これが東上公演初主演となった縣千のセンター力、同じ劇場での『海辺のストルーエンセ』(2023)の不倫する王妃役でも確かな力を示した音彩唯のヒロイン力を楽しむ。フィナーレの二人のデュエットダンス、踊りがキレキレだった。薄井香菜の衣装が魅力的。

(1月9日15時の部、KAAT神奈川芸術劇場)
 星組『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』(Based on SS Rajamouli’s ‘RRR’、脚本・演出:谷貴矢)&『VIOLETOPIA』(作・演出:指田珠子)の2本立てが芝居&ショー・ジャンルのそれぞれベスト。『RRR』で思いっきり“ナートゥダンス”を踊った後、『VIOLETOPIA』では客席降りで駆けめぐるのがすごい。そのどちらも、演者と客席とが一体となる素晴らしい場面だった。今年の東京宝塚劇場公演は良作揃いでした。本公演(本拠地である宝塚大劇場&東京宝塚劇場での公演)以外での劇場公演のベストは、雪組『愛の不時着』(東京建物Brillia HALL、原作tvNドラマ「愛の不時着」パク・ジウン執筆、潤色・演出:中村一徳)。以前も記したけれども、トップ娘役就任作『Le Grand Escalier−ル・グラン・エスカリエ−』でショースターぶりを発揮した宙組の春乃さくらに躍進賞。
 作・演出:生駒怜子。この作品であえて描かなかった“毒”を昇華させてショー作品を作ってみたらおもしろくなりそうな。これが東上公演初主演となった聖乃あすかのほんわかほっこりサイドに焦点が当たられた作品だが、ほんわかほっこりと見せて男らしさが出てくるところもまた彼女の魅力なので、正塚晴彦作品あたり似合いそう。

(7月23日15時の部、日本青年館ホール)
 花組新トップコンビ永久輝せあ&星空美咲のお披露目公演。“ファンタジー・ホラロマン”の角書のついた『エンジェリックライ』(作・演出:谷貴矢)は、宝塚のさまざまな過去作品(盗難騒動のオチのつけ方はあの海外ミュージカルの!)プラス“葛の葉子別れ”のエッセンスも入り、「♪ほら! ほら!」(「法螺」にも呼びかけにも聞こえる)と繰り返される主題歌「ホラロマン」も楽しい(作詞:谷貴矢、作曲:太田健)。軽妙なコミカル作品の奥にある作者の運命観が興味深く。嘘をつく能力を奪われて天界から人間界へと降りてきた天使役の永久輝と秘宝“ソロモンの指輪”を狙うトレジャーハンター役の星空、二人の芝居にぐいと引き込まれる瞬間あり。考えてみれば今、そう遠くない新橋演舞場では、「ライ」という名の主人公が登場する歌舞伎NEXT『朧の森に棲む鬼』を上演中なんだな……と。『Jubilee』は、主題歌以外はクラシック楽曲のアレンジで構成され、新トップコンビのお披露目を寿ぐと共に、退団する凪七瑠海(専科)と綺城ひか理の餞の場面も盛り込まれたレヴュー作品。とびきりキュートな新トップコンビの誕生である。二人もみんなも、もっともっと思いっきりENJOYして個性いっぱいにはじけてよし!
 大ヒット韓国ドラマ『愛の不時着』を原作としたミュージカルの宝塚版(執筆:パク・ジウン、潤色・演出:中村一徳)で、雪組新トップスター朝美絢のプレお披露目公演。7月に来日公演を観たとき、新トップコンビ朝美絢&夢白あやにぴったりの宝塚向きの演目だなと感じたが、期待をさらに超える舞台となった。宝塚版は、朝美演じるリ・ジョンヒョクと夢白演じるユン・セリ、国境を超えて恋に落ちる二人の姿によりスポットライトが当てられている印象。朝美は、心にさまざまなものを抱え、不器用ながらも、迷い込んできたヒロインに優しさと愛を懸命に注ぐ主人公を好演、黒髪に軍服という姿で佇んでいるだけで絵になる。ドラマの何がそんなに人々の心を引き付けたのか、そのときめきポイントを丁寧に細かく分析し、やはり人々の心をときめかせることが重要である宝塚の男役の技法をもって自らの身体に落とし込み表現していく、そんな役作りの掘り下げが全編に渡って光る。夢白も、高飛車なお嬢様が恋、そして北朝鮮の人々との出逢いを通じて素敵な女性へと成長していく姿を、高い身体能力も発揮して体現――非武装地帯を駆け抜けていくときのカモシカのような跳躍、コメディ演技で生きる四肢を大きく使っての表現、北朝鮮の人々と踊るシーンでのセンターでの軽やかなダンスなどが印象的。セリの見合い相手で詐欺を働いたク・スンジュン役の瀬央ゆりあ(専科)は久々の宝塚の芝居作品出演となったが、外部出演を経て男役にさらに一本芯が通ったようで、男のやせ我慢を演じる姿が魅力的。その恋の相手ソ・ダン役の華純沙那は、素直になれない女性の心情を歌声に乗せて表現。人民班長ナ・ウォルスク役の杏野このみ、社宅村のリーダー的存在であるマ・ヨンエ役の愛すみれが中心となっての社宅村の人々も大いに笑いを誘う。なかでも杏野の演技からは、二つに引き裂かれた国の人々に寄せる心情が感じられた。全体的に、この大ヒットドラマの世界をきちんと再現したいという演者たちの情熱がよく伝わってくる舞台。フィナーレの、韓国の民族衣装にインスピレーションを受けたコスチューム(衣装:加藤真美)でのダンスでは、娘役たちが華麗に裾をさばいて舞う姿も。そこから舞台衣装に戻ってのパレードでは、韓国と北朝鮮にあってもう二度と会えないはずの人々が再会するシーンもあったりして、ホロっと来てしまった。12月28日にはライブ配信あり。

(12月3日13時の部、東京建物Brillia HALL)
 ますますパワーアップした舞台をENJOYしました〜。いっぱい笑って最後はホロッ。
 2019年に公開された映画『記憶にございません!』(脚本・監督:三谷幸喜)を原作に、石田昌也が潤色・上演台本・演出を担当した『記憶にございません!−トップ・シークレット−』。三谷幸喜はニール・サイモン作品をたびたび演出しているが、石田昌也も『おかしな二人』『第二章』を手がけた経験がある。三谷自身はこの映画について「決して政治風刺がテーマではありません」と公演プログラムで述べているが、この5年間の社会情勢の変化も受けてか、宝塚版、政治風刺マシマシ気味である。第一場、街路に集った群衆が政府への愚痴を口々に歌い(「♪小さな夢は 小さな夢は ポイント貯めるだけ〜」に爆笑。貯めてます)、声を重ねて「♪こんな国に 誰がした」とリフレイン、登場した主人公の総理大臣黒田啓介(礼真琴)を「アンタだ!」と一斉に指差すと、「え、俺?」と啓介。そこに、組閣時の記念写真の撮影場所風に赤絨毯が敷かれた大階段を政治家とその取り巻きたちが降りてきて、啓介と共にキラーチューン「献金マンボ」を華麗に披露。「♪猿は木から落ちても猿だけど 政治家は 選挙に落ちたら ただのひと」と歌う啓介の目つきがめっちゃ悪い。そして、総理秘書官なのになぜか一緒に赤絨毯の大階段を降りてきて無表情メガネ姿でキレッキレにコミカルな踊りを見せる井坂(暁千星)。この前の公演『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』ではマリー・アントワネットが昇っていく処刑台に見立てられていた大階段、さまざまなものに見立てられるものである。そして、啓介が妻聡子(舞空瞳)と不倫していた井坂を許す場面は、その『ベルサイユのばら』においてルイ16世が妻マリー・アントワネットと不倫していたフェルゼンを許している様を思わせる。全編を通して、演出家の現状認識の鋭さと、それでも明るい未来を見据えようとする姿勢を感じた。
 映画版では三谷作品におなじみのオールスター・キャストのコメディ演技が見ものだったが、宝塚版でも星組の個性の強い面々が大暴れ。啓介とその妻聡子と共に、オリジナルの回想場面で学生服、そして髪フサフサの姿を披露した“小野田っち”こと小野田治(ひろ香祐)。官房長官鶴丸大悟役の輝月ゆうま(専科)は、映画版とは異なるエンディングのキーとなる役どころを、キュートな愛嬌と共に怪演。啓介に石を投げた大工の南条実役の輝咲玲央が自身の職人気質を時代遅れだと自嘲するとき、物作りに賭けてきた人間の矜持がにじむ。啓介と野党困民党党首の山西あかね(小桜ほのか)、聡子と井坂、二つの不倫カップルの恋模様が舞台を区切って同時展開されるシーンのナンバーはその名も「W不倫」、「♪アナタとワタシが 連立 合併」の歌詞が妙に残るが、小桜も、映画版からさらに味付けされた役どころでいい女ぶりをアピールした。極美慎も、金で動くフリー・ライター古郡祐役を憎めない甘い魅力で造形。

 アルゼンチンのグアレグアイチュで開かれるカルナバルがテーマとなった『Tiara Azul−Destino−』は、竹田悠一郎の大劇場演出家デビュー作。宝塚のラテン・レビューの系譜も踏まえた作りで、イギリスのニック・ウィンストンが振付を担当した場面も作品を華やかに盛り上げる。『記憶にございません!』がかなり攻めていただけに、さわやかな後味◎。暁千星が、恋に破れた心情を表現する場面で、今この一瞬に至るまでの生を燃焼しつくすような踊り――最終的に表れるのは生の歓びとしか言いようのないものなのだが――を見せた(振付:西川卓)。極美慎の銀橋ソロ歌唱ににじむ決意。

 普段、トップスターやトップ娘役が退団を発表すると、その会見をすぐさまチェックするのだけれども、舞空瞳については、……できなかった。ガビーンと来てしまって。何も彼女が宝塚でやり残したことがあると思っているわけでもないし、退団後の活躍を観るのも楽しみだし、いったいどうしてなんだろう……と思っていたのだけれども、今回の舞台を観て腑に落ちた。それくらい、礼真琴、舞空瞳、暁千星の星組トリデンテ(全員、首席入団)は観ていて爽快だったのである。今回の二本立てにおいては、礼&舞空のトップコンビのパートナーシップがよりクローズアップされ、二人が演出家たちの思いに応える舞台を見せた。『記憶にございません!』の終盤、宝塚オリジナルの場面で、啓介が記憶を失っていたことを初めて知った聡子は、「なにもかも忘れちゃったの?」とジェスチャーと共に矢継ぎ早に質問を繰り出す。ここで出てくる問いはすべて、二人がトップコンビとして共に創り上げてきた数々の舞台についてのものなのである。とぼけていた啓介が最後に「記憶に…ございます!」と言い、涙目になっていた聡子が笑顔を浮かべるとき、二人が創り上げてきた舞台を見守ってきた観客の記憶もまた幸せなものとして肯定される。
 そして、『Tiara Azul−Destino−』での二度のデュエットダンス。礼と舞空は、まずは裸足で、舞台上を自由に伸び伸びと舞う(振付:西川卓)。二人がトップコンビとして至った境地である。大階段でのデュエットダンス(振付:若央りさ)の最後では、銀橋上、礼が舞空の頭にティアラを載せる。舞空瞳は、クイーンだってできる人なのである。でも、宝塚のトップ娘役としては、プリンセスだと思うんだよね! なる美学を全うするかのように、プリンセスとして戴冠して退団していく――それも礼の手によって――というところが、何だかとても、らしい。今回の公演でも味わえたけれども、ファンキーな魅力は今後ますます発揮され得るものだと思う。ファンキー・プリンセス舞空瞳、どこまでも高く羽ばたいてゆけ。
 紅咲梨乃は、5月の舞空瞳ミュージック・サロン『Dream in a Dream〜永遠の夢の中に〜』での『THE SCARLET PIMPERNEL』「あなたを見つめると」の歌唱が印象に残っている。『記憶にございません!』では熊本のご当地アイドル「田原坂46」のメンバーとして人々に投票を促す歌唱を披露。水乃ゆりはニュースキャスター近藤ボニータ役で黒田内閣批判コメントの数々をスパイシーに繰り出した。
 千秋楽ライブ配信、観ます。
 『記憶にございません!−トップ・シークレット−』は三谷幸喜が脚本と監督を手がけた映画『記憶にございません!』が原作(潤色・上演台本・演出:石田昌也)。多少気分が落ち込んでいても思わず笑わずにはいられない作品――宝塚の舞台の大階段を、新内閣発足の際に並んで写真撮影する首相官邸の階段に見立て、そこを黒田啓介内閣総理大臣(礼真琴)をはじめとする大臣たちが降りてきて「ウ!」「ハ!」と合いの手を入れながら踊る「献金マンボ」(作詞:石田昌也、作曲・編曲:手島恭子)のナンバーが非常にツボである――。そして風刺も効いており。衆院選投票日を27日に控え、「♪選挙に行こう」の歌詞もタイムリー。『Tiara Azul−Destino−』は熱く、そして朝焼けのようにさわやかなレビューで、取り合わせのよい二本立て。今作で星組トップ娘役舞空瞳が退団、そして次回作で星組トップスター礼真琴が退団と、このトップコンビでの最後の公演、二本ともよきコンビぶりが存分に味わえる作品となっているのが◎。
 初演から50年、『ベルサイユのばら』、宝塚の舞台に10年ぶりの登場である。雪組では2013年にも『フェルゼン編』を上演しており、私事ではあるが、その宝塚大劇場公演と東京宝塚劇場公演の間に父親を亡くし、どこか痛切に透き通ったような思いで舞台上の愛と死のドラマを観ていた記憶がある。今回フェルゼン役を演じる雪組トップスター彩風咲奈は、長身で貴公子の役どころが似合う男役で、2013年公演の新人公演でこの役に挑戦している。これが宝塚生活最後の舞台となるが、非常に孤独の色濃い造形と感じた。スウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンはフランス王妃マリー・アントワネットと恋をしている。二人の道ならぬ恋に迫り来るのがフランス革命の運命である。彩風フェルゼンは、二人の恋を見守る人々と愛についてのさまざまな問答を交わし、そして、最終的には己の信じるところの真の愛をその相手にぶつける――しかしながら、コンシェルジュリーの牢獄からマリー・アントワネットを救い出したいという彼の願いは、フランスの女王として死んでいきたいとの彼女の思いに阻まれる。彩風フェルゼンが人々との問答を通して己の愛を鋼の如く鍛えていく様に、この作品でもっとも有名な楽曲が「愛あればこそ」であることを今さらながら深くかみしめた。
 マリー・アントワネットを救いたいと、身の危険を顧みず、再びパリへとやって来たフェルゼンが、人の命を奪う戦いの虚しさについて一人思いを述べる場面がある。突然のような反戦の思いに驚き、そして、いや、と思い直す。2022年の秋、NHKで放送されたインタビューで、『ベルサイユのばら』に初演から関わっている脚本・演出の植田紳爾(初演時は長谷川一夫と共に演出。今回は谷正純と共に演出)は、1945年の福井空襲の後、犠牲となった遺体を運ぶ仕事を12歳で担った経験を語っていた。『宝塚百年を越えて 植田紳爾』(語り手 植田紳爾/聞き手 川崎賢子)でも読んでいたエピソードだったが、彼自身の声で聞く、――最初は一つ一つの死を悼む気持ちがあっても、次第に機械的にならざるを得ない、そのとき自分自身を含む人間の業を感じたとの話は、ロシアのウクライナ侵攻が始まっていた後でもあり、一層心に迫ってきた。『ベルサイユのばら』における愛と死は、そんな生と死の経験をした人の書く愛と死なのだとそのとき感じ、そして、今回の舞台からも痛切に感じる。初演から50周年の上演にふさわしく、『ベルサイユのばら』でなじみ深い有名楽曲がふんだんに盛り込まれ、宝塚の華やかな舞台を普段から観慣れている目でもやはりあでやかさに驚くような舞台が繰り広げられ、――けれども、作品の根底にこうして流れるものを、後世に伝えていかなくてはならない、と思う。
 今回、新曲として、『ベルサイユのばら』の楽曲群に「セラビ・アデュー」が加わった。作詞は植田紳爾、作曲は吉田優子。彩風咲奈の退団を盛大に演出すべく、実に効果的に用いられている楽曲である。「♪さよならだけが人生と/思い知るとき人は愛を/抱き締めるのか」の歌詞にまず思い出すのは、于武陵の漢詩「勧酒」の一節の井伏鱒二による訳「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」――井伏鱒二はこのフレーズを林芙美子との交流から思いついたようである。そして、植田紳爾の代表作『風と共に去りぬ』の有名曲「さよならは夕映えの中で」――ヒロイン・スカーレットをおいて一人去るレット・バトラーが、「♪サヨナラは言わずに 別れたい」との絶唱を聴かせる曲である。
 さよなら。別れ。――出逢いなくして別れなし。さよならの数だけ出逢いがあった。さよならがせつないのは、それだけその出逢いが大切で愛おしいものだったから。

 彩風フェルゼンの思い人マリー・アントワネットを演じた夢白あやは、実は案外憑依系なんだな、と。フェルゼンとマリー・アントワネットの往復書簡集を読んで臨んだというその演技は、ときに、肖像画の中からマリーその人が抜け出てきたかのようなリアリティをもって迫ってきた。本当に普通の、一人の人間である。救い出したいとのフェルゼンの申し出を断り、断頭台に見立てた大階段を一人登っていくときも。それでも、なお、自分自身を超えた何か立派なものを“演じ”なくてはならない運命を課せられた者の姿を描き出していた。
 朝美絢のオスカルは女らしさと男らしさのバランスが絶妙だった。縣千のアンドレと二人で演じる有名な<今宵一夜>のシーン、美しく見せるための演者にとっての過酷な体勢に、歌舞伎出身の長谷川一夫の振付が今なお受け継がれていることをかみしめた。アンドレがオスカルの毒殺を図るシーンがないなど、出番が限られた中で、男装の麗人とそれを支える存在という二人の愛は確かに描き出されていた。諏訪さきのジェローデルも途中の語り部的役割をしっかり務めていた。音彩唯は、ロココの歌手としての歌唱、そして悪女ジャンヌ・バロワ・ド・ラ・モット役の演技とも、新公学年とは思えない堂々とした貫禄。
 フェルゼンのマリー・アントワネットへの愛を諫めるメルシー伯爵役汝鳥伶(専科)の、一言言葉を発しただけでにじみ出るあの思いの深さ。フェルゼンのフランス行きを後押しする、スウェーデン国王グスタフ三世役の夏美よう(専科)の愛への熱さ。ブイエ将軍役の悠真倫(専科)はきっちり悪役に徹する。オスカルやフェルゼンの取り巻きの貴婦人、モンゼット侯爵夫人の万里柚美(専科)が宮廷の華やかさをふりまく。そして、モンゼットに対抗するシッシーナ伯爵夫人役で、長身の娘役杏野このみが存在感を発揮、柚美モンゼット共々舞台に滑稽さと悲哀とを描き出した。
 これが退団となる野々花ひまりのロザリーはきりっと強い印象で、夢白マリー・アントワネットとのバランスのよさを感じさせた。同じく退団の希良々うみは、令嬢カトリーヌ役として宮廷を華やかに彩った。
 月組の久世星佳主演で1990年に初演された作品の待望の再演(作・演出=正塚晴彦)。作品も音楽(作曲・編曲=高橋城、高橋恵)も演者たちもかっこよく、おもしろい! 最後までハラハラドキドキ。主人公の天才詐欺師ドノヴァンを演じる風間柚乃が、……こんな風にエスコートされたら素敵だろうな……と思わせる男役の魅力を発揮。ヒロイン・シャロンを演じる花妃舞音は、恩人を殺された復讐を果たすためのドノヴァンによる詐欺、“芝居”に参加することになり、これをきっかけに冴えない日々から抜け出そうとする。自分の殻を破ろうともがくシャロンを演じる花妃に、磨けば大いに光るのではないかと思われる鉱脈のきらめきのような瞬間あり。ドノヴァンのシャロンへの指南がそのまま演劇論に感じられたりするのがおもしろかったり。ちょっとゆっくり整理したく。