藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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花組日本青年館ホール公演『DEAN』
[宝塚]
1976年にロンドンで初演され、宝塚では1981年の初演以来再演を重ねてきた作品を、谷貴矢の新潤色・演出で27年ぶり4度目の上演。タイトルロールのジェームズ・ディーンを演じる極美真は星組から花組に組替えしたばかりでこれが初東上公演。主演映画『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』の撮影風景(つまりは名場面の再現)を絡めつつ、ディーンの短い人生、その生き様を通して青春のきらめきを描く。
一幕ラストで、生きていく寂しさを歌い上げる極美のディーン――同じ演じる人間として、ディーンの哀しみや孤独に寄り添おうとする、その誠実な姿に心打たれた。映画で役柄を演じるうちに、現実と虚構との境をときに忘れてしまうかのようなディーン。極美はこれまで一心に体当たり的なパフォーマンスのインパクトが強かったけれども、案外憑依系? と思う瞬間も。ディーンの前傾姿勢もよく再現し、一世を風靡したそのファッションも着こなし(女性が演じる男役としては難易度の高いものもあると思う)、社会の常識にとらわれない言動で周囲をときに困惑させつつ、よき役者になりたいという願望の追求に貪欲なところを描き出していく。観終わったとき、ジェームズ・ディーンの物語を観たと同時に、極美慎が芯を務めるショー作品を観ていたようにも感じるのが不思議である。
『エデンの東』の監督エリア・カザン(紫門ゆりや)、『理由なき反抗』の監督ニコラス・レイ(一之瀬航季)、『ジャイアンツ』の監督ジョージ・スティーブンス(涼葉まれ)、それぞれに個性も手法も異なる監督とディーンとのやりとりも興味深い作品である。紫門のカザンは、極美ディーンからいい演技を引き出そうと対峙する様にどこかメフィストフェレス的な味わいを感じさせ、……二組に分かれたもう一方の『Goethe(ゲーテ)!』ではトップ娘役星空美咲が芸の鬼、こちらでは副組長が芸の悪魔と、花組、何だかすごいことになっているな……と。どこか生き急いでいるようなディーンの前に現れる「謎の少年」役の彩葉ゆめも、セリフのほとんどない役どころで確かな存在感を示し、ディーンの破滅願望を表すような場面では、違う世界にふっと引きずり込んでいくような怖さがあった。彩葉は、この前の東京宝塚劇場公演のレビュー『愛, Love Revue!』のラインダンスで、愛くるしい表情作りといいしぐさといい、入団2年目とは思えない娘役芸の高さで目を引く存在だったが、今回大いに芝居心を感じた。全体的に極美の組替えがよい刺激になっていと感じられた舞台だった。
24歳で死したジェームズ・ディーン。この作品を観ていると、彼のどこか野放図な生き方、その生き方が投影された演技が当時の若者の心をとらえたこと、彼の遺した作品を通じてその当時のアメリカ社会を知ることができるのだと、改めて気づく。
そして、自分自身の青春時代も思い出す。“ジェームズ・ディーンの再来”とも言われたリヴァー・フェニックスが好きだった。その初主演作が『ジミー さよならのキスもしてくれない』という青春映画で、……うーん、『スタンド・バイ・ミー』とか『モスキート・コースト』とかすごくよかったのに、これは何だかよくわからん作品だなあ……と思ったのだけれども、リヴァー・フェニックスがジェームズ・ディーンよりさらに若い23歳で死んでしまったとき、……人生をあっという間に駆け抜けてしまった人に何だか似合う、生き急いでいるような映画だったな……と妙な納得をした――「ジミー」「ジミー」と呼ばれるディーンが生き急ぐかのようなこの舞台を観ていて思い出した。それと、リヴァー・フェニックスと仲がよかったキアヌ・リーヴスは『マイ・プライベート・アイダホ』(シェイクスピアの『ヘンリー四世 第1部』『ヘンリー四世 第2部』『ヘンリー五世』が原作と知って当時びっくりした。キアヌ・リーヴスが「ハル王子」の役どころ)等で共演もしているけれども、キアヌ・リーヴスはポーラ・アブドゥルの「Rush Rush」のプロモーション・ビデオでは『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンを再現しているのである――当時観ても今観ても、このビデオでのキアヌ・リーヴスにはこの世のものではないような美しさがある。それから時が流れて、“ジェームズ・ディーンの再来”というキャッチフレーズが今の時代も有効なのかわからないけれども、80年代、90年代にはそのようにしてジェームズ・ディーンの“残り香”がただよっていたこと(そう言えばボーイッシュな大沢逸美が歌う「ジェームズ・ディーンみたいな女の子」という曲もありました)、そして、人々が歳を重ねていく中、ジェームズ・ディーンもリヴァー・フェニックスも永遠に若い姿でそれぞれの時代を鮮烈に象徴していることを思って、――何だか泣いてしまった。
一幕ラストで、生きていく寂しさを歌い上げる極美のディーン――同じ演じる人間として、ディーンの哀しみや孤独に寄り添おうとする、その誠実な姿に心打たれた。映画で役柄を演じるうちに、現実と虚構との境をときに忘れてしまうかのようなディーン。極美はこれまで一心に体当たり的なパフォーマンスのインパクトが強かったけれども、案外憑依系? と思う瞬間も。ディーンの前傾姿勢もよく再現し、一世を風靡したそのファッションも着こなし(女性が演じる男役としては難易度の高いものもあると思う)、社会の常識にとらわれない言動で周囲をときに困惑させつつ、よき役者になりたいという願望の追求に貪欲なところを描き出していく。観終わったとき、ジェームズ・ディーンの物語を観たと同時に、極美慎が芯を務めるショー作品を観ていたようにも感じるのが不思議である。
『エデンの東』の監督エリア・カザン(紫門ゆりや)、『理由なき反抗』の監督ニコラス・レイ(一之瀬航季)、『ジャイアンツ』の監督ジョージ・スティーブンス(涼葉まれ)、それぞれに個性も手法も異なる監督とディーンとのやりとりも興味深い作品である。紫門のカザンは、極美ディーンからいい演技を引き出そうと対峙する様にどこかメフィストフェレス的な味わいを感じさせ、……二組に分かれたもう一方の『Goethe(ゲーテ)!』ではトップ娘役星空美咲が芸の鬼、こちらでは副組長が芸の悪魔と、花組、何だかすごいことになっているな……と。どこか生き急いでいるようなディーンの前に現れる「謎の少年」役の彩葉ゆめも、セリフのほとんどない役どころで確かな存在感を示し、ディーンの破滅願望を表すような場面では、違う世界にふっと引きずり込んでいくような怖さがあった。彩葉は、この前の東京宝塚劇場公演のレビュー『愛, Love Revue!』のラインダンスで、愛くるしい表情作りといいしぐさといい、入団2年目とは思えない娘役芸の高さで目を引く存在だったが、今回大いに芝居心を感じた。全体的に極美の組替えがよい刺激になっていと感じられた舞台だった。
24歳で死したジェームズ・ディーン。この作品を観ていると、彼のどこか野放図な生き方、その生き方が投影された演技が当時の若者の心をとらえたこと、彼の遺した作品を通じてその当時のアメリカ社会を知ることができるのだと、改めて気づく。
そして、自分自身の青春時代も思い出す。“ジェームズ・ディーンの再来”とも言われたリヴァー・フェニックスが好きだった。その初主演作が『ジミー さよならのキスもしてくれない』という青春映画で、……うーん、『スタンド・バイ・ミー』とか『モスキート・コースト』とかすごくよかったのに、これは何だかよくわからん作品だなあ……と思ったのだけれども、リヴァー・フェニックスがジェームズ・ディーンよりさらに若い23歳で死んでしまったとき、……人生をあっという間に駆け抜けてしまった人に何だか似合う、生き急いでいるような映画だったな……と妙な納得をした――「ジミー」「ジミー」と呼ばれるディーンが生き急ぐかのようなこの舞台を観ていて思い出した。それと、リヴァー・フェニックスと仲がよかったキアヌ・リーヴスは『マイ・プライベート・アイダホ』(シェイクスピアの『ヘンリー四世 第1部』『ヘンリー四世 第2部』『ヘンリー五世』が原作と知って当時びっくりした。キアヌ・リーヴスが「ハル王子」の役どころ)等で共演もしているけれども、キアヌ・リーヴスはポーラ・アブドゥルの「Rush Rush」のプロモーション・ビデオでは『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンを再現しているのである――当時観ても今観ても、このビデオでのキアヌ・リーヴスにはこの世のものではないような美しさがある。それから時が流れて、“ジェームズ・ディーンの再来”というキャッチフレーズが今の時代も有効なのかわからないけれども、80年代、90年代にはそのようにしてジェームズ・ディーンの“残り香”がただよっていたこと(そう言えばボーイッシュな大沢逸美が歌う「ジェームズ・ディーンみたいな女の子」という曲もありました)、そして、人々が歳を重ねていく中、ジェームズ・ディーンもリヴァー・フェニックスも永遠に若い姿でそれぞれの時代を鮮烈に象徴していることを思って、――何だか泣いてしまった。


