7日予定から延期になったものの、雪組東京宝塚劇場公演、本日無事開幕! その初日を観劇(13時半の部)。『桃太郎侍』『遠山の金さん』で知られる山手樹一郎の小説が原作の『夢介千両みやげ』は、東京宝塚劇場にいながらにして明治座に行ったかのような気分も味わえるポップな時代劇。「♪惚れちゃったのさ 惚れちゃったのさ」のリフレインが楽しい「惚れた、日本一のお人好し」なんて主題歌があったり、手妻のシーンでマジックといえばの定番曲「オリーブの首飾り」が流れたり、作・演出(歌詞も)の石田昌也&作曲・編曲の手島恭子の遊び心が楽しすぎる。さわやかに気のいい主人公夢介と、気風のよさがかわいらしいヒロインお銀は、雪組トップコンビ彩風咲奈&朝月希和にぴったりの役どころ。『Sensational!』(作・演出=中村一徳)は、雪組一丸となってのエネルギーを体感しているうちにあっという間に時が流れるダンシング・ショー。<第3章>での、ロイ・リキテンスタインを思わせるポップ・アート風の舞台セット(装置=木戸真梨乃)と、そんなセットに裏地までマッチした加藤真美による衣装、そのコラボ心も粋。どちらの作品でも大充実の雪組娘役陣が生き生き大活躍。男役による黒燕尾服シーンも見応えがあり、彩風咲奈が継承する雪組スピリットを大いに感じる。千秋楽まで元気に突っ走っちゃって〜!
 13時の部観劇(日本青年館ホール)。1998年月組初演作品に、暁千星を中心とした月組メンバーが新たな風を吹き込む。実に見応えのある緊迫感に満ちた芝居が展開された果て、――何とはなしに、明るい希望のようなものが見えてくる終幕の晴れやかさ。特に大きな出来事が起こるわけではない、むしろ、大きなドラマが終わった後に生きる道を模索する人間の姿が、宝塚の男役という存在を通して描かれてゆく。作・演出の正塚晴彦が、若手一人一人に至るまで丁寧に芝居をつけたことがうかがえて――宝塚歌劇を愛し、これに関わるすべての人々に捧げる大きな愛に包み込まれるひととき。これが組替え前最後の公演となる暁千星にとっては文句なしの代表作!
 すばらしく見応えあり! <永遠>の場面で何だか、…ありがとう…という声が聞こえたような気がした――この時代を実際に生きた人々の。作品の魂が、今の宙組で再演されることを求めていた、そんな気持ち。これからの宙組の舞台&小池修一郎作品が非常に楽しみ!
 鳥肌ものの第一幕だった。この作品あったればこそ、『THE SCARLET PIMPERNEL』(フランク・ワイルドホーン作曲のブロードウェイ・ミュージカルを、小池修一郎が宝塚版として潤色・演出。2008年星組にて初演)が誕生したのだと、心に沁みるものがあった…。
 昨年10月31日に視聴した月組博多座公演『川霧の橋』ライブ配信について書けていないことには、理由がある。山本周五郎の『柳橋物語』『ひとでなし』をもとに、江戸時代の隅田川界隈に生きる人々を描くこの作品には、緊迫感みなぎる大火のシーンがある。主人公幸次郎(月城かなと)は、水の中に入って火を逃れ、生き延びる。
 ――母方の祖父が、同じ隅田川界隈で、1945年3月10日の東京大空襲を生き延びた方法と同じだ…と、はっと胸を衝かれた。貯水槽に入って、生き延びた。途中で鼻を出して、水の上を通っていった炎で、鼻の頭を火傷したという。
 私は、…不思議だった。昨年の8月15日、月組東京宝塚劇場公演千秋楽『桜嵐記』のライブ配信を視聴して、1945年8月15日と、それからの8月15日のことを思った。そして、『川霧の橋』。2021年になって、こんなにも戦争にまつわる記憶が呼び起こされることが、不思議でならなかった
 そして、2022年。
 2月の「北京五輪」で、フィギュアスケートを観ていた――世界の選手たちが一堂に会して、同じ競技を通じて心を通わせる様を、世界中の視聴者の一人として観ていた。もちろん、そのときも、きな臭い雰囲気を感じないではなかった。でも。閉会式のわずか4日後に、21世紀に、侵略戦争が起きるとは。
 スペイン内戦を描く宙組大劇場公演『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』(作・演出:小池修一郎、作曲:フランク・ワイルドホーン)は、コロナの影響で初日が延期されていた。2月5日の初日予定だったのが、2月28日に幕を開けた――奇しくも、ウクライナ侵略開始後の開幕となった。そして、本日5月1日は、4月2日に始まった東京宝塚劇場公演の千秋楽である。

「♪ナチス・ドイツに イタリアに 日本まで」
「♪ファシストの国になってしまった」
 1936年のハリウッド。リベラルな知識人の集まるバーで、作家仲間のピーター(春瀬央季)とキャサリン(潤花)は歌う。モスクワでの世界作家会議に向かう途中、人民オリンピックが開催されようとしているバルセロナに立ち寄ったキャサリンは、ハリウッドでドラマティックな出逢い方をしたカメラマンのジョルジュ(真風涼帆)に再会し、二人は直後に起きたスペイン内戦の目撃者となっていく。
 「アメリカ人の作曲家が、日本人の演出家兼脚本家と、スペイン内戦を舞台にした作品を作るとは、何と突拍子もない考えだろうと思いました」とは、2006年の初演時を振り返っての作曲家の言葉である(公演プログラムより)。日本とアメリカ、かつて敵として戦った国のクリエイターが、力を合わせて一つの作品を創り上げる――。私は最近、自分が生まれる27年前まで日本でも戦争が行なわれていたということを改めて考えて、慄然とした。子供のとき、それは昔々のことに思えた。けれども、半世紀生きた今となっては、27年前はそんなに昔ではない。そして、私たちより上の世代にとっては、戦争はもっと近いものである。
 ――戦前も、戦後も、仕事でアメリカをしばしば訪ねていた祖父のことを思った。貯水槽に入って炎をやり過ごしたとき、彼はいったいどんな思いでいたのだろう――。そんなことを考えるのも、この『NEVER SAY GOODBYE』という作品が、ジョルジュとキャサリンの孫ペギー(潤花二役)が、ジョルジュの遺品を求めてバルセロナを訪れた――という構成になっているからなのだろうと思う。
 カメラマンと、劇作家と。二人で同じものを見たいという思いで結ばれたジョルジュとキャサリン――素敵な関係性である。潤キャサリンは実に強い女性として登場する。そして、ジョルジュと恋に落ちてからのかわいさ。そんなキャサリンを、真風ジョルジュはどこまでも受け止める。――その姿を観ていて、初演時にジョルジュ役を演じた和央ようかと作曲のフランク・ワイルドホーンが、この作品で出会い、後に結婚した理由が、何だかわかるような気がした。男性の目から見ても、ジョルジュという役どころは理想像なのではないか…と。自分の内から生まれたそんなヒーローを、どこまでもかっこよく演じることのできる宝塚の男役という存在。
 一幕ラストに流れる名曲「One Heart」は、宝塚歌劇団への作曲家の心からの贈り物であると、改めて深く感じた――バルセロナでの内戦下において、ソビエトがバックについている統一社会党と、統一労働者党とが、民兵を組織しようとして争い始めた際、ジョルジュやキャサリン、そして市民たちが、自分たちは主義主張のためではなく、愛する者を守るため、自由を求めて立ち上がったのだと、改めて心を一つにして歌うナンバーである。宝塚歌劇団の名作と言えば、『ベルサイユのばら』である。市民が自由を求めて闘うフランス革命を描く。ここに、『NEVER SAY GOODBYE』が『ベルサイユのばら』の系譜にある作品であることが示される――二幕になって、統一社会党と統一労働者党の抗争が激化し、この曲への悲しき言及が歌われる。カメラを置き、戦いに加わるジョルジュだが、その戦いが実を結ぶことはない――彼は倒れる。キャサリンにフィルムを託して。
 キャサリンが、ラジオのニュースで内戦を伝える仕事をあくまで続けるとジョルジュに告げる際、…戯曲を書くより役に立つことを見つけた…と言うのがどこか引っかかっていた。劇作家は戯曲を書いて欲しい、そう思った――なんせ、『カルメン』を下敷きに、カルメンを民衆の代表者、ホセをファシズムの犠牲者として描く戯曲でブロードウェイでヒットを飛ばしたという経歴をもつ劇作家なのだから。でも、そんな極限の状況において、自由を求める戦いに何らかの形で具体的に協力したいと思う彼女の気持ちもわかる。…そんなことを考えているうちに、何だか、この物語自体が、ジョルジュにフィルムを託されてアメリカに戻ってからの彼女が、平和への祈りをこめて書き上げた戯曲のようにも思えてきて…。
 ジョルジュが倒れ、彼の人生に現れた人々が走馬灯のように登場する<永遠>の場面――かつてこの国にあった戦争の時代を生きた人々が浮かぶような気がした。思うように舞台に立てなかった人々。思うように舞台を作れなかった人々。そんな人々の思いがあって、我々は今、ここにいる。

 宝塚歌劇は、究極的にはすべての公演がハッピーエンドで終わる。芝居とショーの二本立ての場合はもちろんのこと、今回のような一本ものでも、フィナーレがある。芝居では敵味方を演じていても、フィナーレでは皆で歌い、踊る。ラインダンスがあり、大階段を出演者たちが降りてきて、最後には大きな羽根をつけたトップスターが登場する。それは生の祝祭である。今、共にここに在ることを共に祝福する。確かに、日々の生活は必ずしも幸せなことばかりではないかもしれない。けれども、ひとまず、今日の日は幸せだった――として、前に進む力を与えてくれる。3月――ウクライナ情勢について考え過ぎて、滅多にならない口内炎を発症した。情けなかった。遠い日本で私が体調を崩したところで、何の役にも立たない。無力感に苛まれた。その無力感が今もないと言ったら噓になる。でも。21世紀の日本に生きる一人の人間として、できることが何か必ずあるはずだと、前を向くしかない。
 初演から16年の時を経て、不死鳥の如く甦った傑作。その作品に関わったすべての人に、感謝。
 青春をかけてきた闘牛をあきらめ戦うヴィセント役の芹香斗亜の鋼のような魅力。統一社会党の幹部アギラールを演じた桜木みなとは、かつて小池修一郎作品『オーシャンズ11』(2019)で悪役テリー・ベネディクトを演じた経験が生きた――小池作品にはたびたび、世界征服を企むちょっとマッドな悪役が登場する。そして、今を生きる我々は、そうした人物がフィクションの中だけに存在するわけではないことを知っている。内戦勃発を告げるバルセロナ市長役・若翔りつの歌声も耳に残る。
 作中、大切な歌詞を任されたピーター役の春瀬央季、そして、スパニッシュなムードたっぷりに凄腕占い師アニータを演じた瀬戸花まりは今作で退団である――“思いは残る”、そんな、『NEVER SAY GOODBYE』のテーマをかみしめる。
 千秋楽ライブ配信、観ます。
 2021年12月4日、ライブ配信視聴。――ちなみにこの日、箱根で観ていました。箱根の急な山越えをしたら車酔いでグロッキーになってしまって、昼食がほとんど喉を通らない状態だったのだけれども、ライブ配信を観ていたら、治った(笑)。
 『バロンの末裔』は1996年月組初演。正塚晴彦がトップスター久世星佳の退団公演として書き下ろした傑作の初の再演となる。――1996年。バブル経済ははじけ、1995年には阪神・淡路大震災が起き、宝塚大劇場も大きな被害を受けた。そんな中で生み出された作品であることを、今さらながら強く感じた。
 作品の舞台はスコットランド。400年続いた男爵家の次男エドワード(真風涼帆)は、爵位を継いだ双子の兄ローレンス(真風二役)が病に倒れたという知らせを受けて帰郷し、兄の借金によって領地が失われるかもしれないという事態を知ることとなる。幼なじみでローレンスの婚約者であるキャサリン(潤花)に思いを寄せていたが、次男の自分では彼女を幸せにはできないと故郷を出た過去のあるエドワードは、彼女のためにも領地問題の解決を心に誓う。――時代が変わっていく中で、伝統ある故郷を守ること。旅立った先でも、故郷を思うこと。阪神・淡路大震災後の1996年も、コロナ禍にある2021年も、宝塚歌劇を守り抜こうとする人々の思いは、変わらないのだな…と。
エドワードとキャサリン。互いに互いを思っているのに、はっきり口に出しては言えないせつなさ。男のやせ我慢と女のやせ我慢が、名シーン<雉撃ちの丘>で激しくぶつかり合う。かっこよすぎな真風涼帆の目には哀愁があり、潤花は自分自身を持て余している女性のいらだちの演技がいい。キャサリンはローレンスとの婚約を解消しないとここで告げ、問題を解決したエドワードはかっこよく去っていく。作品を彩るのは名主題歌「I Wish」。ラストに、私は非常に希望を感じた――というか、潤キャサリンのその後の解釈が、…すごいな…と。ちなみに、正塚自身は、2014年に手がけた『THE KINGDOM』(その前年に上演された『ルパン−ARSÈNE LUPIN−』のスピンオフ作品)において、…『バロンの末裔』、今だったらこうも書けるな…という描き方をしていて、晩年のシェイクスピアにも通じる姿勢だな…と感じたことを思い出す。真風の二役の演じ分けも大変楽しく(入れ替わりがわからない!)、エドワードの友人リチャードを演じた桜木みなとが軽妙な演技で作品を支える。専科から出演の凛城きらも、真風との芝居のテンポがよい。そして、男爵家に長年仕えてきた執事の矜持を見せる寿つかさ。
 2019年の大劇場作品の再演となった『アクアヴィーテ(aquavitae)!!』に、潤花は初出演である。――何だか非常に男前な魅力を感じた。だから、潤花と組んでからの真風涼帆は、男役の中に女性の部分も出せるようになったのかもしれない…と思った。そこが、とてもいい。さらなる魅力となっている。オープニングで、似合い過ぎなガウン姿をまたもや観られたのも大変うれしく。
 2021年12月1日11時の部観劇(東京建物 Brillia HALL)。映画『アパートの鍵貸します』をベースにニール・サイモンが脚色、ハル・デヴィッド&バート・バカラックが作詞作曲を手がけた1968年初演のブロードウェイ・ミュージカルを、原田諒の翻訳・演出で上演。バカラックの音楽は心はずみ、主役の芹香斗亜をはじめとするキャストは好演を見せたのだけれども、…宝塚で非常に観たい話かと言われると、うーん…。
 芹香扮する主人公チャックは、自分のアパートを会社の上司たちに情事用の部屋として貸し出すことで、出世の糸口をつかむ。だが、その部屋に連れ込まれている女の子の一人が、自分が思いを寄せるフラン(天彩峰里)だったことに気づいてしまい…。うーん。生々しい。何も不倫の話を宝塚で観たくないと言うのではない。それを言ったら例えば、『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットとフェルゼンだって不倫である――ちなみに、初演(1974)の演出を手がけた長谷川一夫は当初、「宝塚は清く正しく美しくなのに、不倫の話てなんやねん」と言ったそうである(語り手・植田紳爾 聞き手・川崎賢子『宝塚百年を越えて 植田紳爾に聞く』より)。しかし。マリー・アントワネットとフェルゼンの関係における愛の切実感に比べると、『プロミセス、プロミセス』の重役たちが若い女の子たちに求める関係はもっとカジュアルである。重役たちの勝手な言い分のナンバー「Where Can You Take a Girl?」を聞いていると、不倫に走る背景として、彼らが心に抱くミドルエイジ・クライシスが浮かび上がってくる。それを、…実際不倫に走るかどうかはともかく、歳を取ったらいろいろあるよね…と心を寄せた上で、どうしようもない人たち! と笑い飛ばせるかどうか。そこが、この作品の肝のように私には思える。そして、宝塚歌劇とミドルエイジ・クライシスは、少なくとも現時点では、必ずしも親和性が感じられないような…。そこを笑い飛ばせないから、フランがチャックの部屋で睡眠薬を飲んで自殺を図って一命を取り留め、会いに来てやってほしいとチャックがフランの不倫相手のシェルドレイク(和希そら)を電話で呼び出したのを、家族とクリスマスを過ごすから…とシェルドレイクが断るという展開がヘビーに感じられるのだと思う。シェルドレイクはフラン以外にも多くの女の子に手を出してきた過去があり、最終的にはすべてを失うのだけれども。
 芹香斗亜は、主人公である保険会社の冴えない社員チャックを飄々と演じた。狂言回しぶりも見事な限り。冴えなさ、そして思いもかけない出世の手段をつかんでからのちゃっかりさを淡々と生きて、でも、思いを寄せるフランとのあれやこれやが彼を変えて、その上での、クライマックス、…上司にアパートの鍵を貸すなんて手段に頼らず、自分自身の力でまっとうに人生の道を切り拓いていく! との颯爽とした決意がうかがえた表題曲の歌唱が、今も晴れやかに心に残る。不倫カップルのシェルドレイクとフランに扮したのは和希そらと天彩峰里。竹久夢二と他万喜及び夢二の映画を撮っている映画監督とその長年の恋人である女優を演じた『夢千鳥』に続き、関係が何とも煮詰まってしまった男女のありようを舞台に描き出した。身勝手男を演じた和希のダンディさ。「…私たち、これからどうなるの…?」的行き詰まり感を濃厚に漂わせる天彩。二人が顔を合わせたシーンのあの空気感。そして、これが専科異動後初めての出演となった輝月ゆうまが、チャックの隣人で、自殺を図ったフランの命を救うこととなる医者のドクター・ドレファス役。枯れていそうで、でも、かつては、そして恐らく今も、日々を大いにエンジョイしている人生の達人感をチャーミングに見せた。
 11時の部観劇。生で観たら中毒性のある舞台でした。またゆっくり〜。
 二幕でさらに舞台がはずみ、作品として実に深いところにまで達したため、軽やかにウィンクするかのような脚本の奥深いチャーミングさに改めて気づき。それにしても柚香光&星風まどかは素晴らしいダンス・コンビである。デュエットダンスで次々と繰り出されるアクロバティックなリフト! そのドレスさばき! 出演者が一丸となって実現した良質のダンス・ミュージカルにふれた歓びにしばらく浸ります。
2022-04-03 23:32 この記事だけ表示
 楽しい! 弾む音楽、踊れてコメディも行ける花組トップコンビ、柚香光&星風まどかにぴったりの作品! 嵐の公園で二人が踊りながら次第に心を通わせていくシーン、幸せすぎて、涙−−組むことによってそれぞれの魅力がさらに輝く、本当に素敵なコンビ。ベイツ役の輝月ゆうまの大おとぼけぶりに大爆笑〜。
2022-04-03 17:43 この記事だけ表示