令和7年2月文楽公演『通し狂言 妹背山婦女庭訓』[文楽]
第1部
<太宰館の段>文京シビックホール大ホールで文楽を観るのは初めて。拍子木の音にしても広がっていってしまうように最初のうちは感じていたのだけれども、豊竹希太夫のビシッとした語りを聴いているうちに気にならなくなり。端正な語りだけに蘇我入鹿の演技が怖かった。馬の足音が聞こえるような竹澤團七の三味線。
<妹山背山の段>歌舞伎の上演でも花道が両サイドに設えられるのが印象的だけれども、文楽では、上手と下手両方に床が設えられ、舞台装置共々上手が背山=大判事家、下手が妹山=太宰家という構成。迫力いっぱい、圧巻の舞台だった。女性として生まれてきた喜びを祝い、子供のころはいつか結婚するときのことを思い、母となってはいつか娘の嫁ぐときのことを思う、雛祭りの日。そんな晴れがましさのある春の頃だからこそ、作品の悲劇的な展開が一層際立つ。妹山の床の鶴澤清治の三味線には、情景描写、人物描写、心理描写、そして人物が取り囲まれている音までが一体となって感じられ、それでいてそれぞれの描写、音がわかりやすい。人間はそもそもいかに音を認識しているのか、そして奏者の音の認識に非常に興味が湧いた。後日、源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか 音楽美学と心の哲学』を読み、令和6年5月文楽公演Bプロ『ひらかな盛衰記』<笹引の段>における鶴澤清治の演奏について文章を書くにあたり、自分が知覚の哲学の領域で考えをめぐらせていたことに気づいた。
 妹山の太宰家の後室定高を遣うのは吉田和生。障子が開き、定高が慶弔どちらでも大丈夫な色の色無地の姿になっているのを目にしたとき、娘の恋心を成就させるために自ら手にかける決意をしたことがわかる。そして、定高が、太宰家と大判事家の間を流れる吉野川に桜の枝を流したとき、大判事との間に親として心通うものがあったことを感じた。竹本錣太夫による定高の語りもよかった。

第2部
<万歳の段>人形たちと一緒に(心の中で)万歳を踊ったら楽しかった!
<芝六忠義の段>竹本千歳太夫の語るお雉の嘆きが心に響いた。

第3部
<杉酒家の段>お三輪(人形:桐竹勘十郎)がぷんぷん拗ねるのがおもしろい。
<道行恋苧環>恋の思い激しく。ラスト近くの無音のところのお三輪の演技の迫力。
<金殿の段>お三輪が官女たちにいじめられる場面は、官女たちの人形がみんな同じ顔をしていることで、観ていて心理的な辛さが幾分和らぐような。宝塚の『王家に捧ぐ歌−オペラ「アイーダ」より−』で、アイーダがアムネリスの女官たちにいびられる場面を思い出した。吉田玉志の遣う漁師鱶七は実は金輪五郎に人としての大きさがあり、お三輪の最期がこの人に看取られることに安心感を覚えた。五郎により真実を聞かされてからのお三輪の語りもよかった(太夫:竹本織太夫)。