雪は、無音で降る。けれども、チャイコフスキーは鳴り響く。…その音は、心象風景。雪景色を見守る者の。――カナダの雪の中の少女が、手を伸ばす。と、そこには、時空を超えて、北海道の雪の中にいる少年がいる! …それは、十日ほど前、同じオーチャードホールで開催された「横山幸雄 華麗なるロシア4大ピアノ協奏曲の響宴」で観たヴィジョン、金がかった白一面の世界とも重なった。その白の世界で踊っていた相手の一人は、もちろん。
 二幕の「人形の国」に入ると、…ちょっと、オーケストラとダンサーの呼吸が合っていないかな…と。それと、一幕ラストの「雪の国」が息を吞むほど美しかったのとの対比で、ラストが少々物足りなく感じてしまい…。「人形の国」のラストの総踊りで、舞台前方までうわあっと押し寄せてくる、あの迫力が、インティメートな赤坂ACT劇場の劇場空間でなされたときと、劇場空間がさらに広がったオーチャードホールとでは、観ている側の受け取り方も異なってしまうからかな…とも思うのだけれども。もちろん、前述した演奏との呼吸の問題があるのかもしれず、来年以降に期待。

 10月の『ロミオとジュリエット』に寄せて、書いた。「同い年で、もう20年以上も芸術監督の携わる舞台を観てきていて、どこか、空気のように当然そこにいて、いつも当然のように美しい舞台を創り続けているように思っていて、私は何だか相当甘えているなと思ったのである。それは決して当然ではないのである。純粋な愛と同じくらい、純粋な美は存在し難い」と。最近、自分で書いたこの言葉の意味に深く気づかされた。芸術監督に、甘えている。ということはイコール、他の人、とりわけ自分より下の世代に対しての要求水準が厳しいということなのである。何しろ、同い年に、熊川哲也芸術監督という人がいたから。
 来年、創立20周年。ということは、Kバレエカンパニーを立ち上げたとき、熊川哲也は26歳である。
 先月の記者懇談会で、芸術監督は、「自分は蜷川(幸雄)さんみたいに(舞台を)年に十本とかはできない」と言いつつも、「人の三倍のスピードで走ってきたよね」と語っていた。もちろん、稀有な人である。それは否定しない。そりゃあ、世間にそうそう熊川哲也はいまいという思いと、でも、熊川哲也を見習ってみんな頑張ろうぜ! という思いと。本当にぶれない人なのである。美を探求して、とどまるところがない。
 来年一月の『ベートーヴェン 第九』と三月の『カルメン』で、芸術監督は久々、舞台に立つ。先月の記者懇談会で、その理由について語っていた。――観客のためではない。自分のためでもない。若いダンサーに、自分と同じ舞台に立って同じ空気を吸うということはどういうことなのか、その経験からしかわからない何か霊的なものを伝えるために、自分は舞台に立つのだと。

 同い年の人間、評論家として、私は、熊川哲也芸術監督に恥じるような文章は決して書きたくない。これまでもあったその覚悟を、さらに固めた2018年。
2018-12-29 23:46 この記事だけ表示