藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
ご意見・お問い合わせ等は
bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
夫の“記憶にございません!”〜星組東京宝塚劇場公演『記憶にございません!−トップ・シークレット−』番外編
最初に舞台を観たとき、何だかピキピキするものがあって、……あれ、楽しいのになんでか笑えない? あ、そうだった、と思い出した。
4月のある日曜日、夫から自宅に電話がかかってきた。
「僕ね……、交通事故に遭ったみたいなんだよ……」
は? 遭ったか遭ってないかなんで曖昧? あわてて自宅から1分の四つ角に駆け付けると、救急車の中に夫が横たわっていた。血染めのシャツ、血染めのズボン、折れた傘。前後の信号と連動していないため、日頃から信号無視が多く、危ないなと感じていた場所だった――ほぼ毎日誰かが赤信号を通り抜けていく。そこでバイクにはねられたという。意識はある。でも、記憶が飛んでいる。
「僕……、何してたんだっけ?」
散歩! 散歩に行ったの。「すぐ戻ってくる」と言った割には戻りが遅いなと思っていた時分。「財布がないとおっしゃってますが」と警察官。いや、それは家に置いてあります。すぐ戻ってくるつもりだったから。
搬送先がなかなか決まらない救急車の中で、夫の記憶を何とか呼び覚まそうと会話を続ける。その前、何してたか覚えてる? 「えーっと、昼ご飯食べた」その後は?「阪神戦観てた」それから? そこから先が思い出せない。困惑した表情で横たわっている。私の顔を見た瞬間から後は、記憶がはっきりしたと言うのだけれども。搬送先がようやく決まり、救急車が走り出してからも、夫は「何してたんだっけ?」と問いかけを繰り返す。やりとりを続けるうち、少しずつ記憶が甦ってきた。急いでいたけれども、赤信号が青信号になるのをきちんと見届けて、渡り出した。そこまでは思い出した、と。
幸い大事には至らず、一日入院しただけで自宅に戻ることができたのだけれども、その後一カ月くらい、だるそうにソファに横たわっていることが多かった。そして、今日に至るまで、事故に遭った瞬間の記憶はないという。事故については、きちんと信号待ちをしていた車の運転手の方が警察に通報し、ドライブレコーダーも提供してくださったおかげで、夫には過失が一切ないことが証明された。でも。そういう親切な方がいなければ、そもそも周囲に誰もいなければ、事故に遭った本人の記憶が飛んでしまった場合、いったいどういうことになるんだろうか。
4月のある日曜日、夫から自宅に電話がかかってきた。
「僕ね……、交通事故に遭ったみたいなんだよ……」
は? 遭ったか遭ってないかなんで曖昧? あわてて自宅から1分の四つ角に駆け付けると、救急車の中に夫が横たわっていた。血染めのシャツ、血染めのズボン、折れた傘。前後の信号と連動していないため、日頃から信号無視が多く、危ないなと感じていた場所だった――ほぼ毎日誰かが赤信号を通り抜けていく。そこでバイクにはねられたという。意識はある。でも、記憶が飛んでいる。
「僕……、何してたんだっけ?」
散歩! 散歩に行ったの。「すぐ戻ってくる」と言った割には戻りが遅いなと思っていた時分。「財布がないとおっしゃってますが」と警察官。いや、それは家に置いてあります。すぐ戻ってくるつもりだったから。
搬送先がなかなか決まらない救急車の中で、夫の記憶を何とか呼び覚まそうと会話を続ける。その前、何してたか覚えてる? 「えーっと、昼ご飯食べた」その後は?「阪神戦観てた」それから? そこから先が思い出せない。困惑した表情で横たわっている。私の顔を見た瞬間から後は、記憶がはっきりしたと言うのだけれども。搬送先がようやく決まり、救急車が走り出してからも、夫は「何してたんだっけ?」と問いかけを繰り返す。やりとりを続けるうち、少しずつ記憶が甦ってきた。急いでいたけれども、赤信号が青信号になるのをきちんと見届けて、渡り出した。そこまでは思い出した、と。
幸い大事には至らず、一日入院しただけで自宅に戻ることができたのだけれども、その後一カ月くらい、だるそうにソファに横たわっていることが多かった。そして、今日に至るまで、事故に遭った瞬間の記憶はないという。事故については、きちんと信号待ちをしていた車の運転手の方が警察に通報し、ドライブレコーダーも提供してくださったおかげで、夫には過失が一切ないことが証明された。でも。そういう親切な方がいなければ、そもそも周囲に誰もいなければ、事故に遭った本人の記憶が飛んでしまった場合、いったいどういうことになるんだろうか。