2011年3月11日14時46分の記憶〜真飛聖ディナーショー『For YOU』[宝塚]
 <舞空瞳!〜宝塚星組『ロミオとジュリエット』>(http://daisy.stablo.jp/article/481121643.html)の項で、東日本大震災についてふれた――その文章を書いて、私は、自分の中にはっきりと残るあの瞬間の記憶を、この十年間、言葉にすることがなかったという事実と改めて向き合うこととなった。
 2011年3月11日14時46分。
 私は、東京宝塚劇場での退団公演を控えた当時の花組トップスター、真飛聖の宝塚生活最後のディナーショー『For YOU』を、東京・九段下のホテルグランドパレスの宴会場の一番後ろの席で観ていた。私のあの瞬間の記憶は、歌う真飛聖の姿なのである。

 ショーは終わりに差し掛かっていた。ステージ上では真飛聖が一人立ち、ラストの曲を歌っていた。揺れて――揺れて、客席も、座って演奏しているバンドの人々もざわざわと動揺を見せて、それでも、真飛はショー・マスト・ゴー・オンの精神で、しっかり! と演奏を鼓舞するようにりりしく歌い続けた。けれども、揺れは続いていたから、――やはりいったん止めますね、ということになった。そして、中断はやがて中止となった。
 交通機関も止まり、私たちはそれから長い時間、その場所でそのまま過ごすことになった。ラストの曲に引き続いてのアンコールでは、真飛自身がこのショーのために作詞した『For YOU』というタイトルのオリジナル曲が歌われることになっていた。会場の方たちの計らいで、前日までの公演で収録された『For YOU』が宴会場に流された。生で聴くはずだった…と思いながら、耳を傾けていた。
 2021年6月30日をもって営業終了となったホテルグランドパレスは、2011年当時でも古さが否めない建物だった――開業は1972年2月20日というから私の生まれる5日前、私にとっては、1973年に起きた金大中拉致事件の現場という印象がいつまでも強いホテルだった――。そして、余震か何かのたび、それはけたたましくサイレンが鳴り響いた。音響室か照明室か、宴会場後方上部にある小部屋の扉がたびたびパカーンと開いてゆらゆらと揺れ、そのたび悲鳴が上がった。
 そのうち、ホテルから歩いて数百メートルのところにある九段会館で死者が出たという情報が回ってきた――1934年に建てられた九段会館はこのとき、天井崩落事故により2名の死者を出した――。そして、この世の終わりを告げるようにけたたましく鳴り続けるサイレンを聞くうち、私は思った。
 自分は今日、ここで死ぬのかもしれない――と。
 家族への連絡のため公衆電話に並ぶとき、お化粧室へと席を立つとき、足ががたがた震えているのがわかった。死を近くに感じながら、――心に三つの思いが浮かんだ。
 ――もし、今日観た舞台が、この世で最後に観たものになるのだとしたら――。素晴らしい舞台だったから、よかった、悔いはない、心からそう思えた。
 ――そのとき、仲違いしている人がいた――。仲直りできないまま死んでしまうなんて、悲しいことだな…と思った。
 ――ある人が、これからもっともっと光り輝く姿を観るはずだった――。それが観られないのは残念だな…と思った。

 ――長い時間、そこにいた。
 居心地自体は悪くなかった。ホテルの方々の好意で、小さなハンバーガーと小さなおにぎりが供された。私は一人で参加していて、会場には誰も知っている人がいなかったのだけれども、誰かがコンビニに買い出しに行ったと思しきお菓子のおすそ分けも回ってきた――そういうとき、宝塚ファン同士、温かな結束力がある。ホテルのロビーは交通機関が止まって帰宅できなくなった人たちに開放されていて、みんな、そこかしこに座り込んでいた。それに比べたら、暖かい宴会場で椅子に座っていられることがありがたかった。同じテーブルの人たちと何か、宝塚の話でもしたかもしれないけれども、記憶にない。そのとき、私は、それまで生きてきて感じたことがないほど、死を近くに感じていた。
 ――長い時間、そこにいた。
 夜になっていた。ふと気づくと、仕事が終わり、職場から二時間かけて歩いてやってきた夫が立っていた。そして、復旧し始めた地下鉄を乗り継いで、家に帰った。ノートパソコンが机から床に落ちていた――当時上演されていた三谷幸喜作・演出『国民の映画』の公演プログラムを下敷きにして。プログラムがなかったら、壊れていたかもしれない。

 それからのことは。
 大規模停電があり、――3月25日から東京宝塚劇場公演が始まる予定だった花組では、公演実施についての是非が話し合われたと聞く。そして、それが退団公演だった真飛聖を含む花組生が、終演後、交代でロビーに立ち、被災地への募金活動を行なうことになった――宝塚のトップスターはただでさえ激務だが、退団公演となるとなおさらなのに。真飛聖は、退団の日のさよならパレード――東京宝塚劇場前の道を埋め尽くしたファンたちの前を、袴姿で花束をもって通る儀式――もなかった。退団の日は、会見場での写真と、さよならパレードの写真が紙面を賑わせるのが恒例となっているけれども、そのときは、劇場二階で花束をもった写真を撮影する機会が設けられたことを覚えている。その後、トップスターが退団する際にはさよならパレードは行なわれ続けた。このコロナ禍の今年4月、雪組トップスター望海風斗の退団までは。

 ――自分はなぜ、この十年間、2011年3月11日の記憶を心の中に封印してきたのか。
 それは――東日本大震災によって生じたさまざまな出来事によって、多くの人々の人生が変わり、生活が変わり、――そんな中で、あの瞬間に舞台を観ていたということをどこか言うことがためらわれるような思いに、自分自身、とらわれていたからなのだろうと思う。その一方で、十年経った今になっても、あのときほど死を近くに感じたことはないとも思う。死にたいとか死のうとか、自分の意思とはまったく関係ないところで、死を感じた日。
 十年経って、やっと胸の中から吐き出せた。

 心に浮かんだ三つの思いのその後について。
 幸せなことに、その後、素晴らしい舞台を何度も観ることができている。
 幸せなことに、仲違いしていた人とは仲直りして、楽しい時間を共に過ごせるようになっている。
 幸せなことに、ある人が光り輝く姿も観ることができて、――そして、さらに幸せなことには、さらに多くの人たちと出会い、その人たちがさらに光り輝く姿を観ることもできている。
 思えば、十年前のあのころ――十年後、どうなっているか、考えもしなかった。想像もできなかった。ただただ、生きた。必死に、前へ。仲間たちと手を携え、励まし合って。今も十年後の想像はつかない。また、ただただ生きるだけなのだろうと思う。
 東日本大震災後のあのときと、コロナ禍の今とで、状況がまったく同じというわけではない。けれども、やはり、今になってあのときのことをあざやかに思い出すということは、あのとき感じた何かを糧に、改めて前に進んでいこうとしているからなのだろうと思う。
 不思議である。十年間、胸に沈めていた思いが浮上してきた。そして、あの日、終わることがなかったディナーショー『For YOU』に出ていたメンバーのうちの最後の二人、望海風斗と瀬戸かずやが今年揃って退団するのだということに改めて気づいた。十年とはそのような年月なのだ、と思う。
2021-07-04 00:01 この記事だけ表示