春風弥里は2002年の入団後、約10年間宙組にいて、昨年2月に花組に組替えとなった。宙組時代と花組時代とで、何だか印象が違う。そして、一年半あまりしか在籍していなかったとは思えないほど、花組時代の印象が濃厚である。全身からあふれんばかりの色気をただよわせた男役となって、そして、非常に残念なことに、本日11月17日をもって宝塚を退団してゆく。
 今年6−7月、宝塚歌劇団が渋谷のシアターオーブに初進出した「戦国BASARA−真田幸村編−」は、作品の出来としては非常に残念なものがあったが、ゲームの世界を三次元の舞台、宝塚の世界へと具現化しようという出演者たちの努力は大いに光った。このとき春風が演じたのは、「You see」等々、英語のキメ台詞を繰り出すという設定の戦国武将、伊達政宗役である。外してしまえば何ともお寒いところ、クールさとキザさを絶妙に両立させ、真顔で決める春風に、男役芸の成熟をみた。“心のキャラ”である。
 退団公演となった「愛と革命の詩−アンドレア・シェニエ−」で演じたジュール・モランでは、黒いジャコバン党員の衣裳に身を包み、堂々たる銀橋ソロを披露。貴族階級に替わって圧政を敷くこととなったジャコバン党のあり方にいささかも疑念を抱かない、サディスティックさを香らせる男を演じて、ビュンとしなる鞭のような魅力を発揮した。
 ショー「Mr. Swing!」では、餞のために作られた第8場「エピローグ」のシーンが泣かせる。同期である夕霧らいと月央和沙に背中を押されて銀橋に出て、渡りきろうというところで、華形ひかるが春風に歌いかける。いつかの再会を願って。春風は笑顔で、そして、華形も笑顔で、でも、その心の内にはさみしさがあって、やっぱり、……どうして今やめちゃうのさ! と思わずにはいられない。You see、花組のセクシー番長として、これからますます活躍していくだろうと思っていたからなのだけれども……。「Streak of Light −一筋の光…−」で髪を振り乱して一心に踊る姿、「オーシャンズ11」でネクタイをゆるめる姿と、鮮烈に色気を放っていた場面が忘れがたい。宝塚での日々を堪能しきって、新たな人生に晴れやかに向かうのだと信じたい。See you!
 「ベルサイユのばら−オスカルとアンドレ編−」上演中、――少なくとも、宝塚大劇場公演時は絶対に――、月組組長・越乃リュウは闘う気満々だった。だから、女が社会に出て必ずや出会う“敵”の象徴ともいえる存在、我らがオスカルに憎々しげに立ちはだかるブイエ将軍を、芸の力をもって堂々と演じきった。その存在感あったればこその、作品の一幕ラストの迫力だった。
 5月の末になって退団が発表されて、――彼女の心境にどんな変化があったのか、私は知らない。そして、辞めてしまうことを責めるものではない。とてもさみしいことは確かなのだけれども。でも、退団公演となる「ルパン」「Fantastic Energy!」が東京へやって来て、歌い踊る越乃リュウの姿を観ていたら、――今まで本当に楽しかったなと、そのことばかりが思い出されたのである。
 ここで、昔話を一つ。2000年の秋頃だったと記憶している。東京宝塚劇場が建て替え中で、有楽町駅前のTAKARAZUKA1000days劇場(現インフォス有楽町)で公演が行なわれていた頃のこと。あひるは隣に居合わせた上品なご婦人とお話する機会に恵まれた。
「どなたのファンでいらっしゃるんですか」
「越乃リュウさんよ〜。もう、博多座公演で大ブレーキ!」
 大ブレーキじゃなくて大ブレイク! それじゃあ意味反対になっちゃうよ〜と思いきや、乙女のように頬を染めて博多座公演「LUNA」「BLUE・MOON・BLUE」(2000・8)での越乃の活躍を語るご婦人に、そうは言えなかったあひる。実際、この年はドイツ・ベルリン公演に向けて選抜メンバーが組まれた関係もあり、抜擢もいろいろとあったように記憶しているのだけれども、博多座公演の前に行なわれた「BLUE・MOON・BLUE」東京公演の一場面で、パンチの効いた歌声を聴かせる様に、新進男役・越乃リュウここにあり! と感じたものだった。そして、博多座に足を運んだことのなかったあひるに、“博多座、…何かが起こる劇場”との印象が刻み込まれた瞬間でもあった。
 越乃リュウは色っぽい男役である。若き日から、変わらない。したたるような色気。色気は何も生活必需品ではない。なくても生きていける。日常生活にあることの方が稀だったりする。けれども、月組の舞台に立つ越乃リュウを観に行けば、観客は、この世界に色気なるものの存在することを常に確認することができた。そして、それは贅沢品だったのだと、今、つくづく思う。ときに気弱なくらい、心優しき人なのだろう。だから、ああも色気があふれ出してしまうのである。昨年秋の全国ツアー公演で上演された「Heat on Beat!」で、妖しいクラブで椅子を相手に世にもセクシャルなダンスを踊る姿は、椅子を愛でる様、手つき、目線、どこをとっても男役・越乃リュウの色気集大成ともいえる場面で、…大劇場公演でもこんなスペシャルなシーンは観られないというのに、宝塚初体験の観客も多そうな全国ツアーで、あまりに刺激が強すぎるのでは〜と、何だか動揺すらしてしまった。
 時が経って、仲間たちが次々と月組の舞台を去って、残った越乃は副組長、次いで組長となった。管理職には、一つの組をまとめ上げて行く上で、トップスターともまた違った苦労があるのだろうと推察する。ときに、自分の芸より組の運営に腐心しなくてはならない局面もあるのかもしれない。けれども、そうした苦労を背負う人がいて、それで宝塚の舞台はまた成り立っているものなのである。
 最後の公演となった「Fantastic Energy!」で、越乃が、パンチの効いた歌声を響かせ愛希れいかを踊らせる姿や、舞台狭しと駆け抜け舞い踊る姿を観ていたら、…重責の軛から解放されて、自由に舞台に息づくその様に、若手男役時代を思い出して、もう、…ありがとう…という気持ちしか出てこなかった。「そうですか、越乃さんが大ブレーキ」と相槌を打つしかなかった頃の私は、人生どん底だった。ただただ、宝塚の舞台を観ることが楽しみだった。そして、宝塚の舞台を観ることでそのつらい時期を乗り越えた私にとって、今、つらかった記憶は嘘のように消え失せて、楽しい記憶ばかりがきらきら輝いている。
 舞台で観た一人一人のタカラジェンヌたちが、私にとっての“宝塚”を形作っていて、だから、別れは常に身を切られるようにさみしくて、けれども、舞台を通じて確かに何かを共有できたと感じられたら、それで幸せなのである。
 越乃リュウがいる月組の舞台を観ることができて、今日まで幸せだった。楽しかった。本当に、本当にありがとう。これからの人生に幸多からんことを。
 「おのれナポレオン」でナポレオンの愛人、アルヴィーヌに扮した天海祐希の演技を観たとき、真琴つばさトップ時代の月組上級生娘役陣の演技の雰囲気を思い出したのだった。天海は真琴の二代前の月組トップスターなのだから、無理からぬ話である。アルヴィーヌは打算があってナポレオンに近づいたのだけれども、純粋に愛する気持ちも芽生えてしまう。べとっと女女しているわけではない。でも、ちゃんとかわいらしさもある。そのあたりの相反する心の表現のバランス加減に、そう感じたのだと思う。
 時代は変わっても、月組娘役陣には今もそんな雰囲気がある。何だか人間くさいというか、生っぽさを感じさせる。かわいいけれども強いのである。男役陣が多少ヘタれたとしても、娘役陣がフロントラインに出てきて客席に向かってゴールを決めてしまうような。
 月組公演「Fantastic Energy!」の“心の名場面”は、第3章「Passionate」で、娘役5人がせりあがってくるところである。トップ娘役愛希れいかをセンターに、副組長憧花ゆりの、妃鳳こころ、萌花ゆりあ、夏月都という布陣。颯爽とかっこいい。しかも、パンチの効いた前章「Energy!」で娘役の芯を務めた花陽みらと、ダンサー紗那ゆずはを温存してこの布陣を組める余裕。何かが始まる予感。そして、あたりを取り巻く娘役陣と共に繰り広げられる粋なセクシーダンス。琴音和葉。玲実くれあ。白雪さち花。咲希あかね。娘役一人一人の顔がはっきり見えてくる。それぞれが、己が個性を見せることをためらわず踊っているから。
 もう一つの“心の名場面”は、第7章フィナーレ、「オリーブの首飾り」を歌うトップスター龍真咲を取り囲み、憧花を筆頭に、萌花、夏月、玲実、咲希、花陽、紗那、晴音アキと、淑女に扮した8人の娘役が踊るシーンである。清冽に美しいペパーミントグリーンのドレスの裾を翻して舞うのだが、このドレスさばきが、実にエレガントに攻撃的。観る者の心に、あでやかに、あざやかに切り込むような。
 舞台をヴィヴィッドかつ華やかに彩る月組娘役陣から、惜しくも今回、個性あふれる二人が退団である。紗那ゆずはは、これからダンスシーンでますます活躍するだろうと思っていたのだけれども…。大劇場公演で花陽が休演した際は、「Energy!」で芯を務めて活躍。第5章「薔薇伝説」では、切れ味鋭い華麗な跳躍を見せていて、ロリータフェイスとのギャップにドキドキ。
 妃鳳こころは、往年のハリウッド女優を思わせるバタくさい美貌の持ち主で、「アリスの恋人」の公爵夫人や「エドワード8世」のジョージ5世の妃メアリーのようなノーブルな役どころが印象的だった。その一方、「ベルサイユのばら」では貧困にも負けじとたくましく生きていこうとする市民の一人、ジルベルト役を泥くさく熱演していて、美貌に似合わぬ生のエネルギーを感じさせた。今回の「ルパン」でも、裏町のバーで踊る女に扮し、テーブルに乗って出てきた瞬間、色っぽさド迫力。私の愛する月組娘役の魅力を次代へと確かに伝える舞台に、心から感謝するものである。
 藤沢周平「?しぐれ」が原作の「若き日の唄は忘れじ」(脚本・大関弘政、演出・大野拓史)は、2月の中日劇場公演から演出的にもかなりすっきりとした印象。壮一帆扮する主人公、牧文四郎の姉・留伊の夫で、藩の乗っ取りを企む里村家老一派に与する武部春樹役に、複数の役どころを統合する形で未涼亜希が配され、勧善懲悪及び主人公の成長物語の側面がより強調されることとなった。かつて野合わせ稽古において剣の腕が敵わなかった相手を、実人生において真剣によって成敗する。壮の当たり役、「ファントム」のキャリエールにおける“幻影”との闘いとも通底する響きがある。初恋の喜びに震える初々しい少年時代から、父に切腹の沙汰が下るという挫折を知り、叶わぬ初恋を心に秘めて長じてゆくまで、壮は、時を経るにつれての表現に深く、また、若き日の無邪気な表情と、人生の機微を知っての表情の対比とがあざやかである。文四郎の刎頸の友である小和田逸平役の夢乃聖夏は、誰の子供時代にも必ずやこんな友の記憶のありそうな、邪気のない子供っぽさを発揮。もう一人の刎頸の友で、後に学者となる島崎与之助役には彩風咲奈。運動神経にはさっぱり恵まれなかったと見える本の虫キャラクターを天然ボケ風味で見せて新境地である。幼なじみの文四郎と心を通わせながらも、殿のお手付きとなり、その寵愛に左右され、人々の嫉妬を受けての人生を送らざるを得ないヒロインふくが、己が運命に対し抱く思いは想像するに余りある。けれども、人は、ときに幸福な記憶をよすがに生きてゆけるものでもあって、ふくも、かつての記憶あらばこそ生きてこられたのだろうと感じさせるラストシーンの余韻も、若き日が明るく輝けばこそである。ふく役の愛加あゆは、「ベルサイユのばら」の大役マリー・アントワネット役を経験して、演技により強い芯が一本通った。今後、舞台で壮といかなる丁々発止を見せてくれるのか、楽しみである。
 専科から出演の夏美よう、組長の梨花ますみが演じるのは文四郎の両親。宝塚の日本物の舞台は、ベテラン勢の経験値に裏打ちされた身体に支えられている。反逆者の汚名を着せられての切腹を前に、文四郎に対し、恥じることのないよう諭す場面の夏美の説得力は、舞台に恥じることなく生きてきた人ならでは。梨花の母の姿に、このような日本女性がかつて確かに存在したことを思う。
 原作「?しぐれ」においては、意外な局面で、意外な人物、意外な運命が文四郎に味方する様が描かれる。“運命論”の観点からいって非常に興味深いが、その精神を舞台版においても映した登場人物が、香音有希扮する百姓の藤次郎である。藤次郎は、文四郎の父にかつて村ごと救われたという恩義があることが、舞台の冒頭で描かれる。そして、文四郎が家老一派の陰謀を知り、ふくと共に追っ手から逃れようとする物語のクライマックスで、ひそかに舟を準備して助けてくれるのがこの藤次郎であり、伏線をきちんと踏まえての香音の実直な演技が印象に残る。上背があり、こつこつと男役芸を積み重ねてきた彼女の今後の展開に注目したい。おふくの父、小柳甚兵衛を演じた央雅光希も、男役として落ち着いた美声の持ち主である。
 ふくの母ますを演じた麻樹ゆめみはあまり出番はないが、他の者のセリフで“常識がない”と描写されるあたりを、毒のないちゃっかりさ加減で見せる。武部の愛人・三緒役の此花いの莉は、色気に含むところある風情。文四郎の姉・留伊役の透水さらさは、自らの意志をもって誠意のない夫と離縁するという、運命に流されざるを得ないふくと対照的な役どころで、はきはきと明るいたおやかさが印象的。与之助と結ばれる腰元・萩役の星乃あんりは姉さん女房風のしゃきしゃき感で、長身の彩風与之助とのコンビぶりも楽しい。

 岡田敬二作のレビュー「ナルシス・ノアールU」は22年ぶりの再演。ショー、レビュー作品の再演にあたって一番気になるのは音楽の時代感だが、雪組勢がよく踏ん張って2013年上演作品にふさわしく仕上げた。こうなってくると、時代と共に移り変わってきたレビュー作劇を振り返ることができるようになり、逆に新鮮に映る面もある。踊るというよりただ揺れているのでは? という場面は、激しく踊らず存在感で勝負していた時代のあったことを思わせるし、トップスターが出ずっぱりでなくても、その出番を効果的に見せられる演出もまたあることを思う。
 トップスター壮一帆は、昭和に近い時代からの一種伝統的な雰囲気をも、2013年の舞台に薫らせることのできる存在である。その薫りあったればこそ、過去〜現在〜未来へと歴史をつないでいく舞台が可能となることを、お披露目作「ベルサイユのばら」に続いて示したといえる。プロローグからパレードまで、一場面一場面、歌や踊りにおいてもドラマティックに物語を構築することで、観客により深く強く伝える術に優れている。愛加は歌も踊りも水準以上なのだから、あとは、トップ娘役就任前によくよく発揮し、組んだ男役をさらに輝かせ、ときに大きく成長させていた“うっとり”の表情及び技術を、壮相手にも臆することなく発揮できるようになれば、愛加自身も、トップコンビとしても、さらなる境地に至れることと思う。芝居では、“悪”の役どころを、己の強い信念をもって貫き通す人物として演じて存在感を発揮した未涼は、レビューでは、ファンタジックな夢世界の王子や、ロックにのって踊りまくる若者と、さまざまな顔を披露。ここに来て新たな魅力を次々と見せる未涼のさらなる新展開が楽しみである。客席降りのソロも明るく楽しい夢乃だが、そのはっちゃけた明るさをさらに陰影に富んだものとして見せるためにも、新たな魅力の開拓が望ましい。
 過ぎし過去を感傷と共に振り返る“青春の回想”の場面では、岡田作品でたびたび用いられる「オール・バイ・マイセルフ」を、まず壮が、次いで奏乃はるとが歌う。絶唱である。過去とは確かに、取り返しのつかない、消し去れないものである。そして、その過去ゆえに大切な人を失ってしまうのではないかという恐怖に、人はときにおびえる。けれども、二人の歌うこの曲を聴いていて、たとえ若さの浅はかさゆえに失敗を犯したとしても、過去が過去としてあるからこそ、人は世界とそこに生きる人々、そして自分自身をより深く受け止められるようになってゆくのだと思わずにはいられなかった。奏乃は「ベルサイユのばら」でのルイ16世の弟プロバンス伯爵が、この歴史上の人物に改めて興味を抱かせる好演だった。そのことについてはまた改めてふれたい。麻樹ゆめみの、中詰の“ジェラシー”の場面の、トップコンビのダンスを大いに盛り上げる情熱的な歌唱も◎。
 中日劇場公演「若き日の唄は忘れじ」で武部春樹役を悪の色気で見せ、今回は悪家老里村佐内役に回った蓮城まことは、「ベルサイユのばら」でも壮扮するフェルゼン伯爵と対峙する国境守備隊の長を演じるなど、このところ悪の魅力路線まっしぐらである。目に狂気めいた光が宿る男役で、その光が、悪を演じても、また、ショーやレビューで登場する際にも効いている。今回のレビューでは四人の男役で歌い踊る「魅惑のサンバ」の場面ではじけた魅力を発揮し、客席を引き込む術をリーダー格として体現。明るいシーンなれど、ウインクを連射するその目の妖しい光にドキっとせずにはいられない。同じ場面でやはりはじけていた香綾しずるは、実力派ゆえ、優等生的にまとまりすぎている印象があったが、最近、すっきりとした二枚目の魅力が増してきている。この二人に大いに触発されて、煌羽レオと月城かなとも客席に対し若手男役として大いに攻めの姿勢を見せていた。彩風咲奈は、妖精パックに扮した際のあどけなさと、ロケットを率いての活躍が印象的。全国ツアー公演では上級生もロケットに回ることがあり、初々しい下級生たちのそれとは違い、キャリアを積んだ者ならではピシッと引き締まるような踊りが展開されるのがまた醍醐味だが、今回も、客席に向かう戦闘力に長けたロケットを堪能することができた。
 雪組娘役陣といえば、楚々として可憐な風情が魅力的だが、今回の「ナルシス・ノアールU」で、可憐なつぼみがあでやかに咲き揃った印象を受けた。芝居の方で殿の寵愛をめぐってふくに嫉妬の炎を燃やすおふねを憎々しげに演じていた技巧派・早花まこの、正統派娘役としてのかわいさたるや。「ブラック・ジャック」のピノコ役で開花した桃花ひなの美少女ぶり。そして、ダンサー笙乃茅桜の、コケティッシュな表情でゴム毬のようにしなやかに跳ねる踊りに見惚れた。星乃あんりもロリータな魅力全開である。
 現在、三組に分かれている雪組が、次に一堂に会して送るのは、11月から始まる宝塚大劇場公演「Shall we ダンス?」「CONGRATULATIONS 宝塚!!」。それぞれの公演で切磋琢磨した雪組生の活躍が楽しみな限りである。
 初日(8月30日)前の舞台稽古を見学。迷いの消えたトップスター龍真咲を、一丸となった月組生ががっちり支えて、芝居もショーも熱い熱い舞台。「ルパン」は、よくぞあの原作(読んでみればわかりまする)をここまで舞台化したなと。そして、雪組、星組と一本もの公演が続いてきた折、「Fantastic Energy!」は、宝塚のレビューの楽しさを存分に味わわせてくれる作品。二つ前の項に書いたのと受ける印象がだいぶ変わりました。いかなる変化が起きているか、それは皆様、ぜひ東京宝塚劇場で――。
 7月22日に「宝塚歌劇100周年公演演目及び記念事業等概要発表会」に赴いた際、宝塚大劇場にて観劇した月組公演について、少々遅ればせながら。
 先にレビュー「Fantastic Energy!」の話から。作・演出の中村一徳は、一徳節ともいえる作風をもちながら、組及び出演者の個性をきちんと生かそうとする手堅い手腕の持ち主で、安定感、安心感と、確かな新風との共存がそこにはある。今回の作品でいうと、月組のダンサー娘役陣をいきいきと踊らせているのが非常に印象的。なかでも、トップ娘役愛希れいかが著しい伸びを見せて、踊りで客を呼べるショースターに成長した。娘役芸をきちんと身につけたからこそ、“男前”な前トップ娘役、蒼乃夕妃に薫陶を受けた経験が生きるようになったのである。新副組長憧花ゆりのも娘役を率いて獅子奮迅の大活躍。月組娘役陣、実にパワフルである。男役陣も負けじと奮闘されたし。残暑の季節にふさわしい、まだまだ夏は終わっちゃいないぜ! な熱いレビューなのだから、もっともっと客席に向かい、巻き込む熱が欲しい。キーパーソンは、沙央くらま。雪組中日公演「Shining Rhythm!」の経験を大いに生かすべし。“心の名場面”は後日発表〜。

 「ルパン−ARSENE LUPIN−」の作・演出は正塚晴彦。アルセーヌ・ルパン・シリーズの作者、モーリス・ルブランの没後70年経った2012年に発表された「ルパン、最後の恋」が原作である。
 子供のころからルパン・シリーズが大好きだった。中学生のときに図書館にあった全集を読破し、大学は仏文科に進んでルパンを研究しようかなあ…と母に話したところ、母も子供時代にまったく同じことを考えていたという。それくらい、アルセーヌ・ルパンは憧れの人だった。そして、ルパンはきっと、宝塚の男役が演じたら似合うだろうなと思っていた。神出鬼没の変装の名人。美学ある華麗な盗みのテクニック。「スカーレット ピンパーネル」の主人公パーシー・ブレイクニーの“弟”的存在である。
 正塚晴彦は宝塚の舞台において、現実にはありえないようなかっこいい男たちを描いてきた。王子や貴公子ではない。現実にいそうで、それでいて、やはりかっこよすぎて、いないであろう男たち。それもまた、人が宝塚歌劇に抱くロマンの一つである。その正塚は、「ルパン−ARSENE LUPIN−」において、現実にはありえないようなかっこいい女に目を向ける。あふれん才能と財力を世のため人のために使い、見返りを求めず、“美しさ”がなければ共に闘うことはできないと敢然と告げる。男性性と女性性とが融合した、一種超越した存在たるその“アルセーヌ・ルパン”を、女性である宝塚の男役が演じる。最強である。ここに正塚晴彦は、創り手として新たな一歩を踏み出した。
 ルパンに扮する月組トップスター龍真咲は、「ベルサイユのばら」の“オスカル・ショック”後、男役として復調傾向にあるのが大変喜ばしいが、彼女が真骨頂を発揮するのは、“愛の伝道師”たりえているときである。龍がロミオを演じた「ロミオとジュリエット」でも、もっとも感動したのは、バルコニーのシーンでも後朝のひばりのシーンでも悲劇のラストシーンでもなくて、ロミオとジュリエットの結婚を知って怒りで煮えくり返っている街中の人々を説き伏せるように歌う「街に噂が」の場面である。ロミオの歌うパートが主旋律ではなくベースとなっているこの曲は、それだけロミオの深い信念を感じさせて印象的なのだが、龍ロミオの“愛の伝道師”ぶりはあっぱれだった。愛っていいもんだよ! 君たちも手に入れるべきだよ! あっけらかんの突き抜け感。親友のベンヴォーリオもマーキューシオも、結婚なんて重大なこと、俺たちに言わないなんてみずくさい! と憤慨しているのに、こんな説教をされては憤懣やるかたなしというものであろう。そんなにも愛のすばらしさを説くなら、マントヴァに追放されても伝道を続ければいいのに…と思わずにはいられないが、彼の愛の源泉であるジュリエットと引き離されてしまっているため、そこまでのパワーはなくなっているのであった。
 龍は二番手時代、自分がトップになった暁に実現したい夢の宝塚についてよく歌っていた。人誰しも愛と優しさにあふれた世界。私はその夢を信じた。実現は難しいかもしれない。けれども、夢を信じ、その夢を実現しようとする者なかりせば、この世界はどんなにか苦悩多き場所であろうか。龍真咲は一つの組のトップスターになったのである。夢を実現するにあたって、力を存分に発揮できるポジションについたのである。夢を見るばかりではなく、夢を実現していかれんことを心から希望する。参考にできる人物として、ロミオ役の大先輩である熊川哲也を挙げたい。彼のことを”dreamer”ととらえる人は多くはないかもしれない。けれども、彼は私の知り得る中でもっとも大きく豊かな夢を描く同世代人の一人であり、己に与えられた英知を最大限に生かして、プラクティカルに着実に夢を現実のものとしていっている。自らのバレエ団をもち、自らの信じる美しいバレエを、日本の、世界の観客に見せたいという夢に向かって、邁進し続けている。宝塚歌劇でたとえるならば、創始者・小林一三が芸術家として自らトップスターを張っているようなものである。夢見るばかりが”dreamer”ではない。夢かなえる人が真の”dreamer”である。
愛されていると過剰に思うことも、愛されていないと過剰に思うことも、どちらも等しく傲慢である。人はみな愛されている。そして、自分が愛されているかどうか問う前に、自分から愛するべきである。そうすれば愛が自ずと心を満たすのである。宝塚の男役として生きる人生のいかなる点に喜びを見出すか、それは人それぞれであり、無論私の考えるべきところではない。龍真咲自身が真にその喜びを見つけ、“愛の伝道師”として真骨頂を発揮する日を期待してやまない。技術的な面について言えば、たまにセリフ回しが不思議な抑揚で歌うように高く泳ぐクセを修正すれば、芝居はより伝わりやすくなると思う。愛希も芝居に熱中するあまり、たまに訛りが出てしまう点を修正されたし。星条海斗は「ベルサイユのばら」に壮一帆がアンドレ役で特別出演した際、アラン役としてセリフを交わした場面がこれまでの舞台でもっともよかったが、あのとき壮と交わしたような芝居が今できているか、再考すべきである。北翔海莉の役作りについては、作者モーリス・ルブランはアルセーヌ・ルパンの“分身”であり、二人とも等しく正塚晴彦の“分身”であることを指摘しておきたい。
 期待の東京宝塚劇場公演は8月30日から!
 紅ゆずるのベンヴォーリオは、凄かった。優しさにあふれていた。ロミオとジュリエットと共に笑い、ロミオとジュリエットと共に涙する、そんなベンヴォーリオだった。ロミオとジュリエットが幸せならばベンヴォーリオも幸せだし、ロミオとジュリエットが不幸ならばベンヴォーリオもまた不幸なのである。「どうやって伝えよう」はそれほどまでに圧巻だった。心を深く満たす優しさに、涙が止まらなかった――。そして、ナンバーを歌い終えた紅ゆずるは、ひときわ大きく輝く舞台姿となって、そこに立っていた。
 フィナーレでは、バルコニーシーンのナンバーを、ロミオとなって、それはねっとりうっとり歌っていたけれども、これがまた妙にクセになる味があって、ロミオ役でも観てみたいと思わせるものがあった。龍真咲の不思議ロミオともまた異なる、でもやっぱりワンダー・ロミオに違いない。
 紅は、「スカーレット ピンパーネル」で、最初にして最後の新人公演主演をつかみ、そのチャンスを見事ものにして一躍スターダムに躍り出た。この人はその際、“舞台は最高のエクスタシー”であると、知らず知らずのうちに知ってしまったところがあるのではないか、そんな気がしてならない。何より美を体現することに快感を覚える人間こそが、美の道、すなわち芸術向きの人間である。さらなる奮闘を期待したい。

 このミュージカルにおける作品解釈及びさまざまなキャラクターの設定は、私自身の「ロミオとジュリエット」解釈と齟齬を来す部分があり、個々の演者について記す上で非常に難しいものがある。ウィリアム・シェイクスピアの原作において、ロミオとジュリエットの真実の愛は澄んだ結晶の如く描かれている。にもかかわらず、真実の愛ではない関係を盛り込むことで“真実の愛”を際立たせようとする手法はいかがなものか。美は美として、厳然と、絶対的にそこにあるのであって、醜いものとの相対でとらえられるべきものではない。
 例えば、ジュリエットの両親であるキャピュレット夫妻には愛がなく、夫婦仲は冷め切っている。そして、ジュリエットの婚約者となるパリス伯爵は、原作においては魅力的なキャラクターであるにもかかわらず、このミュージカルでは、金でジュリエットを買おうとするあまりにも間抜けなキャラクターにされている。何しろ、極秘であるはずのロミオとジュリエットの結婚を街中が知ってしまうにもかかわらず、パリス一人が知らず、キャピュレット夫婦に騙される形で婚約させられるのである。別にジュリエットはパリスが間抜けだから好きになれないのではなくて、この人だ! と心にひらめくものがないから、すなわち、この二人の上には運命が瞬かないから、恋に落ちないだけの話である。また、“死”や“愛”の存在意義についても、私自身は、個々の登場人物の演技を通じて全体として表現すべきものだと考える。

 壱城あずさのパリスの造形にはそれでも納得させられるものがあった。きちんとかっこよく、それでいておふざけではなくとぼけている。壱城は役替わりで務めたマーキューシオ役も骨太で、歌に説得力があった。この人も、どうして新人公演の主役が回って来なかったのか不思議で仕方がないが、積み上げてきた男役芸は確かである。
一樹千尋のキャピュレット卿のナンバーも深く心に沁みた。一樹の演技自体は、原作通り、父として娘を思う愛にあふれていたのが何よりの救いだ。専科入り二年目、ロレンス神父を演じた英真なおきは、舞台に対する真摯な態度に磨きがかかってきた。十輝いりすはヴェローナ大公に扮して存在感を発揮。この大公がこれだけ説き諭してもなお消えぬところに、二つの家の深い憎しみが見えた。真風涼帆の踊った“死”には、「エリザベート」のトートにも通じる霊気が感じられた。
 ちなみに、星組は今後三つのグループに分かれ、柚希礼音主演で「REON!!II」が上演される。一昨年上演された「REON!!」でも、紅と壱城は大活躍していた。紅扮する客席案内係の“紅子さん”はやはり“心のキャラ”である。私が観ていた日は、ソバージュヘアをアンニュイにかきあげながら客席通路を通り、「柚希さんも紅さんも素敵よね」と言ったところで客席から「浮気者!」と声がかかった。それに逆ギレで答えて曰く、「宝塚ファンは浮気者でいいのよ! そりゃこっちとしちゃ一人にしぼってほしいけど!」。蓋し名言なり。壱城は光GENJIのナンバーを歌えば男性アイドルぶりを発揮、スターの追っかけ少女に扮して披露したミニスカート姿は女性アイドルの如きキュートさ。“心のアイドル”である。
 
 最後になったが、モンタギュー夫人を務めた花愛瑞穂は、本日8月25日をもって宝塚を卒業する。「南太平洋」で彼女はヒロインの同僚に扮していた。アメリカン・ミュージカルは宝塚の娘役にとってはいささか鬼門なところがある。あっけらかんとはっちゃけた表現と、娘役芸とが融合する地点をうまく見出さねばならないからだが、花愛はきちんと娘役として役を表現していて、頼もしく思った。モンタギュー夫人でもしっとり落ち着いた舞台を見せていたのが彼女らしい。よき卒業の日を!
 4月に観た星組「南太平洋」の“心の名場面”は、二幕冒頭、美城れん扮するルーサー・ビリス二等兵が“女装”して余興に興じるシーンである。男の色気あふれるヒゲ面のまま、“女装”。その姿で見せる楽しくも面妖な踊りに、何かの発作を起こしたように笑い続けながら、自分でも非常に不思議だった。女性が男役としてひげをつけ、その上で“女装”している姿を見ることが、どうしてそんなにもおかしいのだろうと。そこに確かな芸があるからこそ、“女装”をしても決して女に戻るわけではない。性の軛を逃れた、あまりに自由な存在となり得ていることに痛快ささえ感じて、心の底からおかしくなって、笑ってしまうのである。
 南太平洋に駐屯中の軍の面々が興じるこの宴会シーンは、南国の植物の葉を背負い羽根に見立て、宝塚の南国レビュー風に見せた原田諒の演出も冴えるところ。そして、美城の演技には、内輪で楽しみに興じているという趣向のこの場面での芸を、決して内輪受けのそれにはしない品のよさがあった。「こういうことをすると客席の宝塚ファンには受けるよなあ」という媚びからではなく、あくまで役者としてルーサー・ビリスという人間をしっかり構築しているから、彼が“女装”して仲間と共に楽しげに余興に興じる様も、いたずらに受けや笑いに走ることなく、きちんと演じられるのである。ヒロインに心を寄せ、一貫して彼女の味方であり続ける男の香気も光り、“心のキャラ”を越えて助演男優賞ものの舞台だった。
 その美城は、「ロミオとジュリエット」で乳母の大役に挑んだ。客席降りもある「綺麗は汚い」のナンバーでは芯を務め、我が子のように育てたジュリエットへの思いを歌い上げる「あの子はあなたを愛している」のソロがある役どころである。少々渡辺えり似のルックスもかわいらしさに花を添え、ロミオのことはもうあきらめてパリスと結婚するよう諭すシーンも、ジュリエットの幸せを心から願う愛に深く、決して現金に心変わりしたのではないと納得できるものがあった。「あの子はあなたを愛している」のソロではもう、ジュリエットがロミオに恋するように、美城の乳母も恋している。――舞台に。観客の前に立ち、こつこつと磨き上げてきた芸を披露する、その営為に。正塚晴彦のように、ロミオとジュリエットの恋を、舞台と客席との間に成立する“恋”と解釈するとすれば、恋する美城の乳母は、両者を取り持つ役回りである。その芸によって。
 決して自分の芸をひけらかすタイプではない。だから、その存在はなかなか広く知られずに来た。そして、昨年の「ジャン・ルイ・ファージョン」で演じたバレル役で、革命政府の方針に従い、主人公を形ばかり弁護してきたものの、主人公の信念にふれ、「異議あり!」と敢然と申し立てた瞬間、心が震えた。それは一つの宣言だった。己の使命に目覚める人間を演じて、美城は、宝塚歌劇の舞台に生きる己の使命に目覚めたのである。
 ずっと宝塚でその舞台を観たい――と願うことは、観客の我がままではある。なぜならそれは、タカラジェンヌに対し、結婚も含めた多様な生き方を否定することに他ならないからである。けれども、もし、彼女自身がそう望むなら、専科も視野に入れた上で、男役、女役問わず芸を磨き続け、宝塚の舞台で輝き続けていってほしい、そう願うものである。
 7月22日に宝塚ホテルで行われた会見の記事がアップされました(あひるの見どころ解説つき)。

http://etheatrix01.eplus2.jp/article/371379492.html

 今日は、東宝ダンスホールで行われた雪組公演「Shall we ダンス?」「CONGRATULATIONS 宝塚!!」の制作発表会の取材に行ってきました。あひるは社会人一年目の1995年、同じ場所でやはりダンス・パフォーマンス付きで行われた映画「Shall we ダンス?」の記者会見を取材しているので、何だか懐かしく。周防正行監督が1990年代初頭、かなり熱い宝塚ファンだったそうで、その頃構想されたという、宝塚を題材にした映画、いつか実現したら面白いのになと思った次第。
 さて、本日8月7日は雪組トップスター壮一帆さんの誕生日ですが、今日もいつもの会見のように、芸について大変熱く語っていて。そして、あまりに立派な答弁に報道陣からほうと声が上がり、思わず拍手が巻き起こるという。今日は、社交ダンスにおけるリードと宝塚のデュエットダンスにおけるリードとの違いについての話が非常に興味深く。社交ダンスを学んで今後の男役としての舞台にも生かしたいというその語りぶりに、とことん芸の人、芸を突きつめたい人なのだな……と思い、舞台人がとことん芸を突きつめる様を観たい聞きたいあひるとしては大変楽しく拝聴。お誕生日おめでとう! 今後もその舞台を通じて多くの美を発見していきたい、そう願っています。
 運命はときに、まったく別の世界に生きてきた二人を出逢わせる。
 そして二人に、それぞれの周囲にとって受け入れ難い関係を築かせる。
 この世に成立し難い関係を何とか成立させようと抗う、その不断の闘いもまた、愛である。

 フランス・ミュージカル「ロミオとジュリエット」は、率直に言って、ウィリアム・シェイクスピアの原典にはない設定があれこれ加えられており、シェイクスピアがあえて貫き通した真実の愛のシンプリシティ、若さゆえに疾走する物語の勢いを削ぐところがある。けれども、2010年に作品の日本初演を梅田芸術劇場と博多座にて担当し、このたび東京の地に初お目見えとなった、星組の柚希礼音&夢咲ねねコンビの体現する初恋の清冽なみずみずしさは、蛇足をなぎ倒して物語を原点へと引き戻す。コンビにとって文句なしの代表作である。どちらかというと大人っぽい役柄を得意とする夢咲が、これまで培ってきた娘役芸の集大成ともいえる舞台でジュリエットを見せる。彼女が役柄を通じて引き出して見せる、その内なる少女に愛おしさを覚える。持ち味であるすっとんきょうなかわいらしさが、コミカルトーンの場面とも好マッチ。そんな夢咲ジュリエットを、柚希ロミオががっちり受け止める。永遠の少年らしさの中に、女性が演じる男役ならではの甘さも生きて、二人のピュアさが涙を誘う。天国で結ばれてのダンス・シーンは、観ている方が照れそうな盛大なラブラブぶり。そんな二人が、フィナーレでは一転、アダルトな表情で舞うデュエット・ダンス。柚希のダンス巧者ぶりもさることながら、片側だけ透ける生地のセクシーな衣裳で踊る夢咲の妖艶さに、大輪の花の開花を思う。
 紅ゆずるが“苦悩するティボルト”という新機軸を打ち出しており、役替わりで演じるベンヴォーリオがあまりに気になるので、恋に疾走する二人以外のキャストについては、また後日。