藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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『セビリアの理髪師』[オペラ]
指揮=コッラード・ロヴァーリス、演出=ヨーゼフ・E.ケップリンガー、合唱=新国立劇場合唱団、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団。2005年から上演されているケップリンガー演出版の5年ぶり6度目の上演。
ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェが1775年に戯曲『セビリアの理髪師』を書いたとき、彼は1775年より後の世界を(予見することはできたとしても)知らない(1789年にはフランス革命が起きた)。1816年にジョアキーノ・ロッシーニがこの戯曲をもとにオペラを作曲したとき(台本:チェーザレ・ステルビーニ)、彼は戯曲誕生後から1816年までの世界を知ってはいても、1816年より後の世界を(予見することはできたとしても)知らない(1814年〜15年のウィーン会議により、反動的国際体制であるウィーン体制が成立し、王権への揺り戻しが起きた)。作品成立後の世界を知る者は、込められた予見がどの程度まで当たっていたかを見極めつつ、現時点での自らの予見をもって作品に対峙する。そんな歴史の流れを感じさせる、ロヴァーリスの指揮だった。それもあって、ケップリンガーの演出の時代背景がなぜフランコ独裁政権下の1960年代のスペインに設定されているか、今までになくよくわかる上演となっていた。昨年、新国立劇場オペラパレスでロッシーニの『ウィリアム・テル』が初めて上演され、作曲家の硬派な一面が鋭く紹介されたこともよい流れだったと感じた。このプロダクションでのドン・バジリオ役で4度目の登場となった妻屋秀和のアリア「中傷はそよ風のようなもの」がよかった。中傷が少しずつ広がっていく様が音楽的にも味わい深く、インターネット時代の“炎上”をも思わせる。そのアリアが、第一幕フィナーレの何だか不穏な空気へとつながっていっていると感じた。夜明けや夕暮れを思わせる八木麻紀の照明が美しい。
(5月30日18時半、新国立劇場オペラパレス)
ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェが1775年に戯曲『セビリアの理髪師』を書いたとき、彼は1775年より後の世界を(予見することはできたとしても)知らない(1789年にはフランス革命が起きた)。1816年にジョアキーノ・ロッシーニがこの戯曲をもとにオペラを作曲したとき(台本:チェーザレ・ステルビーニ)、彼は戯曲誕生後から1816年までの世界を知ってはいても、1816年より後の世界を(予見することはできたとしても)知らない(1814年〜15年のウィーン会議により、反動的国際体制であるウィーン体制が成立し、王権への揺り戻しが起きた)。作品成立後の世界を知る者は、込められた予見がどの程度まで当たっていたかを見極めつつ、現時点での自らの予見をもって作品に対峙する。そんな歴史の流れを感じさせる、ロヴァーリスの指揮だった。それもあって、ケップリンガーの演出の時代背景がなぜフランコ独裁政権下の1960年代のスペインに設定されているか、今までになくよくわかる上演となっていた。昨年、新国立劇場オペラパレスでロッシーニの『ウィリアム・テル』が初めて上演され、作曲家の硬派な一面が鋭く紹介されたこともよい流れだったと感じた。このプロダクションでのドン・バジリオ役で4度目の登場となった妻屋秀和のアリア「中傷はそよ風のようなもの」がよかった。中傷が少しずつ広がっていく様が音楽的にも味わい深く、インターネット時代の“炎上”をも思わせる。そのアリアが、第一幕フィナーレの何だか不穏な空気へとつながっていっていると感じた。夜明けや夕暮れを思わせる八木麻紀の照明が美しい。
(5月30日18時半、新国立劇場オペラパレス)