見つけたMissing Piece〜「スケートカナダ2019」エキシビションの羽生結弦の演技[フィギュアスケート]
 ――全身で、叫んでいた。魂が、叫んでいた――。
 …転火した炎に、胸が焼き尽くされそうだった。
 そして彼は、――演技後のインタビューで、泣いていた…。

 その姿に、私は、かつて自分が受けた愛に思いを馳せる。その愛すべてに値するだけの感謝を返すことができていただろうか――。
 今、この胸に広がる爽快感――見渡す限り雲一つなく澄み渡り晴れ切った大空の下、360度、視界をさえぎるものが何もない地平に立って、両手を大きく広げ、胸いっぱいに大気を吸い込み、生きる喜びを一身に謳歌するような――。二年ほど前、私は彼の演技について、「美を司る大いなる存在よ、この気高き魂を守りたまえ――」と祈りを捧げた(http://daisy.stablo.jp/article/454392036.html)。祈りは既に叶えられていた――と記して数日後、私は、『新約聖書』の「ヨハネの手紙 一」第五章の中に、神の御心について同様の言葉が書かれているのを見つけたのだった。

 そして私は、目の前にある、<「スケートカナダ2019」エキシビションの羽生結弦の演技に、宝塚の男役を思うhttp://daisy.stablo.jp/article/471222081.html>の文章を眺めていた。とにかく、書くには書いた。けれども、自分の内からなぜそんな文章が出てきたのか、自分自身でもさっぱりわけがわからなかった。
 ――自分はこれまで、男というものにいまいち真剣に向き合って来ていなかったんだな――と、はっきり気づいたのは、数日経ってからである。めっちゃ腰が引けていました! ――恐らく、結婚した23歳のその前後から。あくまで人と人として接すればそれでいいと思っていた。…でも、何だかそれではうまく行かないときもあるな…と、評論家として歩んできてから、…ここ最近かな…、思うようになった。女の気持ち、女の人生を長時間考えてきてしまっていて、男心の理解が圧倒的に足りない。だから、男性と最前線で切り結んでいるところの女優についての理解も深まらない。でも、それではいけないのである。舞台評論家としてさらなる高みを目指す上では、女を理解するように、男も理解するように努めていかなくてはならない。そうしてこそ、人間存在すべてを愛して書くことができる。
 自分の限界に気づいて、それを超えたとき、――そこが天井だと思っていたところに実はガラスのように透明な層があって、それがパリパリパリッと粉々に砕け散って自分に降り注いでくるような、そんな感覚にとらわれる――。視界がうわあっと開ける。慣れるまで、心が不安定になる。――それが、美の一つの凄まじい効用なのだろうと思う。それほどまでに、あの「パリの散歩道」は圧巻だった。
2019-12-29 19:29 この記事だけ表示