こんなにエロティックなショパンを聴いたのは初めてだった。昨年5月、荒井祐子と熊川哲也が踊ったKバレエカンパニーの「白鳥の湖」を観て以来――2016年度のあひるのインスピレーション大賞受賞舞台である<http://daisy.stablo.jp/article/448445147.html>――、私はチャイコフスキーのこの曲を聴くだけで、腕の中に荒井祐子とも白鳥ともつかぬ美しいものを抱いていた感触が確かに甦るのだけれども、この日の「バラード第1番」も、私の心と身体の中にそうした残り方をする予兆を感じさせて。昼はKバレエカンパニーの新作「クレオパトラ」(14時の部、東京文化会館大ホール)を観ていたので、芸術におけるエロスの表現について深く考え、感じた一日でした。
2017-10-20 23:33 この記事だけ表示
 4月下旬の「世界フィギュアスケート国別対抗戦」での羽生結弦のショートプログラムの演技を観て、…つくづく芸術家向きだな…と思った。心が激しく揺れる。だからこそ表現が生まれる。己の思う表現をその場で全うする上では、ある程度の心の揺れの制御が必要なのかもしれないな、とは思うけれども。そう言えば、宝塚花組二番手時代、否、雪組トップスターになってすぐに月組の「ベルサイユのばら」に特別出演したあたりまで、壮一帆も心の揺れが激しい人で、観ているこちらまできりきりと心が乱高下したことを思い出す。その乱高下はいつしか鳴りを潜めて、今では芸に邁進して至って柔和である。
 壮一帆の話が出たので流れで書いておくと。宝塚を退団して三ヶ月ほど後、去就がいまいち明らかでなかったころ、彼女がWOWOWの退団スペシャル番組でスケートに挑戦するという企画があった。フィギュアスケートの振付師宮本賢二に数時間指導を受け、最終的には退団公演で歌った「ケセラ」に乗ってちょっとした舞を披露、宮本にリフトもされたりするという構成で、宝塚入団前以来久方ぶりに滑るという割には非常に意欲的な内容だった。そのとき、…退団後の人生、今はまだこんな風にぎこちない歩みだけれども、見守っていて! との思いが感じられて、ああ、この人は何でも表現に使ってしまえるんだな…と思ったのと同時に、スケートでもものすごく伝わるものなんだな、と改めて認識したことを思い出す。
 4月下旬、そんなことを思いながら、実は私は猛省していたのである。「君があんな書き方したら、熊川くんだって創れるものも創れなくなっちゃうよ!」と怒ってくれた人に、今度はあの世から怒られかねないな…と思って。それでしばしお休みして、銀盤ならぬ将棋盤に目を向けてみたりしていたのである。フィギュアスケートのシーズンが終わってしまって、ちょっと気が抜けてしまったというのもあったし。猛省については後ほどふれるとして。
 「国別対抗戦」のフリースケーティングがテレビで放映される日時、どうしても外出しなくてはならなかった。だからまずは、地下鉄内で、夫に借りたiPadで観ていた。…ふと気づいた。今、無音で見入っている! と――イヤフォンの持ち合わせがなかった。音楽の助けがない。それでも今、食い入るように観ている。動きだけで目を釘付けにする、それが羽生結弦の演技なのだった。
 家に帰って大きな画面で改めて観た。不思議だった。久石譲振付の「Hope & Legacy」に乗って、例えばジャンプする。――と、その都度、バックにあるはずのスケートリンクの風景が、まるで特殊効果でも施されたように、飛んだ人物の心象風景にパッ、パッと切り替わって見えるようなのである。例えば、故郷の豊かな自然――。その刹那の激しい思いの迸り。
 エキシビションの「星降る夜」は心ゆったり観ることができた。もともとの曲はサン=サーンスの「瀕死の白鳥」。私にとっては例えば、美を弾圧するものと激しく闘い続けた芸術家、マイヤ・プリセツカヤの壮絶な舞が深く心に刻み込まれた一曲である。だが、イル・ヴォーノの歌うこの曲は、熱烈なラブソングなのだった。その歌に乗って、銀盤の芸術家は、愛に心満たされて舞っていた。美しかった。――最初にふと頭をよぎったのは、ウラジーミル・マラーホフがトゥシューズを履いて本気で踊った舞。けれども、銀盤上のそれはよりしなやかで――。スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」のラストで、四代目市川猿之助が「天翔ける心」の名セリフを口にして宙へと飛び立ってゆく、その白鳥の姿が心に浮かんだ。
 5月に幕張、6月に神戸で開催された「Fantasy on Ice 2017」も映像で観た。中西圭三が歌う「Choo Choo TRAIN」に乗って踊る。どんなダンスをやっていても成功しただろうな…と確信する、図抜けた音感。そして、ショパンの「バラード第一番」。滑りながら、優しく、激しく、ピアノを心で奏でるかのような。フレデリック・ショパン。男装の女流作家、ジョルジュ・サンドの若き恋人。私の心の中には、「ショパンは僕の憧れの友達!」と「英雄ボロネーズ」を奏でたラファウ・ブレハッチや、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団と「ピアノ協奏曲第一番」で共演した際、ショパンが何故そのように作曲したか、何故その音をそのときそこに置いたのか、弾きながら一音一音発見していった、中村紘子の名演が深く刻み込まれている。そこに羽生結弦の“演奏”が加わるかもしれないことを、幸せに思う。

 猛省について。
 「舞台は生身の人間がやってる芸術なんだぞ!」ということを私に教えてくれたのは、蜷川幸雄である。
 …ときどき、美を希求する心の際限のなさに、自分でも恐ろしくなるときがある。目の前に立った存在に対して、あまりに容赦がない。例えば。渡辺美佐子が長らく演じた一人芝居「化粧 二幕」のファイナル公演。…もっと動け! もっとやれ! …と、90分間高揚して観ていて、舞台が終わって、そのときそこに一人佇んでいる人が、80歳近い年齢であることをやっと思い出した。最近でも。宝塚雪組日本青年館公演「CAPTAIN NEMO」を観ていて、宝塚歌劇として最高レベルのまとまりを見せる全体の演技に、…でも、まだまだ行けるよね?…と思い、比較している対象が、四代目市川猿之助、市川中車、市川猿弥を擁する日本最高峰の澤瀉屋であることに気づいた。「CAPTAIN NEMO」には、舞台を踏んでまだ数年という出演者も少なくないのに…。要するに、年齢もキャリアも何も、観ているときは吹っ飛んでしまうのである。そういう態度で観、書いてきた。――そして、「君が相手にしているのは生身の人間なんだぞ!」と、舞台を通じて蜷川幸雄にそれは激しく教えられた。生身の人間相手に書く上では、病気にもなれば怪我もする身体という軛の中で、傷ついたり喜んだりする心があって、そんな人間存在をまずもって尊重するということが大切なのではないか、そんなことをほとんど怒られながら教えられていたのだろうと思う。
 猛省して、羽生結弦やフィギュアスケートにまつわる書物を何冊か読んでみた――ブッキッシュだから、まずは本から入るのである。フィギュアスケートがどう言葉でとらえられているのかということにも興味があった。――羽生のコーチであるブライアン・オーサーの著した「チーム・ブライアン」を読んで、オーサーが引退を決めたとき、彼にとって特別な演目である「Story of My Life」を滑って、アイス・ショーの世界に別れを告げたというくだりに、ぐっときた――「Story of My Life」が私にとっても特別な演目であることは、既に記した。羽生結弦著「青い炎U〜飛翔編〜」ともなれば、怪我に病気、もう痛い話のオンパレードである。生身の人間。それが滑るということ。飛ぶということ。回るということ。そうして表現するということ――。

 そんなことをつらつら考えていたら、いつしかフィギュアスケートのシーズンが始まりを迎えていたのだった――ちなみに、日本舞台芸術界にシーズンはない。ずっと続いている。最近ある人に、…まゆちゃん、ブログ全然書いてないけど、さぼってるの? と言われたけれども、さぼってない! 観劇や仕事やかわいいものを探しに行ったりで毎日忙しい。確かに、そう指摘した人物が家に来て見張ってくれたらもっと書くだろうなとは思うけれども、それはさておき。
 「オータムクラシック2017」。カナダ・モントリオールの秋に思いを馳せる。羽生結弦の今シーズン初戦。
 …ますますもって芸術家向き! うっとり惚れ惚れしてしまった。芸術家としての資質に、壮一帆によく似たところがある――ちなみに壮一帆は、「舞台は最高のエクスタシー」なる名言の持ち主である――。今回上手く行かなかった点について本人が誰よりもよくわかっているだろうことはインタビューからも一目瞭然だったから、心配していない。観る方からしてもこれは美しい! と思える入りのときの方が、やはり、飛ぶにしても回るにしても上手く行くものなのだろうかと前々から考えていたのだけれども、その疑問に答えが提示されたようにも思えて。もう一つ感じたことは、人が人に何かを伝えたいと願う、その希求の原始についてである。…かつては混沌と全体として存在していたものの中から、人間は、個々人として切り離されて生まれてきた、私にはずっとどこかそんな感覚がある(http://daisy.stablo.jp/article/448444956.html)。かつてつながっていたものと、再びつながりたい、一つになりたい。その希求こそが、表現を生むのかもしれない――。
 昔、日本のフィギュアスケート選手はよく、太鼓を打ち鳴らして…みたいなプログラムを滑っていて、それがいまいちあか抜けないというか何というか、エドワード・サイードの言う意味でのオリエンタリズムの視線にわざわざ屈しなくてもいいんじゃない? と思っていたものだったけれども。羽生のフリースケーティングの「SEIMEI」は、そういった悪しきジャポニズムから解放されて、洗練されている。SEIMEI――もちろん第一義的には安倍晴明の“清明”なのだろうけれども、“生命”ともとらえ得る。掛詞。日本語の美しき文化。…もしかしたら、熊川哲也がバレエにおいて問いかけているように、日本人がフィギュアスケートを滑る意味も見えてくるのかもしれず…。
 あ。またもや際限のない…。でもま、いいか。伝えたい心、その希求には限りがない。広がってゆく。どこまでも。こちらでも。あちらでも。
 ちなみに、日の本の芸術家たちの反応はといえば。…彼がフィギュアスケートでやろうとしていることは、自分が携わるジャンルにおいてはつまりはこういうことではないですか、とすぐさま提示してくれた人。自分が彼と同じ年齢だったころのことを振り返る人。…これからどんな活躍していくんだろう〜! と、それはピュアに楽しみにしている人と、いろいろである。けれども、それぞれに刺激を受けているだろうことは間違いなく。
 生身の人間ゆえ、肉体については心配また限りなし。けれども。
 氷上の芸術家、羽生結弦が、その心身の美しさを世界にますます現していけますように! そして、生身の芸術を生きるすべての人々に、幸あれ!
2017-09-30 23:45 この記事だけ表示
 世界フィギュアスケート選手権のエキシビションで、羽生結弦の「星降る夜」を観ていた。――満たされた想い。フリーの演技で切り拓いた新たなる地平へのときめき――。
 そうして滑る姿に、私は、心に深く刻み込まれたある演技を思い出していた。かつてブライアン・オーサーが、1988年カルガリー・オリンピックのエキシビションで滑った「Story of My Life」――。

 私にとって、フィギュアスケートとは観るより前に自分がやるものだった。父の仕事の関係で、1982年、10歳のときにカナダの首都オタワに移り、フィギュアスケートを習い始めた。弟はアイスホッケーのチームに入った。カナダの子供にとってスケートは身近なスポーツだ。オタワに流れるリドー運河は、冬には凍って世界最長の7.8キロの天然スケートリンクになる。家族で滑りに行き、父だけが一人すいすい滑っていって完走したこともあった。フィギュアスケートでは、一つのレベルをクリアするごとに布製のバッジがもらえた。スケートの練習のとき着ていくジャンパーの腕のところに縫い付けてもらうバッジが、一つまた一つと増えていくのが誇らしかった。1984年、世界選手権に出場するためオタワにやってきた伊藤みどり選手に、日本料理屋の前で偶然出会ったこともある。その年にはサラエボ・オリンピックもあった。このとき男子で銀メダルに輝いたのが、カナダ出身のブライアン・オーサーである。今でこそ貫録たっぷりになってしまったが、当時20代の前半だった彼は白皙の美青年だった。そして素晴らしいスケーターだった。私と母は彼の滑りに魅せられた。
 1985年に帰国してからは、自分が滑ることはなくなったけれども、フィギュアスケートは好きでずっと見続けていた。そして1988年、カルガリー・オリンピック。地元カナダ出身ということで、金メダルの期待がかけられていたブライアン・オーサーは、またもやアメリカ人選手に負けて二位だった。今でも、「……オーサー、また負けちゃった……」と泣く母の声を覚えている。そして、銀メダルに終わった彼がエキシビションで踊ったのが、ニール・ダイアモンドの「Story of My Life」だった。まるで、「これが僕の人生さ」とでも言わんばかりの、情感あふれる演技。――私は何度も何度もその演技を見返した。彼が本番で何を滑ったかは忘れてしまっても、その「Story of My Life」は心に残り続けた。
 1990年に大学に入学すると、そこにはなんとフィギュアスケート部があった。東大では「運動会」と呼ぶのだが、要するに体育会である。けっこうハードである。なぜ、文化系人間だった私がそんなところに入ってしまったのか、今となっては自分でも不思議だったりするのだけれども、それは、カナダ時代に滑っていたということと、自分が観てきたさまざまな素晴らしいフィギュアスケートのパフォーマンス、その域にはもちろん到底達せないながらも、どこかでその世界に少しでもふれてみたいという気持ちがあったからなのだろうと思う。今ではもうなくなってしまった、池袋、品川、王子といったスケートリンクで練習をした。同学年には、ジュニア時代にとある有名選手に勝ったことがあるというTくんという長身の美青年スケーターがいて、練習しながらこっそり見惚れていた。母に衣装まで作ってもらい、大会出場を目指していたけれども、合宿中に腰を痛めてあえなくリタイアし、その後は観る専門となった。
 そして、私の少女のころはそんなにはメジャーではなかったフィギュアスケートは、日本でも次第に大人気競技となっていった。ブライアン・オーサーをまずは、浅田真央のライバル、キム・ヨナのコーチとして認識した人も多いだろうと思う。けれども、私と母にとっては、「あのオーサーが……!」という感じだった。現役時代の戦歴や、あの「Story of My Life」にこめたであろう思いを、どのように昇華してコーチ業に生かしているのだろうと思うと、何だかとても複雑な思いにとらわれるときがある。そして彼は羽生結弦のコーチとなった。
 2月の四大陸選手権のとき、羽生の演技を観ていて、……一瞬、かつてのブライアン・オーサーの演技が脳裏をよぎって、はっと胸を衝かれたのである。二人は必ずしも似たタイプの選手というわけではないのに。

 世界選手権のエキシビションでの羽生の演技を観てから、たまらなくなって、「Story of My Life」の古い映像を観返した。――この30年弱で、遠くへ来てしまった、そう思った。フィギュアスケートも。私自身も。そして、遠く来たその地平で、私は今、羽生結弦という一人の芸術家と向き合っている。私が彼の演技について何か書き記すことで、フィギュアスケートという、私の心を、人生を、豊かにしてくれたものに何らかの恩返しができるとしたら、こんなにも幸せなことはない。新しいジャンルに入っていく気がしていたけれど、フィギュアスケートは実は、私にとって前々からなじみのあるジャンルだった。そう、自分の人生を振り返れたこともうれしかった。
 そして、フィギュアスケートという新たなジャンルからの視座を得たことによって、自分自身もまた発展していける気がする。例えば、フィギュアスケートの演技について、「360度見られている」と書いたけれども、考えてみれば「360度」とは神の視座なのである。きっとこれからも、舞台芸術を考える上で、フィギュアスケートを観て書き記すことからのフィードバックがあるだろうと思う。何より、羽生結弦の活躍に、日の本の他の芸術家たちも刺激を受けていることと思うし。
 それにしても不思議だった。世界選手権のショートプログラムは録画してあって、夜のウォーキングから帰ってきてテレビをつけたら、まさに羽生結弦が、リンクサイドでオーサー・コーチと言葉を交わし、リンク中央に滑り出していかんとする瞬間なのだった。…録画ではなくて、リアルタイムで観なくてはいけないということなのだ、と悟った。だからフリーもそうした。しかしながら、フリーの演技について芸術家自身が語っている言葉は実に興味深い。「風や川の中にドプンと入っている感覚」「自然の中に溶け込んでいく感じ」という言葉から私が何とはなしに連想したのは、胎児が母の胎内で羊水の中に浮かんでいる、つまりは人間の原体験、原感覚とでも言えるような状態である。国別選手権でもまた、羽生結弦の演技からこの世の美や不思議にまつわる発見ができればと願っている。
 3月中旬にKバレエが上演した「レ・パティヌール〜スケートをする人々〜」で、とりわけ深い印象を残したのは、ホワイトカップルの女性を踊った浅川紫織だった。氷上、スケート靴を履いたことによって、地上ではできないことが可能になる。ちょっとかいただけですーっと進む。たちまち視界が変わる。くるくる回れる。跳べる! そんな喜びを、バレエのステップのうちに表現していた。
 ――そうだ、スケートで滑るって、とても楽しいことなのだ! 私は思い出していた――カナダ時代、そして大学時代のクラブ活動で、フィギュアスケートを少しだけかじっている。氷上でしか味わえない喜び。そして思った。では、世界最先端のフィギュアスケーターは、はたしてどのような喜びを感じているのだろう、と。
 その答えが、今日の世界選手権の羽生結弦のフリースケーティングの演技にあった。スケート靴を履くことによって人体の能力が拡張される。そしてその拡張は、究極的には、拡張された分だけ、人の心を自由へ、自由へと解き放っていくのだった。自由だ。自由なのだ! こんなにも――。演技を観ながら、私は涙していた。羽生結弦のように滑れる人間は、羽生結弦の他はいない。だから、羽生結弦が滑る上で感じている喜びや幸せを味わうことができるのは、彼一人に限られるはずである。――だが、そうではないのだった。芸術とは、そんな境界を超えて、人と人との心を、存在を、結びつけるものである。昨年のKバレエで荒井祐子と熊川哲也が踊った「白鳥の湖」において、私が、チャイコフスキーのあの音楽と一体となり、その行為を通じて、作曲家がその音楽を通じて一体となった白鳥ともまた一体となるという、至福の体験を味わったように(http://daisy.stablo.jp/article/448445147.html)。
 もはや、今ジャンプするとか回るとか、そういった技の一切が捨象され、純粋な美のみが結晶として浮遊し、そこにあった。その様を観ていることが、幸せだった。完璧とはそのようなことである。不完全たる人間存在が完璧を志す。そこに美が存する。
 それにしても。美にふれた人の反応とは、実に興味深いものである。羽生の演技を観た後の客席の雰囲気たるや。ちょうど今週、明治座の「細雪」を観ていて、壮一帆の二幕ラストの演技で、客席の雰囲気がピーンと一変してしまったことを思い出した。
 芸術の世界には勝ち負けはない。ただ美があるのみである。けれどもやはり、芸術家としてスポーツ競技において勝利をおさめたことは讃えられるべきだろう。世界選手権優勝、心からおめでとう! 芸術家としてのさらなる躍進を!
 グランプリファイナルのショートプログラムを観た際、芸術家羽生結弦が表現したいことはもはや使用曲、プリンスの「Let’ Go Crazy」を超えてしまったのかもしれない…と思った。世界選手権では、違った。彼は今一度この曲と向き合い、その地平に降りてきた上で、改めて、曲を抱き取って共に美の彼方に飛び去っていったかに思えた。羽生と曲とが一つになり、一本の鮮烈な閃光となって、私の内を貫いていった感覚。もはや私は、羽生の演技を思い出すことなしに、この曲を聴くことはないであろう。その記憶は、「スケートをする人々」の“ブルーボーイ”を踊った熊川哲也の記憶と同じように、私の脳裏に不思議な形で貼りつき、留まり続けることだろう。私には何だか、リンクに在る羽生結弦が、異界から降りてきた異星人にさえ思えたのである――。
 競技時のスケートリンクは、舞台のように暗くはならず、効果的な照明が当たることもない。舞台装置の助けもない。加えて、360度見られている。そんな中で、己の志す美を展開する。しかも、スポーツとしての競技を行いながら。過酷な条件ではあると思う。けれども、それでもなお美に生きる人のいることを、私はとても美しく思うのである。
 2月の四大陸フィギュアスケート選手権での羽生結弦の演技を観ていて、…芸術家としてますますやる気なんだな…と、非常に頼もしく感じた。そしてまたもや頭の中でぐるぐる、寝つかれない夜…。ぐるぐるしたのは、今度は問い。
 ――フィギュアスケートとはいったい、何を表現する上でもっとも優れている芸術なのだろうか――。
 バレエについて、熊川哲也にそう聞いた。歌舞伎について、四代目市川猿之助にそう聞いた。そして今度はこの問いを、羽生結弦に投げかけなくてはならない。フィギュアスケートの革新者である彼に。
 自分でも考えてみた。フィギュアスケートの歴史をたどると、バレエ、舞踊との関わりは外せない。フィギュアスケートの演技においてバレエ曲はしばしば用いられる。けれどもそれらの演技を観ていて、…これならバレエを観る方が楽しいな…と、そう思うことがある。飽きっぽいので、表現というものがない、成立していない演技を観ていると、フリーの間、下手したらショートプログラムの短い間さえ、集中力がもたない――それは、舞台を観ているときも同じではあるのだけれども。もちろん、超絶技巧が次々に繰り出されて、その技自体に芸術的な美しさが認められるようなときは別だけれども、高い点数を獲得するためだけの技がただ連続しても、飽きてしまう。ただし、これはあくまで私の観方であって、フィギュアスケートはさまざまな形で楽しまれるべき競技であることは言うまでもない。
 スケート靴を履く。そのことによって、人間の氷上での移動スピードは加速され、より高く跳躍できるようになり、より速く、より多く回転できるようになった。そうして人体の能力が拡張されたとき、可能となる芸術表現はいったい何なのか。私はそのことを、これから羽生結弦の演技のうちに考えていきたいと思うのである。
 もう一点、神を降ろす話について。フィギュアスケートの大会は基本的にその都度一回勝負である。その際、確実にフィギュアスケートの神を降ろすためには、心身共にコンディションを整えることが大切になってくるだろう。ここで、舞台芸術において神を降ろす話をするとして、例として宝塚歌劇の「ノバ・ボサ・ノバ」というショーを挙げたい。初演は1971年、鬼才鴨川清作が作・演出を手がけた。ほとんど、鴨川が独自の呪術的儀式を新たに創り出し、その儀式の熱狂によって生を祝福するかのような、宝塚歌劇においてもきわめて異色の作品であって、初演以来何度か再演されているが、その都度、亡くなった鴨川の霊が劇場に現れる――と聞いてもむべなるかなと思わせるものがある。さて、この作品のクライマックスで、主演者は名曲「シナーマン」――もともとは黒人霊歌であり、それこそフィギュアスケートでも用いられていたことがある――を歌って神を降ろさなくてはならない。公演回数が例えば40回あるとしたら、本来ならば、その数だけ必ず。一回勝負で確実に神を降ろすのと、来る日も来る日も連続して確実に神を降ろすのと。どちらが困難か、比べても意味のないことではあるのかもしれないけれども。
 前回、羽生の演技について記したとき、私は、「モーツァルトあたりの天才とじっくり向き合ってみるのはいかがでしょう」と書いた。何もモーツァルトを是が非でも勧めるということではない。ワンシーズン、来る日も来る日も聴いて、滑って、彼の芸術上のインスピレーションがかきたて続けられる曲ならば何でもいいと思う。ただ、数百年も人々に聴かれ、愛され続けている曲ならばやはり、その奥深さ、尽きせぬ魅力は担保されているのではないか、そう考えたまでのことである。
 さて、先ほどフィギュアスケートとバレエについて述べたが、明日3月15日からKバレエカンパニーが渋谷オーチャードホールにて「レ・パティヌール〜スケートをする人々〜」を上演する。今から80年前、英国ロイヤル・バレエ団によって初演されており、バレエ史にその名を残すフレデリック・アシュトンが振付を手がけた。Kバレエでの上演は初めてだが、私は、熊川芸術監督が英国ロイヤル・バレエ団時代に踊った“ブルーボーイ”を忘れることができない――というか、その残像が今も、奇妙な形で私の脳裏に貼りついていることは以前記した。バレエの側からは、フィギュアスケートの美をどのようにとらえ、表現したか、観て考える好機だと思っている。
 グランプリファイナルでのショートプログラムの演技に、ソファに並んで座って一緒に観ていた夫としばし、絶句してしまった。久々、ガツンと来る衝撃。
 羽生結弦は芸術家である。11月のNHK杯で同じショートプログラムを観たときからわかっていた。使用曲は今年亡くなったプリンスの「Let’s Go Crazy」。1984年の大ヒット曲である。当時カナダに住んでいて、MTV文化にどっぷりはまっていた私は、この曲のプロモーション・ビデオを何百回観たかわからない。骨の髄まで音の微細なニュアンスが染み込んでいる。その楽曲を、NHK杯での羽生は余すことなく表現してみせた。ジェフリー・バトルの振付も非常に優れているのだが、どことなくゴスペルを思わせる出だしとそこにかぶさるセリフ、アップテンポの本編、そしてギターがうねるラストが、フィギュアスケートの技と滑りで的確にヴィジュアライズされてゆく。フィギュアスケートを観ていて、ジャンプの際、音楽とずれているなと感じることがしばしばあり、それはアクロバティックな大技の特性上やむを得ないことのように思っていたけれども、羽生の「Let’s Go Crazy」はジャンプさえもが表現の一部たり得ているのだった。トリプルアクセルを決めた直後に左足を高く上げるしぐさなど、音楽にぴったり合っていて、おおという感じ。
 フィギュアスケートは点数競技である。高い点数が勝利を担保する。しかし、羽生の場合、点数を稼いで他選手と戦うことだけでなく、また別の闘いを同時に行なっているように見える。己が表現したいものをスケートによって、盤上に描き出せるかという闘い。すなわち、芸術家の闘いである。神に向かっている。交信している。もちろん彼は、点数の高さを楽しむ観客がいることも承知していて、さまざまな楽しみ方があっていいと考えているあたり、壮一帆の姿勢とも通じるものがある。
 さて、10月のスケートカナダの際には、どうもスケートの神様が降りて来なかったようである。NHK杯では神は降りた。フリーでも、天変地異をはじめとする大自然の脅威への向き合い方に、熊川哲也にも似た姿勢を感じた。そしてグランプリファイナルのショートプログラム。――ああ、表現したいことが、ここに来て楽曲を超えてしまったんだ――と思った。気持ちが勢いよく先走って、だから表現としてはNHK杯のときの方がよかったかもしれない。けれども、表現者としてそうして凄まじく進化していく姿に、衝撃を覚えたのである。文章がぐるぐる頭の中をめぐって、興奮してしまってその夜なかなか寝つかれなかったほどに。
 己に与えられた才能で、フィギュアスケートの芸術的可能性を拓いてゆく。芸術家羽生結弦の美の闘いに、今後も注目していきたい。あ、せっかくなら、モーツァルトあたりの天才とじっくり向き合ってみるのはいかがでしょう。