「オータムクラシック2019」男女フリースケーティングの演技←NHKドラマ『いだてん』三十五回目
 最初に、世界フィギュアスケート界の皆さんへ。
 …私がこのブログにしたためている文章が、皆さんにどのような届き方をしているのか、細かなところまでは私にはわかりません。私にわかるのは、とにもかくにも「伝わっている」ということ。その際、おそらく、フィギュアスケートに関して書かれた部分、あるいは、気になる選手の演技について書かれた部分のみが訳され、伝わっているのだろうと想像します。
 けれども、私という人間がフィギュアスケートについて感じ、考察する上では、私が日々接してさまざまな舞台芸術や文化に接して得た知見が大きく作用していることは言うまでもないことです。そして今夜は、他ジャンルの話も含めた上で書くことが必要だと痛感しました。ですから、翻訳の苦労をされている方も、「この部分は関係ない」と思わず、どうぞこの項すべてをお訳しくださるようお願いいたします。

 今年、日本では、国営放送NHKによって、一年間にわたって『いだてん』というドラマが放送されています。テーマはオリンピックです。日本人として初めてオリンピックに参加したマラソンランナーと、日本に初めてオリンピックを招致した人物が主人公。19世紀末から1964年の東京オリンピックまでを描く作品です。東京オリンピックは夏季オリンピックですから、残念ながらフィギュアスケートは登場しません。けれども、もっとも最近開催されたオリンピックが2018年の冬季平昌オリンピックであり、その大会において日本人選手が活躍したことが、この作品に影響を与えていることは間違いありません。
 今夜『いだてん』において放送されたのは、1936年のIOC総会において1940年に東京でのオリンピック開催が決定したエピソード、そして、1936年のベルリン・オリンピックの模様でした――1936年はヒトラー率いるナチス・ドイツによって政治的に利用された大会であり、そして、1940年は戦争をはじめとする当時の国際情勢によって結局は開催を返上しなくてはならなかった“幻”の大会です。
 ベルリン・オリンピックのマラソン競技では、日本の孫基禎選手が金メダル、南昇竜選手が銅メダルを獲得しました――実際のところ、彼ら二人は朝鮮半島の出身であり、1910年の日韓併合によって、出場当時は日本国籍だったわけです。ドラマでは、二人が日の丸の国旗を前にいったいどのような複雑な思いをしただろうか、という言及がなされました。そのとき、二人が競技の際に履いていた運動足袋を作った日本の足袋職人は言葉を挟みます――足袋とは本来和装する際に履くものですが、運動靴がなかった時代、日本人は改良した足袋を履いて走っていたのです――ちなみに、私の曾祖父も足袋職人でした――。彼の言葉はこうです。どこの国の選手であろうが、「俺の作った足袋履いて走った選手はちゃんと応援するし、勝ったらうれしい」と。
 今夜の放送の中でもっとも心を揺さぶるこのエピソードは、私に、平昌オリンピックのときの記憶を思い起こさせました。――夜な夜な、テレビでは、「日本人選手がまた勝ちました!」と報道している。あ、勝ったんだ、うれしいな、と思っていた。けれども、だんだん怖くなってきた。――なぜ、日本人選手が勝ったときだけ喜ぶのだろう。なぜ、他の国の選手が勝ったときには喜ばないのだろう――他の国の選手が勝ったときは、自国選手が勝ったときほど報道されないというのは、どこの国でも似たり寄ったりだろうとは思いますが。私は考えた。それは、同じ国に生まれたという親近感があり、それまでの報道もあって、どんな選手だか何となく知っているからではないか。他の国の選手についてはなかなか情報を知らなかったりするから、知らない人に思えて、喜びが感じにくいのではないか。
 勝った勝ったとオリンピックで喜んでいるうちに、…私は、もしこれが、戦争についての報道だったら…と恐ろしくなってきたのです。
私は、日本に生まれた人間として、自分の母国を愛し、よりよい国にしたいと願っているし、日本の文化を、日本語という言語を愛している。けれども、その私の祖国に対する愛の中には、他文化や他言語に勝った、負けたという争いの要素は一切ない。
 私は、羽生結弦選手が平昌オリンピックの男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した際の私自身の喜びを、もう一度振り返ってみました――そして、その喜びの中に、ただ偏狭なだけのナショナリズムはなかったと断言できます。羽生結弦選手がフィギュアスケートのリンクにおいて体現する美を愛する私は、彼がその美をもって世界の頂点に立ったことが心からうれしかった。そして彼は、日本語を解する日本人だった。
 平昌オリンピックのころの私は、自分の文章が、誰かの手によって訳され、母国以外の人々によって読まれるようになるという可能性を想像すらしていなかった。…どうやら事態が変わってきたんだなということを知ったのは、昨シーズンの途中からです。そのとき私は思った。オリンピックのすべての競技に出場しているすべての国のすべての選手について知り、そのすべての選手の勝利や健闘について讃えることは、物理的にも私にはできない。けれども、自分が子供のころにやっていたフィギュアスケートならば。私が舞台評論家として従事する舞台芸術の分野とも密接に関係するフィギュアスケートならば。これまで自分がその演技を愛してきたフィギュアスケート選手の出身国を考えても、本当にバラバラです。つまり、フィギュアスケートを観るとき、私にとって国は関係ないのです。もちろん、それぞれの国には固有の文化があり、その文化の中で生きてきた人間だからこそ醸し出せる個性もあり、そんな新たな発見ができるという喜びもある。けれども、美の前に国境はない。
 私は今、そんな気持ちで、フィギュアスケートを観て、書いています。

 テレビ放映順。

 イム・ウンス。
 彼女の可憐な魅力を引き立てる素敵な色の衣装で、ジャンプの際も軽やかに映える。大人の世界に憧れる、夢見る少女がそこにいた。コレオステップのあたり、音楽の雄大さともっと一体化するとさらにいいかも。

 エフゲニア・メドベージェワ。曲は『SAYURI』。
 私自身は『SAYURI』を読んでいないし、映画を観てもいない。何というか、日本の女性というと何かすぐに芸者がイメージされすぎやしない? と思って、もうそれだけで敬遠してしまうものが…。それくらい、今の日本女性と芸者なる存在は遠い。セーラームーンの方がまだ全然近い。ちなみに、とあるジャポニスムの女性研究者も、かつて『SAYURI』の曲で演じられたフィギュアスケートの演技について、バッサリ斬っていた(どの選手の演技かの言及はなかったけれども、時期的に宮原知子の演技にあらず)。
 スケート、とても伸びやかになったと思います。

 カレン・チェン。
 何だかちょっとあせりが感じられた。ショートプログラムのときから、スケートリンクに戻って来た喜びは伝わってきていたから、その喜びを自分の心と身体でもっと味わって! 最後の手を組んでのスピンはとても美しい。

 紀平梨花。
 こちらの衣装もとても◎! 素敵なニュアンスの色で、スカートの広がりも美しい。
 振付はトム・ディクソン。曲は『International Angel of Peace』。世界のさまざまな曲をちりばめて。
 これまた、実に野心的なプログラムである。紀平梨花なる存在に寄せる期待の大きさを感じる。彼女ならば、彼女自身の新しい地平と共に、フィギュアスケートに新たな地平を拓いていける、そんな確信をもって振り付けられている。
 というわけで。
貴女は若くして、インスピレーション、ミューズになったのです――もちろん、私も貴女にインスピレーションを受けるところの一人だけれども。
 若い貴女です。どうして私ばっかりこんなに大変なんだろう? とキリキリしてしまうこともあるかもしれない。でも。技術的にも、表現の上でも、それだけ才能を認められているということ。それは幸せなことです!
 フィギュアスケートに選ばれた喜びを忘れずに。
 曲調が変わるところで、演技の雰囲気も変わるようにすると、より印象深くなりそうな。

 チャ・ジュナン。
 上半身が白いレースの衣裳が美美美!!!
 貴方自身でいる貴方の方が、観ている方も非常に心地よい! そして彼は、逞しいタイプの男性なのだった。スケール大、祈りもこめられたドラマティックな演技。
 アジア人男性は黒髪だから、髪型が重い感じだと等身バランスが悪く見えて損です。

 キーガン・メッシング。
曲はガンズ・アンド・ローゼズの『ノーヴェンバー・レイン』。ハードな曲にのせてドラマティックな演技を披露。――剥き出しの心で独りそこに立つ彼に、畏怖の念を感じて。このプログラム、とてもいい! 涙!!!
 ユニークな形のスピンに見応えあり。ジャンプの回転もきりきりシャープ。スピン、ジャンプ共、回転の速さが表現上も武器になりそう。
 フィギュアスケートで人はつながることができると、私も信じています。

 ケヴィン・エイモズ。
 貴方のような人を待っていました! 共に闘わん! 日本人の中では多分、佐藤洸彬選手と話が合うんじゃないかと思う。22歳にして実に硬派で骨太、成熟味。
 ちなみに、日本には『ベルサイユのばら』という名作少女漫画がありまして(昔、フランスでもアニメ版が放映されました)。フランス革命期、市民の側に立ってりりしく闘った男装の麗人オスカルが主人公で、「闘う」というとき私の心に湧くのは彼女のイメージ。この漫画のおかげで、日本人はフランス革命に非常に詳しいところがあり。
 ――とても不思議な演技だった。白い雲がふわふわと一面にただよっている中、彼が立っている。そして、彼が動いていくと、その雲が色づいたり、形を変えたり。まるで三次元のキャンバスのよう! Magic! と思っていたらパーソナル・ベスト超大幅更新。

 羽生結弦。
 …蜷川幸雄演出作品を観に行く前、もう、最後の方は、…今度こそ舞台上から殺されるんじゃないか…と、ソファとテーブルの間の狭いスペースに入って、聖書を片手に独りぶるぶる震えていた。それくらい恐ろしかった。まあ、クリエイターと評論家の関係とは、そんなものかもしれません。今だって演技観るの怖いもん! 何ぶつけられるかわからん。
 言いたいことはもう書き尽くしたように思うので。私は私の道を行く。貴方は貴方の道を行く。それでいい。でも、美を始めた総大将はやはり美に生きていた方が、フィギュアスケート界全体でめちゃめちゃ楽しいと思うけどね!

注1)スポーツと戦争をつなぐ偏狭なナショナリズムについては、劇作家・演出家である野田秀樹の戯曲『エッグ』の描くところである。

注2)ナチス・ドイツと芸術家の関わりを扱っては、劇作家・演出家である三谷幸喜の戯曲『国民の映画』が非常に優れている。

 『いだてん』は、来週の展開次第だなとも思うけれども…、来週はロンドンに行っていていません! 帰国後に! 最初に、世界フィギュアスケート界の皆さんへ。
 …私がこのブログにしたためている文章が、皆さんにどのような届き方をしているのか、細かなところまでは私にはわかりません。私にわかるのは、とにもかくにも「伝わっている」ということ。その際、おそらく、フィギュアスケートに関して書かれた部分、あるいは、気になる選手の演技について書かれた部分のみが訳され、伝わっているのだろうと想像します。
 けれども、私という人間がフィギュアスケートについて感じ、考察する上では、私が日々接してさまざまな舞台芸術や文化に接して得た知見が大きく作用していることは言うまでもないことです。そして今夜は、他ジャンルの話も含めた上で書くことが必要だと痛感しました。ですから、翻訳の苦労をされている方も、「この部分は関係ない」と思わず、どうぞこの項すべてをお訳しくださるようお願いいたします。

 今年、日本では、国営放送NHKによって、一年間にわたって『いだてん』というドラマが放送されています。テーマはオリンピックです。日本人として初めてオリンピックに参加したマラソンランナーと、日本に初めてオリンピックを招致した人物が主人公。19世紀末から1964年の東京オリンピックまでを描く作品です。東京オリンピックは夏季オリンピックですから、残念ながらフィギュアスケートは登場しません。けれども、もっとも最近開催されたオリンピックが2018年の冬季平昌オリンピックであり、その大会において日本人選手が活躍したことが、この作品に影響を与えていることは間違いありません。
 今夜『いだてん』において放送されたのは、1936年のIOC総会において1940年に東京でのオリンピック開催が決定したエピソード、そして、1936年のベルリン・オリンピックの模様でした――1936年はヒトラー率いるナチス・ドイツによって政治的に利用された大会であり、そして、1940年は戦争をはじめとする当時の国際情勢によって結局は開催を返上しなくてはならなかった“幻”の大会です。
 ベルリン・オリンピックのマラソン競技では、日本の孫基禎選手が金メダル、南昇竜選手が銅メダルを獲得しました――実際のところ、彼ら二人は朝鮮半島の出身であり、1910年の日韓併合によって、出場当時は日本国籍だったわけです。ドラマでは、二人が日の丸の国旗を前にいったいどのような複雑な思いをしただろうか、という言及がなされました。そのとき、二人が競技の際に履いていた運動足袋を作った日本の足袋職人は言葉を挟みます――足袋とは本来和装する際に履くものですが、運動靴がなかった時代、日本人は改良した足袋を履いて走っていたのです――ちなみに、私の曾祖父も足袋職人でした――。彼の言葉はこうです。どこの国の選手であろうが、「俺の作った足袋履いて走った選手はちゃんと応援するし、勝ったらうれしい」と。
 今夜の放送の中でもっとも心を揺さぶるこのエピソードは、私に、平昌オリンピックのときの記憶を思い起こさせました。――夜な夜な、テレビでは、「日本人選手がまた勝ちました!」と報道している。あ、勝ったんだ、うれしいな、と思っていた。けれども、だんだん怖くなってきた。――なぜ、日本人選手が勝ったときだけ喜ぶのだろう。なぜ、他の国の選手が勝ったときには喜ばないのだろう――他の国の選手が勝ったときは、自国選手が勝ったときほど報道されないというのは、どこの国でも似たり寄ったりだろうとは思いますが。私は考えた。それは、同じ国に生まれたという親近感があり、それまでの報道もあって、どんな選手だか何となく知っているからではないか。他の国の選手についてはなかなか情報を知らなかったりするから、知らない人に思えて、喜びが感じにくいのではないか。
 勝った勝ったとオリンピックで喜んでいるうちに、…私は、もしこれが、戦争についての報道だったら…と恐ろしくなってきたのです。
私は、日本に生まれた人間として、自分の母国を愛し、よりよい国にしたいと願っているし、日本の文化を、日本語という言語を愛している。けれども、その私の祖国に対する愛の中には、他文化や他言語に勝った、負けたという争いの要素は一切ない。
 私は、羽生結弦選手が平昌オリンピックの男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した際の私自身の喜びを、もう一度振り返ってみました――そして、その喜びの中に、ただ偏狭なだけのナショナリズムはなかったと断言できます。羽生結弦選手がフィギュアスケートのリンクにおいて体現する美を愛する私は、彼がその美をもって世界の頂点に立ったことが心からうれしかった。そして彼は、日本語を解する日本人だった。
 平昌オリンピックのころの私は、自分の文章が、誰かの手によって訳され、母国以外の人々によって読まれるようになるという可能性を想像すらしていなかった。…どうやら事態が変わってきたんだなということを知ったのは、昨シーズンの途中からです。そのとき私は思った。オリンピックのすべての競技に出場しているすべての国のすべての選手について知り、そのすべての選手の勝利や健闘について讃えることは、物理的にも私にはできない。けれども、自分が子供のころにやっていたフィギュアスケートならば。私が舞台評論家として従事する舞台芸術の分野とも密接に関係するフィギュアスケートならば。これまで自分がその演技を愛してきたフィギュアスケート選手の出身国を考えても、本当にバラバラです。つまり、フィギュアスケートを観るとき、私にとって国は関係ないのです。もちろん、それぞれの国には固有の文化があり、その文化の中で生きてきた人間だからこそ醸し出せる個性もあり、そんな新たな発見ができるという喜びもある。けれども、美の前に国境はない。
 私は今、そんな気持ちで、フィギュアスケートを観て、書いています。

 テレビ放映順。

 イム・ウンス。
 彼女の可憐な魅力を引き立てる素敵な色の衣装で、ジャンプの際も軽やかに映える。大人の世界に憧れる、夢見る少女がそこにいた。コレオステップのあたり、音楽の雄大さともっと一体化するとさらにいいかも。

 エフゲニア・メドベージェワ。曲は『SAYURI』。
 私自身は『SAYURI』を読んでいないし、映画を観てもいない。何というか、日本の女性というと何かすぐに芸者がイメージされすぎやしない? と思って、もうそれだけで敬遠してしまうものが…。それくらい、今の日本女性と芸者なる存在は遠い。セーラームーンの方がまだ全然近い。ちなみに、とあるジャポニスムの女性研究者も、かつて『SAYURI』の曲で演じられたフィギュアスケートの演技について、バッサリ斬っていた(どの選手の演技かの言及はなかったけれども、時期的に宮原知子の演技にあらず)。
 スケート、とても伸びやかになったと思います。

 カレン・チェン。
 何だかちょっとあせりが感じられた。ショートプログラムのときから、スケートリンクに戻って来た喜びは伝わってきていたから、その喜びを自分の心と身体でもっと味わって! 最後の手を組んでのスピンはとても美しい。

 紀平梨花。
 こちらの衣装もとても◎! 素敵なニュアンスの色で、スカートの広がりも美しい。
 振付はトム・ディクソン。曲は『International Angel of Peace』。世界のさまざまな曲をちりばめて。
 これまた、実に野心的なプログラムである。紀平梨花なる存在に寄せる期待の大きさを感じる。彼女ならば、彼女自身の新しい地平と共に、フィギュアスケートに新たな地平を拓いていける、そんな確信をもって振り付けられている。
 というわけで。
貴女は若くして、インスピレーション、ミューズになったのです――もちろん、私も貴女にインスピレーションを受けるところの一人だけれども。
 若い貴女です。どうして私ばっかりこんなに大変なんだろう? とキリキリしてしまうこともあるかもしれない。でも。技術的にも、表現の上でも、それだけ才能を認められているということ。それは幸せなことです!
 フィギュアスケートに選ばれた喜びを忘れずに。
 曲調が変わるところで、演技の雰囲気も変わるようにすると、より印象深くなりそうな。

 チャ・ジュナン。
 上半身が白いレースの衣裳が美美美!!!
 貴方自身でいる貴方の方が、観ている方も非常に心地よい! そして彼は、逞しいタイプの男性なのだった。スケール大、祈りもこめられたドラマティックな演技。
 アジア人男性は黒髪だから、髪型が重い感じだと等身バランスが悪く見えて損です。

 キーガン・メッシング。
曲はガンズ・アンド・ローゼズの『ノーヴェンバー・レイン』。ハードな曲にのせてドラマティックな演技を披露。――剥き出しの心で独りそこに立つ彼に、畏怖の念を感じて。このプログラム、とてもいい! 涙!!!
 ユニークな形のスピンに見応えあり。ジャンプの回転もきりきりシャープ。スピン、ジャンプ共、回転の速さが表現上も武器になりそう。
 フィギュアスケートで人はつながることができると、私も信じています。

 ケヴィン・エイモズ。
 貴方のような人を待っていました! 共に闘わん! 日本人の中では多分、佐藤洸彬選手と話が合うんじゃないかと思う。22歳にして実に硬派で骨太、成熟味。
 ちなみに、日本には『ベルサイユのばら』という名作少女漫画がありまして(昔、フランスでもアニメ版が放映されました)。フランス革命期、市民の側に立ってりりしく闘った男装の麗人オスカルが主人公で、「闘う」というとき私の心に湧くのは彼女のイメージ。この漫画のおかげで、日本人はフランス革命に非常に詳しいところがあり。
 ――とても不思議な演技だった。白い雲がふわふわと一面にただよっている中、彼が立っている。そして、彼が動いていくと、その雲が色づいたり、形を変えたり。まるで三次元のキャンバスのよう! Magic! と思っていたらパーソナル・ベスト超大幅更新。

 羽生結弦。
 …蜷川幸雄演出作品を観に行く前、もう、最後の方は、…今度こそ舞台上から殺されるんじゃないか…と、ソファとテーブルの間の狭いスペースに入って、聖書を片手に独りぶるぶる震えていた。それくらい恐ろしかった。まあ、クリエイターと評論家の関係とは、そんなものかもしれません。今だって演技観るの怖いもん! 何ぶつけられるかわからん。
 言いたいことはもう書き尽くしたように思うので。私は私の道を行く。貴方は貴方の道を行く。それでいい。でも、美を始めた総大将はやはり美に生きていた方が、フィギュアスケート界全体でめちゃめちゃ楽しいと思うけどね!

注1)スポーツと戦争をつなぐ偏狭なナショナリズムについては、劇作家・演出家である野田秀樹の戯曲『エッグ』の描くところである。

注2)ナチス・ドイツと芸術家の関わりを扱っては、劇作家・演出家である三谷幸喜の戯曲『国民の映画』が非常に優れている。

 『いだてん』は、来週の展開次第だなとも思うけれども…、来週はロンドンに行っていていません! 帰国後に!
2019-09-15 23:02 この記事だけ表示