宝塚星組『恋する天動説』『DYNAMIC NOVA』の暁千星の舞台について[宝塚]
<10数年ぶり>
 初めて『DYNAMIC NOVA』<Finale A(情熱)>の場面を観たとき受けた衝撃は、宝塚歌劇の舞台において10数年前に受けた衝撃2回を合わせたくらいの破壊力があった。15年前の衝撃時はいろいろ降りてきて、14年前の衝撃時には私自身の内なる果てなき草原が見えた。今回の衝撃においては、生まれる前の世界で見た美しい光景の再現を観ているような思いにとらわれた(ちなみにこの場面には『♪見たこともない景色を 俺と見ようぜ』という歌詞がある)。

<シールド>
 上記の衝撃の結果について。他の分野の舞台でもあることなのだが、芸が演者の心の現れだとして、その受信に集中し、シンクロ率が極まると、その芸が終わった後、一時的に心にシールドがかかって他の受信がままならなくなる。15年前の衝撃の際もそうだった。

<布になりたい>
 『DYNAMIC NOVA』<火星(マヤカシの夜)>で、暁千星は闘牛士の如くムレータを翻して踊る。――ムレータになりたい、と思った。
かつての月組トップ娘役蒼乃夕妃の、布目にまで注意を払っていたというドレスさばきを思い出した。蒼乃夕妃については、その身体に乗り移って踊れたらどんな気持ちがするだろうと想像したものだけれども、今度は、布。
手の中で、その布は、風をはらみ、華麗に翻る――まるで生き物でもあるかのように。あやつられたい。翻りたい。あの布のように、自由に。
最後はふわっと投げられ、他者の手に落ちて命を失うかの如き布を観ていた。

<「心、どうでもいい!」の真意>
 <火星(マヤカシの夜)>でもう一つ思ったこと。
「動き! ずっと観ていたい! 心、どうでもいい!」
 我ながら、何と訳のわからないことを思うものだ、と。だが、それは、例えばスーパーな動きがプログラミングされたロボットを観たいという気持ちとはかけ離れたものだった。観劇を重ねて、わかった。その場面において、踊り、その身体の動きのうちに、男役としていかにありたいか、その心のうちが十全に現れているからそう思うのだ、と。
 気づく上で大きかったのが<海王星(惑わしのタンゴ)>の場面である。ここで、暁千星扮するNOVAは、稀惺かずと扮する海王星の女王と踊る。稀惺は普段は男役だから、ドレスをまとった女性の姿で男役と踊ることに慣れているわけではない。それもあってか、暁のリードが実に細やかだった。踊る上で相手をどう扱いたいか、心が尽くされていた。

<座る、しゃがむ、モッズコート>
 <Finale A(情熱)>で、暁千星は宝塚歌劇の象徴の一つでもある大階段の真ん中に座っている。周囲には男役たちを従えている。男役群舞の始まりである。大階段において男役群舞が始まるとき、トップスターは立っていることがほとんどである。普通にピシッと立っていた方が、身体も存在感も大きく見せることができる。座ることによって、客席に向けられる身体全体の表面積は減るのだから。だが、座っている。さらに、座ったままのけぞるポーズも繰り出される。
 『恋する天動説』でも、暁千星演じる主人公アレックスはしゃがむことが多い。男役、しかもトップスターがしゃがむのはあまり観ないように思う。どこか立ち止まるような日々を送っていた青年が、恋に落ち、再び走り始める物語だから、しゃがむというポーズ自体は役柄に似つかわしい。しかし、これも座る同様身体全体の表面積が減る。ピシッとというよりむしろ弛緩のポーズである。
 『恋する天動説』の衣装の一つ、モッズコートは、男性も女性も身につけるアイテムだから、着こなしを間違えば普通にボーイッシュな女の子になる。しかも、着用することによって、シュッとした身体のラインが消える。さらに言えば、アレックスは「タリいなあ」と口にしがちな、気だるい感じの青年である。役柄としてあまりかっこつけられない。だからしゃがんだりもするわけだが。今回の二作品における「かっこよすぎる」男役芸は、さまざまな難易度の高さをクリアしたところに成立している。

<のけぞる>
 この二本立て公演を最初に観たとき、「かっこよすぎて身が持たないからそう何回も観られない」と本当に思った。結局、何回か観て、自分の心に映るあれやこれやを冷静に分析することに努めた。かっこ「よすぎた」部分は結果として「かっこいい」が新たに切り開いた地平と言えよう。最終的には、<Finale A(情熱)>で大階段に座っている姿を観るや否や、舞台上より先にのけぞるという(無論、後ろの方にご迷惑をかけないように)、「身が持たない」を回避する一種の身体反応も開発された。
 2024年に封印が解かれるまで何度か抗ったが(そもそも封印したかったわけだし)、最終的には(私の感知する限り)絶えて久しいあることを復活させたいとの意欲に打たれた――それは、劇場全体を一つにする上で大きなキーとなる営為であり、その感覚については他の芸術分野においてもときに語られるところでもあり、また、スポーツにおいても、例えば2023年WBC決勝の最後の瞬間などはそれに類するものではないかと思う。

「こんなの、10数年ぶりだよ〜」
 隣で観ていた夫も、『恋する天動説』の銀橋歌唱に感涙し、『DYNAMIC NOVA』の大階段座りに感嘆していた。