指先〜スーパー歌舞伎U『新版 オグリ』の四代目市川猿之助[歌舞伎]
 ――男は、目の前にいる女を、抱きしめることができない――。
 女はそれを望んでいる。男もそれを望んでいる。けれども、一度死んだ男は地獄に落とされ、閻魔大王の裁きによって、腐っていく身体を動かすことすらできずに朽ちていく餓鬼病となってこの世に甦った。女はそれを知らない。いつか自分も死んであの世に行ったとき、愛する男に抱きしめて欲しいと願ってけなげに生きている。目の前にいる男が、ひしと抱きしめて欲しい当の本人であることを知らずに、献身的に世話をしている。そんな女に、男は、自分の正体を明かすことができない。自分こそ、かつて美貌と何者をも恐れない力を誇ったオグリその人なのだと――。
 抱きしめたい。けれども――。その想いを、オグリを演じる四代目市川猿之助は、女へと伸ばした指先の、僅かな動きだけで表現する。指先と共に、震える心。――その指先は、泣いていた。極小な動きのうちに、空間いっぱいにあふれ出すもの――愛。

 餓鬼病の姿となって現れるオグリ。病んだ顔、病んだ身体で、そこに在る――ただそれだけで、絶望が心を突き刺す。あの姿がいつまでもいつまでも心を離れないのは、何故だろう――。おそらく私は、自分自身が人生において経験してきた孤独や絶望を、その姿に映し絵のように見ている。自分の心の中に在るものが、純粋な結晶として切り出され、目の前にある、それを客観視する不思議。
 ――2年前の公演中の事故を、ようやく振り返ることができるようになったのだ…と思った。
 誰だって、事故や病気や絶望や悲劇を好んで振り返りたくはない。できれば忘れたい。けれども、人生に起きた事柄から目を逸らし続けるわけにはいかない。いずれ向き合わなくてはならないときが来る。そのとき、人生に新たな地平が現れる。『新版 オグリ』はそんな作品である。多くの人に支えられる喜びを知ったオグリは、熊野の湯の峰に飛び込み、元の姿へ、否、喜びの分だけ大きくなった姿で、不死鳥の如きあざやかな復活を遂げるのである。
 オグリの想い人、照手姫を演じる坂東新吾があまりにけなげな愛の人なので、――彼女ならば、餓鬼病姿だろうが構わずオグリを受け止めるだろうに…と思ってしまうけれども。私は、餓鬼病の姿となったオグリに心惹かれてやまないのである。――今年7月まで、約四半世紀にわたってバーミンガム・ロイヤル・バレエ団の芸術監督を務めていたデヴィッド・ビントリー氏に、彼が手がけた『美女と野獣』についてインタビューしたときのことを思い出した。美女は、野獣の姿となった男を、その姿のまま愛している。だから、野獣が元の姿に戻ったとき、…あら? と一瞬困惑する、そんな振りを自分は入れました…と、彼が語っていたことを。

 私は、四代目市川猿之助の死生観や宗教観にふれることのできる作品が好きである――彼と光永圓道との対談集『猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる』も非常に興味深く読んだ――。“人は幸せになるために生まれてきた”が今作のテーマであり、興味深い地獄論――人の世の発展に伴い、地獄はいかに変化していくべきか――も展開される。餓鬼病の姿のオグリが、道成寺にたどり着き、人々にひどい仕打ちを受ける場面で、――私は、旧約聖書の“ヨブ記”を思い出していた。
2019-11-26 23:03 この記事だけ表示