宝塚大劇場のロビーの旧ソファの布地とお揃いの椅子で夫と並んで視聴中〜。2017年の日本青年館ホール公演もすばらしかったけれども、大劇場の空間で上演されると、この作品が、『ベルサイユのばら』や『ミー・アンド・マイガール』といった宝塚の名作群の文法を踏まえて作られていることがより明確に。そして、めちゃギャグ漫画! 新花組トップコンビ、伊集院少尉役の柚香光&花村紅緒役の華優希、そして出演者みんなの芝居がはじけてます。パソコンの前で何度も大爆笑〜。
2020-07-18 14:30 この記事だけ表示
 「OUR FAVORITE TAKARAZUKA−Special Edition−」に続いては、花組公演『はいからさんが通る』初日のフィナーレ&カーテンコールの生中継〜! 3月9日以来、130日ぶりの宝塚大劇場公演。番組冒頭は、ビニール幕を貼ったり、アルコールで拭き清めたり、宝塚大劇場において行なわれている感染予防対策の模様が流れて。ソーシャル・ディスタンスのためのシールを貼っているシーンで気づいた。――大劇場のロビーに置かれているソファのファブリックが一新されて、あひる宅のソファとお揃いじゃなくなっている!(夫が百貨店で気に入った柄が本当に偶然お揃いだった) それはさておき。
 プロローグの映像も録画で流れました。客席の拍手が熱い! 軽快な主題歌に乗って歌い踊る新花組トップスター柚香光&出演者みんなに、テレビの前で、思いっきり手拍子&拍手。
 生中継に切り替わってからは、ラストシーンもちらっと。そしてフィナーレ。2パターンあるうち、本日は“浪漫バージョン”。銀橋を渡る瀬戸かずやの歌に、嗚咽。男役として、役者として、確固たる決意表明――家で一人きりだから、泣きすぎても誰も周りにいないぞ〜と思いながら、嗚咽。
 続いての、娘役陣によるモダンガールの舞で、涙、一気に無事止まる(笑)。まだまだ制約が多かった時代、鮮やかに軽やかに自分の人生を生きたモダンガールたちはあひるの永遠の憧れ。花組娘役陣、攻めていて◎〜。
 ラインダンスの衣装が、上は着物、下はフリフリスカートで今様アイドル風。そして曲は、アニメ版『はいからさんが通る』の主題歌! ――気合の入ったラインダンスに合わせて手拍子!
 大階段に柚香光が登場し、タンゴの名曲「黒い瞳」に乗っての黒燕尾服シーン。今年1月のプレお披露目公演『DANCE OLYMPIA』のときにも書きましたが(http://daisy.stablo.jp/article/473024515.html)、――もう何年も前からトップを張っていました! みたいな、あの堂々たる安定感たるや。そして、花組男役陣が披露する黒燕尾の舞。天下一品。男役のエネルギーが、ブラウン管(まだブラウン管)からこちら側にスパーク。
 そして、宝塚版主題歌に乗って、白い衣装のトップコンビのデュエット・ダンス――もっと呼吸が合うとさらに良し。
 パラソルをさして大階段を降りてきた、エトワール音くり寿の、「♪はいからさんが通る」の、「♪と・お・る」に合わせての指差しポーズがキュート。青江冬星役の瀬戸かずやは、階段降りだけで役作りに大いに心惹かれるものが。
 そして、大きな羽根を背負って大階段を最後に降りてくる、柚香光――『DANCE OLYMPIA』を観たとき、思っていた。――これ、まだプレお披露目公演だから〜! その感慨は、宝塚大劇場の初日まで取っておいた方がいいのでは――? と。そして、それから半年以上時が流れて、私は、そのとき立ち合えるとは思いもしなかった、その、大劇場公演トップお披露目の初日の瞬間を、こうして観ているのだった。――不思議だった。凍結されていた時間が、一瞬にして融解して、再びごおーっと流れ出すのを観ているような。
 ――ちょうど「フィギュアスケート世界選手権」が中止になったころだったから、3月中旬のこと。「タカラヅカ・スカイ・ステージ」をつけたら、『ベルサイユのばら』が流れていた。私は、そのフィナーレを観ながら、泣くしかなかった。――この、他に世界のどこにもない、慣れていた人間でもときに唖然としてしまうくらい華やかできらびやかな舞台が、今この瞬間、この世界のどこにもない、上演されていないことが、どうしようもなくさみしく、やりきれなかった…。何も、宝塚だけが好きというわけじゃない。けれども、私は宝塚の舞台から、多くのことを学んできた。そして、宝塚で、多くの大切の人に出会った。だから、宝塚歌劇が、一年中常に上演されているということが、どこか心の支えになっていた。そのことに改めて気づかされた。――そして私は、公演が休止されていたこの130日間、宝塚歌劇が今この瞬間この世で上演されていないという事実と、努めて向き合わないようにしてきていた。そして、自分の心の中に残る舞台の記憶を綴ることで、何とか心の中で宝塚歌劇を上演し続けていた。そして、公演再開――宝塚は、変わらず、宝塚だ…と思った。ラインダンスを観ながら、――本当に、今、宝塚の舞台が上演されているんだ…と思った。夢のようだった。夢のような、現実。
 柚香光のトップスターとしての初めての挨拶も、安定感があり、立派なものだった――宝塚歌劇、芸術宣言である。花組組長高翔みずきの挨拶の途中でフライングで自分の挨拶を始めちゃいそうになったところで、若干初々しさを感じさせたけれども。――それにしても、ギリシャ彫刻のような顔立ちである。
 仕事から帰ってきた夫と、録画したフィナーレをもう一度観返していた――それを切り替えた瞬間、「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で、『黒い瞳』の名曲「ニコライとプガチョフ」が流れた――ということで、気になることが多々あり、明日13時からの『はいからさんが通る』LIVE配信も観ることにしました――迷いました。というのも、初見の印象が一番重要なので、できれば最初に生で観劇したかった。ただ、東京公演まではまだだいぶ間がある――。ですので、約9時間半にわたって放送される「音楽の日」は生と録画双方で視聴いたします。
2020-07-17 23:36 この記事だけ表示
 タカラジェンヌ有志が、観客への感謝をこめて歌唱を披露する、「タカラヅカ・スカイ・ステージ」のスペシャル番組。まずは、専科の轟悠&五組のトップコンビによる「♪すみれの花咲く頃」。――歌声と共に、うららかな春の陽気に心満たされて。続いて、轟&トップコンビは宝塚大劇場の舞台上に、そしてタカラジェンヌたちが大劇場の客席に立ち、「♪未来へ」と「この愛よ永遠に(TAKARAZUKA FOREVER)」を披露。みんなの首に巻かれたツイリー(スカーフ)を商品として売り出している(そして当然の如く完売している)ところがナイス(笑)。トップ娘役たちが、ピンク、イエロー、グリーン、ブルー、パープル、それぞれの組カラーのワンピースを着ているのがかわいい。「この愛よ永遠に(TAKARAZUKA FOREVER)」をお茶の間で一緒に歌いながら、嗚咽。――私にとっても、大切な思い出がいっぱいつまった宝塚大劇場。今日からまた、多くの人の心に大切な思い出が積み重なってゆきますように。
2020-07-17 23:31 この記事だけ表示
 15時半から「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で花組大劇場公演『はいからさんが通る』初日のフィナーレ〜カーテンコール生中継を観ます!
2020-07-17 00:03 この記事だけ表示
 ビターな物語の中で、さまざまに複雑な心情の旅路をたどりながら、ラストの銀橋での表題曲の歌唱で、慈愛すら感じさせたヌードルス役の望海風斗。表社会の陰影としての裏社会に生きる男マックスを演じて気骨のあるところを見せた彩風咲奈。裏社会と裏で手を組みながらも、自分は清廉潔白であるとしれっと言い逃れるジミー役の彩凪翔の役者魂にしびれた。
2020-03-22 23:28 この記事だけ表示
 小池修一郎が宝塚で『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の舞台化に挑むと知ったとき、…彼がこれまで手がけてきた宝塚の舞台の中で、作品へオマージュを捧げたと思しきシーンの数々が心に甦った――彼のこの作品への思い入れは、つとに知られるところだった。念願叶って、遂に作品そのものに取り組むことになったのだ…と思った。その意味で、今回の雪組公演は、小池修一郎の原点回帰シリーズなのである――シリーズ前作は、30年あまり舞台化を夢見た後、2018年に実現した花組公演『ポーの一族』である。『ポーの一族』『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』と、小池修一郎が舞台化の夢を叶えた二つの作品の主演を務めたのが、明日海りお、望海風斗と、89期として切磋琢磨してきた二人の男役トップスターであったことを、非常に興味深く思う。
 3月9日の項で記したように、私は、原作映画について知りながらも、これまで観る気になれないでいた。そして、雪組公演にふれたことをきっかけに、遂に鑑賞することとなったわけだが、――作中の数々の暴力シーンの中でもっとも衝撃的だったのが、ロバート・デニーロ演じるユダヤ系ギャングのヌードルスが、子供のころから想いを寄せてきた幼なじみで女優のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)を、ドライバーが運転中の車の後部座席でレイプするシーンである。お互い、憎からず思っている。けれども、女優としてのさらなる飛躍を目指すため、地元を離れるというデボラに対し、ヌードルスはかような手段に出る――嫌がっている相手に対してそういうことをして、はたして、それで、想いを遂げたということになるのだろうか…。後部座席で繰り広げられる蛮行に怒り、ヌードルスを車から降ろして金を受け取らずに去っていくドライバーに、私は拍手喝采を送りたい。
 そこが。宝塚版では、一幕ラストのクライマックスの場面となる――そして、宝塚版では、ヌードルス(望海風斗)の手からデボラ(真彩希帆)は逃げ去り、蛮行は成立しない。彼女のために深紅のバラで飾り立てた部屋に取り残され、ヌードルスは一人、激情を爆発させて絶唱する。――幕切れ。
 …これなら、男の気持ちもわかる…と思ったのである。“通訳”されている。そこまでして、愛する女を手に入れたかった気持ち。愛が拒絶されたときの心情。伝わらないもどかしさ。やるせなさ。絶望。行き場のない想い――。

 宝塚版では、映画版より、ヌードルスとデボラの叶わぬ恋に焦点が当てられている。そして、デボラは、映画版よりさらに明確にショービジネスのトップを目指す人物として描かれている。彼女はブロードウェイでスターとなり――大階段を埋め尽くす巨大なスカートの衣装できらびやかなショーの芯を務め――そして、映画界での成功を夢見てハリウッドへと旅立つ。しかしながら、自分を見出してくれたプロデューサーとの恋に破れた彼女は、途中で女優を引退し、ボランティア活動に勤しむこととなる――映画版のデボラが舞台に立ち続けているのとは異なる展開である――。そして、ヌードルスとデボラは、彼女がボランティアで訪問しているサナトリウムで、25年ぶりに再会する。――私は、このサナトリウムのシーンで、小池修一郎が手がけた最大のヒット作『エリザベート』において、皇后エリザベートが精神病院を訪問する名場面を思い出さずにはいられなかった。
 『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の原作映画自体、主人公ヌードルスが追憶するさまざまな過去の時代と、現在とが、重層的に交錯する作品である。――そして、宝塚版において、歌劇団理事としての立場で手がける最後の作品において、座付き作家自身も、過去の自分を、自分が劇団においてこの年月に生み出し世に送り出してきたさまざまな作品を、追憶している。そして、その追憶がまた、観る者の追憶をも促す――追憶の、連鎖。
 ――夢見たすべてを叶えることのできる人生が、この世にはたして存在するだろうか。さまざまな夢を、期待を抱き、ときに実現し、ときに裏切られ、そうして人の生は日々積み重なっていく。
 映画版において、ヌードルスに対してギャング仲間のマックス(彩風咲奈)が抱くのは、ほとんど恋にも近い感情である。ラスト近くでの対峙で、お前になりたかった、とマックスはヌードルスに言う。そのため、お前の女も盗んだ――と。一方、宝塚版では、自分を銃で殺してくれとのマックスの願いをヌードルスが拒絶するところまでは映画版と同じだが、その後のヌードルスの告白の方がより印象的である。自分という人間が同じ時代のアメリカに生きていたことを覚えていてくれと、ヌードルスは言う。そして、銀橋で、表題歌を歌い上げて、幕となる。――『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』。昔々、どこかの場所で――。
 関わるさまざまな立場の人間の生を飲み込んで、106年もの間、存在し続けてきた宝塚歌劇団。その歴史の長さと、重みを思う。

 太田健の音楽が実にかっこいい。そして、追憶を促す上で大きな役割を果たす――私がとりわけ強く思い出したのは、小池&太田コンビが生み出した『カサブランカ』『オーシャンズ11』といった傑作群である。宝塚版の特色として、マックスの情婦キャロル(男役の朝美絢がコケティッシュに造形)を、マックスが経営する潜り酒場のスターに設定、彼女が歌うショーのナンバーが物語の展開上も大きな役割を果たすという構成が挙げられるのだが、その際繰り広げられる楽曲は、ジョン・カンダー&フレッド・エブのコンビが送り出したブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』『シカゴ』の世界を思わせる。
 そして、小池演出と望海風斗の演技は、映画版でロバート・デニーロが発揮した男の魅力を実に細かくすくい上げていく。目線。仕草。望海は、デニーロは演じていない少年時代から役を造形し、そして、持ち前の歌唱力でその心情を爆発させる。――望海風斗が、座付き作家の長年の夢を託されるにふさわしい男役トップスターへと成長したことが、心からうれしい。その舞台姿に見えるのは、宝塚の男役という存在が秘めた無限の可能性をどこまでも信じる、無垢かつあくなき探究心である。その心なくして、夢は体現されることはなかった。
 宝塚版のデボラもまた、芸の道を一筋まっすぐに歩む娘役トップ真彩希帆にふさわしい役どころである。ひたむきにショービジネスのトップを目指す姿が、一縷の嫌味もなく清々しい。彼女の歌声には、聖性がエロスに転じるぎりぎりの間(あわい)を無意識に衝いてくるスリリングさがある。
 マックスを演じる彩風咲奈は、役柄の後ろ暗さを男役の魅力にきちんと転じており、一時期のスランプを脱したことが喜ばしい。実在の人物がモデルとなったジミーを演じる彩凪翔は、その役者としての安定した力量で、舞台をぐっと引き締める。真那春人の細かな目の動きに、役名コックアイの意味“斜眼”に思い至り。デボラの兄ファット・モー役の奏乃はるとは、確かなセリフ回しで物語の狂言回し的役どころを務める。
 今回の“心のキャラ”は、ヌードルスたちギャングが押し入る宝石店のマダム、ジュリーを演じた杏野このみ。映画とはだいぶ異なる味付けがなされている役どころだが、彼女のコメディエンヌぶりが活き、清涼剤となっている。客席に対し実にさわやかにしかしぐいぐい迫ってくるところが魅力の、長身の娘役である。

 この公演で退団となる舞咲りんは、少女時代のデボラにバレエを教えるシュタインを演じ、厳しい先生ぶりを発揮。それと同時に、ブロードウェイのショーの場面の出演者、全米運送者組合のストライキの場面の労働者、会見の場面での記者等、さまざまな場面に登場、そのたびに強烈な生のエネルギーを放ってきて、どこにいてもすぐわかる。フィナーレのダンス・ナンバーも然り。――彼女はその宝塚人生において数々の名演を見せてきた。そして、ここで縁が終わる気がまったくしない。また劇場で会いましょう。
 サナトリウムのシーン、院長として登場する早花まこは、…実に興味深い印象を与える娘役である――本体とおまけとがあるとして、こちらの方が大きいから本体かな? と想像していたら、実はおまけに見えていた方が本体だった…というような。今回の舞台で、ひときわその印象を強くした。最近の舞台では、要所要所で「、」のようにガツンとアクセントを効かせてくる、『ハリウッド・ゴシップ』のダイナーの女主人役が心に残る。彼女は「歌劇」誌で長年「組レポ。」のコーナーを担当していたが、…いったいどうやってこんなにおもしろいネタを拾ってくるんだろう…と、物書きとして非常に興味そそられていたことだった。

 2020年3月22日。――無観客にならなくてよかった。千秋楽の舞台、お茶の間で見届けます。
2020-03-22 01:50 この記事だけ表示
 タカラヅカ・スカイ・ステージでの生放送、フィギュアスケートの生中継と同じ心構えで観ます。中止公演のチケットを持っていた夫と一緒に、テレビの前でスタンバイ。
2020-03-18 23:14 この記事だけ表示
 2月21日の初日前の通し舞台稽古を見学した後、あひるは意を決して近所のレンタルビデオ店に向かった。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の原作映画を借りるために。――人生、観たことがありませんでした。ギャング映画だから。バイオレンス、苦手。舞台でも、映像でも、そういうシーンになると、…本当は撃たれてない撃たれてない刺されてない刺されてない斬られてない斬られてないこれはお芝居だから実際には死んでない死んでない怪我してない怪我してない血は流れてない血は流れてない…と心の中でいちいち激しく繰り返しながら観ることになり非常に疲れるのである。思いもよらぬ銃殺シーンに、静まり返った劇場の中で、あひるの「ひいっっっ…」という声が響き渡ったことも。いかに名高かろうと、宝塚公演の原作であろうと、観る気になれないでいた。それが。
 雪組の舞台が凄かった。2月中旬に退団を発表したトップスター望海風斗と、トップ娘役真彩希帆と。高い歌唱力で知られる二人が、声色を縦横無尽に操り幼少期から壮年期まで演じる、ほろ苦い恋。物語を豊かに彩る雪組生の充実ぶり。そして、現在と回想とが重層的に交錯する物語を軽快にテンポよく華やかにショーアップして展開していく座付き作家小池修一郎の作・演出の手腕。これだけの舞台を生んだ原作映画、やはり観なくては! ということで、決意を固めて完全版をレンタルしてきたのですが。
 開始数分。…だめだ。もうこれ以上は無理…。視聴断念。少々ネタバレになりますが、最初の銃殺は何とか耐え。しかし、その次の、顔中が血まみれの拷問シーンで力尽き…。
 一週間後。本番の舞台を観劇。…この作品についてきちんと言語化したい、その上ではやはり、映画版をどうしても観なくてはならない! 劇場から帰宅したあひるは、借りたままだったDVDをもう一度手に取った。そして、遂に最後まで観た。こうして一つ苦手を克服。観てよかった。ああいう映画だと思っていなかった。…正直、今でも暴力的なシーンが頭の中でぐるぐるぐるぐる回っています(苦笑)。しかし、あの映画作品の中に、宝塚歌劇にふさわしいロマンティックな美学を見出し、それを見事抜き出して舞台化した小池修一郎は凄いな…と。今作が、宝塚歌劇団理事の立場で手がける最後の作品とのこと。映画版と宝塚版との違いの中に、彼がこれまでの43年間、宝塚で見てきた夢、そして、これからも見続けるであろう夢がうかがえて。ダビデの星――六芒星――に向かって心情を絶唱する望海風斗のヌードルス。大階段をほとんど埋め尽くす巨大なスカートの衣装で華やかなブロードウェイのショーの芯を務める真彩希帆のデボラ。――夢。宝塚歌劇という、夢。
2020-03-09 23:48 この記事だけ表示
 華形ひかるが、宝塚大劇場最後となる3月9日、星組の仲間と共に最高の舞台を務められますように!
2020-03-09 00:00 この記事だけ表示
 仙台藩から世界に飛び出しスペインの地で奮闘する『El Japón』の主人公、仙台藩士蒲田治道に敬意を捧げるべく、仙台からアメリカに渡って世界的に活躍するファッション・デザイナー、タダシショージのワンピースを着用して観劇に臨んだあひるであった。身体のラインを美しく見せるカッティングが特徴で、宝塚の娘役もフィギュアスケート選手も着用しているところを見かけますが、考えてみれば、レースや刺繍やスパンコール等の装飾はちょっと“衣装”っぽくもあり。
 物語は仙台藩の月の浦の港から始まる。女たちによる小袖舞。鬼剣舞。主人公蒲田治道(真風涼帆)は、ひょんなことから、支倉常長率いる慶長遣欧使節団に加わることとなる。使節団の日本人たちが歌い、さっと入れ替わって、イスパニアの人々が歌う。日本物的なスタートから、洋物への即座の転換――このあたりの和とスペインの調和的混在に、平岳大がサパテアードを踏み、市川猿弥もそれに呼応して踊った、2017年の博多座二月花形歌舞伎『艶姿澤瀉祭』(再演希望)を思い出し。
 使節団が滞在するコリア・デル・リオの街とその一帯は、農場主ドン・フェルディナンド(英真なおき)の一味に制圧されている。邪なドン・フェルディナンドは、女主人カタリナ(星風まどか)が営む宿屋と彼女自身を狙っている。カタリナは治道に剣術を教えてほしいと頼む。――愛した女、藤乃を虚しく失う過去をもつ治道。結婚式を挙げる日に夫を亡き者にされたカタリナ。死に場所を求めてきた治道は、カタリナの中に同じ思いを見て取る。彼の知る「夢想願流」は、「人を生かすための、そして、生き延び何かを守り続ける者のための剣術」である。海を越えて出会った二人は、生きて大切なものを守るために、戦いの決意を固める。――そんな治道とカタリナの周りを彩るのが、謎めいた男アレハンドロ(芹香斗亜)と、ドン・フェルディナンドの息子エリアス(桜木みなと)である。
 国王と重臣の企みにより、使節団は、貿易の交渉をする暇もなく、日本への出発を急かされることとなる。――出航が迫る。だが、治道は、カタリナが単身、ドン・フェルディナンドの農場へ向かったことを知り、自らもまた農場へと向かう。治道とカタリナは「夢想願流」の真価を発揮し、邪な相手を打ち負かす。
 だが、使節団の船が出航してしまった以上、治道は不法滞在者となってしまう。そこで、実はカタリナの亡き夫の良き友であったアレハンドロが名案を提示する。治道が、書類上まだ生きていることになっているカタリナの夫としてこの先生きていくこと。こうして、出会うはずのなかった二人は、共に生きていくことを選ぶ――これが、コリア・デル・リオの地に実際に存在する「ハポン(日本)」姓の人々、その祖先とは使節団の人々ではないか…という歴史的“ミステリー”に対し、作・演出の大野拓史が想像力の糸で紡ぎあげた冒険活劇である。
 宝塚ミュージカル・ロマン『El Japón』。その角書にふさわしい、宝塚の伝統の流れを汲む、ロマンティックにしてストイックな魅力をもつ作品である。――治道は耐える。多くを語らない。愛する女の命を救えなかった苦しみを、静かなたたずまいのうちに見せる。宙組トップスター真風涼帆の真骨頂である。カタリナも耐える。喪服姿に心を秘めて、多くを語らない。邪な思いを寄せられても、女の身で宿屋を気丈に切り回す。これまた宙組トップ娘役星風まどかに実に似合う役である。――そして、非常に興味深いのが、芹香斗亜演じるアレハンドロの存在である。彼はどこか飄々とした傍観者である。貴族の息子に生まれながら、剣術学校で剣士として修業することに価値を見出し、そこで、切磋琢磨する友も見つけた――その友こそが、カタリナの亡き夫である。女に惚れて宿屋の主人に収まるという友の生き方を、アレハンドロは「馬鹿げた話」と一蹴する。だが、旅から久々故郷に戻ってみると、友はすでにこの世に亡い。亡き友の妻カタリナを、「いい女」「いっそ俺が、とも考えた」とは言うものの、「俺よりも女の助けになりそうな奴が現れた」と、あっさり治道に譲るアレハンドロ。――アレハンドロ。ドン・フェルディナンドの農場で違法に働かされていた女奴隷たちの解放の戦いを支え、治道とカタリナを結び合わせ、そして、おそらくは独りで、またどこかへと旅に出て行ってしまうような、自由に浮遊する魂。その、愛の置き所は――? 彼のその後を夢想せずにはいられない。
 世界に在って、己の剣を、芸を、ただ恃みに、闘うこと。鋭い刃をもって、その人生を美しく、あざやかに切り拓いていくこと――これは、そのような生き方を選んだ人々への、熱きエールの物語である――ハッピーエンドであるところも好きである。この舞台を観たとき、――ここ最近、心の中に生まれたひそかな夢、成就を見届けたいとの夢は、きっと叶う、そんな身震いが我が身に走った。――そして、こうして書きながら、微苦笑をも浮かべつつまた身震いせざるを得ないのは、私の文章を通じて、この物語が、舞台を観ることが叶わなかった人へも伝わっていく、伝えられていくことへの熱望、希求を感じてやまないからである――我が身はここに、美の創り手と、美の創り手とをつなぐ、シナプスのようなものである。そのシナプスとしての役割をあくまで自発的に果たすべく仕向けられていることに、役割を果たしながら驚嘆せざるを得ない。プリズムの如き、インスピレーションの乱反射。
 ――そして、この作品を観ながら、かつて、同じ大野拓史の演出作品、日本物作品の舞台上で、本物の殺気を感じたことを思い出さずにはいられなかった。――あの殺気はいったい、何だったのだろう。あのとき、確かに言語化できていたら、何かが変わっていただろうか。…わからない。歴史に”if”がないように。けれども、今、私にとって確かなことは、その殺気を感じ、記憶として宿している人が、私の他にもこの世に存在しているということである。

 ガウン風の襟が特徴的な衣装をまとった真風涼帆がグラスをくゆらせ、舞台後方のバーカウンターをひらりと飛び越えて、宙組生たちが次々と舞台前方へと押し寄せてくる。ウィスキーをテーマにした『アクアヴィーテ(aquavitae)!!〜生命の水〜』は、そんな躍動感あるオープニングが実に印象的である。『Cocktail―カクテル―』『Apasionado!!』『EXCITER!!』といったヒット作を連発してきた藤井大介の作風は、やんちゃで元気いっぱい、それでいて、どこかねっとりとしたかわいさがアクセントとしてしっかり効いていることを、今回の作品で改めて感じた。それが如実に現れているのが、男役が“女装”で魅了する場面である。ポワントで踊りまくる実羚淳。中詰の和希そら。真風とタンゴに乗ってデュエットを繰り広げる秋音光――どの場面もこってり、クセになる。“女装”といえば、芝居作品では農場主ドン・フェルディナンドを悪の色気たっぷりに演じ、ショーでも錬金術師としてあちこちの場面に姿を現す英真なおきが、中詰めではドレス姿で登場するのも楽しい趣向。その様を観る者もまた、性の軛を自由に逸脱することができる。宝塚のその愉悦。
 CMソングとして名高い「ウィスキーが、お好きでしょ」を、真風涼帆、芹香斗亜、桜木みなとの三人が、客席降りし、客席への語りかけを交えながら歌うシーン。――遠くから聞いているだに照れまくってしまうほどに甘々な言葉を客席間近で真向から決められるのは、この世に宝塚の男役くらいしかいないのでは〜? と思ってしまう。そして、「♪105年熟成された水 飲み干してやる」と、主題歌「アクアヴィーテ!!」の歌詞は大変元気がよろしい。105年熟成された水――105周年を迎えた宝塚。一握りのモルトがアクアヴィーテ――命の水――へと熟成されていく様を描く大ダンス・ナンバーでは、この公演で退団する星吹彩翔、桜音れい、愛咲まりあ、実羚淳への餞のくだりもある。これまで入団し、宝塚に日々を捧げてきたタカラジェンヌ全員が、105年熟成された命の水の源である。
 宝塚では、女性がすべての役を演じる。その上で、男性スタッフの存在、その眼差しの意味について、改めて深く感じ入った今回の二本立て公演だった。「♪男と女が溶け合い 愛が踊るよ」と、ショーの主題歌でも歌われている。――女と男が深く分かち合うことのできる夢の世界、宝塚歌劇。
2020-02-16 02:22 この記事だけ表示