『セールスマンの死』
 11月14日19時の部、KAAT神奈川芸術劇場ホール。
 MEGに掲載された観劇レポート(http://www.meg-net.com/blog/entry-565.html)もあわせてお読みください。
 主人公ウィリー・ローマンを演じる風間杜夫が居丈高にまくし立て始めたそのとき…、自分の父親のことを思い出した。KAATに向かう電車の中で戯曲を読んでいたときには、まったく思わなかったのに。
 基本的には本当に心優しい人で、…でも、弱いのに、お酒を飲んで、家で荒れることがごくたま〜にあって…。暴力をふるうような人では絶対にないのだけれども、物には当たっていたな…と。高校三年生で大学受験を控えた秋にもあったし、一夜漬けで必死な大学三年の試験の前夜にも…。その試験のときは、なぜか学年で数人しか取れない優を取ってしまい、お父さんのおかげで火事場の馬鹿力が出たのだろうか…と、不思議だったけれども。
 そのころの父の年齢に近づいた今、思う。…何をそんなに荒れたいことがあったのかな…と。聞いてあげられることはなかったのかな…と。しかし、まあ、ないだろうな…。人に言う人じゃないし。だから、溜めていて、ときどき爆発するわけで。ましてや、当時の私は、今の私じゃない。大人じゃない。今ならば理解してあげられるのかもしれないのに…というのは、どんなに願っても叶わぬ夢でしかないのだけれども。
 つらかったんでしょうね、きっと。いろいろ。男として、社会に出て、家族を養うために働くということが。ましてや彼は、藤本家を守るためにそこに養子に出されたという、彼にとっては大きな心の傷となった出来事をずっと抱えて生きていたわけで、そりゃまあ、たまにはお酒を飲んで荒れたくもなるだろうな…と、今ならばわかる。あひるだってたまーに飲んだくれたい夜もあるもの。ただまあ、父と、これまたお酒に弱い母の血を受け継いで、ほぼ飲めない体質なので、飲んで鬱憤を晴らすということは一切できませんが。…じゃあ、どうやってストレス解消しているかって? うーん、やっぱり、好きなことを一生懸命やることですかね。それと、好きな近代建築を観に行ったりとか。一番手っ取り早いのは、日本橋三越本店に行くこと。近代建築の重要文化財の中で、ウィンドーショッピングしたり、お茶したり。中央の巨大吹き抜けの美しい装飾の下にたたずんで、おわします天女像に最近の出来事を報告したり。

 それとはまた、まったく別に。今年、…なんでそこまで「男」を頑張って「演じ」なきゃいけないんだろうか? と思う出来事があって。舞台とかフィギュアスケートとか、演じるということが要求されている場においてではない。普通の、一般の、日常において。「男」とか、「家長」とか。昔だったら、「それはそういうものだから」と周りも思っていて、それで「演技」を合わせている部分もあったと思う。でも、もはや周りにそういう気持ちがないのに、もはやそういう時代でもないだろうと周りは思っているのに、一人、そういう「演技」を頑張ってされたとしても、…大変だな…というか、そんなめんどくさいこと、もう、背負うのやめちゃったらどうですか? と思う。そんな「演技」なんかやめて、普通に人と人として接していった方が楽じゃないですか? と。
 そんなことを思う機会があったので、舞台のラスト、「鎮魂歌」と題されたウィリー・ローマンの葬儀のシーン、父ウィリーと同じ道をまたなぞろうとしている次男ハッピーを観ていて、…腹立たしさに、膝に抱えていたバッグを殴りたいくらいで…。
 自分で、自分に、自分を苦しめるようなことになる「演技」なんて課さなくていいんです。男も、女も。自分でないものに無理になろうとする必要なんてない。――もちろん、頑張って「何か」を「演じて」いるうちに、その「何か」に自然となれていたということもあるとは思うけれども。あなたがあなたであることの中に、美しさがあるはずなのである。美が見えないとしたら、それは何かがその美を覆い隠しているから。魔物とか。幻想とか。
 父ウィリーの「演技」を見破ったビフが、…ああ、こうして、またしても「演技」は続いていくんだな…と、冷徹な目でその場に立っているのが、せめてもの「鎮魂歌」に思えて。ビフに扮した演じた山内圭哉は、今年の最優秀助演男優賞ものの演技。
 長塚圭史の演出には、熟練した高級時計職人の名人芸を思わせるものがあった。役者がパーツなのでは決してない。個々の役者が発する一つ一つのセリフ、間、しぐさ、そういった実に細かなものを、一つ一つ切り出し、丁寧に磨き上げ、組み合わせ、一切が滑らかに動くように、寸分の隙もなく調整していく。そうして紡ぎ出された、三時間超の時間。そこに、人間がいた。人生があった。真実があった。――私も、改めて父に出逢えた。父がいて、私がいて。今さら変えようがない、事実。父が幸せだったか、今の私には何とも言いようがない。けれども、私には言うことができる。お父さんの娘に生まれてきて、私は幸せです、と。
2018-12-30 14:33 この記事だけ表示