藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
ご意見・お問い合わせ等は
bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
いつか離れていく日が来ても〜夫の福岡勤務、終了[福岡]
夫が7月より東京勤務となり、先週、福岡・唐人町の家を引き払ってきました。私が福岡をENJOYしていたことに刺激を受けた母が「私も行きたい」となり、最後の週は母も天神のホテルに滞在。那珂川クルーズ中に船から発見した、夫と同名の屋台ラーメン屋が大当たりだったり、太宰府まで足を伸ばして梅が枝餅を食べたり、楽しい時間を過ごしました。
この一年、本当にあっという間でした。トータルで3カ月半ほどの九州・福岡滞在中、近代建築巡りや街歩きにいそしんでいたら、歴史や地理、文化に加え明治維新の流れも今まで以上に理解でき、普段住んでいる東京との物理的心理的距離も実感できるように。地元の人感覚で博多座等で観劇できたのも楽しく、人生でも非常に充実した一年でした。
昨年、長い夏がようやく終わろうというころ、夕暮れ時に新天町の「メルヘンチャイム」付近にたたずんでいたら、秋を感じさせる少しせつない風と一緒に心に吹き込んできた歌があって。
「♪One day いつか離れていく日が来ても I LOVE FUKUOKA」
青春時代に聴いていた感じのポップスだなと思ったのですが、それもそのはず、1986年に新天町創設40周年を記念して作られた商店街のテーマソング「I LOVE FUKUOKA SONG」だった(作詞・作曲・歌:新居昭乃)。そのときから心にこの曲がずっとあって。ずっといるわけじゃない、いつか離れていく日が来る。そんなことを思いながら、福岡で過ごしていた。旅というには長い、住むというには短い、そんな日々。福岡での最後の日、唐人町ともお別れし、高速経由で天神に向かうバスに乗って大好きな湾岸の景色を眺めていたら、胸の中でこの曲に乗ってさまざまな思い出が甦ってきて……。今こうして書いていても、唐人町の潮風が恋しく。
それにしても、九州ではたびたび不思議なことがありました。そんなこともこれから少しずつ振り返っていきたく。そして、福岡、また訪れたいと思います。
この一年、本当にあっという間でした。トータルで3カ月半ほどの九州・福岡滞在中、近代建築巡りや街歩きにいそしんでいたら、歴史や地理、文化に加え明治維新の流れも今まで以上に理解でき、普段住んでいる東京との物理的心理的距離も実感できるように。地元の人感覚で博多座等で観劇できたのも楽しく、人生でも非常に充実した一年でした。
昨年、長い夏がようやく終わろうというころ、夕暮れ時に新天町の「メルヘンチャイム」付近にたたずんでいたら、秋を感じさせる少しせつない風と一緒に心に吹き込んできた歌があって。
「♪One day いつか離れていく日が来ても I LOVE FUKUOKA」
青春時代に聴いていた感じのポップスだなと思ったのですが、それもそのはず、1986年に新天町創設40周年を記念して作られた商店街のテーマソング「I LOVE FUKUOKA SONG」だった(作詞・作曲・歌:新居昭乃)。そのときから心にこの曲がずっとあって。ずっといるわけじゃない、いつか離れていく日が来る。そんなことを思いながら、福岡で過ごしていた。旅というには長い、住むというには短い、そんな日々。福岡での最後の日、唐人町ともお別れし、高速経由で天神に向かうバスに乗って大好きな湾岸の景色を眺めていたら、胸の中でこの曲に乗ってさまざまな思い出が甦ってきて……。今こうして書いていても、唐人町の潮風が恋しく。
それにしても、九州ではたびたび不思議なことがありました。そんなこともこれから少しずつ振り返っていきたく。そして、福岡、また訪れたいと思います。