過去への旅、そして未来へ〜宙組『アナスタシア』[宝塚]
 私の父が藤本家を継ぐため18歳の春で叔母のところに養子に行った話はすでに書いてきた。その甲斐あって、1974年には70年ぶりだかの藤本家の跡取りとなる息子、すなわち私の弟が生まれるのだが、その2年前には68年ぶりだかの藤本家の跡取りに生まれ損なった存在、すなわち私が誕生しているわけである。――殊更つらく当たられたとか、弟だけお小遣いが多かったとか、そういったことはない。けれども、将来の家の跡取りと、いつかは結婚してこの家を出て行くであろう人間とでは、接され方が明らかに違った。夏に父の故郷である宇部に里帰りするときはとりわけ苦痛だった。母が慣れない家でほぼすべての家事を担当し、子供二人だけで近くの海で泳ぐわけにも行かない。あまりにすることがないので、好きでもない勉強くらいしかすることがなかった。海辺の道を、母と弟と三人、最寄りのスーパーまで2キロほど歩いて買い物に行く。自分の影すらできない炎天下の中、熱く照り返すアスファルトの道を見つめながら、――私は将来的にはこの土地にはまったく関係がなくなる人間なのだから、ここにいさせないで欲しい――と思っていた。そして、スーパーの近くの本屋で暇をつぶすための本を買って帰ると、また本を買って、と祖母に言われるのだった――本も雑誌もあまり読まない人だった。
 そのうち祖母が年末年始に東京にやって来るようになったが、そのときはそのときでまた大変だった。いる間、すべて彼女のしたいようにしないと不満が爆発する――どこか、息をひそめるようにして暮らした。一緒に買い物に行くことがあっても、彼女が買いたいものを見て、買って、それで終わりだった。母方の祖母にもらったミニチュアの家具セットや、父方の実の祖母にもらった陶器のバラの置物は今も飾っているけれども、彼女に何かそういうかわいいものを贈られたことが一度もない。一緒に旅行に行ったこともあったけれども、楽しそうにしている顔を見たことがない。こうして振り返ってみても不思議なくらい、一緒に楽しく過ごしたという記憶がない。
 子供のときは、「藤本」という名字から早く他の名前に変わりたいと、そんなことばかり思っていた。念願叶って結婚して、年末年始に、彼女と実家で顔を合わせる――ちなみに、私の実家を建てたのは義理の祖父母である。私は、そこも自分の家だと思っているからくつろいで過ごしているけれども、彼女からしたら家を出て行った人間である。伯父が設計した家の、二階の一番日当たりのいい部屋、彼女以外の人間は使ってはいけないことになっていたその部屋へと夜になって上がっていくとき、彼女は「まあ、ごゆっくり」と言い残していくのだった。
 彼女が年齢を重ね、宇部から東京へと来られなくなってからは、顔を合わせることがなくなった。彼女は、自分の実家の敷地に甥が建てた施設で暮らしていた。里帰りする際、父は、彼女の誕生日にあげる寄せ書きに私も何か一言書くよう言ってくる。私が何か書いたところで彼女が喜ぶわけでもないし、私のことなんかどうせ忘れているだろうしと、私は拒絶するのだったが、父は有無を言わせなかった。
 父が亡くなって、本当に久方ぶりに宇部に行くことになったとき、――怖かった。自分の面倒をちゃんと見るように、そのことばかり父に言っていた祖母が、父が自分より先に亡くなったと知ったら、怒り出すのではないかと思った。その一方で、私は、年老いた彼女は、もう十年以上会っていない私のことは忘れているだろう、跡取りでもない孫のことなど、家の存続には関係のない存在なのだから、忘れていてもおかしくないとも思った。だから。
「…真由ちゃん?…」
 ベッドに横たわった彼女が、私の顔を見てそう言ったとき、私は本当に、心からびっくりした。…覚えているんだ…と。
 そのとき、私は赦したのだと思う。彼女を。私という人間と人生の時間を分かち合った記憶を、自分の内に確かに留めていたその人を――。子供のころは、いつかそんな日が訪れるようとは、思ってもみなかった。
 彼女はそれから一年も経たないうち、あと半年ほどで百歳というところで亡くなった。そのとき思った。百年も前に生まれた人である。考え方が今の時代にそぐわなくてもしかたない。私は決定的に赦した。

 宙組公演『アナスタシア』は、最後のロシア皇帝ニコライ二世の娘をめぐるいわゆる“アナスタシア伝説”がモチーフとなった作品である。私は子供のころから“アナスタシア伝説”やカスパー・ハウザーといった歴史上の謎に魅せられていて、この世で真相がわからなかったらあの世に行ったときに教えてくださいと神様にお願いしていた。子供のころからあの世に行く気満々だったようですが、それはさておき。
 記憶喪失の娘アーニャ(星風まどか)は、自分の過去を知るため、ロシアからパリを目指す。詐欺師のディミトリ(真風涼帆)とヴラド・ポポフ(桜木みなと)は、懸賞金を得るため、アーニャを行方不明の皇女アナスタシアに仕立て上げることにする。ロシア新政府の役人グレブ(芹香斗亜)はアーニャを追う。パリへとたどり着いたアーニャは、アナスタシアの祖母であるマリア皇太后(寿つかさ)との対面を果たす。ロシア革命で家族を奪われ、孤独に生きるマリア皇太后は、財産目当てで寄ってくる親戚や“偽アナスタシア”たちに嫌気がさしており、最初のうちアーニャにつらく当たるが、やがて、彼女こそが大好きな孫娘のアナスタシアであることを認める。そのとき、アーニャ=アナスタシアの“過去への旅”は終わる――自分がいったい何者であるのか知る旅。
 このくだりの、星風アーニャと寿皇太后の演技が素晴らしかった――心打ち解けて皇太后の前なのについつい座ってしまう星風アーニャ、そのしぐさの実に自然だったこと! そんな彼女に、皇太后も閉ざしていた心を開いていく。高貴な者ならではの尊大さと、老いゆえの頑なさと、その後ろに隠している柔らかで傷つきやすい魂と――そのとき、私は、久方ぶりに対面した藤本の祖母が「…真由ちゃん?…」と私の名前を発した瞬間を思い出していた。そして、人生初めての感慨に打たれた。
 私は、彼女にとって、たった一人の女の孫である。それは、どこまで行っても変わらない。
 思えば、不思議である。子供のとき、あんなに「藤本」という名字を早く変えたくてしかたがなかったのに、私は結局旧姓のまま仕事をしている――こうして、書いている。

 宝塚版では、アーニャをパリへと連れて行く詐欺師ディミトリが主人公となっている。一幕を締めくくる名曲「過去への旅」も、もともとはアーニャのソロであるところ、宝塚版ではディミトリの歌い出しからアーニャとのデュエットという形になっている。「♪もう少し 俺の心強くいてくれ」とどこか頼りなさげに歌い出すとき、真風が演じるディミトリのナイーブな魅力が炸裂する。ディミトリは詐欺師だ。アーニャをパリに連れていくのも懸賞金目当てのこと。けれども、逞しく生きるアーニャに心ひかれ、彼女こそが幼い日に見た皇女アナスタシアではないかと思い、彼の心は揺れ動く。ディミトリの心情をもきっちりと描き出すこと、そして、「過去への旅」の中で「♪Home, Love, Family 見つけ出そう取り戻そうよ」と歌われるところの”Home, Love, Family”を、孤独だったディミトリとアーニャが共に見つけ出すことがハッピーエンド――とすることによって、物語がラストまで勢い削がれぬまま展開することとなった。そして、その勢いのまま、華麗なるフィナーレへと突入するのが、宝塚版の醍醐味である。
 さて、アーニャをはつらつと好演した星風まどかだが、専科を経て花組トップ娘役となることが先日発表された。真風涼帆もディミトリ役を宝塚の男役の美学満載で魅せていただけに、ハッピーエンドの作品を観ながらもどこかおとぎ話が終わってしまうような寂寥感を感じなかったと言えば噓になる。けれども、…あのとき、二人コンビを組んでいて、よかった…と互いに思えるような今後のさらなる活躍をそれぞれに大いに期待するものである――共に舞台に立った記憶は残るのだから。ちなみに、次期宙組トップ娘役となる潤花は、雪組時代の『ハリウッド・ゴシップ』(2019)での肝っ玉ヒロインぶりがインパクト大だった人。今公演のロケットでもあふれんばかりの笑顔でアピールしていた。
2021-02-21 00:10 この記事だけ表示