藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
ご意見・お問い合わせ等は
bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露「團菊祭五月大歌舞伎」[歌舞伎]
昼の部
『寿式三番叟』威厳たっぷりの翁役の中村又五郎が袖を翻したとき、先月、福岡滞在中に目にする機会のあった、名人小島与一作の「翁」という博多人形を思い出し。
『勧進帳』武蔵坊弁慶役の市川團十郎が、すさまじい容れ物となる様を観ていた。弁慶その人の容れ物となるばかりではない。これまで弁慶を演じてきた役者たちの演技、長い年月にわたって人々が弁慶に抱いてきたイメージ、そういったものすべての容れ物となっていた。己と主君義経の命を賭けた、壮絶なドラマ。実際には何も書かれていない“勧進帳”の紙の白さと、弁慶の無私の心の白さとを思う。これまで越えてきた関、これから越えねばならない関をも思わせる、ラストの花道での姿。この弁慶にこの主君ありと思わせる、中村梅玉の源義経。團十郎の弁慶と八代目尾上菊五郎の富樫左衛門との間にみなぎる緊迫感。
『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』河竹黙阿弥の美しいセリフを堪能。
『京鹿子娘道成寺』坂東玉三郎の白拍子花子の無駄のない動きの美しさ。
夜の部
『義経腰越状 五斗三番叟』五斗兵衛盛次役の尾上松緑の酔っ払い演技がかわいらしく楽しい。
『弁天娘女男白浪』<浜松屋店先の場>弁天小僧菊之助役の八代目尾上菊五郎の語る「知らざぁ言って聞かせやしょう」から始まる名セリフは、弁天小僧のこれまでの人生がぶわっと立ち上るようで。
<稲瀬川勢揃いの場>平均年齢十一歳の五人による場面。はっきりとした運命のもと生まれてきた彼らに、心身共に健やかな未来あれと祈った。
<極楽寺屋根立腹の場>八代目菊五郎の弁天小僧が見せるスペクタクル!
<同 山門の場><滑川土橋の場>青砥左衛門藤綱役の七代目尾上菊五郎と日本駄右衛門役の市川團十郎の、歌舞伎役者としての問答無用感に酔う。
尾上丑之助改め六代目尾上菊之助について。
彼の祖父である二代目中村吉右衛門が亡くなってから尾上丑之助が見せてきた舞台に、私は、幼い人の心の中にも悼むという感情があることを教えられてきた。ここぞ、というところで、尾上丑之助は、亡き人への思いあふれる演技を見せる。その都度、私もまた、心の中にある、二代目吉右衛門の演技をもう観られないのだという哀しみを味わってきた――演出家の蜷川幸雄が亡くなった後、彼の演出作に出演していた人々の舞台を観て、演者と観客、それぞれの心の中にある哀しみを知る営為とも似ていた。それはまた、癒しの営為でもあるのだと、襲名公演での彼の舞台に思った。これからの六代目尾上菊之助の舞台も本当に楽しみにしている。
(5月5日16時半&6日11時、歌舞伎座)
『寿式三番叟』威厳たっぷりの翁役の中村又五郎が袖を翻したとき、先月、福岡滞在中に目にする機会のあった、名人小島与一作の「翁」という博多人形を思い出し。
『勧進帳』武蔵坊弁慶役の市川團十郎が、すさまじい容れ物となる様を観ていた。弁慶その人の容れ物となるばかりではない。これまで弁慶を演じてきた役者たちの演技、長い年月にわたって人々が弁慶に抱いてきたイメージ、そういったものすべての容れ物となっていた。己と主君義経の命を賭けた、壮絶なドラマ。実際には何も書かれていない“勧進帳”の紙の白さと、弁慶の無私の心の白さとを思う。これまで越えてきた関、これから越えねばならない関をも思わせる、ラストの花道での姿。この弁慶にこの主君ありと思わせる、中村梅玉の源義経。團十郎の弁慶と八代目尾上菊五郎の富樫左衛門との間にみなぎる緊迫感。
『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』河竹黙阿弥の美しいセリフを堪能。
『京鹿子娘道成寺』坂東玉三郎の白拍子花子の無駄のない動きの美しさ。
夜の部
『義経腰越状 五斗三番叟』五斗兵衛盛次役の尾上松緑の酔っ払い演技がかわいらしく楽しい。
『弁天娘女男白浪』<浜松屋店先の場>弁天小僧菊之助役の八代目尾上菊五郎の語る「知らざぁ言って聞かせやしょう」から始まる名セリフは、弁天小僧のこれまでの人生がぶわっと立ち上るようで。
<稲瀬川勢揃いの場>平均年齢十一歳の五人による場面。はっきりとした運命のもと生まれてきた彼らに、心身共に健やかな未来あれと祈った。
<極楽寺屋根立腹の場>八代目菊五郎の弁天小僧が見せるスペクタクル!
<同 山門の場><滑川土橋の場>青砥左衛門藤綱役の七代目尾上菊五郎と日本駄右衛門役の市川團十郎の、歌舞伎役者としての問答無用感に酔う。
尾上丑之助改め六代目尾上菊之助について。
彼の祖父である二代目中村吉右衛門が亡くなってから尾上丑之助が見せてきた舞台に、私は、幼い人の心の中にも悼むという感情があることを教えられてきた。ここぞ、というところで、尾上丑之助は、亡き人への思いあふれる演技を見せる。その都度、私もまた、心の中にある、二代目吉右衛門の演技をもう観られないのだという哀しみを味わってきた――演出家の蜷川幸雄が亡くなった後、彼の演出作に出演していた人々の舞台を観て、演者と観客、それぞれの心の中にある哀しみを知る営為とも似ていた。それはまた、癒しの営為でもあるのだと、襲名公演での彼の舞台に思った。これからの六代目尾上菊之助の舞台も本当に楽しみにしている。
(5月5日16時半&6日11時、歌舞伎座)