日本シリーズの中継が長すぎやねん! それはさておき。

 宇野昌磨。炎のような、刃のような。転んでも、その事実に対する気持ちに引きずられず、自分の演技に邁進していく彼の精神力の強さに私は敬意の念を抱いている。
 友野一希。“ザ・エンターテイナー”の本領発揮が楽しみ。

 ポジティブな気持ちが伝わってきて、今日は樋口新葉のキレのいい演技を楽しむことができた(いいとき、悪いとき、気分が演技にはっきり出がちな人である)。いい方に心を安定させていって、観客にポジティブな気持ちを届ける演技をしていってくれたらと思う。化粧◎!
 山下真瑚は、9月のロンバルディア杯でも思ったのだけれども、素直な、伸びやかな滑りが魅力の人である。観ているこちらも思わず口元がほころんでしまうような、自然体のかわいらしさ。手先の表情等、磨けば光るところはもちろんまだまだ多いけれども、後半にかけてどんどん音と一体となっていく様にはぞくぞくしかけた。音楽性にさらなる可能性を感じる。
 どこかメカニカルな印象があったエフゲニア・メドベージェワは、平昌オリンピックのフリースケーティングからこっち、どんどん人間味が増していっていて…。失敗はあったけれども、この日の彼女の滑りが私は好きである。

 ただいま旅先なので、フリースケーティングは東京に戻ってからゆっくり観ます。
2018-10-28 01:26 この記事だけ表示
 この日の坂本花織の演技を観ていて、…映画『ピアノ・レッスン』の中で一番印象的だった、画面を占めるどこか寒々とした、荒涼たる景色が、記憶の奥底からふわあっと引き出されてきて。四半世紀も前に一度観ただけの映画だから、正直あまりよく覚えていないように思っていたのだけれども、記憶とは実に不思議なものだな…と感じた次第。
 宮原知子は少々緊張感が先行していたかなと…。彼女の几帳面で真面目な性格は美点なのだけれども、そこが前面に押し出されてしまうと、「一生懸命やっています!」というところが観る側に伝わってしまうきらいがあり。ジャンプの修正がとてもうまく行っているようなので、そこが自信になってくれば、緊張感と余裕とが両立できるようになって、この日ただよわせていた清純な色気――「色気は譲歩能力」とは橋本治の名言なり――もさらに増してくるような。
2018-10-22 23:40 この記事だけ表示
 坂本花織。かわいかったぞ〜!(アイメイクはまだまだ行ける!) 元気で、かつ、しなやかな大人の女性。ニュー坂本花織、いいじゃないですか。難しい三拍子の曲だけれど、ところどころ音楽と一体となりつつあって、全体通してそうなっていったときが見物。昨シーズンも思ったけれども、彼女の衣装はいつもセンスよし。
 宮原知子は、先日の「カーニバル・オン・アイス2018」で披露したショートプログラムでも、ところどころ心をふわっとのぞかせていて、…素敵だな…と思っていたのだけれども。今日はもう全編、フィギュアスケートへの愛に貫かれていて、小柄な彼女が、リンク上でとても大きく見えて、…落涙。彼女自身の意思が強く感じられる演技で、…たった一年でこんなにも大人の女性へと成長していっているんだな…と、大いに胸を打つものあり。
2018-10-21 23:14 この記事だけ表示
 …ショートとフリー、その二日間だけで、これまでになく高橋大輔という人を知りつつある、と感じた。そして、そのことにとてもわくわくしている自分がいた。もっと“高橋大輔”を見せろ〜。そうしてオレに文章を書かせろ〜!(笑)
 友野一希。『リバーダンス』のナンバーを使用したフリーは「ロンバルディア杯2018」でも観ていて、…『リバーダンス』の舞台を最初に観劇したとき、彼はこの世にいなかったんだな(1996年か1997年のことなので)…とふと思い、自分がかくも長く生きていることにちょっとびっくりしたあひる。今回は何だかもう、リバーというより“闘志の炎メラメラ”ダンスみたいになっていましたが。プログラムの完成形が観られたとき、書きたいことは自分の中で決定〜。
2018-10-09 22:55 この記事だけ表示
 …思っていた。この人はなぜ、テレビの中で、どこか自分のものではない笑顔で笑っているのだろうと。どこか、何かをはぐらかすような、笑顔。そこははたして、彼が本当に、心の底からいたいと願っている場所なのだろうか――。
 そして、高橋大輔は4年ぶりに競技者としてスケートリンクに立った。やはりそこにこそ彼の生きる場所があるのだった。
 ――貴方が、人生を、世界を愛せば、必ずや人生も、世界も、惜しみなく愛を与えてくれます。そうして愛し愛されている貴方を、人々は愛するのです。今日という日を決して忘れないで。私は決して忘れないから。貴方の魂が貴方自身に戻ってきた日。
 今の彼の真剣な顔が、彼らしくて、彼自身で、私はとても好きである。
2018-10-07 23:20 この記事だけ表示
 織田信成も現役復帰するのかと思ったくらい、キレッキレの楽しい演技だった! 後半、「ヤングマン」のメロディに乗せて“YMCA”ポーズが繰り出されるあたりで、一緒に観ていた夫と爆笑。そして、ぐっときた。織田信成は優しく広い心でフィギュアスケートを愛している人である。その気持ちは解説や報道での語り口からも伝わってくるし、今年初めに彼が刊行した「『フィギュア』ほど泣けるスポーツはない!」を読んでもまた伝わってきたものなのだけれども、彼の滑りからも改めて感じ取ることができたから。この大会に参加して演技したこと、すなわち、今年のルール改正を自らの身をもって経験したこともまた、今後の彼の仕事に活かされてくるのだろうと思う。
 宇野昌磨は、先月の「ロンバルディア杯2018」を観ていて、気持ちの上で、…今年もまたそこから始めるのか〜と思ったのだけれども、今日の演技は前を向いて吹っ切れたものを感じた。自分と美や芸の間にいつも、誰か他の人を入れた枠組みを設定して思考する人というのは、日本演劇界にもいたりするのだけれども、本来、美や芸は、まず己一人で立ち向かうものではないかと私は思う。この世で宇野昌磨にしか滑れない、宇野昌磨のスケートの確立を!
 女子については、平昌オリンピックの総括もまだしていないところだけれども(フィギュアのシーズンと違い、あひるの一年はあくまで1月から12月である&『蝶々夫人』問題に未だ取り組み中)。坂本花織は、昨年の元気はつらつ娘から一転、しっとりしたプログラムに変えてきていて、女性としても一年分成長したであろう彼女の新たな一面が観られそうで好印象。「届け〜」「伝われ〜」の内実、その内容が観る側にしっかり伝わってくるとさらに良し。「化粧も芸のうち」の宝塚歌劇の評論をしている人間として、昨シーズンから彼女について気になっているのがアイメイク。ザギトワもメドベージェワもメイクが実に巧いのである(メドベージェワは毎日アイラインを引いて練習に行くという記事を読んだ)。演技でも化粧でも、坂本花織のかわいらしさが一段と引き出されてくることを期待。
 宮原知子は演技上の細やかな心配りが今日も美しい。前に、北欧から来たミュージシャンの奏でるタンゴを聞いていて、暑い国の人間と寒い国の人間とで“熱さ”の表現は異なってくることのだと感じたことがある。氷上で演じられるフィギュアスケートに可能なタンゴの熱の表現に興味津々。
 「近畿選手権2018」も楽しみ!
2018-10-06 22:36 この記事だけ表示
 観ていて…、心と、肌とが、ちりちり、ひりひり、相似形を成して燃えていた。ひりひりと言っても、焦燥感といったネガティブな風ではない。それは、未だかつて味わったことのない感覚だった。――彼我が一つになる、その恍惚感ともまた違う。むしろ、魂が一つではなく、そこに二つ有ることを互いに祝福して、向き合ったまま、いつまでもどこまでも、共に震えて揺れているような。
2018-09-22 21:06 この記事だけ表示
 平昌オリンピックの羽生結弦のフリースケーティングの演技を観終わった段階では、…もう、エキシビションには出なくていい、出てほしくない、それくらいの気持ちだった。
 …全然見抜けなかった、という思いがあった。平昌入りした彼の表情があまりに柔和で、滑ることの幸せに満たされていたから。完治とはいかなくても相当程度怪我が治ったのだと思い込んでいた。フリーの演技を観ているうちに、次第に、…治ってなかった! …との思いがふくらんでいった。だから即座に、「完治第一! 無理禁物!」と記したのだ。
 …心に甦ってきたのは、かつて劇場で見かけた熊川哲也芸術監督の姿だった。芸術監督がやはり怪我から復帰しようとしていたとき。客席で見かけた彼は、若干とはいえ足を気にして歩いているようだった。けれども。その日の舞台の演出家/振付家としてカーテンコールに登場したときは、「怪我? 何それ?」とでも言わんばかりの、普段とまったく変わらぬ様子で歩いていた。
 彼らにとっては、そういう場所なのである。自分の事情、内情を見せる場所ではない。芸を見せる場所である。スケーターはリンクに立てば滑り、バレエダンサーは舞台に立てば踊る。たとえその身体にどんな苦痛を抱えていようとも。そのことを、改めて思い知った。痛いほどに。

 出なくてもいいと思った。けれどもやはり、栄光に輝いたその心を表明する上で、エキシビションほどふさわしい場所もないだろう。
 サン=サーンスの『瀕死の白鳥』を原曲とした、『星降る夜』。ラブソング。――その曲にのって、白鳥が、愛の中をただよい、飛び、舞っていた。時を止めたかのように美しいディレイド・アクセル。まるで、彼がいるスケートリンクの空間全体が、愛で満たされた水槽か何かのように見えた。――その後、母の母校である東京女子大学のチャペルで、教会オルガニストが奏でるバッハの『主よ人の望みの喜びよ』を聴いたとき、悟ったのだった。その刹那、チャペルの空間全体が神の愛で満たされるようだった。たとえ現世でどのような困難があったとしても、その愛は、そのときその場に集いし者を優しく包容する。そして、各自がその愛をもってまた現世の困難へと立ち向かい、世界を愛の場所へと変えていくことを希求している。あのエキシビションの場もまたそのような空間だった。その愛の場所が、スケートリンクを超えて、さらに大きく広がっていくことを私は願った。彼がいつの日も大きな愛に包まれているように――。幸せだけを願った。長い人生、いろいろなことがある。それが人生である。それでも、そのすべてを幸せへと変えていける力を、彼が自分の内から生み出していけますように。
 何も聖人君子になる必要はないと思います! 人間なんだから。若くして立派になりすぎるのも何だか心配で。と、これは余計なお節介かもしれず。

 自分が無用な心配をしすぎることにかけては自信がある。それゆえ、平昌オリンピックの前は、羽生結弦がオリンピックに出られるかどうか、心配しないようにしていた。一切考えないようにして、天に任せた。だから、オリンピックが終わってから、そのころ数多出版された分も含めて、フィギュアスケートにまつわる書物を貪るように読んだ。――改めて、先駆者たちの苦労に思いを馳せた。日本人であるというだけで点数が出なかった時代があって、がむしゃらに突き進んできた多くの人たちがいて、今がある。
 それと同時に気づいたこととは。かつて、少女の時代にフィギュアスケートを観ていたころには、採点競技であるがゆえのもやもやというのはやはりあった。そして、舞台評論家になってからは、自分は評論はするけれども、採点ということはしなくていい、そんな思いもあった。けれども、舞台評論を自分なりに続けてきた今、採点するジャッジの苦労が非常に身近に感じられるようになってきたのである。私は言葉で、芸について、演技について記す。それぞれに違うその演技について、それぞれのその違いを微細に書き分けて表現していかなくてはいけない。結局のところ、それを言葉に落とし込むか、点数に落とし込むか、その違いでしかないことがわかってきた。自分が向き合っているその対象分野の可能性をいかに拓いていくか、そのために自分はどのように評論するのか、どのように採点するのか、通底するのはそんな究極目標である。そのことに気づけたとき、再びこの競技に向き合うことができたことを、幸せに思った。

 そして浮かんださまざまな興味、論点。
 …バレエって、どうして転ばないんだろう…と思った。もちろん、まったく転ばないわけではない。一度、とある来日公演で、主役に抜擢されたばかりの若手ダンサーがそれは見事にスッテーンと転んでしまい、逆に客席が、…大丈夫? 頑張れ頑張れ! と温かく応援する気持ちで盛り上がって、結果としていい舞台になったという経験はある。しかし、基本的にバレエでは転ばない。もちろん、バレエとフィギュアスケートでは靴も違えば床も異なる。練習での成功率が低い技を、バレエは本番では披露しないけれども、フィギュアスケートでは勝負のため敢えて挑戦するということもあるだろう。けれども、そういうことを超えて、メンタルの問題が原因だとしたら。練習ではほぼ転ばないのに、本番では転んでしまう、そのとき、舞台人が舞台で演技を見せるような感覚で取り組むことによって、状況を打破できる可能性はないだろうか――。
 フィギュアスケートと舞台芸術との関わりについて。とある書物で、伊藤みどりの恩師として名高い山田満知子コーチが、少女時代、宝塚の人にフィギュアスケートを教えてもらっていた…という記述にぶつかった。宝塚歌劇団では戦後の一時期、アイス・ショーの公演も行っており、白井鐵造が戦前発表した名作レビュー『花詩集』をスケートリンクで『花詩集オン・アイス』として上演していたこともある。その時代は宝塚音楽学校でもスケートの授業があったこと、そんな中からアメリカに渡ってスケーターとして活躍した姉妹もいたこと、そしてそのショーの上演風景など、かつて出演されていた方にお話をうかがうこともできた。また、かつてのアイス・ショーは東宝の演劇部や日劇関係者などが関わっていたという。
 明治から戦前までの近代建築を好む関係で、劇場史、興行史をも含んだ盛り場の歴史にも興味があるのだが、戦前のモダン・シティには、集客施設としてスケートリンクを作ることが流行していた時代があったようである。私がたびたび買い物に行く新宿伊勢丹本店にも、かつてスケートリンクがあった。銀盤きらめくモダンなビルが立ち並ぶモダン・シティを、私は夢想する。
 もっとも大切な論点としては、フィギュアスケートと音楽との関わりがある。宝塚月組公演『カンパニー』を論じた際にも少し記したが、突き詰めていけば、日本人が西洋音楽をどう受け止めていったか、その受容史とも関わる問題である。フィギュアスケートのみならず、舞台芸術全般に関わる問題として、これからますます考察を深めていきたいと思っている。

 そして、彼は、多くの人々に私を出逢わせてくれた。
 平昌オリンピックの男子フリースケーティングの次の日、女子のスピードスケート500メートルで、小平奈緒選手が滑っているのを観ていた。羽生結弦選手が勝つと言って勝ったことに、感銘を受けているのだな…と思った。そして彼女は勝利した。そのインタビューで、羽生結弦選手にふれていた。…考えてみれば、スピードスケートで何かが伝わってきたという経験は、それが初めてだった。必ずしも何かを表現する競技ではない。けれども、自分が思う美しい滑りというものを表現すれば、それがスピードにもつながっていくということもあるのかなと、そのとき思った。
 インタビュアー中居正広にも同業者として大いに興味が湧いた。スポーツ報道を楽しく盛り上げている松岡修造にも。そしてもちろん、解説やコメントといった形で関わる、多くのフィギュアスケーターたちにも!

 平昌オリンピックの羽生結弦のフリースケーティングを観て、「闘いましょう!」と私は記した。この世界を、愛の場所に変えていくために。愛の空間を、さらに大きく広げていくために。愛の力をもって、自らの立つ場所を変えていっている人を私は知っている。だから、羽生結弦選手とその愛すべき仲間たちにも、それは可能である。
 そしてすでに、世界は変わっていっていると思う――。
 これからも、その闘いに、少しでも役に立つことができたなら。それが私の今の願いである。

 最近あひるのもとにやってきたワンピースの白鳥。

白鳥.jpg
2018-07-02 23:09 この記事だけ表示
 今まで観てきた宮原知子の『蝶々夫人』の中で、一番伝わってくるものがあった演技だった。「宮原選手は勉強熱心で、うちの公演もよく観に来てくれるんだよ」と、知り合いの劇場関係者に聞いたことがある。舞台が、美しいものが好きな人なのだろうと思う。そんな彼女の心の中にも、美の種がいっぱい詰まっている。その美をこれからも見出していけたら…と、そんなことを感じさせる演技だった。何も劇場に限らなくても、美の種は至るところにある。ふと見上げた空の青さ。昨日とは違う夕暮れのグラデーション。曲がった先の道、予期せぬ場所に咲いていた桜の花。なにげない人の優しさ。笑顔。
 今までどこか、『蝶々夫人』と正面から向き合って来なかった。日本生まれの女性の舞台評論家なのに。でも、だからこそ、この作品を考える上で難しいところがあって……。そのことに気づかせてくれて、本当にありがとう。これからも、日本の女性の美しさの可能性について、一緒に取り組んでいけたらと思います。楽しんで滑って!

 男子はまた後日!
2018-03-24 23:59 この記事だけ表示
 じわーっと涙がにじんできて……。この日の宇野昌磨の演技も私は好きです。
 
 『ツィゴイネルワイゼン』にのって踊る友野一希を観ていたら涙が出てきて、そしたら、演技が終わった彼も泣いていて……。内から何かがどんどんあふれてくる、表現者として実に興味深い人。
2018-03-23 00:55 この記事だけ表示