6月21日11時の部観劇(東京建物Brillia HALL)。作・演出は、デビュー作『夢千鳥』(2021)で芸術論を展開した栗田優香。今回は、ワイン偽造をメイン・テーマに、アメリカへの不法移民や芸術論をからめて描く作品だが、うーん……。ラストに軽妙なオチをもってくるなら、ワインの真贋に翻弄される人間模様をもっと軽妙に描いた方がバランスがよかったような。偽造ワイン問題と芸術論の絡め方もちょっと難しいかと。
 ホンジュラスからアメリカに不法入国し、ワイン偽造に手を染めていく主人公シエロを演じた桜木みなとが、ラテン男の、そして詐欺師ならではのチャーミングさを発揮し、作品を堂々成立させた。『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』(2021)でちょっとマッドな独裁者を快演したこともあり、どんな役でもどんと来いな姿勢が役者として非常に頼もしい。その幼馴染フリオに扮した瑠風輝もよかった。大手オークション会社の重役ミラ・ブランシェットを演じた五峰亜季も、難しい役柄、セリフを通して作品をスーパーセーブ。骨太な題材に一丸となって取り組む宙組の姿勢、◎。
 『HiGH&LOW−THE PREQUEL−』『Capricciosa!!−心のままに−』の非常に充実した二本立てに、楽しすぎて涙!
 私が16歳のとき、専業主婦だった母が母校の大学院に入学し、大学生のときにも取り上げたF・スコット・フィッツジェラルドの研究を始めた。だから、私にとって、フィッツジェラルドの作品群は多分に、母との思い出、母とあれこれ語り合った思い出とも深く関わり合っている。そして、少女のころにフィッツジェラルド作品にふれた私は、若さのはかなさということを意識するようになった。人生の途中まで何だかバック走しているような気持ちでいたのも、その影響があるようにも思う。2022年月組版の舞台が今までになく心に沁みたのは、私自身、年齢を重ね、人生を前向きに疾走できているように思えてきたからなのかもしれない。
 観劇にあたって原作を読み返した。村上春樹の翻訳(中央公論新社版)は非常に読みやすく、1920年代の青春へといざなってくれる。「翻訳者として、小説家として」と題された訳者あとがきを併せて読んでいると、何だか、『グレート・ギャツビー』が、フィッツジェラルドが28歳にしてあらかじめ書いてしまった自身の墓碑銘のようにも感じられてくるところがある。この訳者あとがきでは、作家としてのフィッツジェラルドの人生におけるインプットとアウトプットとの兼ね合いについて、妻ゼルダとの関係を絡めて書いている箇所も興味深い。私は、この二人の関係を考えるとき、高村光太郎とその妻高村智恵子との関係を思い浮かべてしまうところがある――ゼルダも智恵子も当時としては“翔んでる女”であったこと、そして二人とも精神を病んでしまったことからそう思うのかもしれない。

 宝塚では『グレート・ギャツビー』以外にも『ラスト・タイクーン』や『リッツ・ホテルくらいに大きなダイヤモンド』といったフィッツジェラルド作品が舞台化されており、フィッツジェラルド自身を主人公とした『THE LAST PARTY 〜S.Fitzgerald's last day〜』も、2004年の初演以来、上演を重ねている。その2018年月組版でスコット・フィッツジェラルドとゼルダを演じた月城かなとと海乃美月が、今回、ギャツビーとデイジーに扮した。月城かなとは、その経験に加え、『ダル・レークの恋』(2021)で、身分が低いと見せて実は高貴であることが大詰めで明かされる主人公ラッチマンを演じたことが、今回のギャツビーの造形にあたって活きていたと思う。村上春樹は、『グレート・ギャツビー』を翻訳するにあたり、ギャツビーが話し相手への呼びかけに用いる”old sport”の訳語に長年悩み、最終的に「オールド・スポート」としたと訳者あとがきに書いている。「オールド・スポート」自体は今回の舞台には登場しないが、その呼びかけの示唆するどこか芝居がかったところを、甲冑のように寸分の隙もなくかっちりとした姿勢、振る舞いを崩すことのない月城ギャツビーの身体は視覚的に示しているかのようである。その様は、鳳月杏扮するデイジーの夫トム・ブキャナンや風間柚乃扮するニック・キャラウェイの無邪気でカジュアルなありようと対比を成す。
 脚本・演出を手がけた小池修一郎が今回の公演プログラムで振り返るところによれば、宝塚で初めて舞台作品を発表することになった1986年の段階から『グレート・ギャツビー』の舞台化を考えていたものの、最初は「ヒロインが宝塚的でない」と却下されたという。宝塚において先行する大ヒット作品『風と共に去りぬ』のヒロイン・スカーレットと『グレート・ギャツビー』のデイジーは共に南部出身であり、宝塚版においては、『風と共に去りぬ』をも思い起こせるようなデイジーの実家の邸宅でのエピソードが付け加えられている。家柄にこだわる母エリザベス(白雪さち花が冷ややかに演じる)にギャツビーとの仲を引き裂かれ、彼を追って家を飛び出すこともできないシーンで、海乃演じるデイジーは激しい感情の爆発を見せる。その爆発が、後の人生における彼女のさまざまな選択を方向付けているところがある。
 原作で若き日のギャツビーの庇護者となる富豪ダン・コーディーは舞台に登場しないが、そのキャラクターは、輝月ゆうまが演じるマイヤー・ウルフシェイムに併せ重ねられているところがあるように感じた。輝月は風格と貫録たっぷりの演技を見せ、裏社会の男たちのナンバーでも芯となって魅了する。トムの浮気相手マートル(天紫珠李)の夫ジョージ・ウィルソン役の光月るうが見せる哀しさ。そして、幕開けでニックを華やかなギャツビー邸へと連れてくるタクシーの運転手と、終幕でギャツビーの埋葬にやってきてその人となりを語るギャツビーの父ヘンリー・C・ギャッツの二役を演じる英真なおきの演技からにじみ出る味わい深さ。
 デイジーと新たな人生を送ることを決意してギャツビーが歌う「アイス・キャッスルに別れを」の聴こえ方が途中で変わってきたことが非常に興味深かった。『グレート・ギャツビー』の宝塚での三度目の上演を成功させて、演出家・小池修一郎はさらなる飛躍の時を迎えたように思う。

 今回の作品で宝塚を退団する夏月都が演じるデイジーの乳母ヒルダは、母エリザベスの思いからデイジーがどこか解き放たれないことを象徴するような存在である――果たして彼女は、ギャツビーとデイジーが新たな人生に踏み出そうとした際に警鐘を鳴らす。そんな役どころを、夏月は謎めいた存在感で見せる。5月に上演された『ブエノスアイレスの風』でも、ヒロイン・イサベラ(天紫珠李)の母役で一瞬登場した際の静かで確かな存在感が心に残っている。月組の舞台を観ていて、娘役としていい仕事をしているな、と目を止めることの多かった晴音アキもこの作品で卒業である。『ブエノスアイレスの風』では終幕近く、舞台で一人、主題歌を歌う姿が印象的だった。『グレート・ギャツビー』では、宝塚歌劇団ならではの華やかさが存分に詰め込まれた第二幕の始めの方のジーグフェルド・フォリーズの場面で歌手として登場し、歌声を聴かせてくれた。
 13時半の部観劇(東京宝塚劇場)。F・スコット・フィッツジェラルドの原作小説及び宝塚版の舞台に出逢えたこと、そして人生のこのタイミングでまた巡り会えた幸せに感謝したくなる観劇体験でした。ゆっくり書きます。
 『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』で音くり寿が演じたのは、主人公フランツ・リスト(柚香光)のパトロンで年上の愛人であるラプリュナレド伯爵夫人役。リストに逃げられ、その後釜を育てることとなるが、プライドの高さと執着心の激しさがリスト自身のそれとも引き合う部分があったからこそ、リストも彼女の庇護によって成功を収めたところがあるのではないかと感じた。ソプラノの響きが怖い一方で、そんな人物をどこかシニカルにとらえているようなコミカルさもあり。飛龍つかさはダグー伯爵役。リストと駆け落ちした妻のマリー・ダグー伯爵夫人(星風まどか)と再会した際、一緒に暮らしていたときには見ることはなかった妻の新たな顔を見、これを認めるセリフに、包容力と哀しみがにじんだ。
 『Fashionable Empire』は、<Fashionable Moment>で、飛龍つかさ、若草萌香、音くり寿、芹尚英の退団者4名が晴れやかに踊り、皆も加わって仲間と共に生きる喜びを舞台いっぱいに表現していったあたりから、ぐんと加速した感あり。飛龍つかさの伸びやかな歌声。音くり寿はエネルギー全開、オープニングでの歌も聴かせた。せつなさと喜びとを感じさせた、エトワールの若草萌香の歌声。
 柚香光は肩の力抜いて行こう〜!
 ピアニストのフランツ・リストを中心に、美に生きる人々の苦悩と歓びを描く生田大和の壮大な野心作と、キャストががっぷり四つに向き合い、見応えあり。
 『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』『Fashionable Empire』については、ライブ配信、本公演とも観られていないため、明日のライブ配信を観てから後日書きたいと思います。退団者の活躍については明日中に記します。
 ENJOY!
 舞台を19世紀末のベル・エポックのパリに据え、古代ギリシャの悲劇詩人アイスキュロスの『オレスティア』三部作をモチーフに描く『冬霞の巴里』は、作・演出の指田珠子にとっては初東上作品。血染め風の衣装や目の周りを濃く強調したメイクもみられる異色作で、パリのパッサージュが登場する装置(木戸真梨乃)も魅力的である。
 主人公オクターヴ(永久輝せあ)とその姉アンブル(星空美咲)は、幼いころ、母クロエ(紫門ゆりや)と父の弟ギョーム(飛龍つかさ)が手を組んで父オーギュスト(和海しょう)を亡き者にしたのではないかと疑っており、復讐を果たすためにパリに帰ってくる。この舞台を観て、月組『螺旋のオルフェ』(1999年、作・演出=荻田浩一)を思い出したのには理由がある。『螺旋のオルフェ』はギリシャ神話のオルフェウス伝説をベースとした作品で、舞台は1950年代のパリ。主人公イヴは、瀕死の恋人に乞われ、彼女に引き金を引いた罪の意識に囚われながら長い年月パリを彷徨っている。イヴが抱えるその苦悩にも似たものを、『冬霞の巴里』の主人公オクターヴに感じた。オクターヴは、父を殺した相手に復讐しなくてはならないという思いを自分が抱え込んでしまったことに、作中ずっと苦悩し続けている。だから、そういった負の感情などなさそうな人間に苛立つ。他方、オクターヴと実は血のつながりがないことを知りながらも、あくまで姉と弟、同じ苦悩を抱えた者同士としてつながり続けることを選択するアンブル。オクターヴも、血のつながりのないことを知った上で、そんな思いごとアンブルを引き受けることを選択する。そこにオクターヴの人間としての成長をみる。
 そして、宝塚において、パリはひときわ特別な都市である。パリのレビューに多大な影響を受けた宝塚歌劇団(英語名は「Takarazuka Revue Company」)は、その舞台においてさまざまなパリを描いてきた。それは一方で、ときに、この世のどこにもない、宝塚の舞台にしか存在しないパリでもある。
 永久輝せあが終始憂いに満ちた表情で主人公オクターヴの苦悩を見せる。アンブル役の星空美咲にきりっとした存在感。一樹千尋はオクターヴに道筋を示す謎の老人ジャコブ爺を演じて深い印象を残す。クロエ役の紫門ゆりやに妖しい美しさ。飛龍つかさはヒゲもよく似合い、ギョームの哀しさをにじませた。無政府主義者ヴァランタンを演じた聖乃あすかは、翳りのあるメイクも活きて、オクターヴの心とも相似形を描く憎しみを、死に神の如きニヒルさをもって見せた。

(4月12日11時の部、東京建物 Brillia HALL)
 フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースの同名映画をミュージカル化した『TOP HAT』の、宝塚での二度目の上演(2015年宙組により日本初演)。ブロードウェイのスターダンサー、ジェリー(柚香光)とファッション・モデルのデイル(星風まどか)が、誤解を乗り越え結ばれるまでを描く、明るく楽しいダンス・ミュージカルである。今回、舞台全体がテンポよく弾み、ジェリーとデイルのカップルと、ジェリーをロンドン公演に招聘したプロデューサーのホレス(水美舞斗)とホレスの妻でデイルの友人のマッジ(音くり寿)のカップルとの連関もよく描き出されていた。
 そもそもマッジは、デイルをジェリーと引き合わせようとしていた。だが、デイルがジェリーのことをマッジの夫ホレスと勘違いしてしまったことから騒動が起きる。そして、結婚している夫、妻というものがどんな風か想像がついていないところがあるからこそ、デイルの混乱はますます深まってゆく――二幕の、ジェリーとマッジと一緒にいる場面で、マッジからジェリーを勧められるデイルの困惑と来たら! さまざまな変装劇を見せるホレスの執事ベイツ(輝月ゆうま)の活躍もあり、誤解は解け、ジェリーとデイルは晴れて結婚に踏み切る。その直後に、ホレスとマッジ夫婦が歌う「Outside of That, I Love You」が置かれているという流れが、今回、唸るほど絶妙だと感じた。「Outside of That, I Love You」は、互いに、…あなたのこういうところが嫌い、嫌い…と指摘し合って、「それ以外はアイ・ラブ・ユー」と締める、軽妙なナンバーである。すなわち、このナンバーを境に<結婚前/結婚後>がくっきり描き出されるという趣向。でもまあ、マッジがホレスに対する不満をあれこれ言いながらもデイルに結婚を勧めているところからしても、結婚生活に総じて満足していそうな二人ではある。不満をピシピシッとシャープに歌い上げて行く音くり寿のマッジを、水美舞斗のホレスが…弱っちゃうな…という感じで受け止めていたのが◎。
 ダンスもコメディも大いに行ける花組トップコンビ、柚香光&星風まどかが、ジェリーとデイルの恋の紆余曲折をロマンティックなムードたっぷりに描き出して。二人の着こなし、そして衣装さばきのスタイリッシュさに目を瞠る。そして、最終的にジェリーとデイルのキューピッドとなるベイツ役輝月ゆうまの、しれっとした表情のキュートさが心に残る。

(4月3日視聴)
 作り手が、自身の人生を観る者と真摯に分かち合う作品だったから、私自身、観ていて自然と自分の人生を振り返っていた。…多くの人に赦されて、ここまで生きてきたな…と。終盤の墓場の場面で主人公ギャツビーの父親(英真なおき)が登場したあたりから最後まで、嗚咽が止まらなかった。そうして、1991年の雪組初演(その際のタイトルは『華麗なるギャツビー』。それが、F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の、世界初のミュージカル化だった)を観たときには若さゆえわからなかったラストの演出を、心の中で深くかみしめながら観ていた――亡くなった祖母と、母と一緒に観ていた。その日、着ていたワンピースまで覚えている――。
 ジャズ・エイジのアメリカ。裏社会に生きる男。そして、愛。得意中の得意のテーマを扱って、演出家・小池修一郎の魂が生き生きと輝く。華やかなシーンへの導入とその盛り上げ方の巧いこと! 主人公ギャツビーに扮した月組トップスター月城かなとは、脚本を読み解き、自身のしっかりとした解釈を提示することのできる男役である。「私がギャツビーだ」の登場から場をさらうかっこよさ。ニック(風間柚乃)に過去を騙る際の語りの巧みさ。当たり役! そして、小説では語り手であるニックを演じる風間が、金と時間を持て余した上流階級と自分とが異なる存在であることを素直に体現していることもあって、観ていてすっと物語に引き込まれる。ヒロイン・デイジー(海乃美月)のキャラクターについては、私自身、いまだに解釈に悩むところがあり、この機会に再考したく。デイジーの夫トム(鳳月杏)は、ニックとも上手く対立軸を作れるとおもしろいような。
 ジョージ・ウィルソン役の光月るうの二幕のソロには、心がちぎれそうだった…。そこからの幻想のダンス・シーンの迫力。暗黒街の男マイヤー・ウルフシェイム役の輝月ゆうまの貫録。役が少ない作品ながら、芸達者な月組生たちがさまざまな役柄で活躍するのを観るのも楽しく。