遅ればせながら、『いだてん』二十二回目〜[ドラマ]
 原稿19本、やっと終わった〜。ということで、時を巻き戻しまして。
 6月上旬、『ブラスト!:ザ・ミュージック・オブ・ディズニー』の公演プログラムの取材のため、山形県南陽市の赤湯温泉に赴いたあひる。…山形と仙台、近いよね…ということで、これまで行ったことのなかった仙台まで足を延ばしてきました。フィギュアスケートのオリンピックモニュメントと、今年の三月に亡くなった建築家の伯父(母の兄)が建築事務所のスタッフとして関わった東北大学附属図書館、そして、まだ見たことのない仙台の近代建築を見たいなと思い。…途中で、思った。『ファンタジー・オン・アイス』が仙台に行く週にあひるは神戸、神戸に行く週にあひるは仙台。まあ、週を入れ替えたところで観られないのですが、それはさておき。
 山形から仙台までは高速バスで一時間ほど。車中ではっと気づいた。『いだてん』を観ていて、…あ、この場面を書いているとき、平昌オリンピックの羽生結弦選手のことが作者の念頭にあったんだろうな…と感じることが、何回か。思えば、そこには、宮城県出身の宮藤官九郎が、宮城県出身の羽生結弦、同郷人に寄せる思いもあったんだな…と。
 一夜を過ごして翌日、早速、オリンピックモニュメントのある地下鉄東西線国際センター駅へ。ちなみに、出張先で充電できなくなったあひるの携帯ですが、国際センター駅で取り出してオリンピックモニュメントの写真を一枚撮った瞬間、ご臨終。そこから、日本のフィギュアスケート発祥の地「五色沼」まで、数分の道のりを歩いて行った。その名称に引っかかりを覚えながら。
 五色沼は、青葉城の堀の一部である。小さな池である。こちらにもフィギュアスケートにちなんだモニュメントがあり、そして、写真の添えられた説明版がある。大正13年(1924年)、五人並んで互いに手を組んで滑る、学生服姿の旧制第二高等学校の生徒たち――。
「…おじいちゃん!?」
 その写真を見た瞬間、はっとした。
 あひるの母方の祖父は明治43年(1910年)生まれ、会津若松出身で足袋屋の次男。飛び級して、仙台の二高、そして東京帝国大学に進んだ。その祖父が、下駄に刃をつけてスケートをしていた…という話を、子供のころ、スケートをするたびに母から聞かされた。私は、それは会津若松での出来事だと思っていた。でも。二高に進んでからは、仙台で、五色沼で、スケートをしていたかもしれない。その可能性に、仙台の地に足を運んで初めて気づいたのである。だいたい。福島県に縁のある人間にとって、「五色沼」といえば、裏磐梯にある美しい小湖沼群の地名としてなじみがある――だからこそ、国際センター駅から数分、私は引っかかりを覚えながら歩いていたのである。
 …しばし、その場で呆然としていた。
 そして、五色沼から徒歩数分のところに、東北大学附属図書館があるのだった――国際センター駅から歩いても徒歩数分である。私はそこで、伯父がその建物の建設に確かに関わった証拠を探した――書架の間を歩きながら、図書館と、人間の脳とのアナロジーについて考えていた――誰かがアクセスすることで初めて何かしらの意味をもつ、そんな情報のつまった小宇宙。伯父は、東京大学建築学科を卒業して鬼頭梓建築設計事務所に入所、そして、鬼頭梓設計の東北大学附属図書館が建設される際、東北大学の建築学科で一つ空いていた助手のポストに採用され、そこから施設部に出向するという形で、現地常駐スタッフとして関わっていたことがわかった――そうして建てられた図書館で、私はそんな情報にアクセスしていた。だいたいが、図書館の建物を見た瞬間、私は苦笑の内に大ウケしていたのだった――コンクリート打ち放しだ! と。伯父が自分の設計で東京・中野に建てた自邸もそうだったから。その手法ゆえに、湿気と雨漏りに大いに悩まされたあの白い四角い家――「コンクリート打ち放しだったよ」と報告したら、母も弟も苦笑していたくらい。内側もよく似ていた。上がったり下がったりする階段によって、幾層もの階層が構成される内部空間。
 ということで。その前日まで何の思いもなかった、仙台の国際センター駅の近くに、私にとって非常に感慨深いトライアングルが一気に形成されたというわけです。人生の不思議。
 それから、祖父が通った二高の跡地(東北大学旧雨宮キャンパス)や、東北大学片平キャンパスの近代建築群も見学。東北大学史料館に行った際には、偶然にもいきなり「ニールス・ボーア博士が…」なる映像が流れてびっくり。ニールス・ボーアといえば、20世紀を代表する理論物理学者の一人で、あひるが大好きな戯曲『コペンハーゲン』の登場人物。その彼が、戦前東北大学を訪れていたとは! さまざまな偶然の重なりに、ほとんど、…ああ、私はこの地に呼ばれたんだな…と思い。
 翌日は山形に戻り、「自転車節」では追っつかないようなスピードで観光レンタサイクルを飛ばして近代建築めぐり。いや、二年前に赤湯に出張した際も山形に足を延ばして見ましたが、いい近代建築は何回見てもいいのです。廃墟となっている「山形師範学校音楽練習室」の、人間の造形物と自然とが織り成す偶然の風化の美しさ。三島通庸が設計にも口を出したという「旧済生館病院本館(山形市郷土館)」には、彼の息子である三島弥彦の評伝本も置かれていました。
 …え? 『いだてん』と関係ない話が長い? いや、何がどこでどう関係しているかわからない、その不思議を語るのがこの作品の醍醐味の一つでは? 祖父の青春時代と『いだてん』の時代は重なっているわけだし。
 ということで、二十二回目『ヴィーナスの誕生』〜。
 若き日の志ん生=孝蔵(森山未來)は真打ちになるも相も変わらずの無頼ぶり。見かねた小梅(橋本愛)&清さん(峯田和伸)夫婦に世話され、おりん(夏帆)と結婚することに。一方、金栗四三(中村勘九郎)の思いが通じ、スポーツに熱中する「竹早」(東京府立第二高等女学校)の女生徒たち。憧れのフランスのテニス選手、スザンヌ・ランランばりのかわいいユニフォームを、ハリマヤの黒坂辛作(三宅弘城)のミシンを借りて製作〜。話題となったユニフォームは、シマちゃん先生(杉咲花)の夫増野(柄本佑)の勤務先である日本橋の百貨店のウィンドウも飾ることに。陸上選手の美しい脚に憧れ、走り始めた竹早女子。しかし、岡山でのテニス大会で、人見絹枝(菅原小春)と戦い、惨敗。絹枝を陸上競技にスカウトするシマちゃん先生。でも、女子として背が高いことがコンプレックスの絹枝は首を縦に振らない。――大正11年(1922年)、初めての女子の陸上大会。村田富江(黒島結菜)は足と靴をフィットさせるため、靴下を脱いでしまう。女生徒の素足に、光るカメラのフラッシュ。――それが、問題に。エロに紛れて浅草で売られる富江の素足写真――売っていたのは、怪しげな露天商となった美川(勝地涼)だった。おいおい(笑)。富江の父(板尾創路)は大憤慨、「男が目隠ししたらいい」と言い返した四三にさらに憤慨し、四三の免職の署名運動を。それに抗議し、教室に立てこもる竹早女子たちの叫び。
「女らしさって何ですか!」
 ――そういや、それから百年ほど経った今も、とある国の大統領が、自分のところで働く女性たちに対して「女らしい服装をしろ」と言ったとか言わないとか。それはさておき。さあ、四三先生、どうする?
 『いだてん紀行』で、二階堂トクヨ創設の日本女子体育大学に伝わる「トクヨのダンス」が実際に見られてよかった。ちょっとシュールに見えるあのダンス、実際にあるものだったんですね。いつか生で観てみたい。
2019-06-30 01:18 この記事だけ表示