宝塚雪組公演『ファントム』[宝塚]
 1・2月の日比谷では、東京宝塚劇場で雪組が『ファントム』、そして隣の日生劇場で『ラブ・ネバー・ダイ』と、ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』がベースとなったミュージカルが二つ上演されていた。昨年はケン・ヒル版が来日公演を行ない、今年秋には梅田芸術劇場他で『ファントム』の上演…と、まだまだ続く怪人ブーム。
 花の都、パリ。――光と影。明と暗。その交錯が、今回の雪組『ファントム』には鮮やかに描き出されている。農場育ちの少女クリスティーヌが、パリにやって来て、パリの歌を歌う――アメリカ人作曲家、モーリー・イェストンの手による曲は、宝塚で長年愛唱されているフランス生まれの曲と比べると、幾分ポップに感じられる。彼女はオペラ座で歌うことを夢見、劇場へと足を運ぶ。そこでは騒動が持ち上がっている。金の力で劇場の主に収まった夫妻が、長らく務めてきた支配人を解任してしまう。しかし、夫妻と、劇場に棲みついた怪人との間で諍いが起こり――。
 劇場に棲まう怪人。魔物。幻想――ファントム。それを取り上げて描く演目は当然のように、ある種“魔物祓い”の性格を帯びざるを得ない――例えば、作中、すべての演目で主役に収まり、物語を書き換えてまで自分が好きなように演じ、歌うと宣言するカルロッタ(その力の源泉は、財力である)という役どころが体現するのは、悪しき“主演”論である。
 今回、雪組生全員で果敢にこの演目に取り組んだ結果、大きな幻想が追い払われ、葬送された。それが何よりの成果だったと思う。MVPは無論、全身全霊を傾ける演技でタイトルロールを務めた――すなわち、自身で、対象となる幻想を見事演じきった――雪組トップスター望海風斗である。
 昨年一年、彼女に対していささかの物足りなさを感じていた。バレーボールの例えで言えば。雪組は組全体がきちっとしているから、レシーブ、トスまでは誰が上げてもいいつながりなのである。けれども。何だか、そうして上がった球を無難に返してくる印象が。
「そこで強打せんか〜!!!」
の、じれったさ。…じゃあ、そちらがエースアタッカー、やる? と、トップ娘役真彩希帆に目をやってみれば。…バレーボールをしていない。何かはよくわからないが、違う競技をしている。でも、…点が入るなら、それでいい〜…とばかりに、球はじゃんじゃん集まっているような。…これはありなんだろうか…と、娘役の在り方に厳しい組長梨花ますみに目を向けてみたが、OKのようである。おもしろい状況になっているなと、そう感じていた2018年。
 2019年。ファントムを演じる望海は、昨年とは打って変わって、もうびしばしの強打である。文句なしのエースアタッカー。待ってました〜! と、年始から強打を浴びるように受け、涙涙涙。7年前の上演の際、…この演目はキャリエール役者に負担が大きいな…と感じ、そのように書きもしたけれども、ここまで己のすべてを捧げる演技を見せるならば――“ファントム”が体現する、人の弱さや心の闇と向き合うならば――ファントム役者にも非常に心の負担が大きいことだろうと思う――それを言えば、カルロッタ役者にも非常に負担の大きな演目なのだけれども。
 それでいて、望海のファントムには、いい意味での軽やかさがある。オペラ『カルメン』のリハーサルにファントムが乱入し、場を混乱に陥れるシーン――その『カルメン』は、フランス人作家プロスペル・メリメの小説に、フランス人作曲家ジョルジュ・ビゼーが作曲した、スペインを舞台にした物語である――。このシーン、望海ファントムは軽快な踊りで笑いを誘う。その様は、怪人がいようがいまいが実際に劇場で起こり得るであろう、誰かの“いたずら”のようにも思われる、ちょっとしたハプニングを想起させずにはおかない。
 劇場は、光と影、明と暗が交錯する場所である。光あふれる舞台上と、闇に包まれた舞台袖、客席と。光を浴びる者と、浴びない者と。ファントムのレッスンによって脚光を浴びるようになったクリスティーヌと、依然闇に棲まうファントムと。
 ファントムが求め続けた、美しい声――母の声。クリスティーヌが聴かせるその声こそが、ファントムとキャリエール、断絶していた父子を結びつける絆となる――クリスティーヌの声に、ファントムは母を、キャリエールは妻を、聴く。結末は、悲劇かもしれない。けれども、真実が照らし出されたその結末には、救いがある。クリスティーヌ役の真彩希帆は、父子の絆となるにふさわしい、美しい声を聴かせる。望海ファントムとのデュエットに、心震え、心洗われる思い。キャリエール役の彩風咲奈も、一切のエロスを持ち込むことなくこの役を造形してみせた。ファントムを乗り越えた雪組に、明るい未来の光が差し込んでいる。
2019-02-10 01:06 この記事だけ表示