伯父を送る)中野一丁目の白い家〜『K.テンペスト2019』
 2月に、長塚圭史が演出したこまつ座『イーハト―ボの劇列車』を観ていて、…確かに、何故、伯父を許すきっかけを与えてくれたから、コクーン歌舞伎『切られの与三』がインスピレーション大賞なのか、説明が足りなかったかもしれないな…と思った。
 私の周りは基本勤め人ばかりである。だから、自分で建築事務所を開いて建築家をやっている伯父が憧れだった。もう一つ憧れの理由がある。子供のころ、「学校で作文ほめられたよ〜」と祖母に言ったら、子供のころの伯父もやはり文章で賞を受賞したことがあると言って、その文章が収録された本を見せてくれた――紫式部、与謝野晶子、有吉佐和子、私は子供のころから物を書く人への憧れが強い人間だった。…伯父に才能があるなら、自分にもあるかもしれない。
 …うーん、でもどうやら、経営者としての才能はあまりなかったみたいで…。私も詳しいことはよくわからないのだけれども。彼は、中野区中野にあった自邸を引っ越さざるを得なかった。跡地にはワンルームマンションが建った。祖母も共に住んでいたその家がこの世から消えてしまったことを認めたくなくて、私は長らくその界隈に足を運ばなかった。
 その家というのがまあ、不思議な家で…。この世にあんな家は一軒しかないと思う。やはり伯父が設計した私の実家も住みにくいところがあるけれども、リビングの天井部分が二階分まで大きく斜めになっていて、電球を変えるのに梯子がいるのと、光熱費がかかることを除けば全然普通と思えるほど、その中野の家は不思議だった。
 白いかたまりである。コンクリート打ちっぱなし。ドアを入ると、玄関はない――ほぼ全館土足だから。そしてそこには、二階まで吹き抜けになった巨大空間が広がっていて、二階へと上がる宙に浮いたような階段が右に、半地下へと降りる階段が左にある。降りてすぐ、左の部屋は伯父の書斎である――今から思えば60年代アングラ演劇のポスターに似た雰囲気のポスターが貼ってあって、子供時代の私には多分に扇情的なものとして映った。半地下のその先は、伯父一家の居住空間。
 階段を二階へと上がると、そこは共有の客間である。そして、通りに面した壁は、一部窓となっているのを除いてすべて飾り棚となっているのだけれども、家の入口ドアの上に置かれたものなどは、いったいどうやって飾ったものやら、足場が見当たらない。二階は、客間以外には祖父母のための台所があり、簡単な食事は壁際に設けられたカウンターで取った。二階奥は祖父母の居住スペースで、そこは靴を脱いでの和室畳敷き。ちなみに、二階へは外階段も設けられていて、そちらのドアから入るとすぐにあるトイレは奥行き5〜6メートルという長さ。三階部分まで吹き抜ける空間で、天井はガラス窓となっている。
 そのトイレの前の階段を昇っていくと三階があって、バスルーム、畳敷きの部屋、物置、そして洗濯室の先には屋上があり、主に洗濯室を居住空間としていた飼い犬は、屋上で遊ぶためには急な階段を数段上がらなくてはならなかった。
 …変な家でしょ?
 3月に伯父はこの世を去った。6月、出張がてら、伯父が助手として関わったという仙台の東北大学附属図書館を訪れて、…うわあ、中野のあの家だよ〜と思った。入ってすぐがやはり大きく開けたスペースで、上がったり、下がったりする階段があって、多層的な構造になっている。ちなみに伯父は、共著で『図書館建築―施設と設備』という本を出している。私の実家には二階に何千冊もの家族の本が詰め込まれた書庫があるのだけれども、あの東日本大震災でもびくともしなかったので、そこは伯父の力が大いに発揮されたところだろうと思う。
 ――私は、伯父が関わった東北大学附属図書館と、その父である祖父が二高に在籍していた時代に滑っていたのかもしれない日本フィギュアスケート発祥の地である「五色沼」と、そしてフィギュアスケートオリンピックモニュメントが建つあの仙台の三角地帯――行くまでは何の思いもなかったのに、行った瞬間聖痕のように私の中に刻み込まれることとなった三角地帯――を歩いていて、――ああ、今こんな気持ちになるくらいなら、生きている間に優しい言葉の一つもかければよかった…と、それは激しい悔恨の念で、泣いていた――。私はずっと怒っていた。伯父が妹である母に優しい言葉をかけないこと。お酒を飲んで姪や母に迷惑をかけること。――そして、今になって気づけば、憧れのままでいてくれなかったことに。なぜなら、私が今の職業を選択するにあたって、伯父の存在は決して小さくなかったわけだから。――最後の方は、結構ぴしぴし意見していた。だから、私が口を開こうとすると、ちょっと怯えていた。そういうとき、自分でも思うに、厳しいんですよ…。「人としてちゃんとして!」とものすごく思う。病を得た後の父にも決して単純に優しくはなかった。でも、優しくするだけが優しさじゃないからな…。伯父に関して言えば、途中でお酒を断って、その決心を生涯守り通したことは本当によかったと思う。
 さて。『K.テンペスト2019』をタイトルに掲げながら長らく伯父の話をしてきたのは、この作品の演出・潤色・美術を担当する串田和美が、伯父の子供のころからの友人であり、彼が手がけた昨年の『切られの与三』なくして、伯父を許すことはなかったからである――でも、本当はあのとき、私は自分を許したのかもしれない。どうしていつまでも憧れの存在でいてくれないんだ〜と伯父に甘えていた自分を。伯父は、坊ちゃん育ちなのです――『イーハトーボの劇列車』で描かれる宮沢賢治のように。そして、そんな育ちから来る甘さが、私自身の中にもないとは言えない。世間に揉まれ足りていないかもしれない。でも、私は、組織に属せず、独りでやっていくことを選んだ。だから、伯父へのかつての憧れを切り離して、自分自身の道を進んでいかなくてはならない。
 中野の家はなくなってしまったけれども、最近、実家に行って、リビングに座っていると、…何だか伯父に包み込まれているようにも思う。伯父の創った家で育った私がこれまで以上に頑張ればいいじゃないかと、今は思える。
 シェイクスピアの『テンペスト』は許しの物語である――演出論、劇場論で読み解かれることも多いと思う。けれども、串田和美の『K.テンペスト2019』は、群像劇なのだった。四方を客席に包み込まれた空間で、キャスト一人一人がそれぞれの記憶を持ち寄り、束ねて、観客のそれとも分かち合って創り上げていくような。途中、キャストそれぞれが、自分についての話、自分のしたい話を差し込む。「劇団カムカムミニキーナ」主宰の松村武が開陳する蘊蓄話なんて、劇団公演でもよくよく披露される感じの、いかにも彼らしいマニアックな話! ――そうしてみんなで分かち合う『テンペスト』の物語は、これまで観てきた中で一番面白かった。だから、私もここで、自分自身の許しの物語を分かち合うことにした。そうして、伯父・建築家木野修造を送る――六本木交差点の近くに、彼が手がけた「瀬里奈」のビルが今でも建っています。
2019-12-28 18:38 この記事だけ表示